【前編】春に咲く人魚姫
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それから僕らは1週間の間殆ど毎日屋上で会い、昼休みの45分間他愛もない話をしながら過ごした。
やがて満開の桜は8割ほど落ち、生命力が漲るような青々とした緑が映える季節へと移り変わろうとしていた。
「あーあ、すっかり桜、散っちゃったなぁ」
「もう4月も終わりだしね」
今年は花散らしの雨も風もなく、桜の見頃は例年より長かったらしいが、葵としては物足りなかったようだ。
屋上のフェンスに身体を預ける僕の横で、綺麗な黒の細い髪が靡いている。
「ずーっと桜が咲いてればいいのに!ね?」
「ずっと咲いてたら桜のありがたみも減るでしょ。掃除する人も大変だろうし」
僕はたまたま目についた、桜並木を延々と掃除している近所の人を見つめた。風のせいで舞い上がる桜とイタチごっこである。
「あちゃー、たしかに…綺麗だけどお掃除が大変だもんなぁ」
「気持ちはわかるけどね」
「でしょー?散っていく瞬間まで綺麗なんて、いいなぁー。私もそんなふうになりたい」
彼女の言葉と横顔は、何故か僕の胸に深く沈んでいくようだった。
葵はたまに、こういう表情をすることがあった。フェンス越しから桜を眺めるその瞳は切なくて、何か抱えていることは明らかだったけれど、僕は何も問わなかった。というよりも、問うことができなかったのだ。
彼女の横顔はあまりにも綺麗で、それこそ桜のように、触れれば消えてしまいそうだったから。
「…物騒なこと言わないでくれない」
「あはは、ごめんごめん!」
自分の感情を表に出さないように、彼女をジロっと睨みつけると悪びれもしない様子で笑った。
「…ところで月島くんは、彼女、いるの?」
「は!?なんでそういう話になるわけ…」
また突拍子もないことを…と、僕は呆れた視線を向けた。
「だってさあ、もし彼女いたら悪いじゃん?私に構ってもらって…」
正直、葵にもそんな配慮ができたんだ、と驚きつつ、僕は心の中でにやりと笑った。
「……いたらどうするの」
こういえば狼狽える彼女を想像した。いつも何を聞いてもはぐらかされるため、日頃の仕返しである。
彼女は僕を見つめながら、ボンッと顔を赤らめたて慌てふためきだした。
「えっ…!えっと…そっか…ど、どうしよう…!?」
僕の言葉が予想外だったようで、眉を八の字にして困った表情を浮かべている。その様子が可愛らしく思えて、僕はクスッと笑った。
「…どうしよう、ってなに」
「だって、高校生活の中で昼休みの時間って貴重でしょ…?じ、時間奪うのは…よくない…な…って」
「ふぅん」
段々と声が小さくなる。
そうは思っているものの、実際に来なくなったら寂しがるんだろうな、と想像に容易い。
しかし残念ながらそのような存在、僕にはいない。
そろそろネタばらしするか、と口を開こうとした瞬間、彼女はいつものように頼りなくにへらっと笑った。
「でも、そっか……失恋、しちゃったな…」
「……は…?」
彼女の言葉を理解するまでに、かなりの時間を要した気がする。失恋、という言葉が誰に対して向けられているのかわからなかったのだ。
しかし文脈的には明らかで、僕は激しく動揺していた。その前にとにかく誤解を解かねば、と口を開いた。
「ちょ、待って…誤解を……」
「さすがに私も、彼女さんから君を奪おうなんて思わないからさ…!今まで私が強引に付き合わせちゃったのがいけないし…」
「ちょっと」
全く話を聞かない彼女の頭を手で掴み、自分の方へ無理やり向かせた。
「いないって言ってんの」
「…へ?」
「だから…彼女とか、いないから」
すると、自分の暴走に気付いたのか耳まで真っ赤に染めた彼女が頭を掴む僕の手を振り切って勢いよく反対側を向いた。
「わ、忘れて…!」
「あ、失恋しちゃったんだっけ?カワイソウだね」
「ち、ちが、いや…あの、ですね…!」
ぷぷっと手を口に当てて笑うと、彼女は恥ずかしそうに顔を覆いながらまた慌てていた。
「も、もういいから!気遣って損した…!」
「勝手に気遣ったんでしょ。」
「そ、そうだけど…!」
「まぁ…別に無理して来てるわけじゃないから。」
僕の言葉に驚いたのかまた顔を上げて「ほんと!?」と瞳を輝かせている。
「えへへ、嬉しい!!」
くるくると表情が変わって忙しい人だ。
恥ずかしげに笑ったり、時には憂いを帯びた表情をしたり、嬉しそうにはにかんだり。
それを見るのが楽しくて目が離せないのも事実だった。
「僕に彼女でもいたら、君どうするつもりだったの」
僕の口からついて出た言葉はまた意地の悪いもので、彼女は考える素振りを見せた。
「…彼女さんに謝って、もう少しだけ、時間をくださいってお願いする」
「……?(もう少し…?)」
その言葉に引っ掛かりを覚えて、僕は口を開こうとした。しかしそれは彼女の言葉によって遮られてしまった。
「なーんて、本当にいたらもう来ないで〜って君をここから追い出しちゃうよ!」
何故か自慢げに笑う彼女の瞳は憂いを帯びているように感じた。しかし、それ以上追求するなという空気を感じた僕は開きかけた口を閉じる。
そして隣にある、僕の手より一回り小さい頭を撫でた。
「……あの怪談話は本当だったのかもね」
「へ!?怪談…?」
地縛霊に連れていかれる、という噂話を思い返しながら苦笑する僕に、何も知らず首を傾げる彼女。するとそこで予鈴が鳴った。
「じゃ、話の続きはまた明日」
「……うん…あ、月島くん待って!」
フェンスから離れて屋上の出入り口へ向かう僕の制服の袖を引き止めたのは彼女だった。
「明日ね、伝えたいことがあるの…だから…」
「…はいはい」
そんなことを言うなんて珍しいな、と思いながら必死な表情の彼女の頭を撫でる。僕の言葉に安心したのか、ホッと息を吐くと袖を掴んだ手を離した。
「また明日ね」
「うん!また明日!」
僕らはいつものように挨拶を交わす。
ーーー…そして翌日、僕の前から彼女は姿を消した。
(その泡が溶けるまで、)
(その花びらが散りゆくまで)
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