赤い星が消えるまで
――空に再び打ち上げられた赤黒い星。今やこの世界に【アレ】を勇者の星と呼ぶものはいないだろう。
オレ達は勇者と共に邪神ニズゼルファに挑み、その肉体を突き崩すまでは辿りついたものの……完全に消滅させることまでは叶わなかった。かつて聖賢セニカ達が行ったように遥か彼方へと存在を吹き飛ばし、星として封印する道を選ばざるを得なくなったのだ。
「…………」
ニズゼルファとの戦いで動けなくなった仲間たちを手当てするマヤ。特に回復の要となっていたセーニャの傷がひどく、命に別状はないもののしばらく目を覚ますこともないだろうとの見立てだった。
オレとマヤ、それから相棒。
体を動かせる程度の体力が残っているのはこの三人だけとなっていた。
「……少し、風に当たってくるね」
静かな声と共に相棒が部屋を出ていった。
思いつめた表情だったが、流石に今の状態で無茶をすることは……
「兄貴、様子見に行って。……なんか、嫌な予感する」
ここはおれ一人で大丈夫だからと、マヤが相棒の消えた先を見つめて言う。
……相棒がそこまで無鉄砲な行動を起こすとは思えないが、コイツのこういうカンは良く当たる。オレはみんなを頼むと声をかけ、彼を追って外へと向かった。
------------------------
「…………」
……相棒は、人のいない林の中でぼんやりと立ち尽くしていた。
視線は遠い空の果てに投げられていて、オレも同じように空を見上げ――……。
「……ケトス?」
見慣れた金と白の巨躯を揺らして、彼方から飛翔する鯨は間違いなくそれだった。サァ、と頭のてっぺんから血の気が引いていく。オレは相棒のもとに飛び出し、彼の肩に掴みかかった。
「おい……!お前、何考えてんだよ!!」
「カミュ……」
纏う雰囲気とは裏腹にその瞳には強い光が宿っていて、余計にコイツが何をしようとしているのか分からなくなる。
相棒は柔らかく微笑んで、少しバツが悪そうに言葉を吐き出しはじめた。
「気づかれちゃったか」
「……マヤがな」
「そっか。すごいね、マヤちゃん」
ケトスが近づいてくる。姿を確認した相棒は人差し指を唇に当て、鯨にしぃ、と静かに降り立つように指示を出した。
「どこに行くつもりだ」
「ボクたちはニズゼルファを倒しきれなかった。ならば、ボクが勇者として選ぶべき道はただ一つ」
「――まさか、お前」
勇者の指示に従い、物音ひとつ立てず空に浮いている白鯨を背に、相棒は優しく誘いの言葉を述べる。
「カミュ、一緒にくる?」
……ああ、もう決めたんだな。そう理解しながらもオレは頷いていた。
ここから先、オレが何をしようときっと無意味になってしまうんだろうが、それでも相棒として、一番傍で、コイツのことを見ていたかった。
------------------------
「時のオーブを破壊すれば二度とこの世界にもどることはできないでしょう。失敗すれば時のはざまをさまようことになるかもしれません。勇者よ、それでも失われた時を求める覚悟はありますか」
時の番人は淡々と恐ろしい事実を語った。
勇者の力を持つ者しか時を遡ることが出来ないのは知っていた。だがそんなの、そんな結末、あんまりじゃねえか。
迷いのない瞳のまま祭壇へ進もうとする勇者の前に立ちはだかる。
無意味かもしれないけれど、それでも、彼をこのまま『頑張れよ』と送り出すわけにはいかなかった。
「……カミュ」
「なぁ」
そこをどいて、と口にされる前に、オレは声を遮った。
「……なぁ。お前は十分頑張ったよ。痛い思いも苦しい思いもたくさんして、ニズゼルファだって倒した。そりゃ消し去ることまではできなかったが、アレが星と呼ばれるほど彼方まで吹き飛ばして封印を行った。復活するのは何年何百年――いや、下手すると何千年も先の話だ」
「…………」
「お前が勇者だからって、その力があるからって、これ以上やる必要はない。そうだろ?」
「…………カミュ」
「なぁ……なぁ、そうだって、言ってくれよ、勇者サマ……」
情けなくも、オレの声は震え、視界は滲んで揺らいでいく。
こんなのは嫌だ。こんな別れは嫌だ。
なんだってするから、どんな辛いことにも耐えてみせるから、頼むよ、なぁ、
「カミュは、本当に優しいね。旅立つ前からずっと、勇者の運命がどうとかじゃなくて、『ボク』のことを助けてくれていた」
「相棒、だめだ、」
「ボクね、そんな優しいキミのことが好きだ。キミだけじゃない。マヤちゃんも、ベロニカも、セーニャも、グレイグも、みんな。それから、マルティナにロウ爺様、父上、母上。この世界には大好きで、大切なものがたくさんある」
「だったら……ッ!!」
「だからこそ。このままニズゼルファを放って、未来の誰かに任せるわけにはいかない」
「…………ッ」
「ボクはユグノアの王子で、この世界の勇者だ。だから、行かなくちゃ」
項垂れたオレの隣を、彼は力強く歩んでいく。どれだけみっともなく泣き喚き、子供のように駄々をこね、行かないでくれと懇願したところで、やはりその決意には無意味なものなのだろう。
――……ああ。希望を喪わない勇者が、ついに時の祭壇の前に辿りついた。
止められなかった。
オレじゃだめだった。
こいつを、救ってやれなかった。
世界のために世界を捨てるその背中を眺めながら、オレは後悔を飲み込み続ける。
彼の手にある痣が強く光を放ち、勇者の剣と共鳴し始めた。その光に従うように、彼は真っ直ぐに剣を振り下ろし――
「……約束を守れなくて、ごめんね」
光に包まれ、その姿が完全に見えなくなる直前。
震えた小さな声で呟いたのが聞こえた。
……聞こえて、しまった。
(違う。違うんだ、相棒。あの時も言っただろ。約束は守るのはお前じゃなくって――……)
「オレたちだ、って」
彼を呑み込み、消え尽きようとする時のオーブ。光が失われる寸前、オレはその中心点に全力で飛び込み、手を伸ばした……っ!
「……ぐ、うあ゛あ゛あ゛ああああああああっっ!!!!がはっ、う、ぐぅううううっ!!」
「何をしているのです。そんなことをしても、時の光にその身を焼かれ燃え尽きるだけ。無意味に肉体を失うことになるのですよ」
淡々と時の番人が近い未来の事実を話す。そんなことわざわざ言われなくとも、この地獄のような熱線に肌も血も神経も焼かれれば嫌でも理解できる。
それでも、オレは。
「ぐっ……諦めて、たまる、か……っ!はぁっ……オレは……オレたちは……約束、したんだ……!」
――――……どうかよろしく、二人とも。
「……アイツと……相棒、とっ……、がはッ……!やく、そく、を……!!」
熱い、痛い、苦しい。口に、血管に、オレの体の内側すべてに、直接炎をぶちこまれているような灼熱だ。
時の光から拒絶するかのように放たれ続ける異常な熱量はついに肺と喉を焼き、オレは叫びをあげることすらできなくなった。
……頼む。頼むよ。この体が灰になろうが構わない。どうか魂のひとかけらだけでもいい、アイツのところに飛ばしてくれ。
このままじゃ、オレはオレを許せない。マヤに向ける顔がない。アイツを、勇者を、なんでもないただの人間にしてやれない。
そうだ、このまま、終わっては――……
(やくそくを、まもって、やれない……)
――視界が霞み、思考が薄まり、すべての感覚が遠ざかっていく。
ああ、ダメ、なのか。
【……失敗か。ならば、この男の執念を利用するのも一つの手】
何もかも燃え落ちる直前、ひどく曖昧な音が聞こえてきた。
けれどそれはオレの中に刻まれることはなく、そのまま意識は白く潰えた――……。
オレ達は勇者と共に邪神ニズゼルファに挑み、その肉体を突き崩すまでは辿りついたものの……完全に消滅させることまでは叶わなかった。かつて聖賢セニカ達が行ったように遥か彼方へと存在を吹き飛ばし、星として封印する道を選ばざるを得なくなったのだ。
「…………」
ニズゼルファとの戦いで動けなくなった仲間たちを手当てするマヤ。特に回復の要となっていたセーニャの傷がひどく、命に別状はないもののしばらく目を覚ますこともないだろうとの見立てだった。
オレとマヤ、それから相棒。
体を動かせる程度の体力が残っているのはこの三人だけとなっていた。
「……少し、風に当たってくるね」
静かな声と共に相棒が部屋を出ていった。
思いつめた表情だったが、流石に今の状態で無茶をすることは……
「兄貴、様子見に行って。……なんか、嫌な予感する」
ここはおれ一人で大丈夫だからと、マヤが相棒の消えた先を見つめて言う。
……相棒がそこまで無鉄砲な行動を起こすとは思えないが、コイツのこういうカンは良く当たる。オレはみんなを頼むと声をかけ、彼を追って外へと向かった。
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「…………」
……相棒は、人のいない林の中でぼんやりと立ち尽くしていた。
視線は遠い空の果てに投げられていて、オレも同じように空を見上げ――……。
「……ケトス?」
見慣れた金と白の巨躯を揺らして、彼方から飛翔する鯨は間違いなくそれだった。サァ、と頭のてっぺんから血の気が引いていく。オレは相棒のもとに飛び出し、彼の肩に掴みかかった。
「おい……!お前、何考えてんだよ!!」
「カミュ……」
纏う雰囲気とは裏腹にその瞳には強い光が宿っていて、余計にコイツが何をしようとしているのか分からなくなる。
相棒は柔らかく微笑んで、少しバツが悪そうに言葉を吐き出しはじめた。
「気づかれちゃったか」
「……マヤがな」
「そっか。すごいね、マヤちゃん」
ケトスが近づいてくる。姿を確認した相棒は人差し指を唇に当て、鯨にしぃ、と静かに降り立つように指示を出した。
「どこに行くつもりだ」
「ボクたちはニズゼルファを倒しきれなかった。ならば、ボクが勇者として選ぶべき道はただ一つ」
「――まさか、お前」
勇者の指示に従い、物音ひとつ立てず空に浮いている白鯨を背に、相棒は優しく誘いの言葉を述べる。
「カミュ、一緒にくる?」
……ああ、もう決めたんだな。そう理解しながらもオレは頷いていた。
ここから先、オレが何をしようときっと無意味になってしまうんだろうが、それでも相棒として、一番傍で、コイツのことを見ていたかった。
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「時のオーブを破壊すれば二度とこの世界にもどることはできないでしょう。失敗すれば時のはざまをさまようことになるかもしれません。勇者よ、それでも失われた時を求める覚悟はありますか」
時の番人は淡々と恐ろしい事実を語った。
勇者の力を持つ者しか時を遡ることが出来ないのは知っていた。だがそんなの、そんな結末、あんまりじゃねえか。
迷いのない瞳のまま祭壇へ進もうとする勇者の前に立ちはだかる。
無意味かもしれないけれど、それでも、彼をこのまま『頑張れよ』と送り出すわけにはいかなかった。
「……カミュ」
「なぁ」
そこをどいて、と口にされる前に、オレは声を遮った。
「……なぁ。お前は十分頑張ったよ。痛い思いも苦しい思いもたくさんして、ニズゼルファだって倒した。そりゃ消し去ることまではできなかったが、アレが星と呼ばれるほど彼方まで吹き飛ばして封印を行った。復活するのは何年何百年――いや、下手すると何千年も先の話だ」
「…………」
「お前が勇者だからって、その力があるからって、これ以上やる必要はない。そうだろ?」
「…………カミュ」
「なぁ……なぁ、そうだって、言ってくれよ、勇者サマ……」
情けなくも、オレの声は震え、視界は滲んで揺らいでいく。
こんなのは嫌だ。こんな別れは嫌だ。
なんだってするから、どんな辛いことにも耐えてみせるから、頼むよ、なぁ、
「カミュは、本当に優しいね。旅立つ前からずっと、勇者の運命がどうとかじゃなくて、『ボク』のことを助けてくれていた」
「相棒、だめだ、」
「ボクね、そんな優しいキミのことが好きだ。キミだけじゃない。マヤちゃんも、ベロニカも、セーニャも、グレイグも、みんな。それから、マルティナにロウ爺様、父上、母上。この世界には大好きで、大切なものがたくさんある」
「だったら……ッ!!」
「だからこそ。このままニズゼルファを放って、未来の誰かに任せるわけにはいかない」
「…………ッ」
「ボクはユグノアの王子で、この世界の勇者だ。だから、行かなくちゃ」
項垂れたオレの隣を、彼は力強く歩んでいく。どれだけみっともなく泣き喚き、子供のように駄々をこね、行かないでくれと懇願したところで、やはりその決意には無意味なものなのだろう。
――……ああ。希望を喪わない勇者が、ついに時の祭壇の前に辿りついた。
止められなかった。
オレじゃだめだった。
こいつを、救ってやれなかった。
世界のために世界を捨てるその背中を眺めながら、オレは後悔を飲み込み続ける。
彼の手にある痣が強く光を放ち、勇者の剣と共鳴し始めた。その光に従うように、彼は真っ直ぐに剣を振り下ろし――
「……約束を守れなくて、ごめんね」
光に包まれ、その姿が完全に見えなくなる直前。
震えた小さな声で呟いたのが聞こえた。
……聞こえて、しまった。
(違う。違うんだ、相棒。あの時も言っただろ。約束は守るのはお前じゃなくって――……)
「オレたちだ、って」
彼を呑み込み、消え尽きようとする時のオーブ。光が失われる寸前、オレはその中心点に全力で飛び込み、手を伸ばした……っ!
「……ぐ、うあ゛あ゛あ゛ああああああああっっ!!!!がはっ、う、ぐぅううううっ!!」
「何をしているのです。そんなことをしても、時の光にその身を焼かれ燃え尽きるだけ。無意味に肉体を失うことになるのですよ」
淡々と時の番人が近い未来の事実を話す。そんなことわざわざ言われなくとも、この地獄のような熱線に肌も血も神経も焼かれれば嫌でも理解できる。
それでも、オレは。
「ぐっ……諦めて、たまる、か……っ!はぁっ……オレは……オレたちは……約束、したんだ……!」
――――……どうかよろしく、二人とも。
「……アイツと……相棒、とっ……、がはッ……!やく、そく、を……!!」
熱い、痛い、苦しい。口に、血管に、オレの体の内側すべてに、直接炎をぶちこまれているような灼熱だ。
時の光から拒絶するかのように放たれ続ける異常な熱量はついに肺と喉を焼き、オレは叫びをあげることすらできなくなった。
……頼む。頼むよ。この体が灰になろうが構わない。どうか魂のひとかけらだけでもいい、アイツのところに飛ばしてくれ。
このままじゃ、オレはオレを許せない。マヤに向ける顔がない。アイツを、勇者を、なんでもないただの人間にしてやれない。
そうだ、このまま、終わっては――……
(やくそくを、まもって、やれない……)
――視界が霞み、思考が薄まり、すべての感覚が遠ざかっていく。
ああ、ダメ、なのか。
【……失敗か。ならば、この男の執念を利用するのも一つの手】
何もかも燃え落ちる直前、ひどく曖昧な音が聞こえてきた。
けれどそれはオレの中に刻まれることはなく、そのまま意識は白く潰えた――……。