君のなかに、僕はいない
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リビングに腰掛ける彼にチラチラと視線を送りながら、あかりはカウンターキッチンで温かいお茶を淹れていた。リビングで頬杖を付いて何か考え事をしているような彼の横顔は、目の前の何もない白いを見つめている。
改めて明るい場所で見る彼は、世間一般で言う「美男子」に分類されるのだろう。目鼻立ちが整っていて、黒縁眼鏡がその切長の目によく似合っていた。
「なに?あんまりジロジロ見ないでくれる」
彼はキッチンに目を向け、ジロリとあかりを睨みつけた。慌てて目を逸らし、「すみません」と謝ると御盆に2つの湯呑みを置いてそれを手に持った。
するとキッチンを出て彼の元へ向かう途中、だいぶアルコールを摂取していたあかりは足がもつれてしまう。
「あ...!」
前につんのめってしまったあかりは思わず目を瞑って、その衝撃を覚悟した。だがいつまでもその熱さも衝撃も受けないことに疑問を抱き、恐る恐る目を開けると目の前には白いTシャツを薄緑色に汚した彼が顔を顰めていた。
間一髪、前に転びかけた彼女の身体に手を伸ばして抱き止め間に合ったものの、その代償として熱いお茶を被ることとなってしまったのだった。
彼の上にのしかかるような体勢のあかりは、思いもよらぬ光景に絶句し、湯呑みが床を転がる音でハッと身体を避けた。
「っ!!ご、ごめんなさい!」
「いーけど....君、大丈夫?」
彼は熱さを堪えるように顔を歪めながら、あかりに怪我がないかを確認しているようだった。
青ざめた顔であかりは彼を風呂場へ連れて行き、浴槽の縁に座らせるとすぐに冷水シャワーをTシャツの上から優しく当てた。
「ちょ、ちょっと大袈裟....つめた!」
「ごめんなさい、でも火傷になってしまいます...!ちょっと上脱いでください!」
Tシャツを無理やり脱がせ少し赤みを帯びた腹部に水が優しく当たるよう、手で調整しながら冷ましていく。
「あと熱いところ、ありますか!?」
彼の足の間に膝をつきながら、腹部に冷水を当てるあかりは、焦りの消えない表情のまま彼を見上げた。
上半身裸の彼は浴槽の縁に腰掛けたまま、耳まで赤く染めた顔であかりを見下ろし、口元を腕で覆っている。彼女と目が合うと、より一層眉間に皺を寄せて顔を背けた。
「….っ、じ、自分でやるからもういい。そのまま風呂も借して」
「す、すみません…お風呂、どうぞ使ってください。失礼します…!」
思えば他人の裸など、テレビでしか見たことのなかったあかりにとって彼の姿は刺激が強すぎたようだ。顔が熱くなるのを感じながら、慌てて風呂場を出て扉を閉めた。
「(び、びっくりしました...!男の人、って感じで…)」
うるさいほど跳ねる心臓に手を当て落ち着かせながら、タオルと着替えを探すべく寝室へ向かう。
とりあえず過去に間違って購入した大きいスウェットとタオルを畳んでお風呂場の棚に置く。シャワーの音に落ち着かない気持ちのままリビングに戻ると、転がったままの茶碗を拾い、割れていない事に安堵しつつ片付けを始めた。
そのうちにリビングの扉が開かれ、お風呂から上がった彼がリビングに現れた。用意したグレーのウェットを履いていたが裾が足らなかったようで膝下まで捲られていた。濡れた髪から滴る雫は、肩にかかるタオルに受け止められている。
「わぁ!ちょっ、あ、あの!裸...!」
「...スウェット小さかったから」
手で目を覆うあかりに、月島はその行動の意味を理解できないというかのように首を傾げている。彼はタオルで髪を乾かしながら、仕方なく奇跡的に汚れていなかった黒パーカーに袖を通し、リビングの椅子に座った。
ファスナーを絞める音であかりは目を開け、彼の姿に安心しながら再びお茶を淹れ、今度は転ばずにリビングへ向かい机上に湯呑みを置いた。
「…で、本題に入るけど」
湯呑みに口を付けて「ふぅ」と息を吐いた後、あかりを訪ねてきた理由を淡々と話し始めた。
理由というのはこうだった。
彼は東京でやりたいことがあり、上京してすぐ一人暮らしをさせるのは不安だという両親の強い意向で、少しの間昔関わりのあった遠い親戚であるあかりの家で生活をさせてもらうことになった、というものだ。
だがそんな話を聞いたこともなければ彼が親戚だという記憶もないあかりはぎこちなく頷きながら首を傾げた。
「親から連絡いってるはずなんだけど、その様子じゃきてないみたいだね」
「はい...あ、もしかして....」
思い出したかのように、あかりはスマホを取り出して着信履歴を確認した。そこには「非通知」の文字がずらりと並んでいる。
「これでしょうか...ちょっと色々あって、非通知は出ないようにしてるので...」
「(母さんがこんなしつこく電話するだろうか…これ、今週だけでも10件以上かかってきてる…)...明日聞いてみるよ。」
見せられた着信履歴に彼は顔を引き攣らせた。一方あかりはこの非通知の正体が親戚かもしれない可能性に少し安堵しているようだった。
「そうだ、私は雨音 あかりっていいます。あなたは...」
「...月島蛍」
「月島くん、ですね。ご親戚みたいですし、ここにいてもらっていいですよ。きっと、上京してやりたいことがあるのですよね」
今更ながらの自己紹介を終えて、あかりは安心したように笑いかけた。そんな彼女と対照的に、月島は無表情のままただ静かに頷いた。
「そうだ、ちなみに月島くん。明日のご予定はありますか?」
「買い物。最低限のものしか持ってないから買いに行こうと思ってる」
スポーツバックひとつで遠方から都内まで来たのだ、さすがに私服や寝巻き、下着などの衣服や日々の必需品なども購入したいのだろう。
淡々と答える月島が、どんな思いで上京してきたのかは想像もつかないがもし自分だったら、と考えたあかりは片手を挙げてニコッと笑いかけた。
「じゃあ、案内します!人手は多い方がいいですよね。車もありますし」
「君そんなお酒飲んでて明日動けるの?」
「ハッ、まさかお酒臭いですか…!?すみません…!酔いはすっかり冷めたのですが…」
得意げな様子で提案したあかりは、急に愕然とした表情で口元を覆って席を立ち彼と距離を取った。そう言う意味じゃなかったんだけど、と心の中で呟きながら、月島は彼女の反応に思わず吹き出し小さく笑った。
「ではあの私はお風呂へ入ってきますね…!月島くんこっちの部屋のベッド使ってください。では!」
恥ずかしげに顔を赤らめて、リビングに隣接している扉を指さし早口でそう言うと、小走りでお風呂場へ向かっていった。
返事をする間も与えられないまま、リビングを出て行った彼女が見えなくなった瞬間、急な静けさが月島を包んだ。
天井を見上げて背もたれに頭を預ける月島は、ふぅ、と長い溜息を吐いた。
スウェットのポケットでブブっと振動したのは月島のスマホだった。それを取り出し画面を見ると「山口」という名前が表示されていた。
彼は小学校時代からの幼馴染であり、高校時代バレー部で共に戦った戦友である。月島は無表情で、その名前をタップした。
<ツッキーお疲れさま!どうだった?会えた?>
<会えたけど。忘れてるみたい>
<え!?忘れてる...?なにか事情があるのかな...
頑張って、ツッキー。何かあったら相談乗るから!>
彼のメッセージに、相変わらずの頼もしさを感じながらスマホのディスプレイの画面を落とした。
「(何か事情があって欲しいわけじゃないけど…なかったらないで、それはショックだな…)」
だが記憶にある昔の彼女と、今の彼女は喋り方も雰囲気も違うことに大きな違和感を感じていた。
だがそれを今追求したところで覚えてないならどうしようもない。そう諦めてふと、リビングに隣接している部屋に視線を移した。
開きっぱなしの扉の隙間からみえるベッドが視界に入ると、月島は顔を赤らめ片手で顔を覆った。
「寝れるわけないでしょ...」
彼の呟きは誰に届くこともなく、リビングの白い天井に吸い込まれていくように消えていった。
一方、シャワーを浴びていたあかりは身体を洗いながら月島のことをなんとか思い出そうと試みていた。
「(ご親戚...やはり、思い出せませんね...)」
今は両親も亡くなっていて、血の繋がった身内とは一切の連絡を取っていなかった。薄らと記憶にあるのは「昔田舎の方に住んでいた」という曖昧なものだった。
彼女は中学生以前の記憶がほぼ欠落しており、だがそれを思い出そうという気持ちになることもなかったのだ。
「(昔、関わりがあった親戚の子...でしょうか)」
少しの間記憶を手繰り寄せてみようと試みてみたが、靄がかかったように何も思い出せない。あかりは小さく溜息を吐くと、もう眠りについているであろう月島の顔を思い浮かべた。
おそらく上京するタイミングとすると大学卒業後の22、3歳くらいだろうか。見た目は最近の若者らしい男の子だったが、話し方も身の振り方も落ち着いた雰囲気でまるで歳下とは感じなかった。
急に同居人が増えることへの不安と、妙な胸の高鳴りを抑えながらお風呂から上がりリビングへ戻ったあかりは、その光景に目を少しだけ見開き驚いたような表情を浮かべた。
「(月島くん、ソファで寝ちゃってます...)」
すやすやと眠る彼にとってソファは少し小さいようで、大きな身体を丸めて横になっている。
ふと、カウンターキッチンに目をやると茶碗が2つ洗われていた。
「(すごい、優しい子ですね…)」
彼の行動に感動しながら、自分の部屋から毛布を持ち寄り、ソファで寝息を立てる彼を覗き込んだ。まるで子供のような寝顔で眠る月島にあかりはクスッと笑みを溢した。
「これから、よろしくお願いしますね。月島くん」
あかりは彼に近づき小さく囁くと、月島にふわりと優しく毛布をかけた。
そして彼女が自分の部屋に戻り寝息をたてる頃、狸寝入りを決め込んでいた月島は大きなため息を吐きながら短い前髪をくしゃりと握りながら眉間に皺を寄せた。
「(...心臓に悪すぎるんですケド)」
心臓の音が落ち着きを取り戻すまで、彼が眠りにつくことはなかった。