【前編】春に咲く人魚姫
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翌日の昼休み。
僕は幼なじみである山口と昼食を共にしていた。といっても、山口が強引に机を寄せてきているだけであるが。
「で、その時日向がさぁ…って、ツッキー?どしたの?」
「……いや、なんでもない」
彼が一方的に喋り続けるといういつもの光景。しかし何を感じ取ったのか山口は急に話を止め首を傾げた。さすが目敏いな、と思いつつ昨日の屋上のことが気になっていた僕は首を横に振る。
そして徐に席を立ち「トイレ」とだけ短く告げ、不思議そうな顔をしている山口を置いて教室を出ていったのだった。
別に気にしてる訳じゃない、と自分に何度も言い聞かせながら気付けばまた屋上の扉前に立っていた。
「(馬鹿らし…)」
そう思いつつ、自然とその取っ手に手が伸びドアノブを回した。静かに、もし彼女がいたらバレないように。様子だけ見て帰ろう。そう思えば思うほど、嫌に響く鉄が軋む音に、僕は眉間に皺を寄せた。
「あっ!今日は来てくれないと思ってたよ…!こんにちは、月島くん」
「……(い、いた…幻じゃなかった…)」
目の前に現れた彼女に、僕は恐らくバツの悪そうな顔をしていたと思う。
そんな僕を他所に、葵は自分を待ってましたとばかりに出迎えてくれた。心から嬉しそうな笑みに当てられ若干頬が熱を含んだ気がした。
「……じゃ、戻るから」
「ええっ?来たばっかりじゃん!何しに来たの!?」
「いや…昨日のこと、確かめたかっただけ…」
その言い分に、意味がわからないと言いたげな表情を浮かべる葵。そりゃそうだ。いるワケないと思ったのに本当にいるんもんだから、僕もどうしたらいいかわからなくなっていた。
屋上に背を向けて出ようとした僕を引き止めたのはもちろん彼女だった。振り向くと、口をへの字に曲げた彼女に、腕を引っ張られていた。
「おーねーがーいー!まだ時間あるじゃーん!」
「ちょっと、離しなよ…!」
「やだ!だって気付いてくれたの君が初めてなんだから…!」
ぎゅっと袖を掴む葵は顔を赤らめながら何故か震えていて、その必死になる理由の検討もつかない僕は、数秒の間を置いて屋上の扉をそのまま閉めた。
「君って変わってるよね……」
「へへ、それ褒めてる?」
「……」
何故か気恥しそうにはにかむ葵を横目に、返す言葉もないほど呆れた僕は、無言のままドアに背を預けて腰を下ろした。その様子を見ていた葵もその隣に腰掛け、楽しげに口を開いた。
「バレーは楽しい?月島くん」
「……まぁ…」
突然の質問に僕は何と答えていいかわからず、曖昧な返答をした。稀に楽しいと思うときはあるけれど、常にそうじゃないし…と何故か真面目に考えてしまった僕はハッとして彼女を見た。
すると彼女も同じような顔を僕に向けたかと思えば、ふいっと反対側に逸らしてしまった。何故彼女が顔を赤らめているのかわからなかったが、若干気まずさを感じた僕はまた口を開いた。
「…っていうか、君何年生なの?」
「さあどうでしょう?当ててみて!」
「出たー、質問返し」
と言いつつ、んー、と顎に指を当て考えながら至った答えに僕は鼻で笑った。
「……この学校の生徒じゃない、とか」
「……まさか!」
一瞬体を硬直させた葵は、取り繕うように乾いた笑みを浮かべている。
……図星か。
「僕が何でそう思ったのか教えてあげようか」
「えっ…いや〜、べ、別に興味ないなぁ〜…」
宙に視線を泳がせる彼女を横目に、ニヤリと口角を上げる。
「まずその上履き。その色、僕と同じ学年色だけど君のフルネーム知ってる先生はいなかった」
「えっ…(わざわざ先生に聞いたの…!?)」
「あと、その制服のリボン。僕がここに入学する前は紺色、その後赤色に変わったのに君のは古いものだよね」
「ゔ…(ちゃんと見られてる…)」
実は昨日屋上から出たあと、それとなく山口や担任に彼女の名前について聞いてみたのだ。基本他人のことなどどうでも良くて興味も無いのだが、何故か彼女のことは心に引っかかっていたのか、我ながら珍しい行動をとってしまったとは思う。
淡々とした論攻めに狼狽えていた葵は、急にふっと笑った。
「そっか、私のこと…気になった探してくれたんだ??」
「は!?べ、別に…!そういうワケじゃ…」
「ふふ、正解だよ。私はここの生徒じゃない。」
思いがけない言葉に、咄嗟に言い返そうと壁から背中を離した。が、次の彼女の言葉に「やっぱりな」と納得し、また冷たいコンクリートに背中を預けた。
「不法侵入なんて大胆だね、こんな昼間に」
「だって歌える場所、ここしかないんだもん」
彼女曰く、駅前や公園で歌の練習をしようと試みたようだが警察に怒られたらしい。そりゃそうだ、と彼女が怒られている様を想像し僕は鼻で笑った。
「最近見つけた穴場だったのに…残念だなぁ。また別の場所探さないと…」
体育座りをしながら膝に顎を乗せる葵の横顔を
ちらりと見やる。眉尻を下げて口を尖らせる彼女は幼い子供ようで、「可愛い」なんてらしくないことを口走りそうになり僕はひとつ咳払いをした。
「……まぁ、せいぜい見つからないように頑張れば」
予想外の言葉だったのだろう。彼女は僕の言葉にパッと顔を上げながら「え!?」と驚愕の声をあげた。
「別に誰かに言おうとか思ってないし…」
「そ、そうなの…?さっき確かめに来ただけって言ってたし、てっきり先生に言うのかと…」
「そんな面倒なことしないから」
そんなことをすると思われていたことは心外だ。頬杖をつきながら横にちょこんと座る彼女を見ると、キラキラした大きな瞳を僕に向けて満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、月島くん!!」
そう言いながら僕の手を掴み強引に握手をしてくる。その手は細くて頼りなく、僕よりも冷たかった。
「よーし、ではお礼に歌ってあげましょう!」
「え…いや、頼んでないけど」
「まぁまぁ、そう言わずに。将来の偉大な歌手の歌声を独り占めできるんだよ〜?感謝しても然るべき!うんうん」
葵はスッと立ち上がり僕の前で仁王立ちしながら得意げに笑っている。無駄に偉そうな彼女の様子がおかしく思えて、僕は小さく笑いながら手で「どうぞ」と促した。
そしてコホン、と咳払いをした彼女は目の前のフェンスまで歩き、くるりと僕の方を向くと深呼吸をするように息を吸い込んだ。
その瞬間、僕の視界に映るもの全てがこれまでと違って見えた。あくまでもそんな気がしただけだ。しかしこの光景はきっと二度と忘れ得ないだろうと感じる。
辺りの風景が鮮やかに彩りだし、先ほどまで止んでいた風も優しくふわりと吹き出し、桜の花びらが楽しげに踊り出したような気さえした。
その中心で、彼女はくるくると表情を変えながら楽しそうに音を乗せている。
目の前に広がる奇跡のような光景に、僕は目を奪われていた。
そして昨日よりも距離が近いからか、歌詞もしっかり聴き取れた。
大体の和訳ではあるが、やはり童話の『人魚姫』を歌った曲のようで、泡となり消える運命に立ち向かい強く生きる女性を描いた歌詞のようだ。
「ーー…ふぅ、ありがとうございました!」
恭しくお辞儀をする彼女の声にハッとした。
気付けば一曲終わっていたのだ。
「どうだった…って聞くまでもなさそうだね?ふふ!」
葵の歌声に、気付けば僕の頬には涙が流れていたらしい。気付くのが遅れた僕は慌てて眼鏡を直すふりをしながら涙を拭った。
「こ、これは違う…!」
「え〜残念。鉄壁の月島くんを泣かせたかったなぁ〜」
ちぇー、と頬を膨らませる葵は軽い足取りで僕の方へ歩いてきた。
「さて、問題です。この曲はとある童話がモチーフとなっておりますが…」
「人魚姫」
「はや!?まだ最後まで問題言ってないのにー…悔しいけど半分正解!」
彼女の言葉に僕は首を傾げた。あとの半分が思いつかなかったからだ。他の童話は思い当たる節もないし、僕の稚拙な和訳ではその全てを理解できていないのかもしれない。
「あとの半分はまだ教えてあげないけどね〜!」
イヒヒ、と歯を出して笑う彼女にイラッとしながら「別に興味ないし」と意地を張り僕は目を逸らした。
先ほど歌っていた人物と同一とは思えないほど、彼女は無邪気で幼い子供のようだった。
すると突然、彼女はまた僕に背を向けた。そして、その小さな背中は僕の視界の真ん中で、その場にゆっくりと崩れ落ちていった。
「…葵!?」
急な事態にギョッとして彼女の元へ駆け寄った。丸まった背中は小刻みに震えていて、只事ではないことを悟る。
「っ…ごめ…、…っは、」
息も絶え絶えな彼女は震える手で制服のポケットにある薬を取り出した。それを手慣れたように口の中に放り込む。
水も無しに放り込まれた薬が喉に引っかかるのか、ゴホゴホと咳き込む彼女の背中をさすることしかできず、僕は徐々に呼吸を取り戻していく彼女の様子を見守った。
「…大丈夫?」
「ん…はは、ごめ……お、驚かせちゃって…大丈夫、大丈夫」
僕が声をかけると、彼女は頼りない笑顔を浮かべ、気丈に立ち上がろうとした。
しかしまだ身体に力が入らないのか、葵はガクンと崩れそうになる。またそれを支えながら、僕は彼女を抱え上げた。
「わっ…!つ、月島くん…!?」
「ごめん。でも身体きついんでしょ」
彼女の体は、あまりに軽すぎて僕は驚いた。
女性を持ち上げたことなんて初めてだから、こんなものなのかもしれないけれど。
僕の行動に彼女は目を見開いて驚いていたが、暴れる体力がないのか大人しくしている。
僕は彼女を屋上の出入り口に運び、ゆっくりと下ろして座らせた。扉に背を預ける葵は「ふぅ」と息を吐きながらひんやりとした扉の心地よさに目を細めた。
「君、もしかして…」
「……いや、たまたま…!初めて人前で歌ったから、緊張しちゃっただけ!」
そんなわけない、ともちろんわかっていた。何故彼女がそんな分かりやすい嘘をつくのか、僕にはわからなかったけれど、人には言いたくないこともあるのだろうと深く追求することをやめた。
「あ、そう…。本当に大丈夫ならいいけど」
「ふふ、心配した?」
「そりゃ目の前で人が倒れたらね」
また幼い子供のように笑う彼女の呼吸はだいぶ戻っており、様子も安定しているように見えた。
「あ、もう時間!そろそろ戻ったほうがいいよ!」
たしかに、先ほど彼女が倒れかけたとき、予鈴が鳴っていたような気もする。時計をみるとあと5分足らずで授業が始まってしまうところだった。しかし、このまま彼女を置いていく不安の方が大きく、どうしようかと考えているとポンっと背中を叩かれた。
「もー意外と心配性だなぁ!もう大丈夫!」
「そう…ならいいけど」
彼女に急かされるように、僕は立ち上がると屋上の扉を開けた。
「あ、あのさ!」
「…なに」
「また、来てくれる、かな」
おずおずとそう問う葵は上目遣いで僕を見上げた。それはまるで飼い主に置いていかれる犬のようで、僕の胸は思わず高鳴った。
「……気が向いたらね」
ちょうど手の位置にあった彼女の頭を撫でると、嬉しそうな笑顔を浮かべて喜んでいた。
「やった!鍵開けて待ってるね!」
「昼以外は来れないから閉めといて。誰か来たらどうすんの」
手放しで喜ぶ葵に僕の言葉が届いているかどうかはわからない。僕らは顔を合わせてどちらからともなく小さく笑うのだった。
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