過去も君の、一部だから
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ミサキが2人の前に現れた日から数日後。
月島はいつもの時間に練習を終わらせ、家の最寄り駅に到着すると改札口で待ち受けていた想定外の人物に、目を見開き足を止めた。
「蛍くん〜、待ってたよぉ、こんばんは」
意味深な笑みを浮かべながら擦り寄る彼女に、月島は怒りの眼差しを向けながら距離をとった。
「何の用です」
「ちょっと話そうよぉ。ふたりで」
ミサキは相変わらず短いスカートと、胸元を開けたオフショルダーで無理やり寄せた胸を強調させている。
月島は一切の目もくれず口元を引き締めて、警戒しながら頷いた。あかりには悪いとは思ったが、自分1人の方が月島にとって都合がよかったのだ。
スマホを取り出し家で待つ彼女に帰る時間が遅くなる連絡を入れるとすぐポケットに仕舞い込む。そして妖艶な笑みを浮かべるミサキの横を通り過ぎ、家とは反対方向の公園へ向かった。
「も〜眼鏡くん真面目〜。どうせならホテルとかがよかったのにぃ」
「用件は手短にお願いします」
公園にたどり着くと、ミサキはつまらなそうな表情でベンチに座った。彼女の言葉を気にも留めない様子の月島は無表情でベンチの前に立っていた。
「本当、物好きねぇ。どうせあの子から色々聞いたんでしょ?それでも離れないなんてさぁ」
「思い通りにならなくて残念でしたね」
タバコに火をつけるミサキを鼻で笑う月島の瞳には深い怒りの色が窺えた。その様子に彼女は変わらない笑見を浮かべた。
「相当あたしと会わせたくなかったんだろうねぇ〜必死になっちゃってさぁ。あの子が私に歯向かうなんて初めてだったよ」
「……用がないなら帰ります」
「ねぇ、あの子の両親。なーんで死んだか、教えてあげよっか」
「またそういう話なら結構です。」
「じゃああたしもついていこうかなぁ〜。またあの子の顔見たら、虐めたくなっちゃうかもしれないけど」
脅迫じみた彼女の言葉に、あの日ボロボロになった#nane#の姿が浮かんだ月島は奥歯をギリッと噛みながら、沸々と煮えたぎるドス黒い怒りをその瞳に宿らせていた。
月島はベンチに身体を預けタバコを蒸すミサキに詰め寄ると、その背もたれを右足で思い切り蹴りつけた。
「...そういうのいいんで。」
「へ〜え。蛍君も感情的になるんだぁ。可愛い」
怯まない彼女のあっけらかんとした反応に、月島は短く舌打ちをすると足を避けため息を吐いた。
するとミサキはすっかり更けた夜の空を見上げて、話し始める。月島は激しく揺れる怒りを抑えながら、彼女の声に耳を傾けた。
「あの日....田舎から母親と#nane#が上京してきたときね。殺されたのよ。父親に」
思いもよらない彼女の言葉に、眉をぴくりと顰めた。
「あの父親...といっても私の兄だけど。束縛が強くてねぇ。耐えきれなくなった母親は子を連れて夜逃げ...まぁ、よくある話じゃない?」
ミサキは半笑いのまま、反応を示さない彼を横目に話を続けた。
「母親とあたしは割と仲良かったからさ。うちで匿うことしたわけ。でもどうやって嗅ぎ付けたんだか...うちの駐車場に車を止めて、表の道路に出たところで2人は死んでたんだよ」
クリスマスの前日、雨風が強く吹き付け雷鳴が轟く季節外れの真夜中に、母親はあかりを守るように抱きかかえたまま背中を滅多刺しにされ、犯行に及んだ父親はその目の前で、首を斬りつけて自ら命を絶った。
母親に抱き止められながら全てを見ていたあかりは
声を上げることもできず、その2人の命が絶たれていく瞬間をただ見ていたというのだ。
「異変を感じて外出たら道路一面真っ赤で。もう明らかに死んでるってわかった。そっからはもうあっという間さ。流れであたしがあの子を引き取ることになった」
警察に事情聴取を受けたあかりは、もうなにも覚えていなかった。あまりのショックに記憶が欠落してしまったのだ。
「あたしは許せなかったの。全て忘れて生きようとしてるあいつが。」
「.....あの子のせいでそうなったわけじゃない」
全ての責任が彼女にあるような言い方をするミサキに、月島は思わず口を開いた。その声は怒りか悲しみからなのか、少し震えていた。
「でもあいつが生まれなかったら、そうならなかったかもしれない」
「…たらればの話をして、あそこまであかりを追い詰める意味がわかりません」
彼の言う通り、ミサキも心のどこかでは分かっていた。だが仲の良かった友人と、兄を一瞬にして失った悲しみは想像以上に深いものだったのだろう。
その悲しみと、怒りの矛先は、理不尽にもあかりに注がれるより他無かったのだ。
「そこからあたしの生活は180度変わった。どんどん心が病んでいくのを感じた。会社もクビ、拠り所を求めて男と遊ぶようになって...こんなはずじゃなかった。あいつさえいなければ。そう思うようになった」
荒んだ生活の中、金銭目的の結婚を目論んだミサキは幾度となく男を連れ込みその身体を売り続けた。
心身ともにボロボロになっていく中、その吐口としてあかりに暴力を振るい続けた。
気付けばもう、ミサキの感情は後戻りができなくなっていたのだ。自分の人生はあかりに壊された、だから許すことはできない。
その考えはまるで呪文のように、ミサキの心中で何度も繰り返された言葉は、落ちないペンキのようにべったりと貼り付いていた。
自虐的な笑みを浮かべるミサキはどこか遠くを見ているようだった。瞳は朧げで感情を読み取ることはできないが、その唇はキツく結ばれ少し震えているように見えた。
「もう本当はそんなこと、思ってないんじゃないんですか」
月島の言葉に、ミサキは少し目を見開き天を仰いだ。酷く傷んだ金色の細い髪が儚く揺れている。
「寂しいんじゃないですか。結局誰も自分のそばに居てくれる人がいなくて。だから今になってあの子に会いにきた....自分の気持ちを、確かめるために。」
的を得た月島の言葉に、自らを嘲るように目から口へかけて冷たい笑いが動いた。その瞳からは一筋の涙が零れ落ちていた。
「あたしはいつまでも過去に囚われたまま...あの子は次の幸せを掴もうとしていた...その現実を、受け入れることができなかったのよ」
ミサキは溢れる涙に気付いてない様子で、今にも消え入りそうな声をしていた。少しの沈黙の後、鼻を啜る彼女は徐に隣に置いていたカバンを漁り出した。
「...これ、渡しといてよ。あの子がいつか思い出したらさ。母親が持ってた手紙」
煌びやかなシルバーのカバンから出してきたのは真っ白い封筒だった。月島は「何故自分に託すのか」とその封筒を見つめながら納得のいかない表情を浮かべた。
「この前会って気付いちゃったんだよ。あんたが言った通り、もう本当はそんなこと思ってないんだって」
ミサキは立ち上がり、いつまでも受け取ろうとしない月島のスーツの胸ポケットに無理やりそれを突っ込んだ。
「安心しなよ。もうあたしは会わない。」
「あんたがそれでいいなら、正直僕は願ったり叶ったりです。あんたがあかりにしたことは許せそうにないですし....でも」
弱々しく苦笑いを浮かべるミサキを見つめながら、月島は真剣な表情で言葉を続けた。
「さっき言ったこと....いつか、自分の口で伝えてください。僕からは何も言うつもりありませんから」
ミサキは大きく目を見開くと口を覆い、声を殺しながら大粒の涙を流しその場に膝をついた。
月島は表情を変えぬまま、服が汚れることも構うことなく蹲る彼女の横を通り過ぎ、公園の出口へ向かった。
——————————
僕は家路に着きながら、ミサキの言葉を思い返していた。
正直、なんて可哀想な人なんだろう、と思った。
彼女はきっと誰かに許してもらいたかったのかもしれない。許すつもりないけれど、最後の言葉は僕の最大限の譲歩だった。
そもそも僕は部外者で、許すも許さないも関係ないけど、あんなに傷付いたあかりを目の当たりにしたのだ。
正直、改札口でミサキを見た時、溢れ出すドロドロとした醜い感情に支配されて殴りかかってしまいそうだった。
ただミサキの言葉を聞いて、僕の感情に変化があったのは事実だった。
初めて僕が彼女を見た時に感じた「寂しい人」という印象を抱いたことには納得ができたし、なにより彼女は酷く痛々しく、不器用で、可哀想で、何より本当に寂しい人だったのだ。
自分で作り上げた感情のせいで後戻りができず、本人は歩いてるつもりでも、ふと足元を見れば立ち止まったまま動けずにいる。
だから何度も進もうとするあかりを引き摺り下ろし、孤独を埋めたのだ。
本当に可哀想な人だ、と思う。
同時に、早くあかりに会いたいと思った。
僕は歩く速度を早め、ついには走り出していた。
夜の町を走り抜けて、僕は息を切らしながら勢いよく玄関を開ける。そこにはたまたま廊下に出ていたあかりが驚いた表情で僕を見て、次の瞬間には優しい笑顔を浮かべた。
「おかえりなさい、月島くん!どうしたんですか、そんなに慌てて...」
パタパタと駆け寄り、額に汗を滲ませる僕を心配そうな瞳で見上げた。
「...ただいま」
靴も脱ぐことも忘れたまま、僕は彼女を抱き締めた。
お風呂に入ったばかりだろうか、長い黒髪からふわりとシャンプーの匂いが香る。
「わぁっ、ど、どうされましたか...!」
驚愕の声をあげるあかりには申し訳ないと思いながら、汗ばんだ僕は言葉無く彼女を抱き締めていた。
「ふふ、今日もお疲れ様でした。大変でしたね」
彼女は僕の頭をポンポンと優しく撫でた。いつもはそんなに感じないけれど、こういう時は歳上っぽいなと思う。
帰って靴を脱ぐよりも先にこんなことをしたことがないから、何か勘違いさせてそうだったけど、今はそれでもいいと思った。
ふふ、と大人っぽい笑みを浮かべる彼女の目の下は赤らんでいて、涙の跡がみえた。廊下に出ていたのは洗面所で顔を洗おうとでもしたのだろうか。
彼女は一人、こんな小さな体で、一体どれだけの痛みに耐えてきたのだというのだろう。
これから彼女に降りかかる災厄の一切を、僕が受け止めることができるならどれだけいいか。目を腫らしながら、僕に笑いかけ心配してくれる彼女を、守りたいと思ったし、もうその腕の中から出したくないと思うほど愛しさが溢れ出していた。
「...好きだよ」
僕は彼女の頭を撫でながら、その数文字に精一杯の想いを込めてまた抱き締める腕に少しだけ力を込めた。
しかしすぐに胸の辺りにある彼女の顔がもぞもぞしているのを感じ、少し力を弛めるとあかりが「ぷはぁっ」という声とともに顔を上げた。
「ふ、ちゃんと顔逸らしなよ」
「すっ、すみません、つい...!」
ついってなんだろう、と思いながら僕は呼吸を繰り返す彼女を見て思わず笑ってしまった。あかりは恥ずかしそうにはにかみながら口を開いた。
「...私も、大好きです。月島くん」
ああ、幸せだ、と思った。
彼女もそう思ってくれていたらどんなにいいか。
だがそんな考えは杞憂だとすぐにわかった。
あまりにも彼女が幸せそうな笑みを浮かべていたからだ。
僕は彼女の顎に触れながら、薄い唇にそっとキスを落とす。すぐに顔を離すと真っ赤な顔をしたあかりが口をパクパクさせて僕を見上げていた。
「ふ、何その顔」
「だって....!月島くん、いつも急なので...!」
「なにそれ、今からしますって言えばいいの?」
前もって言う方が恥ずかしいし、そんな人そうそういないんじゃないだろうか。ああでも、山口みたいなタイプはそれもあり得る、と内心苦笑した。
僕はいつものように軽口を叩くと、彼女は俯きながら小さく首を横に振った。
その答えに、僕は「でしょ」と俯く彼女の顔を無理やり上げてまた軽いキスをする。
羞恥に顔を染める彼女を抱き締めながら、シャンプーの香りがする頭に顎を乗せて小さく息を吐いた。
「はぁ...お腹空いた」
「ふふ、今日はカレーライスですよ」
「...だと思った」
彼女は気持ちを落ち着けたい時や気合いを入れたい時に、決まってカレーを作る変な癖がある。予想通りのメニューに思わず笑みを溢しながら、僕は彼女から腕を解くと、ようやく靴を脱ぎ始めたのだった。
(どんな過去があっても、僕は)
(君を守り続けたいと思う)