大事なこと
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「いやはや、色々あったけど……ユガミ検事の冤罪が晴れてよかったねぇ」
「そうですね!オレも、色々と勉強になりました!!」
「わたしも、今日はすっごく気持ちが晴れやかです!
………そのはずなんです、けど」
成歩堂弁護士軍団は、ちらりと同じ方向を向く。
………そこには、非常に苦々しく暗い表情の夕神迅が突っ立っている。
「……お姉さんが事件を起こしたことがショックなだけ、じゃないんだよな?」
王泥喜法介の言葉に希月心音は「あー」と月のイヤリングをいじりながら、
「多分、ナマエさんのことを気にしてるんだと思います。夕神さん、かぐやさんのことも気にしてると思いますけど……」
「ナマエさんって、確か……」
「成歩堂さんは知ってますよね?わたしがずっとお世話になっていた人で、わたしや成歩堂さんに夕神さんのことを頼んでいた人なんですから」
希月心音の言葉通りに、成歩堂龍一は心音の親戚である希月ナマエという女性を知っている。
成歩堂は御剣の頼みや自分たちの行いで法の暗黒時代というモノを生み出したことの責任ということもあったが、実際に彼女に依頼もされたことがあるのだ。
だからこそ、ナマエという女性の難解さも少しは理解している。
直感的なものだが、ああいう人は本気で怒らせると恐いのだと思っている。
そんなナマエを気にして、あの夕神迅という男があのような暗い表情になるのだから……あまりにも有力な証拠だなぁと成歩堂は思った。
(よく知らないけど、ユガミ検事、彼女にどれだけ頭が上がらないんだろう)
「ええと……オレもよく知らないけど。ユガミ検事とその、ナマエさんって……恋人同士なの?」
「いえ、ちゃんとした恋人ではないですよ。ていうか、ナマエさんに告白する直前に『あの事件』が起こったので」
「………めちゃくちゃにタイミングの悪い話だね」
「で、でも!成歩堂さんたちにユガミ検事のことを頼んできたくらいなんだから、まだ望みは」
「違うよ、オドロキ君」
成歩堂の冷静な声に法介は「え?」と首を傾げる。
「彼女はね、『ユガミ検事を弁護して欲しい』って頼んでない。
『正しい真実を追究して欲しい』。
……正確にはそう頼んだんだよ」
『心音だけでは、まだ不安なのです。ですから、あなたに夕神さんを正しく、真実を追究してもらいたいのですよ』
そう、ナマエが依頼したことはそういう内容だった。
夕神迅は希月心音を守るために尽力する。それは構わない。
けれどそれを理由に夕神検事としての矜持を疎かにすることは許せないのだと。
『わたしも、驚いているのですよー。自分の執念深さ、そしてしぶとさがこんなにあるなんて思わなかったのですよー』
ナマエはそう言って笑った。……完璧な愛想笑いだった。
彼女もまた、心音同様の能力でもってわかっていたのだ。夕神迅の無実を、冤罪を知っていた。
『わたしは夕神さんの恋人ではないのです。そんな、特別なものではないのですよ。
そういう大事なことを、あの人は言ってくれませんでしたからねぇ』
だからこそ。
『ですから、嫌われてもいいのですよ。……わたしの想いなんて、受け入れられなくて当然なのですもの』
そう言って笑った彼女は、愛想笑いではなく悲しそうだった。
『あの事件』は、見事なまでに二人の関係を歪ませたのだと痛感するほどに。
「……ココネちゃん」
成歩堂の呼びかけに「何ですか?」と心音は訊く。
「ナマエさんを呼び出すっていうのは、出来るかな?連絡先、知ってるだろう?」
「! あの二人の仲を取り持つんですね!?」
「出来るのかは、わからないけどね……」
歪みを正すというのは、本当に大変なことなのだとつい先程の『亡霊』の裁判で痛感したばかりだ。
だが、恐れていては何も進まないことも、よくわかっている。
「夕神さーん!ナマエさんに会いたくないですかー!?」
心音の呼び声に、夕神迅はあからさまにビク!と身体を強張らせた。
そして、ギギギ、と音が出てもおかしくないほどに強張った動きで振り向き。
「………月の字。おめえさんに思い出してもらいてェことがあるンだが」
「はい!何でしょう?」
「おめえさん、昔の俺とナマエのやり取り、覚えてるか?」
「はい、もちろんですよ!ナマエさん、夕神さんとよく、」
「俺が、一度でも、ナマエよりも言葉と心理操作を巧みに利用して、アイツを手玉に取れたこと、あったか?」
「…………………………………………」
心音は迅の質問に、険しい表情になっていく。
うんうん唸って、必死に記憶を洗い出していくが……
「…………成歩堂さん。まだわたしの記憶にサイコロックとか、かかってません?」
「…………かかってないね」
勾玉を握りながら、成歩堂は苦い表情で答える。
心音は「ううっ」と呻いて、
「…………わたし、夕神さんがナマエさんに勝ってる姿、一度も見てないですぅー!!」
「大声で言うンじゃねェよ!!………情けねェっていうのは、俺が一番わかってンだよ」
深くため息を落として、囚人生活の末、長くなった髪をぐしゃぐしゃと掻く。
「けど、今更……どのツラ下げて会っていいのかわからねェんだよ。家族でもねェ、恋人でもねェ男が……何様だってンだ」
「ユガミ検事……」
「泥の字の言いてェこともわかるぜ。
……生きてるヤツに会える幸運ってモンを、俺も理解できてンだよ」
「だったら!」
「それでも、だ。…………生きてる、会いに行けるヤツに拒絶されるのは、さすがの俺でも恐ェって思うンだよ」
そう言って、もう一度ため息を落とす。
(………会いたくねェかって言われれば、嘘になる)
けど、会って何をどうすればいい?
『ずっと会いたかった』と言うのか?
『ずっと好きだった』と言うのか?
…………今更?
(虫のいい話だ。……俺に会いに来たのだって一度きりで、それも、もしかしたら……俺のことを本気で嫌っていただけかもしれねェんだ)
何度も夢を見た。今となってはただ楽しく、幸せでしかなかった思い出を。
……気を許した人間だけをよく揶揄って、迅を『素敵だ』と揶揄っているかのように、わかりづらかったがとても慕ってくれた。
愛想笑いだけだったナマエという少女は、いつの間にか本当の笑顔を迅に向けるようになって。
そして、大人の年齢になって面会に訪れたナマエは……再び愛想笑いだけしか見せなかった。
愛想笑いどころか、冷笑で迅を散々追い立てた。『諦めることは許さない』と、言外に脅した。
それは、確かにナマエの優しさだったのだろうとは思う。
だが。
(………諦めなかった俺は、結局アイツにとってどんな立場にいられるのかわからねェ)
諦めることは許さない、諦めたら一生自分は孤独に生きるぞと好きな女に脅されたが……『その後』のことはわからない。
迅は、『その後彼女とどう接するのか』を考えるのを放棄していたのだから。
だから。
「あー!もう!!何でここで怖気づいてるんですか!」
「……心音」
憤慨した様子で心音はずんずんと迅に詰め寄り、
「今更って、そんなこと言ってたって夕神さんは内心ではナマエさんのこと、めちゃくちゃに気にしてるじゃないですか!」
「ぐ、」
「会いたいんでしょ!?伝えたいこと、あるんでしょ!?囚人時代からずっと閉じ込めてた気持ちが、夕神さんにはまだあるんでしょ!?」
「……っ」
心音のセリフに、それでも迅は視線を逸らす。
まだ踏ん切りのつかない迅に、心音は最終手段だと思い。
「はい、夕神さん!電話に出てください!」
「あ?」
「いいから耳に当ててください!」
突き出された携帯電話を、渋々と迅は耳に当てる。
そして。
『……心音?………ごめんなさい。一緒に帰ろうと思って頑張りましたけれど……無理みたいです』
「…………っ、」
電話の向こうから、涙ぐんだ、弱々しい声がぽつぽつと聞こえてきた。
『心音は、心音も、よく頑張ったって褒めてあげたいけれど……笑って、褒めてあげたいけれど……』
出来ないです。……今は、愛想笑いさえ、できないのです。
笑って、「夕神さんの冤罪が晴れてよかったね」って言ってあげたいけれど。
だめです。笑えないのです。
………こんな、泣き顔なんて、情けない顔で、会えないのですよ。
「____、」
茫然と、言葉を忘れたかのように迅が黙っていると。
『だから、先に……裁判所を出ることにします。……夕神さんには、うまいこと言っておいてくださいな』
ぶつり。とそうして通話が切れる。
瞬間。
「心音、ありがとよ。俺は急用が出来たンで行く」
「え、あ、はい!」
心音の携帯電話を放り投げるように返し、迅は走り出す。
__何で、
迅は歯噛みしながら視線を巡らせながら走る。
__何で、俺は大事な時に側にいてやれねェんだ。
(師匠が亡くなった時に、何で気づいてやれなかった?)
わかっていたはずだ。母親を失った心音だけじゃなく、理解者を失ったナマエだって傷ついていることがわかっていたはずだ。
なのに。
(バカヤロウだ。俺は本当に、救いようのないバカだ)
理解していてもどうにもできないだろうと、彼女のことを考えることを諦めていた。
考えれば、すぐに理解できただろうに。
迅にすぐ面会しに来なかったのは、『自分が傷ついているのを悟らせないため』だ。
きっと、余計な心配をさせないように、迅に脅しに似た発破をかけられるほどに回復した後に来ただけに過ぎなかったのだ。
一度きりの面会も、嫌いだからなどではなかった。
その理由はきっと、『会いに行けば抑制している感情が溢れるから』だ。
心が読めなくともわかるほどに、そして心理学を熟知している迅ならすぐに察することが出来るほどに。
だって、もしそうじゃなければ、あんな風に泣いてくれることはない。
得意な愛想笑いが出来ないほどに、感情を制御できないなんて、今までなかったのだから。
裁判所を出て、すぐに聞こえた『足音』に迅はそちらのほうへ駆け出した。
からんころん。からんころん。と聞き慣れた下駄の音に。
「…………っ、ナマエ……!」
見慣れた和服姿。
ずっと夢にまで見ていた少女でも通るような、小柄な身体を思わず逃がさないように抱え上げた。
抱え上げた彼女は、とても驚いた表情をしていて……しかし、ずっと溢れていたほろりと涙が零れて、迅の頬を濡らした。
(……ああ、なんだァ)
迅は目を細める。
女の泣き顔が好き、なんて思ったことはなかった。ずっと、自分は好きな女の笑顔が一番好きなのだと思っていた。
けれど、自分のために泣いてくれる涙の、何ていじらしくて美しいことか。
「……そういう、情けねェツラを見せンなよ」
迅は、なるべく優しい声で。
「そういうツラを他所の男が見たら、隙があると思って寄ってきやがるだろうが」
「……っだから、寄ってきたのですか?」
そう言って、不服そうに睨むナマエに迅は笑う。
「へっ!違ェよ。……おめえさんだからに決まってンだろうが」
コツン、と額を合わせて迅は穏やかに語る。
「……ずっと、大事なことを言えなくて悪かったなァ。
…………好きだ、ナマエ」
ひくり、とナマエの肩が震える。
それを宥めるように抱き寄せながら、
「ずっと、おめえさんが好きだったンだよ。昔も今も、ずっとだ。
……だからずっと会いたかったし、ずっと、おめえさんが想ってくれたことが……悪いと思いつつも嬉しかったンだよ」
「……ほんとう、ですか?」
「おめえさんに嘘を言っても意味ねェし、嘘でこんなこと言わねェさ。わかり切ったこと、聞くンじゃねェ」
「…………大事なことは、口に出すものなのでしょう?」
昔、自分が言ったことを律儀に覚えてくれたらしいナマエに、迅は一瞬目を見張って、そしておかしそうに笑った。
「そうだなァ……俺が言いだしたことだったなァ。そんじゃァ、何度でも申し立ててやらァ。
ずっと、俺を好きでいてくれてありがとよ。
だから、諦めなかった俺にご褒美として……これからもおめえさんの心、分けてくれねェかい?」
迅の言葉に、ナマエは目を伏せる。そうしてまたほろりと涙が溢れるのを、迅は唇で吸ってやる。
すると。
「……あなたは、本当に……自分の魅力がわかってないのです」
「そうかい」
「そんなあなたには、もっと……他に素敵な方が相応しいのですよ」
「俺はそうは思わねェな。つーか、俺はおめえさんがいいンだよ」
「……趣味が悪いです」
「はっはっは!おめえさんに言われたくねェな、それは!」
珍しく弱気な物言いを笑い飛ばしてやる。
そんな迅を、ナマエは一度だけ頭をぺしりと叩いた。そしてぎゅう、と首に縋り付くように抱き着く。
「……本当に、趣味が悪いのですよ。どうして、わたしが泣いているのに笑っているのです?」
「さてなァ?おめえさんの涙も、何もかもが俺には綺麗なモンにしか映らねェのさ。
……綺麗なモンを愛でる感性くらいは、俺にも持ち合わせがあるンでな」
「……だったら、責任を取れる甲斐性も欲しいのですよ」
こんなにも、あなたを好きになってしまったわたしを、どうにかしてくださいな。
そう、囁かれて。
「……一生、償ってやるさ」
こんな男で良ければなァ。と迅は笑う。
あなたがいいのです。とナマエはようやく『笑った』。
ようやく告げることが出来た『大事なこと』は、7年かけて二人の間で繋がることができたのだった。
「そうですね!オレも、色々と勉強になりました!!」
「わたしも、今日はすっごく気持ちが晴れやかです!
………そのはずなんです、けど」
成歩堂弁護士軍団は、ちらりと同じ方向を向く。
………そこには、非常に苦々しく暗い表情の夕神迅が突っ立っている。
「……お姉さんが事件を起こしたことがショックなだけ、じゃないんだよな?」
王泥喜法介の言葉に希月心音は「あー」と月のイヤリングをいじりながら、
「多分、ナマエさんのことを気にしてるんだと思います。夕神さん、かぐやさんのことも気にしてると思いますけど……」
「ナマエさんって、確か……」
「成歩堂さんは知ってますよね?わたしがずっとお世話になっていた人で、わたしや成歩堂さんに夕神さんのことを頼んでいた人なんですから」
希月心音の言葉通りに、成歩堂龍一は心音の親戚である希月ナマエという女性を知っている。
成歩堂は御剣の頼みや自分たちの行いで法の暗黒時代というモノを生み出したことの責任ということもあったが、実際に彼女に依頼もされたことがあるのだ。
だからこそ、ナマエという女性の難解さも少しは理解している。
直感的なものだが、ああいう人は本気で怒らせると恐いのだと思っている。
そんなナマエを気にして、あの夕神迅という男があのような暗い表情になるのだから……あまりにも有力な証拠だなぁと成歩堂は思った。
(よく知らないけど、ユガミ検事、彼女にどれだけ頭が上がらないんだろう)
「ええと……オレもよく知らないけど。ユガミ検事とその、ナマエさんって……恋人同士なの?」
「いえ、ちゃんとした恋人ではないですよ。ていうか、ナマエさんに告白する直前に『あの事件』が起こったので」
「………めちゃくちゃにタイミングの悪い話だね」
「で、でも!成歩堂さんたちにユガミ検事のことを頼んできたくらいなんだから、まだ望みは」
「違うよ、オドロキ君」
成歩堂の冷静な声に法介は「え?」と首を傾げる。
「彼女はね、『ユガミ検事を弁護して欲しい』って頼んでない。
『正しい真実を追究して欲しい』。
……正確にはそう頼んだんだよ」
『心音だけでは、まだ不安なのです。ですから、あなたに夕神さんを正しく、真実を追究してもらいたいのですよ』
そう、ナマエが依頼したことはそういう内容だった。
夕神迅は希月心音を守るために尽力する。それは構わない。
けれどそれを理由に夕神検事としての矜持を疎かにすることは許せないのだと。
『わたしも、驚いているのですよー。自分の執念深さ、そしてしぶとさがこんなにあるなんて思わなかったのですよー』
ナマエはそう言って笑った。……完璧な愛想笑いだった。
彼女もまた、心音同様の能力でもってわかっていたのだ。夕神迅の無実を、冤罪を知っていた。
『わたしは夕神さんの恋人ではないのです。そんな、特別なものではないのですよ。
そういう大事なことを、あの人は言ってくれませんでしたからねぇ』
だからこそ。
『ですから、嫌われてもいいのですよ。……わたしの想いなんて、受け入れられなくて当然なのですもの』
そう言って笑った彼女は、愛想笑いではなく悲しそうだった。
『あの事件』は、見事なまでに二人の関係を歪ませたのだと痛感するほどに。
「……ココネちゃん」
成歩堂の呼びかけに「何ですか?」と心音は訊く。
「ナマエさんを呼び出すっていうのは、出来るかな?連絡先、知ってるだろう?」
「! あの二人の仲を取り持つんですね!?」
「出来るのかは、わからないけどね……」
歪みを正すというのは、本当に大変なことなのだとつい先程の『亡霊』の裁判で痛感したばかりだ。
だが、恐れていては何も進まないことも、よくわかっている。
「夕神さーん!ナマエさんに会いたくないですかー!?」
心音の呼び声に、夕神迅はあからさまにビク!と身体を強張らせた。
そして、ギギギ、と音が出てもおかしくないほどに強張った動きで振り向き。
「………月の字。おめえさんに思い出してもらいてェことがあるンだが」
「はい!何でしょう?」
「おめえさん、昔の俺とナマエのやり取り、覚えてるか?」
「はい、もちろんですよ!ナマエさん、夕神さんとよく、」
「俺が、一度でも、ナマエよりも言葉と心理操作を巧みに利用して、アイツを手玉に取れたこと、あったか?」
「…………………………………………」
心音は迅の質問に、険しい表情になっていく。
うんうん唸って、必死に記憶を洗い出していくが……
「…………成歩堂さん。まだわたしの記憶にサイコロックとか、かかってません?」
「…………かかってないね」
勾玉を握りながら、成歩堂は苦い表情で答える。
心音は「ううっ」と呻いて、
「…………わたし、夕神さんがナマエさんに勝ってる姿、一度も見てないですぅー!!」
「大声で言うンじゃねェよ!!………情けねェっていうのは、俺が一番わかってンだよ」
深くため息を落として、囚人生活の末、長くなった髪をぐしゃぐしゃと掻く。
「けど、今更……どのツラ下げて会っていいのかわからねェんだよ。家族でもねェ、恋人でもねェ男が……何様だってンだ」
「ユガミ検事……」
「泥の字の言いてェこともわかるぜ。
……生きてるヤツに会える幸運ってモンを、俺も理解できてンだよ」
「だったら!」
「それでも、だ。…………生きてる、会いに行けるヤツに拒絶されるのは、さすがの俺でも恐ェって思うンだよ」
そう言って、もう一度ため息を落とす。
(………会いたくねェかって言われれば、嘘になる)
けど、会って何をどうすればいい?
『ずっと会いたかった』と言うのか?
『ずっと好きだった』と言うのか?
…………今更?
(虫のいい話だ。……俺に会いに来たのだって一度きりで、それも、もしかしたら……俺のことを本気で嫌っていただけかもしれねェんだ)
何度も夢を見た。今となってはただ楽しく、幸せでしかなかった思い出を。
……気を許した人間だけをよく揶揄って、迅を『素敵だ』と揶揄っているかのように、わかりづらかったがとても慕ってくれた。
愛想笑いだけだったナマエという少女は、いつの間にか本当の笑顔を迅に向けるようになって。
そして、大人の年齢になって面会に訪れたナマエは……再び愛想笑いだけしか見せなかった。
愛想笑いどころか、冷笑で迅を散々追い立てた。『諦めることは許さない』と、言外に脅した。
それは、確かにナマエの優しさだったのだろうとは思う。
だが。
(………諦めなかった俺は、結局アイツにとってどんな立場にいられるのかわからねェ)
諦めることは許さない、諦めたら一生自分は孤独に生きるぞと好きな女に脅されたが……『その後』のことはわからない。
迅は、『その後彼女とどう接するのか』を考えるのを放棄していたのだから。
だから。
「あー!もう!!何でここで怖気づいてるんですか!」
「……心音」
憤慨した様子で心音はずんずんと迅に詰め寄り、
「今更って、そんなこと言ってたって夕神さんは内心ではナマエさんのこと、めちゃくちゃに気にしてるじゃないですか!」
「ぐ、」
「会いたいんでしょ!?伝えたいこと、あるんでしょ!?囚人時代からずっと閉じ込めてた気持ちが、夕神さんにはまだあるんでしょ!?」
「……っ」
心音のセリフに、それでも迅は視線を逸らす。
まだ踏ん切りのつかない迅に、心音は最終手段だと思い。
「はい、夕神さん!電話に出てください!」
「あ?」
「いいから耳に当ててください!」
突き出された携帯電話を、渋々と迅は耳に当てる。
そして。
『……心音?………ごめんなさい。一緒に帰ろうと思って頑張りましたけれど……無理みたいです』
「…………っ、」
電話の向こうから、涙ぐんだ、弱々しい声がぽつぽつと聞こえてきた。
『心音は、心音も、よく頑張ったって褒めてあげたいけれど……笑って、褒めてあげたいけれど……』
出来ないです。……今は、愛想笑いさえ、できないのです。
笑って、「夕神さんの冤罪が晴れてよかったね」って言ってあげたいけれど。
だめです。笑えないのです。
………こんな、泣き顔なんて、情けない顔で、会えないのですよ。
「____、」
茫然と、言葉を忘れたかのように迅が黙っていると。
『だから、先に……裁判所を出ることにします。……夕神さんには、うまいこと言っておいてくださいな』
ぶつり。とそうして通話が切れる。
瞬間。
「心音、ありがとよ。俺は急用が出来たンで行く」
「え、あ、はい!」
心音の携帯電話を放り投げるように返し、迅は走り出す。
__何で、
迅は歯噛みしながら視線を巡らせながら走る。
__何で、俺は大事な時に側にいてやれねェんだ。
(師匠が亡くなった時に、何で気づいてやれなかった?)
わかっていたはずだ。母親を失った心音だけじゃなく、理解者を失ったナマエだって傷ついていることがわかっていたはずだ。
なのに。
(バカヤロウだ。俺は本当に、救いようのないバカだ)
理解していてもどうにもできないだろうと、彼女のことを考えることを諦めていた。
考えれば、すぐに理解できただろうに。
迅にすぐ面会しに来なかったのは、『自分が傷ついているのを悟らせないため』だ。
きっと、余計な心配をさせないように、迅に脅しに似た発破をかけられるほどに回復した後に来ただけに過ぎなかったのだ。
一度きりの面会も、嫌いだからなどではなかった。
その理由はきっと、『会いに行けば抑制している感情が溢れるから』だ。
心が読めなくともわかるほどに、そして心理学を熟知している迅ならすぐに察することが出来るほどに。
だって、もしそうじゃなければ、あんな風に泣いてくれることはない。
得意な愛想笑いが出来ないほどに、感情を制御できないなんて、今までなかったのだから。
裁判所を出て、すぐに聞こえた『足音』に迅はそちらのほうへ駆け出した。
からんころん。からんころん。と聞き慣れた下駄の音に。
「…………っ、ナマエ……!」
見慣れた和服姿。
ずっと夢にまで見ていた少女でも通るような、小柄な身体を思わず逃がさないように抱え上げた。
抱え上げた彼女は、とても驚いた表情をしていて……しかし、ずっと溢れていたほろりと涙が零れて、迅の頬を濡らした。
(……ああ、なんだァ)
迅は目を細める。
女の泣き顔が好き、なんて思ったことはなかった。ずっと、自分は好きな女の笑顔が一番好きなのだと思っていた。
けれど、自分のために泣いてくれる涙の、何ていじらしくて美しいことか。
「……そういう、情けねェツラを見せンなよ」
迅は、なるべく優しい声で。
「そういうツラを他所の男が見たら、隙があると思って寄ってきやがるだろうが」
「……っだから、寄ってきたのですか?」
そう言って、不服そうに睨むナマエに迅は笑う。
「へっ!違ェよ。……おめえさんだからに決まってンだろうが」
コツン、と額を合わせて迅は穏やかに語る。
「……ずっと、大事なことを言えなくて悪かったなァ。
…………好きだ、ナマエ」
ひくり、とナマエの肩が震える。
それを宥めるように抱き寄せながら、
「ずっと、おめえさんが好きだったンだよ。昔も今も、ずっとだ。
……だからずっと会いたかったし、ずっと、おめえさんが想ってくれたことが……悪いと思いつつも嬉しかったンだよ」
「……ほんとう、ですか?」
「おめえさんに嘘を言っても意味ねェし、嘘でこんなこと言わねェさ。わかり切ったこと、聞くンじゃねェ」
「…………大事なことは、口に出すものなのでしょう?」
昔、自分が言ったことを律儀に覚えてくれたらしいナマエに、迅は一瞬目を見張って、そしておかしそうに笑った。
「そうだなァ……俺が言いだしたことだったなァ。そんじゃァ、何度でも申し立ててやらァ。
ずっと、俺を好きでいてくれてありがとよ。
だから、諦めなかった俺にご褒美として……これからもおめえさんの心、分けてくれねェかい?」
迅の言葉に、ナマエは目を伏せる。そうしてまたほろりと涙が溢れるのを、迅は唇で吸ってやる。
すると。
「……あなたは、本当に……自分の魅力がわかってないのです」
「そうかい」
「そんなあなたには、もっと……他に素敵な方が相応しいのですよ」
「俺はそうは思わねェな。つーか、俺はおめえさんがいいンだよ」
「……趣味が悪いです」
「はっはっは!おめえさんに言われたくねェな、それは!」
珍しく弱気な物言いを笑い飛ばしてやる。
そんな迅を、ナマエは一度だけ頭をぺしりと叩いた。そしてぎゅう、と首に縋り付くように抱き着く。
「……本当に、趣味が悪いのですよ。どうして、わたしが泣いているのに笑っているのです?」
「さてなァ?おめえさんの涙も、何もかもが俺には綺麗なモンにしか映らねェのさ。
……綺麗なモンを愛でる感性くらいは、俺にも持ち合わせがあるンでな」
「……だったら、責任を取れる甲斐性も欲しいのですよ」
こんなにも、あなたを好きになってしまったわたしを、どうにかしてくださいな。
そう、囁かれて。
「……一生、償ってやるさ」
こんな男で良ければなァ。と迅は笑う。
あなたがいいのです。とナマエはようやく『笑った』。
ようやく告げることが出来た『大事なこと』は、7年かけて二人の間で繋がることができたのだった。
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