【前編】春に咲く人魚姫
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高校2年生、春。
学年が上がったばかりで浮き立つクラスメイト達を横目に、僕はヘッドフォンを耳にかけながら席を立った。
今日はお弁当を持っておらず、一階にある購買へお昼ご飯を買いに行くためだった。
その途中、数人の女生徒が声をかけてきたが、僕はヘッドフォンをつけいたし、お得意の聞こえないフリをして目的地へと歩みを進めていた。
「フルーツサンド下さい」
我ながら、若いスポーツマンにしては少量の昼食を購入する。ヘッドフォンを首にかけ直した僕はそれを受け取りペコっと頭を下げると、隣の自動販売機へ移動した。
すると、近くで女生徒たちの話し声が耳を掠めた。思わずその内容に耳を傾けてしまう。
「ねえ、知ってる?屋上の噂」
「なにそれ!屋上ってここの?ってか開いてないっしょ?」
「そーそー!でも、稀に開いてる時があってね、そこに女の子がいるらしいの!昔の制服着ててね。なんでもそこから自殺した生徒なんだって!」
「こわっ!地縛霊とか?」
「わかんないんだけど、その子と会うと連れてかれちゃうらしいよ〜」
馬鹿馬鹿しい、というのが第一の感想だった。
しかし教室へ戻る途中の階段で、なんとなく先程の彼女達の会話を思い出してしまった僕は、自分のクラスの階数を超えて登り人気のない屋上への扉に手をかけたのだった。
「(はぁ…なにしてんだろ…どうせ開いてな…え……!?)」
まさかな、と思いながら錆び付いたドアノブを回し手前に引くと、ドアは重たい音を立てながら開いていった。
開かれた扉の奥に広がる眩い光に、僕は思わず手を翳した。
外の眩さと強い風に思わず目を瞑る。そしてすぐに目を開くと、学校の近くに大量に植えられた桜の木から溢れた小さな花びらが舞っているだけで、そこには誰もおらずフェンスに囲まれた屋上が広がっているだけだった。
「(なんだ、誰もいないじゃん…でも、何で開いたんだろ)」
扉の謎は解けないものの、誰もいない屋上は居心地が良い。購買で彼女たちが話していたことなどすっかり忘れ、出入り口の隣に腰掛けるとフルーツサンドの包みを開けた。
それを一口頬ばりながら、音楽を聴こうかとヘッドフォンに手をかけた、その時。
どこからともなく聞こえたのは、女性の歌声だった。
ハッとして辺りを見渡すが誰かいる様子もない。グラウンドで遊ぶ生徒たちの声や風の音に紛れ途切れ途切れであるが、たしかにその声は僕の耳に届いた。
静かに立ち上がり、自分が座っていた反対側を静かに覗き込み、目を見張った。
制服を着た女の子が1人、フェンスを乗り越えそうな勢いで身を乗り出している。風に靡く黒く長い髪が印象的な彼女の口からは、綺麗な歌声が聞こえていた。
「……人…?」
「……っあれ!?鍵閉め忘れた…!?」
無意識に飛び出した言葉にハッとして、自分の口を塞ぐように手を当てる。しかし既に時遅く、歌うことを止めた彼女から返ってきた言葉は予想外にも素っ頓狂なものだった。
「いやー、びっくりした…!まさかここに人が来るなんて」
「…君は誰?」
「ここの屋上は出入り禁止のはずなのに、悪い子だなぁ」
僕の問いに答えないまま、彼女はフェンスに背中を預けて笑った。真っ白い肌に光が差し、風が舞うたびに桜が彼女を纏うように飛び回る。
桜の精だとか、この世にいない存在だと突拍子もないことを言われても信じてしまいそうなほど、美しい光景だった。
気付けば、自分の胸の鼓動がうるさいくらいに音を立てている。僕はそれを表情に出さないよう、いつものように取り繕った。
「子って…君、同い年くらいでしょ」
「あはは、そうかもね?」
「ここでなにしてるの」
「んー…歌ってたの」
へらっと頼りなく笑う彼女に、訳が分からず首を傾げた。何故かその笑顔は、無理矢理に作られたもので少しだけ胸がざわついた気がした。
「君、名前は?」
「ーーーーー…葵 神永。よろしくね、月島蛍くん」
「っ、なんで僕の名前を…?」
人差し指を口元に当て笑う葵は、僕の名前をフルネームで呼んだ。何で知ってるんだ、と予想外のことに驚きを隠せない。
「君、有名人じゃん!バレー部守備の眼鏡くん」
「……君はここの生徒、だよね」
「さぁ、どうでしょう?」
何を聞いてもはぐらかされてムッとした僕は諦めたように息を吐くと、元いた出入り口の方へ戻った。扉に背を預け腰を下ろすと、また彼女の歌が聴こえてきた。
その歌を僕は聴いたことがなかった。歌詞は英語で、ところどころ和訳してみたが恐らく童話『人魚姫』をモチーフにした曲のようだった。しかしそれくらいしか分からず、僕はその歌を聴きながらいちごオレに口をつけた。
「おやおや〜?盗み聞きですか?」
「わ…き、急に上から出てこないでよ…(どうやって登ったんだよ…)」
「ふっふ!気に入ってくれた?私の歌」
いつの間に塔屋に登っていた彼女に驚きながら、僕は眉間に皺を寄せて上を向いた。その視線の先には悪戯に笑う彼女がこちらを覗き込んでいる。
「まぁ…別に…」
「まーっ!素直じゃないな!未来の歌手に向かって!」
「…歌手目指してるんだ」
「そう、歌手になるの!だからここで練習してたんだよ!」
僕の頭上で足をぷらぷらさせながら笑顔を浮かべる
葵は、そういいながら小さな声で歌を口ずさんだ。
彼女の言葉からは歌手になることへの強い意志を感じた。しかし今はそれより彼女が座っている場所が僕の真上のせいで、見上げると色々見えそうで危ない。
僕は目を逸らし顔を前に向けながら、口を開いた。
「っていうか、見えるよ。そこにいると」
「見える?何が…ってきゃあああ!!変態!!ばかっ!…うわっ、やばっ…!!」
スカートを履いていた彼女は慌てた様子で立ちあがろうとした際、バランスを崩したようで悲鳴のような声を上げた。その声に咄嗟に上を向いた僕は目を見開き、状況が理解できないまま立ち上がった身体は勝手に動き出していた。
「きゃああっ!!!」
「……っあぶな…」
幸い彼女のほぼ真下にいたため、重力に逆らえず落ちてくる彼女の身体をキャッチした。俗に言うお姫様抱っこの状態で抱えられた葵はぎゅっと目を瞑り来る衝撃に耐えているようだった。
しかし一向に訪れない衝撃に疑問を抱いたのか彼女がゆっくりと目を開く。僕は焦りの表情を浮かべながら彼女の顔を覗き込んでいた。
「おおー、ナイスキャッチ!」
「はぁ…なんなの、君…」
あっけらかんとしたその反応に僕は盛大な溜息を漏らしながら、彼女をそっとその場に降ろした。
「あ〜びっくりした。そもそも君が変なこと言うからいけないんだからね!」
「えぇ………はいはい」
僕は言い返すことも諦め、ため息を吐きながらまた同じ場所に腰を下ろした。そして食べかけのフルーツサンドにまた口をつける。
そんな僕の行動に片方の頬を膨らせたままの葵は、くるりと背を向けて目の前のフェンスの方へ歩き出しまた歌い始めた。
彼女の目の前には大きな校庭が広がっており、その視線は昼休み中にボールを追いかける男子生徒たちを見つめている。
「(触れたし、人間か…まぁ、制服自体は古いものじゃないし、普通にここの生徒でしょ…)」
購買で女生徒たちが話していた噂について思い返した僕は心中で「馬鹿らし」と呟きながら、華奢な後ろ姿を見つめた。そして風に流れて聴こえてくるその歌声に耳を傾けるのだった。
間もなく、学校中に予鈴が鳴り響く。その音に、彼女の声はピタリと止んでしまった。
そこで次の授業は教室移動だった、と思い出した僕は立ち上がり屋上の扉に手をかけ、彼女の方へ振り向いた。
「じゃ、君も早く教室戻んなよ」
彼女は一瞬寂しげに視線を落としたが、すぐに笑顔を作り「またね」と小さく手を振る。
その表情に疑問が浮かんだが、迫る時間を考え僕はその場を去った。
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思いがけない訪問者の背中を見送りながら葵は、ふぅと息を吐きながら身体を伸ばした。そして彼の座っていた場所へ腰を下ろし、鼻歌交じりに自分の心臓に手を当て、ゆっくり瞳を閉じたのだった。
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