それを壊すのは、いつも
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
暗闇のなか、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる。
焦りを含んだ、聞き覚えのあるその声を聞いたあかりは胸がぎゅっと掴まれるような切なさを感じていた。
「(ああ…この声……)」
その声をいつまでも聞いていたい気持ちと、早く起きなきゃという思いが競り合っている途中、「起きなさい」という声が確かに聞こえたような気がした。
この声は誰だろう、と思いながらスッと身体に染み込んでいくようなその言葉に従うように、あかりは瞼をゆっくり開けた。
「っ、あかり、あかり…!」
「ちょっと、月島さん!あなたは安静に…!」
「僕は大丈夫です、それよりあかりが…!」
「っ!先生を呼んできます…!」
あかりのぼやけた視界に1番に飛び込んできたのは、ベージュ色の短い髪と黒縁メガネのレンズの奥で飴色の瞳を揺らす、病院服を着た男性だった。
看護師のバタバタと廊下を走る音が響いている。
心配そうに自分を覗き込む彼の奥には、無機質な天井がぶらさがっている。それは寝ぼけたあかりの意識を徐々に呼び起こしていった。
「大丈夫?自分のこと、わかる?」
彼の問いかけに答える前に、あかりは目を瞑った。その瞬間、母と父の最後の記憶が、まるで早送りした映画のように脳内で再生され始めた。
同時に浮かぶ光景は酷く生々しいもので、吐き気を催したあかりは咄嗟に身体を起こし思わずえづいてしまった。彼は慌てて専用の容器を口元に当てて背中を撫でたが、吐き出すものは何もなく、酸っぱい体液が喉を焼くだけだった。
瞳からは止めど無く涙が溢れていく。それを止める術もないまま、もうひとつのベッドが置かれた反対側の窓から外を見つめた。
時間感覚を失わせるような灰色の分厚い雲がすっぽりと空を覆っている。枝に添う枯葉のおかげでかろうじて季節だけはなんとなく把握できるが、今が何月何日なのかはわからない、そんな状態だった。
「(腕が、痛い……包帯…?)」
起き上がった瞬間にジンジンと鈍く痛み始めた右腕は包帯が巻かれている。だが、その怪我の理由を思い出すこともく出来なかった。
不安げな彼のを他所に、あかりは右腕に視線を落としながら記憶を手繰り寄せていた。
「(お母さんが、殺されて…お父さんは自分で、…それで…)」
といってもどこから手繰り寄せればいいのか、なにが新しい記憶なのか分からず、混乱状態にあった。
「大丈夫ですか、雨音さん。さあ、横になってください。」
いつのまにかベッドの近くに立っていた年配の男性の医者の言葉により、思考は遮断された。彼は諭すようにそう言うと、あかりは力無くベッドに体を沈めた。医者はにっこりとした笑みを浮かべながら、横に備え付けられたスイッチを押し、ベッドの背もたれの角度を上げてくれた。
「ほら!月島さんはこっちのベッドに…」
「いえ、僕は大丈夫です。…もう少しここにいさせてください」
女性の看護師が呆れた表情で隣のベッドを指さしながら病院服の彼を促すが言うことを聞かず、頑なにあかりのベッドから動こうとしなかった。
医者は穏やかな表情で看護師を手のひらで制止する。その場にいることを許された彼は安堵の表情を浮かべて横たわる私を見つめていた。
「自分のお名前、わかりますか?」
「………雨音、あかり、です」
自分の名前を言うと、医者は変わらない笑みを浮かべてうんうんと頷き、男と看護師はほっと胸を撫で下ろしていた。
血液型や生年月日等の質問に順調に答えていたが、ここに運ばれる直前に何があったか、という問いにあかりは頭を悩ませた。
「…すみ、ません……母が…亡くなって、父も…それで…私…」
「雨音さん、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「……ん、ち、がう………」
あかりは混乱する頭をまた一から整理しようと首を振った後、たまたま心配そうな表情を浮かべる彼と目があった。
一見彼は平静を保っていたが、飴色の瞳の奥で揺れる動揺と不安の色が自分に何かを訴えかけている。そんなふうに感じたあかりの心臓はドクンと大きな音を立てた。
その瞬間、ストンと何かが心に落ち、視界がクリアになっていく感覚がしたあかりは、咄嗟に彼の腕を掴み、前のめりになりながらその瞳を見つめた。
「ごめ…っつき、しま、く…っ」
込み上げてくる感情を抑えながら名前を呼ぶと、月島は歯を食いしばって涙を堪えるように顔を顰めた。そして身体を気遣うように優しく抱き寄せて、あかりがここにいることを噛み締めるように何度も頭を撫でた。
「……っごめんなさい…私…」
「…大丈夫だから」
月島は首を横に振り、涙を流すあかりを落ち着かせるように出来るだけ優しい声でそう言った。
すると、ゴホンッとわざとらしい看護師の咳によって
ハッとした2人は慌てて体を離した。医者はにこにこと相変わらずな笑みを浮かべている。
そしてあかりは先生に視線を移して、口を開いた。
「あの、…先生、月島くんの怪我は…バレーはできますか、先生…!お腹、刺されて…、手も…っ」
「ちょっと、僕のことより自分の心配してよ…」
どんどんと心配が溢れてきて、気付けば必死の形相でベッドの足元の方に立っていた医者の先生に問いかけていた。
月島と看護師は他人を心配する彼女の様子に呆れたように眉尻を下げている。
「はっはっは!君たちは自分のことよりまずお互いの心配をするんだねぇ」
先生は可笑しそうにしわくちゃな笑顔を浮かべた。「君たちは」と言う言葉に首を傾げるあかりを横目に、月島は眉を顰めながら顔を赤らめ目を逸らし、看護師はクスクスと笑顔を浮かべている。
「まずは雨音さん。まだ少し記憶に混同がみられるようだね。元々解離性健忘と診断されているし、念のため明日検査しようね」
「…はい」
「で、月島さんの方はこの通りピンピンしてるし、お腹を刺されたと言ってもほんの数センチくらい。なので、問題ないでしょう。手の傷の方が少し深いかな」
「手、…っ、それは、ちゃんと治るのでしょうか…!」
「幸い、神経は傷付いてないから大丈夫。まだ若いから治癒力も高いし、1ヶ月後にはバレーボールもできるよ。…でも、掌で防いでなかったら、正直危なかった。腹部には大事な臓器や血管がたくさんあるからね」
医者は安心させるようにわかりやすく説明をしたが、あかりの顔色はみるみるうちに青ざめていった。
何か一つでも間違えていたら、彼はここにいなかったかもしれない。生きていてもバレーコートに2度と立てなくなる可能性があったのだ。
それらの事実がなによりも恐ろしく、あかりは身体を震わせた。
「雨音さん、今は2人とも無事であったことをまずは喜ぶべきです。もしも、という可能性を考えることも時には大事ですが、それは今じゃない」
「……っ、はい」
明らかに表情を曇らせたあかりに、医者は真剣な声で誡めた。その言葉に、グッと押し黙るあかりは腕の痛みも構わず、布団を強く握りしめた。
「…あと雨音さんの腕ね。傷が結構深くてね…綺麗に縫合したのだけど跡は少し残ってしまうかもしれないんだ。本当に、申し訳ない」
「…いえ、そんなこと…ありがとうございます」
医者は薄い白髪の頭を深く下げた。傷跡が残るかどうか、それは彼女にとって小さな問題で、全く気に留めていない様子のあかりは感謝の意を込めて同じように頭を下げた。
「じゃあ2人は仲良く5日間、入院すること。特に月島さんは暫くトレーニング禁止ね。OK?」
「…はい」
「年越し前には家に帰れるように、頑張ろうね。若い2人が病院で仲良く年越しは嫌でしょうから」
医者はにこにこと変わらない笑みを浮かべながら月島に釘を刺し、病室を出ていった。つられて看護師も会釈をし医者の後を追うように去っていった。
ぽつりと残された2人の間に流れる沈黙を破ったのは、俯くあかりだった。
「月島くん…ごめんなさい…」
月島は彼女の震える声に眉を顰めながら、布団を握る小さな手の力を解くように優しく重ねて触れ、口を開いた。
「どうして謝るの」
「私のせいで、こんな怪我まで…っ、」
「先生も言ってたでしょ。僕は大したことないし、大丈夫だから。そもそも君のせいじゃないし」
彼の優しさにあかりはぎこちなく首を横に振って、力の無い声で呟くように言葉を続けた。
「目が覚めたとき…っ、月島くんのこと、わからなくなって…もう、忘れたくないのに…また傷付けて…っ」
「……でも、思い出してくれた」
「そんなの、たまたま…きっと運が良かっただけで…!」
バッと顔を上げてあかりは月島の顔を見つめた。
彼は大層不機嫌そうな表情を浮かべて重ねた手を離し、あかりの両側の頬を片手でぎゅっと挟んだ。
「あのね、そもそも忘れるって人間の機能だから。でも脳は必ず覚えてる。だから君は昔のことを思い出すことができたんでしょ」
「…でも…!」
「……確かに、忘れられることは寂しい。でも、何度記憶を無くしても、必ず君は思い出してくれる。僕はそう信じてるから、別にいい」
これは強がりではないと、月島の真剣味を帯びた瞳がそう訴えている。あかりは彼の真っ直ぐな言葉に涙が溢れて止まらなかった。
月島は両頬を挟んでいた手の力を緩めて離すと、手の甲でその涙を拭った。
「…っ、そんなの、カッコ良すぎますよ、月島くん…」
「当たり前デショ」
少し安堵した様子のあかりのおでこにコツンと額を寄せる月島は、いつものように軽口を叩いてふっと笑った。
「好き、大好きです…っ」
「…知ってる」
満更でもない表情を浮かべる月島は彼女の濡れた目尻にキスを落とす。くすぐったそうに目を細めるあかりは頬を擦り寄せて、お返しにそっと彼の頰に口付けをした。
「ゴホンッ!!!」
声のする方を見ると、先ほど医者の後を追いかけるように出ていったはずの若い女性の看護師がいた。いつからそこに立っていたのかはわからないが、彼女は呆れた顔で2人をジトっと見つめている。
あかりは「わぁ!」と声を上げながら月島から顔を離した。
「こら、2人部屋だからってイチャイチャ禁止ですよ〜。家に帰ってからにしましょうね、おふたりさん」
「はーい。すみませーん」
「はい、月島さんはこっちのベッドだからね〜」
月島はつまらなそうな声を上げ、パッとあかりから手を離し、看護師に顎で指された隣のベッドに移動する。
「全く…明日は検査なんですから、無理せずに休んでくださいね、雨音さん。月島さんは、とにかく安静に!傷開いて一人年越しになっても知りませんよ!」
腰に手を当てて怒っている様子の看護師の言葉に、2人は大人しく「はい」と頷きベッドに横たわった。
パタン、と扉が閉められたあとにまた訪れた沈黙に、どちらからともなく吹き出して笑ってしまった。
「ふふっ、…怒られちゃいましたね」
「さっきまで半べそかいてたくせにね」
「なっ、月島くんもですよ…!?」
「は!?僕は泣いてなっ…!」
ベッドに横たわる月島はガバッと起き上がり言い返そうとしたが、腹部の痛みに顔を歪め言葉を詰まらせると再びゆっくりと枕に頭を沈めた。
「だ、大丈夫ですか!?月島くん…!」
「…ん、大丈夫。ちょっと一眠りしようかな…(安心したら眠気が…)」
心配するあかりはベッドの背もたれを下の位置に戻そうとしていた手を止めて、顔を引き攣らせながら深く息を吐く彼を見つめた。
眼鏡を外して横のテーブルに置き、目を瞑る月島の声はどこかとても穏やかだった。
「…月島くん、おやすみなさい」
そうして2人はそれぞれのベッドでゆっくり目を閉じた。
とにかく考えなければならない全てを忘れて、互いのことだけを想いながら心地のいい微睡に身を沈めていったのだった。
(壊れるのは、いつも突然だけれど)
(何度繰り返されても、君となら)
3/3ページ