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赤い星が消えるまで

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――――――
―――……

 ――空を裂くケトスは蘇った命の大樹の姿に喜びを隠し切れないと言うように、一つ大きく鳴き声をあげる。

「……ああ、なんて美しいんでしょう……」

 世界を目にし、感極まったような声でそう呟くセーニャ。燃え尽き枯れ果てていた大地が大樹の復活とともに息を吹き返したのだ。木々は再び緑を繁らせ、川は清らかな流れを取り戻していた。

(これが、魔王のいない世界……)

 呆然と世界を見渡す。
 多くの人が死に、多くのものが失われた。それでも立ち上がり、皆が前を向いて再び手にした世界は、確かに声を失ってしまうほどに美しかった。
 オレはケトスの背の上で焼きつけるように風景をしっかりと眺め――……何か輝くものをグロッタの南に見つけた。


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 ……どうして。これで「おしまい」で良かったじゃないか。

(いいや、わたしはまだ終わらぬ)

 ラムダでささやかなお祝いをして、ゆっくりでもみんなが前を向き出して、少しずつ歩み始めたというのに。

(それでも、お前たちは嘆いたのだろう)

「これが本当なら、ベロニカにもう一度会えるかも……」

 オレが見つけたきらめきは神秘の歯車……あの塔の入り口を開き、過ぎ去りし時への可能性を開く鍵だった。
 なんで見つけてしまったんだ。オレがここに行き着かなければ、あの輝きに気付かなければ、痛みを背負ったままでも過去に再び目を向けるようなことはなかったはずなのに。

(けれど、あの少女にもう一度会いたいと、お前も思ったのだろう)

 ――地の底より響くような黒い声が、オレの心に囁きかけてくる。いわゆる天使と悪魔、ってやつだろうか。だとしたら随分な悪魔だ。
 ベロニカには会いたい。会いたいさ。あの口の減らないちびっ子魔女と、また下らない口喧嘩を交わしたい。
 ……けれど、そのために、そのためには……。

「カミュ……?」

 相棒に名を呼ばれてはっとする。どうやら無意識に彼を見つめてしまっていたらしい。オレは誤魔化すように言葉を吐き出す。

「あ、ああ。悪い。何でもねえよ、相棒」

 そう、何でもない。そもそもあの塔の場所が分からなければ、こいつが選択の入り口に立つことも――……。

「それより」

 ……え?

「オレ、気になる場所があるんだ」

 どういうことだ。唇が、勝手に、

「気になる場所?」

 相棒がことり、と首をかしげる。
 オレは自分が何を言おうとしているのか理解して、必死に声を止めようとする、唇を縫いつけようとする――けれど。

「命の大樹の先に塔っぽいものが見えてな。ケトスでならいけそうだし、アテがないなら行ってみないか?」


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 どうして、何故、何で。

 あの塔がある場所に降り立ってしまった彼らを眺めながら、オレは自分の行為にひたすら疑問を投げ続けていた。
 確かに、ベロニカには会いたい。死なせたくない。過去に戻れるなら何か方法を考えて、救ってやりたいとも思った。
 だがその可能性のために再びアイツを失うことなど、オレにはとても許容できるものではなかった。

 そもそも過去に戻れるのは原則勇者のみだ。オレはその原則を捻じ曲げてここに立っている。だからたとえ過去に戻ってベロニカを救ったとしても、ここにいるオレ達には認識することすら出来ないはずだ。

(……まさか、あの黒い声は)
「これは……!?」

 グレイグの驚嘆の声で意識を現実に戻す。
 ……視線を上げた先には、見覚えのある塔が天高く聳え立っていた。

(――ああ)

 ここに、辿り着いてしまった。
 勇者が神秘の歯車を嵌め、扉を開く様子が見える。胸の奥が凍え、息が凍りつきそうだ。それでもせめて怪しまれることはないように、彼らに続いて塔の中へと入っていく。

 ……コチ、コチ、コチ。
 時計の針が進む音が塔内に響き渡る。
 金色の内装や神の民の里にあったような設備に懐かしむことも驚くこともなく、オレはただただ堪えるように呼吸を飲み込むばかり。

 ……これ以上この塔を登らないでくれ。頂点へ行き着かないでくれ。
 子供のようなワガママを叫ぶ勇気もなく、オレの密かな願いは当然のように届かない。

 ついに彼らは、塔の頂上へとたどり着く――最上階、とこしえの神殿に。


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「時を遡れるのは……」
「勇者……だけ……?」

 絶望の声が仲間達の口から漏れだす。オレは再び聞かされた時の番人の淡々とした説明に、どうかこれで諦めてくれはしないかと祈った。

「…………」

 それでも勇者は、迷うことなく前へ進もうとする。
 オレは……いいや、オレ達は、彼の道を塞ぐように立ちはだかった。

 ……どうか、どうか。前とは異なる結末になってくれ。
 今回はオレだけじゃない。みんながいる。みんな、彼を止めようとしてくれている。
 オレたちの想いが、どうか届いてくれるように。
 彼の決意の前に、無為に手折られることがないように。

「…………」

 ――砦にはまだお前が必要だ。
 ――もう二度とあなたを失いたくない。
 ――お前まで失ったらどうすればいい。
 ――アナタは十分に頑張った。
 ――こればっかりは認められない。

 それぞれの言葉で、それぞれの感情を必死にぶつける。
 ……ああ、それでも。それでも、お前は。

「……決めたんだな」

 オレが潰れそうな声でそう呟けば、相棒は静かに頷いた。
 結局、こうなった勇者にはもうどんな祈りも届かない。それをまざまざと見せつけられてしまった。
 ……けれどもオレは、やはりあの時と同じように『頑張れ』と送り出すことなどできなくて、相棒の手を緩く掴み、最後の抵抗を言葉にした。

「お前はいつも他人のことばかり。たまには自分のことを第一に考えたっていいんだぜ?勇者は魔王を倒して、世界を救った。だから、だからもう――……」

 もう、やめてくれ。
 喉から出かかった想いの叫びは、情けない感情を潰すのと同時に、力なく胸の奥へと消えていった。

「……ありがとう、カミュ。カミュは、本当に優しいね」
「――――っ!!」

 ――――カミュは、本当に優しいね

 重なったそのあたたかく残酷な言葉に、オレはひゅっと息を呑む。繋がっていたはずの掌から、柔らかな温もりがするりと抜けていった。

「でもボク、行きたいんだ。確かに魔王は倒したし、世界は救われたかもしれない。だけど、大地が燃えて、たくさんの人が死んで、たくさんの物がなくなってしまった。……ボクが救えたはずのものが、たくさんたくさん、失われてしまった」

 ……ああ。あの時と同じ目をしている。とても真っ直ぐで、眩しくて、見ているだけで苦しくなってしまう、勇者の目だ。

「ボクは、ユグノアで生まれて、イシの村で育った、この世界の勇者だ。だから、行かなくちゃ」

 そうか、とどうにか笑顔を繕ったオレの隣を、オレ達の前を、希望を喪わない勇者が歩んで行く。

 また、止められなかった。
 また、こいつを救ってやれなかった。
 オレ達じゃ、ダメだった。

「良いのですね」

 祭壇の前に辿り着いた勇者に、淡々と声をかける時の番人。その声にこくり、と力強く頷いた相棒。

「……みんな、ありがとう」

 振り向かずに発されたその言葉には、震えも澱みもなく。
 再び世界のために世界を捨てる背中を眺めながら、オレは自分の中に刻まれた『約束』を抱き直す。

 ……勇者のアザが輝き、剣が共鳴を始める。その光に従うように、彼は真っ直ぐに剣を振り下ろした。
 ――オレはオレの魂に従い、輝きに包まれた相棒へと誓いを叫んだ。

「相棒!!オレは何度でもお前と旅をして、何度でもお前の相棒になる!!」
「カミュ……」
「だから……また、会おうぜ」

 彼が消える直前に投げかけた一番大切な誓いは、きちんと届いただろうか。
 ……どちらでもいいか。この誓いは――果たすために投げかけたのだから。

 勇者が消えた空間に残された僅かな一瞬――微かな残光。かつてそうしたように、オレは再びそこに飛び込み、この手を伸ばす!!

「カミュ!?」「何をしている!!」

「ぐ、うぐぅうううああぁあああああっっっっ!!!!!」

 全てを焼き尽くす地獄の熱量の向こう側で、様々な声が聞こえてくる。
 オレを止める声、怯えた声、悲鳴に近い混乱の声。……ああ、オレも大切に思われてたんだな。何もかも燃え崩れていく感覚に包まれながら、オレは小さく微笑む。

「何をしているのです。そんなことをしても――」
「時の光に、その身を焼かれ……っ、燃え尽きる、だけ、だろ……!?知ってるさ、何せ一度、経験済み、だからな……っ!けど、それでも、いいんだよ……っ!!」

 時の番人の平坦な声を遮って、オレは叫ぶ。

「そうだ、オレは……この光に焼かれて、ここに来た……っ!アイツを救うために……、アイツに、『勇者』を、やめさせるために!!!」

 ぷつり、と音が途切れる。
 仲間の声も番人の声も聞こえなくなり、オレは耳が燃えおちたことを悟った。もう言葉を吐き出しても、本当に紡がれているか確認することも出来ないだろう。
 けれど、それでもオレは叫び続ける。

「アイツを……っ!ぐ、がはっ……勇者を……救うため、なら……、はぁっ……、何度でも、何度でも、なんどでも!!この光に焼かれ、時を越えて、アイツの隣に立ってやる……っ!!!」

 世界に正しく響いたかわからない、血を吐くように生み出した咆哮は、オレの心の全てだった。
 げほっ、と大きく噎せて、とうとう喉と肺が焼け切った。

 ……オレはあの時のように祈り始める。
 この体が、すべてすべて、骨の一つも残さずに燃え崩れたって構わない。
 どうか魂の一欠片だけでも、アイツの元へ――……

「不可能だ」

 どこからか、やけにはっきりと認識できる冷たい声がオレの意識に届き、傲慢な祈りを妨げた。反論をしようにも、もうオレから出せる音は何一つない。オレは仕方なくその声に意識を向ける。

「……お前さんに出会った時、妙に魂が傷ついておったからまさかとは思ったが――本当に時を遡っておったとはな」

 ……この声は、もしや……預言者とか名乗っていた……?

「もう時間もないようじゃし、単刀直入に言うが。お前、死ぬぞ。今度こそ無意味にただ燃え尽きるだけじゃ」

 朦朧とする意識の中で、そんなのわからねぇだろ、と、届くかも分からない意思を紡いだ。

「一度目の遡りでどんな奇跡が起こったのか知らんが、二度はない。仮に此度も奇跡的に時を渡れたとして、わしが見て分かるほど擦り切れたその魂では、辿り着いた瞬間に消え尽きるのがオチだろうよ」

 ……そうかも、しれない。
 けれど、それでも、オレは……アイツの、ところに……

「――はぁ。ここで諦めるのならば、魂くらいは助けてやるつもりでいたのじゃが」

 呆れたような預言者の声が、とおく、聞こえる。

「……わしにも無理なんじゃよ、その『奇跡』を起こすのは。言ったじゃろう、それこそ神の力でもなければ不可能だと――」
【……成程。確かにその通りだ、善なる導き手よ】
「な……!?き、貴様は!?」

 …………?途切れそうないしきのむこうで、くろい新たなこえが、ひびいた、きがする。

【愚かな青年よ。勇者を導き過ぎ去りし時を求める機会をくれたこと、感謝する。お前の望む通り、あの勇者の元へと連れてやろう――わたしの魂とともに】

 くろく、くらいこえが、オレのちっぽけなすべてを、つつみこむ。

「そうか、貴様が……だから……!」

 ――ああ、なにかもが、とおくなっていく。
 くろく潰えるいしきのはてで、だれかがさけぶこえが、きこえた。

「邪神、ニズゼルファ……!」
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