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「そうですね……さすが、『機械仕掛けのビスクドール』、といったところでしょうか」


彼女を語る時、アニキ、牙琉霧人はそう呼んだ。

初めてそれを聞いた時は洒落た表現を好むアニキだ、確かに可愛いのは事実だけどと思った。大げさな、とも思ったけれど。

けれどアニキは。

「ただのビスクドールであれば、ただその場を華やぐ鑑賞物として楽しめたのでしょうが……『アレ』は、ただ綺麗なだけではない」

弁護士も検事も関係ない、ただ真実の手掛かりを正確に掬い上げる機械のようだ。

アニキはそう言ってから、ぼくに微笑みかけた。

「だから響也。検事として注目されたいなら、彼女を上手く使うことです」
「え?」
「アレは、人扱いされなくても気にしない。人の優しさも、愛情も、欠片もない。
……私は、そんな彼女が恐ろしいのです」


今、思えば。

彼女をそう呼び始めたのはきっと、アニキだったのだろうと思う。

弁護士と検事。立場上、相対することになる、ライバル。

そして検事には警察局、つまり刑事や捜査官との信頼が重要になってくる。

弁護士としてのプライドを、大層重要視にしていたアニキだ。
きっとアニキは、検事に有利な証拠品や捜査結果を探し当てる彼女が恐かっただろう。だからいつも、彼女が事件に関係しているかをずっと気にしていたんだ。

裁判に必ず勝つために、アニキは優秀な検事を嫌っていて。

かといって、自分より優秀な弁護士も疎んじていた。

検事を優位に立たせる優秀な科学捜査官だった彼女に、アニキはきっと複雑な思いにさせられただろう。

だから、アニキは。



「…………最悪な目覚めだなぁ」


自分の部屋で目を覚ましたぼくはそう呟いて、起き上がる。

今はもういないアニキに代わって引き取った愛犬のボンゴレは、ぼくが起きたことに気づいて伏せていた顔を上げた。

「おはよ、ボンゴレ」

近づいてきたボンゴレの頭を撫でてやって、朝の支度を始める。

ボンゴレの散歩を朝早くにやってからごはんをあげて、それからぼくも自分の朝食にありつく。

「……今日は暑くなるのかぁ」

春を終えたばかりだというのに、最近はすぐに夏の暑さがやってくる。
でも、まだまだ本格的なものじゃないからバテてしまわないように気をつけなくちゃいけないなぁとテレビの天気予報を眺めながら、ぼんやり思う。

そう思う中で、ふとあまり使われない、向かい側のテーブル席を見る。

「…………」

子供の頃から、両親は共働きで多忙で。一緒に食事を摂るという機会が少なかった。

そんな両親と過ごした時間よりも、アニキと過ごした時間のほうが長かったんじゃないかって思ったほどだ。

両親がいない時間を寂しいと思うこともあったのかもしれないけれど、いないことが自分にとって普通だと認めるのも早かった。

それに、ぼくには歳の離れたアニキがいた。それも優秀で、自慢の兄が。

歳が離れてはいたものの、背格好が結構似ていたぼくら兄弟は……周囲の評判が良かったモノだ。

仲が悪かったわけじゃないし、お互いに思ったことを言い合える兄弟だと思っていた。ケンカは……それなりにした。

だけど、それで壊滅的に仲が悪くなるってことはなかった。

ケンカをして、ぼくが気まずく思っていても、アニキは割とすぐにケロッとした様子で。

『もう気にしてなんかいませんよ。弟のしたことをずっと怒り続けるほど、私は暇じゃありませんしね』

そんなカンジで、皮肉は言っていた。だけど、ぼくはそれでよかった。

アニキはずっと『兄』で。
ぼくはアニキの『弟』で。

その関係に、ヒビが入るなんて……考えたこともなかった。

そんな、ある日。


「アニキ!科学捜査官で、すっごく可愛い子がいたんだけどさ!」


噂に聞いていた新人である科学捜査官、綾里ナマエを目にしたぼくは我ながらにずいぶんと興奮状態だったと思う。

だって、予想以上の女の子だったから。

新人の捜査官で、すぐさま科学捜査をもって片っ端から捜査をしていく様は圧巻と言わざるを得なかった。

訊くところによると、科学捜査と呼べる技術や知識は彼女一人いれば事足りてしまうのだという。

科学捜査っていうのは、様々な分野に分かれている。それぞれの分野に分かれて仕事を行うほどに、その知識は豊富すぎる。

鑑識の領分でもあるそれも、彼女は一人でこなしてしまうらしく……ていうかあまりに単独で行動してしまうので、警察局と検事局でもすぐに有名になったほどだ。
だからこそ、天才と呼べる逸材を早くも重宝しているのだと話を振ってきたぼくにアニキは語った。

「ふーん……やっぱりすごいね、彼女は。ぼくも、つい最近彼女に会ったんだけどさ。その捜査の報告書がまた的確で、」
「響也」

彼女の説明をしてくれたアニキはぼくの声を遮って、飲んでいた紅茶を見つめながら。

「……『機械仕掛けのビスクドール』」
「え?」
「そうですね……さすが、『機械仕掛けのビスクドール』、といったところでしょうか。
……まるで機械のような緻密な働きで、ただ真実を掬い上げる感情の色を見せない眼差しは、とても美しい」

始めは、アニキも彼女を褒めてた。

だけど、『優秀な弁護士』のアニキにとって、裁判に勝利するには……検事と、証拠を押さえる捜査官の信頼がジャマだった。

だからアニキは一度、…………『捏造』で彼女を陥れようとしたことがあった。

それは、その時点ではアニキのせいだと誰も気が付かなかったけれど。

でも、後になって気づいた。よりによって、ぼくが気づいたんだ。

成歩堂弁護士さんの冤罪とか、アニキ自身の捏造や殺人の罪状が明らかになっていく中で……ぼくは気づいた。

彼女の探し出した証拠を捏造扱いにしようとした存在は、当時では担当検事の管理不足だとかいう結果で処理されたけれど。

ぼくは、そういう風に誘導した人間が、本当は誰だったのかを知ってしまった。

(その時は、捏造は間違いだったって明らかにされたから……ナマエちゃんがクビになることはなかったんだけど)

法の暗黒時代とも呼ばれ始めていた日々に、そんなことがあって。

自分の兄が、何も責められるべきことがない、真っ当な捜査をしていた彼女の信頼を損ねるマネをしたことが、申し訳なくて。


………どうしようもなく、悲しくて。


そんなぼくは、一時期、様々な捜査と証拠に疑心暗鬼になってしまった時があった。

全部、自分で確かめないと不安で仕方がなかった。
だって、ちょっとした隙があったら捏造や、証拠隠滅されるんじゃないかってずっと心配だったんだ。

実のアニキが持ち寄ってきた証拠が、そんなモノだったからこその疑心。つまり、トラウマだった。

でも、自分一人で捜査なんかできるはずがない。実際は、たくさんの協力があってぼくの仕事は成り立ってる。

アニキの一件で、ぼくを腫れ物扱いする人も多かったけど……ぼくは変わらず笑ってみせた。

いわゆる、ポーカーフェイスってヤツだ。

そんなぼくだったわけだけど……ナマエちゃんは何も変わってなかった。

ぼくのアニキが、彼女を陥れようとしたこと。……ぼくは、そのことを言えずにした。

アニキとは違う意味で、恐かったんだ。ぼくに変わらずに接してくれるナマエちゃんが、嫌悪の眼差しを向けるんじゃないかって思ったら……とても恐かった。

彼女は被害者で、加害者側にあるぼくが悲しむ資格なんてないと思ったけど。

(……それでも、それを伝えたら。ぼくに対する彼女の評価が変わってしまうことが、恐ろしかった)


そんなぼくだったけど、ぼくの扱う案件にはナマエちゃんが捜査を担当してくれる時期が続くことがあった。

「助かるけど……それはまた、どうしてだい?」

捜査報告書を提出しに来たナマエちゃんがそうしたことも教えてくれたので、ぼくはそう訊いた。

彼女は淡々としていて。

「……上司に、御剣検事局長にも、頼まれたことですから」
「ふーん?」

そう相槌を打ちながら、ぼくはただ思った。

(……うん。彼女なら、捏造なんかしない、はずだ。……多分)

「……うん、オーケイ。じゃあ、よろしく頼むよ」
「はい。……失礼します」

ナマエちゃんは頷いて、検事室を去ろうとして。

「っ、」
「え、ナマエちゃん!?」
「……すみません、転びました」

ガタン、と彼女が転んで……だけどすぐに立ち上がって去って行くのを、ぼくは少し気にかけながらも仕事に戻って。

そして、ある日。

「あれ?糸鋸刑事さん」

検事局から家に帰ろうとバイクに乗り込もうとしたら、丁度糸鋸刑事が検事局から出てきたのが見えた。

糸鋸刑事さんは、「あ!アンタは確か、ナマエくんが担当してる検事っスね?」とでかい図体でぼくのほうへやってきた。

「アンタはもう帰るんスか?」
「はい。糸鋸刑事さんは御剣検事に用事があったんですか?」
「まあ、そうっスね。ちょっとした頼み事をされたっスから」

その時、既に検事局長に就任していた御剣検事は糸鋸刑事をとても信頼していて、疑心暗鬼になっていたぼくは単純にそれが羨ましくて。

だから、つい零れるように呟いたんだ。

「御剣局長はいいですね。信頼できる人が、一緒に仕事してくれて」

そんなぼくの言葉に。

「アンタ!そんなこと言っちゃダメっスよ!!」
「え、」
「アンタは何もわかってないっス!アンタは、今もずっと信じられる人と一緒に仕事やってるじゃないっスか!」
「??えっと、どういう意味です?」

ぼくはどうしてこんなに糸鋸刑事さんが怒るのか、わからなくて。

だからこそ、糸鋸刑事さんの言葉は深く、ぼくの心を抉った。


「知らないんスか?アンタが扱う裁判は、ナマエくんがずっと『一人で』捜査してるっスよ」
「……え?」


ぼくはその言葉が、一瞬理解できなかった。

事件の捜査は、一人で出来るほど容易なことじゃないし、たとえ一人でやったとしてもとんでもない労力だ。

一人で捜査なんか、できっこない。

けれど、……けれど、『ナマエちゃんなら不可能じゃない』。

それを、ぼくはよく知っていた。

そして更に気づく。

(……ちょっと、待って欲しい)

ぼくの検事室を訪れることが多かったナマエちゃん。

だけど……その顔色や、行動はおかしくなかったか?

「……っ!!」

ぼくは、顔が青褪めていくのを感じた。


___どうして、気づかなかったんだ。

___あの時転んだのは、単なる不注意とかじゃなくて。

___あれはきっと、疲労でふらついていたんだ。


「? アンタ、大丈夫っスか?」
「い、糸鋸刑事さん……彼女、ナマエちゃんは、もう帰ったんですか?」

恐る恐るそう聞けば、糸鋸刑事さんは呆れたように。

「帰ってないっスよ。
……一人で捜査やら科学捜査の解析やらを全部やってるんスから、とても帰れる状況じゃないってナマエくんの上司も嘆いていたっスからね」
「!!」
「だから、今からジブンが夜食でも買いに行こうかと、」
「それ!!」
「うぎゃああ!?」

ぼくは糸鋸刑事さんに必死に詰め寄る。

「その役目、ぼくに譲ってください!お願いします!!」
「へ?……いいっスけど」

今月も厳しいっスからね、ジブン。と苦笑する糸鋸刑事さんに「ありがとうございます!」とぼくはお礼を言ってから、バイクに乗る。

バイクを走らせながら、ぼくは自分を叱り続けた。


(どうして、気づかなかったんだ。どうして、わからなかったんだ!)


ナマエちゃんという捜査官がどれほど真面目で、どれほど正しく実績を積んできたのか、理解していたはずなのに。

弁護士も検事も関係ない、ただ真実を追究するために仕事を全うする。

そんな彼女に共感して、尊敬して、頼っていたはずなのに。


(何が『信頼できる人』だ)


___その信頼を、先に疑って、裏切っていたのはぼくじゃないか。


こんなに自分に腹が立ったことなんか今までなかったんじゃないかと思うくらい、ぼくは怒っていた。

コンビニでナマエちゃんが食べそうなものを手あたり次第買い込んで、ぼくは彼女のいる部署に向かって。

ナマエちゃん!!」

ノックもしないで部屋に入ると……机に突っ伏しているナマエちゃんがいた。

その姿に、また顔が青褪めて、血の気が引いた。

ナマエちゃん!?大丈夫かい!?い、生きてる!?」
「………………んぅ?」

駆け寄って揺さぶるぼくを見たナマエちゃんに、ぼくは更に顔を青褪めた。

(目の下に隈がある……顔色も、こんなに悪い)

こんなにも、わかりやすくて。
『いつものぼく』だったら、彼女の異変をすぐに気づけただろうに。

「……ごめん」

ぼくは力なく、しゃがみ込みながら謝った。

「ごめんよ、ナマエちゃん。
……ホントに、ごめん」

何も気づかなくて、気づけなくて、ごめん。

そんな、同じような謝罪の言葉しか言えないぼくを、ナマエちゃんは。

「……?何に対して謝ってるのか、わかりませんけれど……」

ホントに、とても不思議そうにそう言ってきた。

そんなナマエちゃんにぼくは「だって」と言い訳をする。

「キミが、一人で捜査しているなんて、知らなかった。キミの顔色の変化だって、もっと早く気づけたはずなのに……」
「……牙琉検事が知らなくてもいいことですし、わたしの顔色に気づかなくても、どうということはないでしょう?」
「そんなことないよ。……大事なことだよ」
「……わたしは、出来ることをやっただけです。無理なことは、何もしていません。
牙琉検事のためにやっていることではないのだから、正しい裁判を行うための手段の一つとして、わたしはやっているのだから……」

ナマエちゃんは、静かにぼくを見据えて。

「だから、あなたのせいなんかでは、ないんですよ」
「………………、」

ぼくは息を呑む。

彼女の眼差しは、本当に静かで、綺麗で。


___こんなにも綺麗な彼女の瞳に、ぼくが映っていいのかな。


そんなことを、ぼんやりと思う。

そして、『ずっとこの瞳の中にぼくを閉じ込めて欲しい』って、バカみたいなことも思った。

「……どうして、ぼくの扱う案件の捜査は、一人でやろうとしているんだい?」

当たり前の、純粋な疑問だった。

そんなぼくの疑問に、彼女は大したことじゃないみたいに。

「だって、そうすれば……あなたはわたししか疑わずに済むでしょう」
「え……?」
「あなたが疑心暗鬼になる理由は知ってます。
証拠品や捜査報告を疑い続けたまま、裁判に臨むのは辛いものでしょう。だったら、疑うものを減らせば済む話でしょう。
だからわたしは、その〈唯一疑うもの〉になっただけ」
「……それが、理由なのかい?」

そんなの、そんなのって……

(結局それは、ぼくのためにしかならないじゃないか)

そんな風に、大したことないように言うけれど……ぼくにとっては充分すぎるほどに大した理由だった。

(……どこが『機械仕掛け』で、どこが『恐ろしい』って言うんだよ、アニキ)

ぼくは、心の中でアニキを嘲笑った。だって、おかしかったから。


こんなにも優しいのに、そんな自分の優しさすら理解していないような女の子に、ぼくは愛おしさしか感じられなかったから。
……そんな女の子を恐がっていたアニキが、笑ってしまうほど滑稽なモノのように思ったんだ。





そんなカンジで、ぼくの疑心暗鬼は解消された。

その日は、ぼくが買ってきた夜食のおにぎりやサンドウィッチをナマエちゃんは黙々と食べて、ついでにぼくも一緒にそれを食べて。

そしてぼくは、牙琉霧人こそがキミの捏造を仕立て上げようとした犯人だったと告白した。

彼女の反応がとても恐かったけれど……それでも誠実でいたいと思ったんだ。彼女がぼくに対してそうであったように。

ナマエちゃんはぼくの告白を聞いて。

「はい」

それだけ。

ぼくの悩みの種だった告白に対して、ナマエちゃんはそんなあっさりとした反応だった。
あまりに呆気なかったから、ぼくが戸惑ってるとナマエちゃんはあっさりとした調子で。

「知ってました。だから、驚くことじゃないです」
「え!?……知ってて、ぼくの扱う案件の捜査をしてたのかい?」
「はい」
「……どうして?」

ナマエちゃんはもぐもぐとサンドウィッチを食べ終えてから、

「あなたが牙琉響也という検事だからです。
……たとえあなたが牙琉霧人という弁護士の弟であっても、似ていたとしても、本人じゃないでしょう」
「!」
「身内が起こした行動に罪悪感を抱くのは、わかります。
……けれど、牙琉弁護士が犯した罪はあの人だけのモノです。
……たとえ身内であっても、あなたが奪っていいモノではないでしょう」


牙琉弁護士があなたの検事としての在り方を奪ってはいけないように。

あなたは、兄のした行為をあたかも自分の罪のように奪ってはいけないんですよ。


「…………そっか」

ぼくはもう一度、「そっか」と呟いて頷いた。

彼女の言葉で不思議と、そんな簡単に片づけられない感情だったモノが、大人しくなった気がした。

ずっと、ナマエちゃんに罪悪感を抱いていたけれど……ぼくの罪悪感は、彼女にとってはその程度のことで。

(ぼくは、アニキからそういうモノまで奪ってたのか)

そんな風に、ようやく気持ちに区切りをつけてくれた彼女の言葉は、ぼくにとっては大きかったんだ。


(……何だかんだ言って、あの時から本格的に好きになったんだよねぇ)


昔の記憶を遡って、ぼくは小さく笑う。

初めて会った時から気にはしていたけれど、夢中になったのはそんな理由だった。
……きっと彼女は、そんなぼくが自分を好きになるなんて思ってなかったのだろうけれど。

「……ナマエちゃんは優しくないわけじゃないし、人としての愛情がちゃんとあったよ、アニキ」

アンタは、わからなかっただけだ。知らなかっただけだよ。

アニキが言ってた通り、すごく綺麗な女の子だけれど。

でも、アンタが思ってるような女の子じゃなかったんだよ。

(もう、それを教える術は、ないけど)

だけど、出来ることなら教えてやりたかった。出来ることなら、昔みたいにケンカをしたかった。

『アニキはこんなにステキな、ぼくの好きな女の子を陥れようとしたんだぞ!』って怒って、文句を言いまくって。

そしたらアニキは、どんな反応をしただろう?

「…………きっと、ろくでもない反応しかしないんだろうなぁ」

そんな風にしか、思えなくなった。

『あの裁判』で、アニキは……弁護士として、そして兄としての権威が落ちてしまったから。

けれど。


『まあ、だからといって……あなたに牙琉弁護士という兄がいたという事実は変わりません。
……だからこそ、どんな想いであっても、あなたはたった一人のお兄さんを忘れなくてもいいと思いますよ』


アニキの罪を告白して、ぼくが帰ろうとしたら、ナマエちゃんはそんなことを言った。

忘れたいなら忘れればいいし、忘れられないなら忘れなければいいって、あっさりとした、単純なことのように言った。

それが、素っ気ないと他の人に思われる理由なんだと思ったけど……彼女はそれでいいと思った。

だからぼくは、多分まだアニキのことは忘れない。

忘れたいこともあるけれど、忘れなくても構わないことも多いから。


「……さてと!」

ぼくはいつものように、仕事に向かう。

自分の検事室に入って、仕事の確認をしていると。

「失礼します……捜査報告書、提出しに来ました」
「ああ、おはよう!ナマエちゃん。今日も可愛いね」

ぼくのいつもの挨拶に、ナマエちゃんは「……どうも」ってとりあえず応えてくれた。

少しは脈があってもいいのになぁって思いながらも、報告書と説明を受け取る。

そして。

「はい。今日もありがとう」
「……こちらこそ、いつも飴ちゃんありがとうございます」

ぼくがいつものように飴をあげると、ナマエちゃんは少しだけ目を輝かせる。
……あー、可愛いなぁ。ぼくのあげた飴で喜ぶナマエちゃん、ホントに可愛い。

「……あの」
「ん?何だい?」
「いつも、貰ってばかりなので……わたしも、何かあげたいと思うんですけれど……何がいいですか?」
「…………え!?」

僕は目を見開く。
ナマエちゃんが、ぼくに何かあげたいだって!?ていうことは、何かお礼がしたいってことか!?

「それは、物じゃなくてもいいのかな?」
「? はい。……あまり無理難題は叶えられませんけれど」
「じゃあ、あの、さ。

…………ぼくと、デート、してくれないかい?」

よし、言った!言えたぞ、ぼくは!

今まで何度も言えなくて、だけどずっと言いたかったことをようやく言えたぞ!

「……デート、ですか?」

そんな内心、荒れ狂ってるぼくの誘いに、ナマエちゃんはキョトンとしてる。

そして不思議そうに首を傾げて。

「………そういうの、宝月ちゃんに言いたいことなんじゃ?」
「違うからね!?ぼくはナマエちゃんとデートしたいし、そもそも刑事くんに恋愛感情はないし、ぼくが一途に好きなのは、っ!」
「……?『好きなのは』……?」
「っ、そ、それで?ぼくと、デートしてくれるかい?」

誤魔化すように髪を整えてながら訊くと、ナマエちゃんは「はあ」と特に気にせずに。

「……牙琉検事が、それをお礼代わりにしてくれるなら、わたしは特に断る理由はないです。
……わたしとデートして、嬉しいのかわかりませんけれど」
「嬉しいよ!」

ぼくはナマエちゃんの手を握って、必死に言い募る。

ナマエちゃんと会うだけで嬉しいし、話が出来たらラッキーだし!
デートだって、絶対楽しいものにしてみせるから!絶対、ナマエちゃんに『一緒に出掛けてよかった』って思わせてみせるよ!」

好きな女の子との、初めてのデートなんだ。
ぼくのプライドにかけて、絶対に満足させてみせようじゃないか!

そんな、ぼくの言葉にナマエちゃんは「……わかりました」って頷いてくれた。

そして自分の手を握る、ぼくの手をじっと見つめて。

「? どうかしたかい?」
「……触ったことがなかったので知りませんでしたけれど。
……牙琉検事の手は、結構ごつごつしてるんですね」
「え?まあ、ギターもやってるしね。
……カッコイイ手かな?」

ぼくが少し茶化すカンジでそう言えば。

「かっこいいとか、よくわかりませんけれど。
……そうですね」

ナマエちゃんは口元を緩めて、答える。

「いつも飴ちゃんをくれる手だから……優しい手だと思います」
「…………、……っあのね、ナマエちゃん?」

ぼくはにやつく口元を何とか堪えて、でも手は離さない状態で。

「そうやって、嬉しいことを言ってくれるのは、確かに可愛いんだけど。
……可愛すぎて困るから、抑え気味に出来るかい?」
「……?はあ……」
「と、とにかく!デート、楽しみにしてておくれよ。あ!行きたいところがあれば連れて行くよ?」

ぼくがそう尋ねれば、ナマエちゃんは「特に行きたい場所はないです」と言った。うん、それは予想してたよ。

「じゃあ、デートの計画が決まったら連絡するよ。期待してて?」
「……はい」

じゃあ、失礼します。とナマエちゃんは執務室から出て行った。

出て行くナマエちゃんに手を振り終えたぼくは。


「………………~~~っ、よし!!」

思わず、ガッツポーズをしてしまう。

ていうかホントに嬉しい!誰かに自慢したい!この喜びを歌にでもして奏でたいほどだ!!

(そうと決まれば仕事をちゃんと終わらせないとね!)

デートが楽しみすぎて仕事を疎かになんてできない。ぼく自身が許せないし、そもそもナマエちゃんがそんなぼくを好きになるはずがない。
彼女が好む人間は、いつも自分のやるべきことと出来ることを両立する人だけだから。



この日のぼくはとてもご機嫌で、そんなぼくと顔を合わせた夕神検事や一柳や、更には御剣局長までが同じことを言った。


…………どうした、気持ち悪いぞって。


常々思うけれど、どうして検事っていうのは辛辣なことを言えるんだろうね?

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