「よく、頑張ってたと、思うよ」
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そんなこんなでバタバタと時間は過ぎていき、気付けばお昼のピークを超えて、時刻は15時を刻んでいた。満席だった店内が、ようやくちらほらと席が空き始める。
厨房で料理をトレーにセットしながら、ふぅ、と小さく息を吐く深月の前に、赤葦が目玉焼きが乗ったデミグラスハンバーグを差し出した。
「お疲れ様。これ、食べて少しゆっくりして」
「え、こんな豪華な食事、いいんですか…!?」
「孤爪には内緒にしてね(飯の時は目が輝くな、この子…)」
人差し指を口元に当てる赤葦に、ドキっと胸が跳ねる。目の前に差し出されたハンバーグに対してか、それとも彼に対して…と考え途中で首を横に振った。
「ありがとうございます…(ドキッてなによ、私…きっと慣れない業務に疲れてるのね、違いない…)」
「裏口の手前の左側に小さいロッカールームあったと思うんだけど、そこでみんな食べてるから、行っておいで」
混乱する思考回路を強制終了して、赤葦の言葉に甘え有り難く食事を取ることにした。
「いやぁ〜ありゃ魔性の男だね」
「あれ、素でやってそうですもんね」
深月がバックルームに入っていたところで、黒尾が冷や汗をかきながら呟いた。黒尾の珍しい様子に、赤葦は、ふっと笑っている。
「そうそう、それが客ウケしてんだよな。俺たちにいないタイプだからありがてぇわ、ほんと」
「っていうか記憶力が異常ですよ。1日でこんな動ける人そうそういないと思います」
「やだっ、ツッキーが人を褒めてる…!!」
食べ終えた食器を下げに厨房へ戻った月島は黒尾の言葉に眉をピクリと動かし不機嫌そうな表情を浮かべた。
「気持ち悪いって言ってんですよ…接客から、レジの使い方、メニュー、金額まで…」
「たぶんあの人…新規の客の顔と名前も覚えてるよ…俺、絶対無理…」
月島は下げた食器を洗い場に置きながらそう言い厨房から出ようとしたところで、孤爪が入れ替わるように入ってくる。
彼の言葉に「まじ?」とその場にいた全員が顔を引き攣らせ、目を合わせた。
「よっし、お前ら!負けてらんねーぞ!気合入れてけよ〜!」
「うわ」と面倒くさそうな表情を浮かべる月島は早々にその場から離れフロアーに戻る。孤爪も同じような表情で前のめりになりながら月島の後を追った。
そして自分の食事を早々に終えた深月は、厨房に戻り、業務再開した。入れ替わりで孤爪が休憩を取り、フロアーには月島と深月、黒尾が散らばってそれぞれの業務をこなしている。
深月はフロアーに目を配りながら洗い終えたばかりのグラスを拭いていた。手持ち無沙汰になった月島もそれを手伝い始めたが気まずい沈黙が気になり深月はちらりと隣に立つ彼を見つめた。
「なに」
「あ、えーっと…今日はフォローしてもらって、ありがとうございました」
「別に。君のためじゃないし」
せっかく感謝の気持ちを伝えたのに、とどこかの血管が浮き出そうになるのをなんとか堪える深月に、眼鏡を指先で持ち上げ位置を調節しながらグラスに視線を落とす月島は、ふっと鼻で笑った。
「でも、君って結構ドジだよね」
「ドッ…!?」
突然の貶し言葉にグラスを落としかける深月。
「ほらね」としたり顔をする月島に、「ぐっ…」と悔しそうな表情を浮かべるが返す言葉が見当たらないようだ。
「ふ、そんな顔もできるんだ」
「普通の顔ですけど!(む、むかつくわね…!)」
クスッと笑う月島と、つんっと口を尖らせてそっぽを向く深月。
そんな2人を顔を赤らめた女性客たちが聞き耳を立てながらそわそわしている。
「こらこら、お客様の前で喧嘩しなーい。」
「じゃ僕もお昼食べてきマース」
そこへ黒尾が割り込むと、月島は孤爪が昼休憩から戻ってきたのを察知し、ふいっとその場から去ろうとした。すると、月島目当てできていた若い女性が残念そうに声をかけた。
「え〜月島くん行っちゃうの〜?」
「僕もお腹空いたんですよ」
「ねぇねぇ、これ食べる〜?美味しいよ、オムライス!」
「フーン…じゃあ貰おうかな」
そう言って月島はにっこりと笑って近づき、彼女が座る椅子の背もたれ手をかける。
予想外の彼の反応にその場にいた誰もが固まっていたが、1番顔を真っ赤にさせて動揺しているのは女性客だった。後ろから迫る彼の気配は感じるものの見ることができないようで、俯いて目を瞑っている。
「…なーんてね」
彼女の耳元で囁かれた言葉。月島は彼女から離れて社交辞令スマイルを浮かべると「じゃ、ごゆっくりどうぞ」と軽く会釈をして厨房へ入っていった。
耳元で囁かれた女性客は完全に骨抜きになっている。彼女の正面に座る友人は両手で顔を覆い、羞恥に震えていた。
「(なによ…なんか悔しい…!)」
月島には何度か助けられた反面、蔑んだ目と嘲笑を浴びせられたため「くぅっ」と思わず声が出てしまうほど悔しがっている深月を横目に、黒尾はニヤリと笑みを浮かべた。
「(案外いいコンビになりそうじゃん。負けず嫌い同士)」
一方厨房では、赤葦がニヤニヤしながら月島に賄い飯を渡していた。
「ちょっと、その笑み気持ち悪いんですケド」
「ああ、ごめん。月島の珍しい姿が見られたからさ」
「あれくらい普通デス」
唇を尖らせた月島の言葉に、へぇ、と言いながら口元の緩みを抑えきれない赤葦。
「いつもあれくらいやればいいのに」
「だから、普通デス」
「はいはい」
ムッとした表情を浮かべる月島に、クスッと小さく笑みを溢す赤葦は再び調理を再開させた。
月島は納得のいかない表情のまま、食事を持ってバックルームへ向かうため厨房を出た。
「研磨、ちょっと厨房籠るからフロアー頼んだぞ」
「はーい…」
黒尾は洗い物を片付けるべく厨房に入る。孤爪はやる気のなさそうな声で返事をすると、フロアーに立つ深月の隣に立った。
「17時半くらいからまた混み始めるから、のんびりやろ…」
「は、はい(本当に猫みたい…)」
視線を落としながら呟く孤爪に、深月はぎこちなく頷き壁掛け時計を見つめた。時刻は17時ちょっと前を刻んでいる。
夕食には早い時間帯といっても、席は半分ほどが埋まっていた。
「研磨くーん、お水くださ〜い!」
入り口付近の席からキャッキャとはしゃぐ若い女性たちが孤爪を手招いている。彼は「はーい」と返事をすると、水の入ったポットを持ってその席へ向かった。
「ねぇねぇ、あの新人くん、イケメンすぎない?」
「ね、好きになりそう…!」
「あんたもう好きになってんじゃん!」
別の近くの席で盛り上がっている4人組の女子の視線を受け、深月は目を向けてふっと笑みを溢した。するとさらに黄色い声が上がる。
「(…私、性別偽って生きるのが正解なのかもしれないわ…そもそも男なんて信用ならないのよ…。)」
料理が上がった気配を感じた深月は彼女たちに背を向け厨房へ向かいながら、思い出したくない光景が浮かぶのを抑え込むように人知れず奥歯を噛み締めた。
出来上がっていた料理は先程自分のことを話していた4人組の女性客のところだった。2つの料理を両手に持ち、その席へ向かう。
「お待たせいたしました。ミートドリアと、カルボナーラでございます」
「はーい!ドリア、私ですっ!」
「こっち、パスタです!」
律儀に挙手をする彼女たちに、にこっと笑いかけながらそれぞれ料理を丁寧に机上へ置く。
「あの、深月さん…!私、ファンになっちゃいました…!」
「わ、嬉しいです…こんな可愛い人にファンになって貰えるなんて」
手前の椅子に座る女性の前に膝を付き、ふわりと微笑を浮かべる深月。女性はその笑顔に当てられたようで、口をパクパクとさせて固まっている。
「あ、いまお2人分のお料理お待ちしますので、少しお待ちくださいね」
そう声をかけて会釈をすると、すぐに残りの料理を厨房から運び届けた。
「お料理、お熱くなってますのでお気をつけください」
「はーい!猫舌だから気をつけます!」
「私もぉ〜」
深月の言葉に彼女たちはおちゃらけた様子で反応を示した。先ほどファンです、と言った女性は未だ再起不能のようで頬を赤らめ、ぽーっと一点を見つめていた。
「ふふ、俺もです。気をつけて召し上がってくださいね」
チラッと舌を出して悪戯な笑みを浮かべる深月に、残りの3人も同じように見事再起不能状態に陥ったようだった。
他に料理が出来上がっていないか確認のため厨房に戻ると、ちょうど洗い物を終えた黒尾がニヤニヤしながら深月を待ち構えていた。
「ご新規キラーサン、いい働きっぷりっすねぇ〜」
「な、なんですかそのダサいあだ名…」
ニッとギザギザの歯を出して笑う黒尾が勝手に付けたあだ名のダサさにドン引きしながら狼狽えていると、後ろから「ぷっ」と笑いを吹き出す声が聞こえた。
振り向くと嘲笑を浮かべる月島が立っていた。
「良いあだ名だと思うケド」
「うるさいです、月島サン」
「お、もう仲良くなったんだな〜うんうん、お兄さんは安心しましたよ」
「「どこがですか?」」
黒尾は2人のやり取りを見つめながら、両手を左右の腰に当ててわざとらしく頷いている。
2人は真顔で黒尾をひと睨みするが「仲良く」の言葉通りに綺麗にハモってしまい、思わず一部始終を見ていた赤葦は喉を鳴らして小さく笑っていた。
「赤葦さん、笑いすぎデス」
「(仲良いわけないでしょ、こんな嫌味男となんて…!)」
眉を顰める月島と腹を抱えて笑う黒尾、赤葦を置いて、深月は真顔を保ったままフロアーに戻った。
やがて17時半を回ると、孤爪の言葉通りにバラバラと客足が増え、あっという間に満席となった。
昼間のピークよりは緩やかに感じるが、それでもまた外までお客さんが並ぶほどの忙しさであった。
ようやく外に並ぶお客さんも捌けて、ラストオーダーの時間になった頃、深月は途中から気になっていた壁掛けの黒板に目をやった。
一般的に、今日のオススメメニューや店のこだわりポイントなどが書かれているようなお洒落な黒板だが、深月はその内容に疑問符を抱いていた。
『ねこどり。特別イベント
次回は…8月25日(火)サマークリスマス!』
「(サマークリスマス…パーティでもするのかしら。お客さんも結構その話で盛り上がってたけれど…)」
聞き慣れない言葉に内心首を傾げていると、店内最後のお客さんが帰るようで、席を立った。
それに気付いた赤葦も厨房からフロアーへ出ると5人は開店時と同じように並びお客さんを見送った。
黒尾がパタン、と店の扉を閉めると、一気に気が緩んだように誰かともわからないため息が響き渡った。
「いや〜、今日もお疲れ!深月も、1日目とは思えねー働きっぷりだったぜ!」
「は、はあ…(正直、もう足はパンパンだし、この場に倒れ込みたい…)」
バシバシッと背中を叩かれ、その痛みに文句を言う気力すらない深月は短く言葉を返した。気が緩み表情に疲労が窺える深月を見た月島はフン、と鼻で笑った。
「あれー、ご新規キラーさんはスタミナ切れみたいですネ」
「(チッ…この男、ネチネチうるさいわね!)うわ、月島さんって意外とネーミングセンス無いんですねぇ〜」
「ちょっと、それ遠回しに俺傷つくやつだから!」
月島と深月の無駄な嫌味合戦に巻き添えを食う黒尾はそう吠えると、眉を下げて大量の涙を流している。
「ああ、うるさい…なんでそんな元気なの…早く片付けようよ…」
そんな3人を横目に、疲労困憊の孤爪は眉を顰めながらレジカウンターに寄りかかり項垂れている。ふにゃふにゃの猫のような彼に、赤葦はしょうがないな、と軽く息を吐きながら黒尾に目を向けた。
「孤爪も限界そうだし、早く終わらせましょう。黒尾さん」
「そーだな、もう一踏ん張り頼むぜ、お前ら!」
黒尾の掛け声に仕方ないと深いため息を吐く孤爪はヨロヨロと裏口の方へ行き、モップを2つ持ち寄り片方を深月に手渡した。
「モップ掛け、1番楽だから…あげる」
「こら、研磨!新人くんを甘やかすんじゃありません!」
「…元気有り余ってる人は机と椅子の脚拭き、やればちょうどいいと思う…疲労度的に」
孤爪の行動を黒尾はおちゃらけた様子で嗜める。だがそれを受け取る深月にとっては、とてもありがたいものだった。
体力に自信があると豪語しておいて「限界だ」と根を上げるのはカッコ悪いと思い、作り笑顔を貼り付けていたのだ。もう足腰も、疲労は限界を迎えていた。
孤爪の言葉通り、1番負担のかかる机や椅子の脚拭きは渋々黒尾が担当し、月島と赤葦が厨房の片付けを始めているなか、深月は彼の名前を呼んで足を止めた。
「あの、孤爪さん。ありがとうございます。」
「いや…そもそも初日からフルで働かせる方が、どうかと思うし…よく、頑張ってたと、思うよ…上手だった、し」
ビクッと体を反応させて後ろを振り向く孤爪は、視線をあちこちに逸らし、髪と同じ黄金色の瞳は気まずそうに揺れていた。
たどたどしく紡がれる裏表のない彼の言葉ひとつひとつが、ふわりと心に沁みて深月は思わず込み上げてくる笑顔を溢した。
「ふふ、今日貰った言葉のなかで、1番嬉しいです」
「っ、べ、つに…(やっぱりこの人、ゲームの人だ…なんか、心臓痛い…なんで…働きすぎた…?)」
「俺、男嫌いなんですけど。孤爪さんみたいな男の人は…嫌じゃないかもしれませんね」
「…っ!?お、俺、そういう趣味ない、から…!」
昨日黒尾に体を支えられた時は思わず嫌悪感が溢れ出し、月島に対してはついに舌打ちまで出そうになる始末だったが、不思議と他2人にはマイナスな感情が起きることがなかった。
だから好きという話にはなり得ないが、彼の言葉に胸が温かくなった深月の言葉に、孤爪はまるで毛を逆撫でる猫のように、しゃがんで拭き掃除をしている黒尾の後ろに素早く隠れた。
「うおっ!」と驚く黒尾を他所に、深月はクスクスと笑いながら、掃除を再開させた。
「クロが俺を働かせすぎるから、心臓痛い…クロのせい…なんとかして!」
「え、なに、なんの話!?ごめんって!」
珍しく小声で早口になる孤爪の威圧感に黒尾は狼狽えている。一方、厨房にいた赤葦はガラス越しにその一部始終を見ており、自分に背を向けて洗い物を続ける月島にクスッと笑みを溢しながら口を開いた。
「月島も、素直になればいいのに」
「何ですか、藪から棒に…」
赤葦の言葉に眉を顰める月島は、手を止めないまま不機嫌そうな声で言い返している。その様子は思い当たる節があるようだ。
「(本当は月島もあの子のこと、心配してるクセにね)」
一応教育係を任された月島は、業務中いつでもフォローできるように深月を視界に入れ、常に行動をしていたのだ。
フロアーを見渡せる厨房から、いつもと若干動きがぎこちない月島を見ていた赤葦は「月島も大人になったんだな」と微笑ましい様子で見ていたのだった。
「まあ、月島はそういうところが可愛いんだけどね」
「べ、別に嬉しくないんですケド(でた、赤葦さんの、天然タラシ…!)」
月島はピクリと肩を揺らした。
赤葦の特性「天然タラシ」で落ちた人間は数知れず。性別を問わないのが厄介なところだ。
だが月島はその動揺を表に出さないように平常心を保ち、洗い物に専念している。
「そんな可愛い子には、これあげる」
3メートルほど離れた場所にいると思っていた赤葦が気付けば背後に迫っており、彼の耳元に吐息がかかる。それと同時に口の中に広がったのは甘い苺味だった。
「んむっ…!?(…甘い、ロリポップ?)」
「月島、それ好きデショ」
「…真似、しないでください」
言われてみればもう市販されていないイチゴケーキ味だ。月島はむすっとしながら、その甘みを舌先で転がす。
「なぁ、お前らそれ開店中に外でやってくれない…??」
厨房の入り口で立ち尽くす黒尾は顔を赤らめ体を震わせながら、片手で顔を覆い天井を向いている。洗い物を終え、流し場を綺麗に整える月島は、その反応に煩わしそうな表情を浮かべた。
「何を勘違いしたか知りませんけど、赤葦さんはいつもこうですから」
「嘘つけー!俺にはそんなことしてくれねーしぃ!」
「ああ、俺、カワイイ人にしか興味ないんで」
黒尾は口を尖らせて文句を垂らしているが、それを気に留めない様子の赤葦はしれっと言葉を返した。
「けーじくん、ひどくない!?俺もカワイイでしょ!?」
「さ、明日は休みだし、早く片しちゃおうか」
「ソウデスネ」
2人の冷め切った反応にショックを受けたようで、黒尾は「研磨ぁあ!!」と泣き叫びながら厨房を去っていってしまった。
向かった先では研磨に足蹴にされ、深月には蔑んだ目で見られるなど散々な黒尾なのであった。
だがその日の夜、いつものように家の自室に籠り残業をしている黒尾を訪ねてきた赤葦が、コーヒーと甘い洋菓子を持ち寄り、しっかりメンタルケアをおこなったのは言うまでもない。