空には一つ青い星
邪神ニズゼルファを倒し、世界に真の平和が齎された。
多くの人の力を借りて、見事元の姿を取り戻したイシの村の夜。
魔物がいなくなったこの世界で穏やかな日々が続いている、のに。
(……どうして、毎晩こんな夢ばかり)
ここ最近、眠りにつくたびに同じような夢を見ている。
——悪夢ではない。むしろ、幸せな夢だ。平和になった世界で、大切な仲間たちと再び旅に出る夢。
……幸せなはずだ。良い夢のはずだ。
こんなに何度も見るのなら、誰かに声をかけて、ともに旅をしてみるのも悪くはないはずだった。
「——けど、それはできない」
夢に見るのは、【一度目】の仲間たち。
二度と手の届かない場所、いくら求めても触れることも叶わなくなった過ぎ去りし時の残照。
「……」
どうして今更。
……いや、今だからこそ、だろうか。
勇者としての務めを果たした自分に、村の人が、仲間たちが、世界中が、『今こそ自由に、自分のしたいことを』と言葉をかけてきた。
とはいえ、すぐに何かというのは思いつかなかったし、体力を回復させる必要もあったから、故郷で体を休めていたのだが。
「……はぁ」
そろそろ何かしようかと考え始めた直後にこれだ。
——忘れていたわけではない。いいや、忘れなどするものか。
命の大樹が枯れ、大地が燃えたことも。このイシの村が最後の砦となり、人々の希望となっていたことも。
……ボクたちを守って、ベロニカが死んでしまったことも。
(みんな、みんな覚えてる)
ボクが時を遡ったことにより、大樹が枯れた以降のことは【なかったこと】になった。
どうも様子を見るにうっすらとは前回の記憶がある者もいるようだが、それでもきっと、その記憶は遥か遠い思い出の一つに違いないだろう。
「——……」
滴が一つ、頬を伝い落ちていった。情けない。
せっかく世界を救ったというのに、前を見れず後ろばかり向いているなんて。
こんなの、あの日ボクの背中を押してくれた、ボクを見送ってくれた仲間たちにも申し訳が立たない。
「……はあ……」
会いたい。【あの時】のみんなに会いたい。
砦にはボクが必要だと言ってくれたグレイグ。
もう二度とボクを失いたくないと言ってくれたマルティナ。
両親に続いてボクまでいなくなったらと嘆いてくれたロウ。
もう十分に頑張ったと声をかけてくれたシルビア。
こればっかりはと、泣きそうな瞳でボクの前に立ちはだかったセーニャ。
……たまには自分のことをいちばんに考えたっていいと言ってくれた、カミュ。
「——ボクは覚えている、のに」
なかったことになった。あの旅路は、あの崩壊した世界は、歴史に刻まれることはなくなった。ならみんなが覚えていないのは当たり前だ。
そして、今の彼らが思い出す必要もない。無理に記憶を引きずりだそうとしたところで、彼らを苦しめることにしかならない。
「…………っ」
ああ、また孤独が襲ってきた。寂しさで胸は押し潰れてしまいそうだし、頭の中は穢らわしい後悔で充満してしまっている。
こんなのが勇者だなんて、救世の英雄だったなんて、とんだお笑い草だ。
「……カミュ……」
覚えてるって、言ったのに。
なかったことにしたのは僕だというのに、そんな残酷な思考が巡り始める。
あの冒険の書の世界での曖昧な思い出が恋しくて、彼の名前を小さく呟いた。
ここにはいない、もう出会えない、彼の名前を。
「会いたい……会いたいんだ、カミュ……」
「そんなに情熱的に呼ばれたら、応えないわけにはいかねぇな」
「——っ!?」
聞きなれた声が部屋に響いて、ベッドから勢いよく体を起こす。
いつの間にか大きく開かれた窓から、月光に照らされた青髪の青年——カミュが、ボクの部屋に侵入しようとしていた。
「……ボクの部屋には、盗めるようなものは何もないよ」
彼に情けない姿を見られたくなくて、ボクは拗ねたようにベッドに潜り直す。
今のボクはあまりにも甘ったれで、あまりにもどうしようもない存在だったから、こんな姿を【相棒】である彼に見せるわけにはいかなかった。
「いいや、ある」
ストン、と軽やかな音とともにボクの部屋に入り込んできたらしいカミュは、真っすぐな声でそう言った。
……あるって、何のことだろう。この部屋には本当に、盗めるようなものは何も——
「お前を盗みに来た。勇者サマ」
「………………」
布団をかぶっているから表情を伺うことはできないけれど。冗談のような言葉の羅列なのにその声はひどく真面目なもので、奇妙な矛盾にボクの心臓はとくとくと早鐘を打ち始めていた。
「……なあ、勇者サマ。お前が会いたがってるのは、このオレじゃぁないんだろ」
「…………!」
思わず息を呑む。彼は敏いからいつかは気づかれると思っていたけれど、こんな、こんな形で——……。
「お前が会いたいカミュは……『記憶が戻ってもきっと忘れない』とみっともなく鼻水たらしながら約束して、『また会おう』と喉を涸らしながら約束した、あの時のオレだろ?」
その言葉に呆然としているうちにボクの脆い布団の鎧はすっかり剥がされて、カミュの驚くほどやさしい瞳がボクの情けない姿を見つめていた。
「寂しい思いをさせて、ごめんな。お前の相棒はここにいる」
静かにボクの体を抱きしめたカミュの腕は微かに震えていて、ああ、もしかして、ほんとうに、
「……ボクの、相棒の、カミュ?」
「ああ、そうだ。お前の——勇者の相棒の、カミュだ」
呆けた表情で彼の顔を見つめたボクに、滲んだ声で答えてくれた、今、目の前にいる【カミュ】は——
ボクが会いたかった、ボクが失ったと思っていた、過ぎ去りしあの時の中にいた——ボクの、カミュ、だった。
「う、ぅっ……カミュ、カミュ……っ」
「随分待たせちまったな。本当はもっと早くに話すつもりだったんだが」
ぐすぐすと子供のような泣き声を漏らしているボクをあやすように撫でるカミュ。
ゆっくりと穏やかなテンポで続けながら、静かな声で言葉を紡ぎ始めた。
「……ようやくお前を解放できる。長かったオレの旅はこれで終わりだ。そして——相棒、お前の旅はこれから始まる」
囁かれた不思議な言葉にボクが小さく首を傾げると、カミュは柔らかく微笑んで、ボクの手を取った。
「言っただろ。お前を盗みに来た、って」
「——まさか」
「ああ、そのまさかだ」
ひょい、とボクの体は一瞬にしてカミュに担ぎ上げられて——
いつの間にいたのか、窓の外から「にしし、グッジョブ兄貴〜!!」と笑顔のマヤちゃんが手を振っている。
「初心に帰って逃亡生活から、ってな!」
「ふ、ふふ、もう……仕方ないなぁ!」
着の身着のまま、荷物なんて何もない。
【あの時】よりも身軽だけれど、きっと、ボクの始まりはこのくらいで良かったのだろう。
——ああ、今夜の空はこんなにも美しかったのか。
勇者の星が消えた夜空に、蒼い流星が駆けぬけていった。
多くの人の力を借りて、見事元の姿を取り戻したイシの村の夜。
魔物がいなくなったこの世界で穏やかな日々が続いている、のに。
(……どうして、毎晩こんな夢ばかり)
ここ最近、眠りにつくたびに同じような夢を見ている。
——悪夢ではない。むしろ、幸せな夢だ。平和になった世界で、大切な仲間たちと再び旅に出る夢。
……幸せなはずだ。良い夢のはずだ。
こんなに何度も見るのなら、誰かに声をかけて、ともに旅をしてみるのも悪くはないはずだった。
「——けど、それはできない」
夢に見るのは、【一度目】の仲間たち。
二度と手の届かない場所、いくら求めても触れることも叶わなくなった過ぎ去りし時の残照。
「……」
どうして今更。
……いや、今だからこそ、だろうか。
勇者としての務めを果たした自分に、村の人が、仲間たちが、世界中が、『今こそ自由に、自分のしたいことを』と言葉をかけてきた。
とはいえ、すぐに何かというのは思いつかなかったし、体力を回復させる必要もあったから、故郷で体を休めていたのだが。
「……はぁ」
そろそろ何かしようかと考え始めた直後にこれだ。
——忘れていたわけではない。いいや、忘れなどするものか。
命の大樹が枯れ、大地が燃えたことも。このイシの村が最後の砦となり、人々の希望となっていたことも。
……ボクたちを守って、ベロニカが死んでしまったことも。
(みんな、みんな覚えてる)
ボクが時を遡ったことにより、大樹が枯れた以降のことは【なかったこと】になった。
どうも様子を見るにうっすらとは前回の記憶がある者もいるようだが、それでもきっと、その記憶は遥か遠い思い出の一つに違いないだろう。
「——……」
滴が一つ、頬を伝い落ちていった。情けない。
せっかく世界を救ったというのに、前を見れず後ろばかり向いているなんて。
こんなの、あの日ボクの背中を押してくれた、ボクを見送ってくれた仲間たちにも申し訳が立たない。
「……はあ……」
会いたい。【あの時】のみんなに会いたい。
砦にはボクが必要だと言ってくれたグレイグ。
もう二度とボクを失いたくないと言ってくれたマルティナ。
両親に続いてボクまでいなくなったらと嘆いてくれたロウ。
もう十分に頑張ったと声をかけてくれたシルビア。
こればっかりはと、泣きそうな瞳でボクの前に立ちはだかったセーニャ。
……たまには自分のことをいちばんに考えたっていいと言ってくれた、カミュ。
「——ボクは覚えている、のに」
なかったことになった。あの旅路は、あの崩壊した世界は、歴史に刻まれることはなくなった。ならみんなが覚えていないのは当たり前だ。
そして、今の彼らが思い出す必要もない。無理に記憶を引きずりだそうとしたところで、彼らを苦しめることにしかならない。
「…………っ」
ああ、また孤独が襲ってきた。寂しさで胸は押し潰れてしまいそうだし、頭の中は穢らわしい後悔で充満してしまっている。
こんなのが勇者だなんて、救世の英雄だったなんて、とんだお笑い草だ。
「……カミュ……」
覚えてるって、言ったのに。
なかったことにしたのは僕だというのに、そんな残酷な思考が巡り始める。
あの冒険の書の世界での曖昧な思い出が恋しくて、彼の名前を小さく呟いた。
ここにはいない、もう出会えない、彼の名前を。
「会いたい……会いたいんだ、カミュ……」
「そんなに情熱的に呼ばれたら、応えないわけにはいかねぇな」
「——っ!?」
聞きなれた声が部屋に響いて、ベッドから勢いよく体を起こす。
いつの間にか大きく開かれた窓から、月光に照らされた青髪の青年——カミュが、ボクの部屋に侵入しようとしていた。
「……ボクの部屋には、盗めるようなものは何もないよ」
彼に情けない姿を見られたくなくて、ボクは拗ねたようにベッドに潜り直す。
今のボクはあまりにも甘ったれで、あまりにもどうしようもない存在だったから、こんな姿を【相棒】である彼に見せるわけにはいかなかった。
「いいや、ある」
ストン、と軽やかな音とともにボクの部屋に入り込んできたらしいカミュは、真っすぐな声でそう言った。
……あるって、何のことだろう。この部屋には本当に、盗めるようなものは何も——
「お前を盗みに来た。勇者サマ」
「………………」
布団をかぶっているから表情を伺うことはできないけれど。冗談のような言葉の羅列なのにその声はひどく真面目なもので、奇妙な矛盾にボクの心臓はとくとくと早鐘を打ち始めていた。
「……なあ、勇者サマ。お前が会いたがってるのは、このオレじゃぁないんだろ」
「…………!」
思わず息を呑む。彼は敏いからいつかは気づかれると思っていたけれど、こんな、こんな形で——……。
「お前が会いたいカミュは……『記憶が戻ってもきっと忘れない』とみっともなく鼻水たらしながら約束して、『また会おう』と喉を涸らしながら約束した、あの時のオレだろ?」
その言葉に呆然としているうちにボクの脆い布団の鎧はすっかり剥がされて、カミュの驚くほどやさしい瞳がボクの情けない姿を見つめていた。
「寂しい思いをさせて、ごめんな。お前の相棒はここにいる」
静かにボクの体を抱きしめたカミュの腕は微かに震えていて、ああ、もしかして、ほんとうに、
「……ボクの、相棒の、カミュ?」
「ああ、そうだ。お前の——勇者の相棒の、カミュだ」
呆けた表情で彼の顔を見つめたボクに、滲んだ声で答えてくれた、今、目の前にいる【カミュ】は——
ボクが会いたかった、ボクが失ったと思っていた、過ぎ去りしあの時の中にいた——ボクの、カミュ、だった。
「う、ぅっ……カミュ、カミュ……っ」
「随分待たせちまったな。本当はもっと早くに話すつもりだったんだが」
ぐすぐすと子供のような泣き声を漏らしているボクをあやすように撫でるカミュ。
ゆっくりと穏やかなテンポで続けながら、静かな声で言葉を紡ぎ始めた。
「……ようやくお前を解放できる。長かったオレの旅はこれで終わりだ。そして——相棒、お前の旅はこれから始まる」
囁かれた不思議な言葉にボクが小さく首を傾げると、カミュは柔らかく微笑んで、ボクの手を取った。
「言っただろ。お前を盗みに来た、って」
「——まさか」
「ああ、そのまさかだ」
ひょい、とボクの体は一瞬にしてカミュに担ぎ上げられて——
いつの間にいたのか、窓の外から「にしし、グッジョブ兄貴〜!!」と笑顔のマヤちゃんが手を振っている。
「初心に帰って逃亡生活から、ってな!」
「ふ、ふふ、もう……仕方ないなぁ!」
着の身着のまま、荷物なんて何もない。
【あの時】よりも身軽だけれど、きっと、ボクの始まりはこのくらいで良かったのだろう。
——ああ、今夜の空はこんなにも美しかったのか。
勇者の星が消えた夜空に、蒼い流星が駆けぬけていった。
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