願掛けは、嫌いだけれど
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ようやく最寄り駅に到着するや否や、僕は走り出していた。彼女から一向に返事はなく、電話の折り返しもない。こんなことは初めてだった。
小さな商店街を走り抜けて、3階建てのアパートを見上げる。ベランダの窓から光が漏れていて、電気が付いていることを確認すると全力で階段を上がり玄関の扉を開けた。
息を切らしながら大きなカバンを隅に置き靴を脱ぐ。いつもなら廊下とリビングを繋ぐ扉を開けて「おかえりなさい」と出迎えてくれるのに、家は静まり返っていた。
いよいよ嫌な予感が現実味を帯び、心臓が激しく音を立てる。僕はリビングの扉に手を伸ばしそれを開けた。
「あかり…!」
僕の視界に入ったのはソファの上で横たわる彼女の姿だった。ローテーブルの上には綺麗に畳まれた洗濯物が置かれている。
恐る恐る近付き覗き込むと、あかりは穏やかな顔で「すーすー」と寝息を立て眠っていらようだった。
「(寝てる…よかった…何事もなくて…んっ!?)」
ホッとしたのも束の間、僕は激しく動揺していた。彼女は何故か僕のTシャツを抱き締めて眠っていたのだ。
「(なにしてんの、なにしてんのこの子は…!可愛すぎるでしょ…!)」
床にしゃがみ込み悶絶する僕を他所に、あかりはどんな夢を見ているのか、幸せそうに口角を上げながらそのTシャツに頬を寄せている。
ドクンドクン、と脈打つ心臓を押さえながら片目を隠しかけている彼女の前髪を指先で掬い耳にかける。
「(…っ早く、声が聞きたい。笑顔が見たい。早く触れたい…)」
リビングに入る時、結構大きい声で名前を呼んだけれど起きないということは、キスしても起きないんじゃないか、なんていう邪念が沸く。
いやいや流石に起きるでしょ、と馬鹿馬鹿しいツッコミを自分にしながら首を横に振り、触れる理由を考え続けているとあかりは小さく唸り声を上げた。
「んぅー………っん、」
思わずビクッと身体が固まり彼女を見つめる。すると横になったまま薄らと瞼を開けたあかりは、ぼーっとした瞳で僕を視界に捉えたようだった。
そしてガバッと勢いよく起き上がると、今にも泣き出しそうな顔を歪ませて、目の前にいる僕に抱きついた。まるで噛み締めるように、スゥッと鼻で酸素を吸い小さく息を吐いている。
彼女の頭を撫でるとどちらからともなくゆっくり体を離し、あかりは可愛らしくはにかんで僕を見つめ口を開いた。
「おかえりなさい、月島くん…!!」
「うん、ただいま」
つられて頬を緩ませた僕は、彼女の薄い唇にできる限り優しくキスを落とした。
ただの触れるだけのキスに、全身が喜びに震えているのを感じる。もう随分長いこと、触れていなかったような気さえしていた。
それを悟られないように顔を離すと、顔を赤らめる彼女に僕はまた意地悪な笑みを向けた。
「泣くほど寂しかったの?」
「うぅっ、泣いてません…っ」
「ふ、うそつき」
唇をキュッと結び強がる彼女が意地らしくて、涙の跡が残る目元にキスをする。そして視界に映ったソファに散乱しているTシャツに目を向けて、ニヤリと笑って顎で差した。
「ねぇ、それ。どうしたの?」
「わぁっ、いえ、これは…!なんでも無いと言いますか…!その…」
羞恥に顔を染めるあかり口をモゴモゴさせながら焦ったように僕の視界からTシャツを隠すために腕を上下に動かしている。
僕は慌ただしく動く彼女の腕を両手で掴み、にっこり笑みを浮かべた。彼女は顔を隠したいのか非力な腕を閉じようと震えながら、まるで捕らえられた小動物のように目を潤ませている。
「なんでもないの?」
「〜〜〜っ、は、離してくださ…い、っ」
そんな可愛い顔で言われても、と思いながらその腕を拘束したままソファに押し倒した。されるがままのあかりは真っ赤な顔のまま目を見開き口をパクパクさせている。
「僕のTシャツでしょ、それ」
「がっ、…我慢できなくて、あの…月島くんが、そばにいるような気持ちになって…っ、」
なにをしてた、ってことはないんだろうけど、彼女の反応が可愛くてつい意地悪したくなってしまう。怒った時の膨れっ面も好きだけど、羞恥に耐えながら涙を浮かべる顔も上手いこと僕のツボを突いてくる。
「気持ち悪いですよね…っごめ、…っんんぅッ…」
何か勘違いしているらしい彼女がそう言い合える前に、僕はその震える唇を自分の口で塞いだ。角度を変えて何度もキスを落とし、呼吸をするために喘ぐあかりの中に舌を滑り込ませる。
まだこのキスに慣れていない彼女はピクリと体を反応させてから、おずおずと柔らかい舌を絡ませてくるそのぎこちなさが、僕の苛虐心を煽る。
「…っ、どう、したの、ですか…っいつもより…っ」
僕に両手を拘束されたまま息も絶え絶えに、潤んだ瞳で見つめてくるあかりの言葉に内心驚いていた。言われるまで気付かないなんて僕も相当、あれだと思う。
僕は自分に呆れながら、彼女を見下ろし耳元に顔を寄せた。
「…君こそ、今日は特に敏感なんじゃない?」
「…っ!そんなこと…っ!」
彼女に触れている場所からその熱が伝わる。ああ、からかいすぎたな、と思う反面、僕も限界が近くその先へ進もうとしてしまう手をなんとか自制する。
「…なーんてね。ごめんごめん」
パッと拘束していた手を離して、笑いながら惚けた彼女の手を引き上半身を起こした。心なしか少し残念そうに瞳を揺らしたように見えたけれど、きっと僕の邪念からくる勘違いだ。
はぁ、はぁ、と息を整えるあかりは一呼吸おくと、羞恥心を堪えるように口をキュッと結んで立ち上がった。珍しい反応に少し怒らせたかな、と柄にもなく心配しながらソファに座らながら彼女の動向を見守る。
あかりは自分の部屋に入っていきガサガサと音を立ててすぐにリビングへ戻ってきた。俯いているせいで表情は読みとれていないまま、彼女はソファに腰掛ける僕の目の前に立った。
「っ月島くん…言いたいことがあります」
「は、はい」
先程の甘い時間がまるで嘘のように、僕は彼女の声に狼狽えていると、目の前に両手に収まるほどの赤い包みが手渡された。
綺麗にラッピングされていて、僕はその包みを両掌に乗せたまま動けずに彼女を見上げた。
「…お誕生日、おめでとうございます。月島くん」
あかりはまるで花が咲いたような笑顔を浮かべて僕を見つめた。
「あの、これ、誕生日プレゼントです…!」
「……あ、ありがとう…」
僕は相当間抜けな顔をしていたと思う。
それは何故か彼女の方がとても嬉しそうな顔をしていたからだ。
「なんで君がそんな嬉しそうな…」
「当たり前ですよ!今日、少しだけ諦めてたので…」
一瞬目を伏せた彼女は、すぐにいつもの笑顔に戻りクスッと笑った後に口を開いた。
「ふふ、最初は夢かと思いました」
「…遅くなって、ごめん」
僕は片手にそのプレゼントを持ったまま、目の前に立つ彼女に「おいで」と手を広げる。おずおずと僕に近づくあかりが焦ったくて、その細い腰を抱き寄せて両足の間に後ろ向きでソファに座らせた。
緊張気味に背筋を伸ばして座る彼女を後ろから抱きしめるような体勢のまま、僕はそのプレゼントの包みを解いていく。
ラッピングを解いて現れたのはワイヤレスイヤホンが入った四角い箱だった。
「あ、これ…(買おうか迷ってたやつ…)」
「月島くん、よくヘッドフォンとかイヤホンしてるのに、走ったりするときは付けてないんだなぁ、と思いまして…!」
いまこの体勢でよかった、と心底思った。
あかりのことだから色々と考えて選んでくれたことがなによりも嬉しく思ったし、明らかに頬が緩んでいることを自覚していた。
「あと、周りの音も聞こえないと車とか危ないので、骨伝導のイヤホンにしてみました!」
「…嬉しい。ありがとう」
目線の高さまでその箱を掲げてまじまじと見つめていると、彼女は「喜んでもらえてよかったです」と心底安心したような声で少し体の力を抜いた。
密着しているため、あかりの一挙手一投足が僕の身体に伝わる。この体勢のせいもあるかもしれないけど、きっと僕の反応を気にして緊張していたんだろうな、と思うとクスッと笑ってしまった。
「ありがとね」
あかりの小さな体を後ろから抱きしめて、耳元で再度感謝の意を伝えた。すっぽりと僕の体に包まれる彼女は、再度体をビクッと硬直させている。
「つ、月島くん…っ、耳、くすぐったいです…っ」
「ふーん?」
あかりの耳を甘噛みすると、彼女の口から吐息が漏れる。その可愛らしい反応をもっとみたい気はあったがこの体勢では色々とまずいと思い、小さく息を吐きながらあかりの肩に顔を乗せた。
「…ふふ、長旅お疲れ様でした。そうだ、お腹空きましたか?」
僕の顔に自分の頬を寄せながら、あかりは優しく髪を撫でる。その手を心地よく感じながら、僕は小さく頷いた。
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね!準備しちゃいますから!」
そして彼女はソファを立つと、ご機嫌な様子でキッチンに向かっていった。僕は座ったまま、赤い包みを片付けようと手に取るとカサっと音を立てて一枚のカードが落ちたことに気づいた。
それを拾い上げ見てみると、掌サイズのメッセージカードのようで、そこには緊張を含んだ文字が並んでいた。
月島くんへ
お誕生日おめでとうございます!
月島くんの、カッコいいところも可愛いところも、『情けないところ』も、大好きです。
これからもどうか、そばにいさせてくださいね。
あかりより
控えめな文面と小さな文字に、どんな表情で書いていたのかを撮像をしてしまい、思わず頬が緩みそうになるのを手で押さえた。
しかも以前僕が吐露した不安を、彼女は覚えていたみたいだった。二重鉤括弧で囲われた文字に、その時の光景が思い浮かんで、僕は口元に当てていた手で前髪をぐしゃりと掴んだ。顔に熱が集まるのを感じる。
「はぁぁあ…(こんなの、ズルすぎる…)」
思わず史上最大のため息が出る。
キッチンに立っていたあかりにも聞こえたらしく、体をビクッと震わせてこちらの様子を伺っていた。
僕はぷいっと彼女から目を逸らし、大切にメッセージカードを懐にしまう。何か言いたそうに彼女は口を開いたように思えたが、火の吹いた鍋に気を取られそのまま口を閉ざした。
間もなくテーブルにたくさんの料理が並ばれ、まるで誕生日会のように豪華な食卓となった。
手を引かれ、促されるまま椅子に座る僕の前にはローストビーフや大きなホールのショートケーキなど、彩豊かな料理が並べられた。
「月島くん、こちらへどうぞ!」
あかりはニコッと笑って僕の手を引いてリビングの席に座らせた。
「すごい、こんなに…」
「作りすぎちゃいました、えへへ」
「(母さんと同じこと言ってる…)」
長い時間キッチンに立っていた母の言葉と父の反応を思い出し、思わず「ふっ」と笑ってしまった。
「も、もしかして、お腹いっぱいですか…?明日も食べれるので、遠慮なく言ってくださいね!」
「ううん。いただきます」
僕は首を横に振って、手を合わせた。
あかりは安心した様子で同じように姿勢を正して「いただきます」と声にした。
やはり彼女の手料理は美味しくて、つい食が進んでしまう。
帰りの時間がわからないから、きっと次の日でも食べれるようなメニューにしてくれたのだろう。ソファの前のローテーブルの上に置かれたプレゼントを横目に、僕は口を開いた。
「本当に、色々考えてくれたんだね。ありがとう」
「ふふ、どういたしまして。喜んでいただけたらそれが一番私も嬉しいです!」
結局彼女を悩ませてしまったようだったが、あまりに幸せそうに笑うから、兄の言っていた通り、僕の杞憂だったのかもしれないと感じた。
「大好きです、月島くん」
急にそんなことを言うものだから、驚いてスープを吹き出しそうになる。少し噎せて咳をしたあと、「大丈夫ですか!?」と心配そうな表情を浮かべる彼女に目を向けた。
「君が急に変なこと言うからデショ」
「へ、変じゃないですよ!いつも思ってるんですから…!」
「そう言う意味じゃないんだけど…」
じゃあどういう意味なのか、と言いたげな彼女の頭上には疑問符が浮かんでいる。
なんの前触れもなく、はにかんだ笑顔でそんなことを言われたら誰だって動揺するし、言いたいことは「変なこと」ではなく「急である」ということだ。
「本当…君には敵わないかもね」
「ふふっ、そうでしょう?」
僕の言葉に、悪戯な笑みを浮かべながら無邪気に笑うあかり。コロコロ変わる表情に、完全に心を奪われていたがなんだか悔しくて、それを悟られないように「はいはい」と鼻で笑った。
毎年家族や友人が祝ってくれた誕生日、今年は一味も二味も違っていた。想定外のことはあったけれど、もっと特別に感じたのは、彼女がいてくれたおかげだと実感する。
そんなことを考えているうちに食事が終わり「誕生日の人は働くの禁止です!」と訳の分からない理屈で押さえつけた彼女はキッチンで洗い物をしてくれていた。リビングの椅子に腰掛けたまま、なんの歌かもわからないあかりの鼻歌を聴きながら、徐にメッセージカードを取り出してそれを眺めた。
< これからもどうか、そばにいさせてくださいね>
そのあかりらしい控えめな言葉に、僕は苦笑を浮かべる。
「あっ、それ…!す、すみません…重かったですよね…!?」
「…そうじゃない」
僕の表情に、キッチンの水を止めて不安そうな眼差しを送るあかり。彼女は変なところでネガティブだと思う。
重いなんて全く感じていないし、彼女にそう思うことなんて一生訪れないだろうな、と変な自信さえある。
「………僕の方こそ」
気恥ずかしくなり、目を逸らしながら眼鏡の位置を直すフリをする。
視線外してしまったため彼女の表情が分からず、珍しく反応もないことに僕は疑問を覚えてキッチンに目を向けた。
あかりは目を少しだけ見開いて顔を真っ赤にさせて固まっていた。
「な、なんで君がそんな顔してるワケ…!」
「ハッ、すみません…!嬉しくてびっくりしちゃって…!!」
僕の声に、言葉通りハッとしたあかりは恥ずかしそうに俯いているが、口元が緩んでいるのが見え見えである。
「…ニヤニヤしてるの、バレバレなんですけど」
ジトっと睨む僕に、彼女は慌てて首を横に振りまた洗い物を再開した。そんな様子にクスッと笑みを溢し、プレゼントとメッセージカードを部屋にしまうため一旦リビングを出た。
玄関に置きっぱなしになっていたカバンを持って自室に入る。本棚の上でキラリと光るイルカのタイピンの隣に、メッセージカードとイヤホンを置き、それを眺めた。
「(あ、そうだ。母さんに頼まれごとされてるんだった)」
実家を出る時に渡された封筒をカバンから取り出す。託されることが多いな、とため息を吐きながら机の引き出しに視線を送った。
そこには先日ミサキから預かった手紙が入っている。いつ渡せることになるのか、何が書かれているのか、その内容は彼女を傷つけるものではないのだろうか。
そんな疑問と不安ばかりが浮かぶ。僕は複雑な思いを抱えたまま引き出しから目を逸らし、手元にある母から預かった封筒を見つめた。
「(まぁ、母さんの方は心配ないんだろうケド…)」
僕はリビングに戻ると、ちょうど洗い物などを終えた#nane#がソファに座って温かいお茶を啜っていた。隣にはご丁寧に僕の分まで用意されている。
「ありがと」
短くお礼を言って隣に座り、穏やかな時間が流れる中僕は口を開いた。
「ねぇ、僕の両親のこと覚えてる?」
「はい!月島くんとのことを思い出した時に、よくお世話になった記憶が…すごく、可愛がってくださったことを覚えています」
その言葉に、僕は安堵していた。
昔、母と父は、あかりのことがとても気に入っていたようでよく世話を焼いていた。彼女が好かれる理由はなんとなくわかっていたし、まるで兄妹みたいだと錯覚したことは何度もあったくらいだ。
その記憶がひとつもないとなると、父も母も浮かばれないなとは思ったが、彼女の反応はしっかりと覚えている様子だった。
僕は、ポケットから封筒を取り出し手渡した。
「これ、母さんから君に。」
あかりは驚愕の表情を浮かべて受け取ることを忘れているようだった。
「わ、私に……?」
「僕も何が入ってるか、わからないんだよね。…どうする?見たくなかったら僕持っておくけど」
ゴクリと喉が鳴る音がする。やはり過去を知る人からの贈り物を開けるには、すこし覚悟がいるようだった。
「…大丈夫です。ありがとうございます」
緊張した面持ちでそれを受け取り封筒を開封すると、中身を取り出した。僕は中身を見ないように視線を逸らしてお茶を啜る。
少しの間を置いて、ハッと息を吸う音が聞こえたが、そのあとの反応が何も聞こえないことを不思議に思った僕はあかりの表情をちらりと見た。
彼女は一枚の写真を震えた両手で持ちながら、俯き肩を揺らしていた。最初はどうしたんだろうと首を傾げたが、床にはポタポタと雫が落ちていたのを見てようやく彼女が泣いているのだと気付いた。
一体何の写真なんだろうと見てみると、そこは実家の庭先で、バレーボールを両手で持って満面の笑みを浮かべた彼女が立っていて、その後ろに歯を出して笑う兄と不機嫌そうに顔を赤らめて視線を逸らす僕が並んでいる、そんな写真だった。直前まで遊んでいたのだろうか、バレーボールと3人の服や顔には汚れがついている。
その写真とは別に、彼女はもう一枚の紙を持っていて、それは母からの手紙のようだった。無意識に指先に力が込められて、少しだけくしゃりと皺が寄るその手紙を彼女は大事そうに胸に抱えた。
彼女の表情から、それだけ嬉しい内容が書かれていたんだなと感じ僕はまた安堵した。
「懐かしい写真だね、それ」
「はい…っ、たしか、月島くんのお父さんが初めてカメラを買った時に撮ってくださったのですよね!」
目尻に溜まった涙を指先で拭いながら、彼女は視線を上にして昔を思い出しているようだった。
あかりの言う通り、これは父が撮ってくれた写真だ。
そして少し泥だらけになっているのは、近所の子供も一緒になってバレーボールで遊んでいたからだった。
お転婆だった彼女が派手に転んで泣き出して、僕と兄のどっちがおんぶして帰るか、なんてくだらない理由で喧嘩した日。
子供の頃の5歳差はいくら背が高くても筋力は年相応で、僕は数メートルしか歩けず結局兄に頼らざるを得なかったのだ。
だからその写真に映る子供の僕は不貞腐れたような顔をしているんだろう。
「ふふっ、月島くん可愛いです。同じ顔、よく見かけます」
「こんな顔してないデショ」
「いーえ、よく見ます!」
2度も同じことを言い切ったあたりをみると、おおよそあかりの言う通りなのだろう。小さく笑う彼女は喜びを噛み締めるようにまた写真を眺めた。
「宝物にします…本当に嬉しい…!」
言葉通り、宝物を眺める子供のようにキラキラした瞳で写真を何度も見つめるあかり。
「……あと母さんが、今度一緒に帰っておいで、だって」
僕は自分の膝に頬杖をついて頭を支えながら、隣に座る彼女に視線を送った。あかりは戸惑いと喜びが混ざったような瞳を揺らして、少し間を置くと笑顔で小さく頷いた。
「まぁ、いつかの話だから。勝手に皆が君に会いたがってるだけだし」
「…それは本当に、嬉しいです。ですが…少し怖い、かもです」
あかりは伏し目がちに不安を吐露した。
それはそうだ、と思う。あの土地には彼女にとって良い思い出も、苦しい思い出もありすぎるのだろう。
大丈夫だ、とか、僕がそばにいる、とか。どんな言葉も安っぽく思えて、でも代わりになんて伝えたらいいのかもわからず僕は途方に暮れていた。
こんな時、山口や赤葦さんとかなら気の利いた言葉の一つや二つ、容易に出てくるんだろうけど。
するとあかりはそんな僕を見透かしたように見つめて微笑を浮かべると、口を開いた。
「でも、不思議です。月島くんが一緒なら、大丈夫だと思うんです」
「…僕にできることなんて、ないと思うけど」
「いいえ。月島くんがいてくれたら、私どんなことも乗り越えられるような気がしてるんです!」
彼女の真っ直ぐな言葉と、嘘偽りない表情に僕は目を見開いた。不思議と僕の方が励まされているような気持ちになる。
「だから、いつか、連れて行ってくださいね!」
「…ん」
ニコッと笑うあかりの言葉に僕は頷いた。
彼女は過去の全てと向き合う覚悟ができているみたいだった。明らかにそんな目をしていた。
「本当、君の強さはどっからくるんだろうね」
「ふふ、月島くんがいてくれるからですよ」
呆れた笑みを浮かべる僕はソファの背もたれに体を預けた。あかりは同じような体勢を取ると、僕の肩に頭を凭れた。
長い黒髪からふわりと香るシャンプーの匂いを感じながら凭れた頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに目を細めていた。
来年もその次の年も、あかりとこんなふうに過ごせたら、と柄にもなくそんなことを考えながら、僕も彼女の頭に凭れた。
(神様にすら、頼りたくなる)
(これからもどうか、そばにいさせて)