ナマエが母親について聞いたのは、父親があまりにも自由すぎる、出世と権威を第一に考える人間だったからである。

答えは使用人の中で最も長く仕えてくれているお婆さんで、ナマエが一番信頼していた人物だった。

「ナマエさまのお母様は不思議な体質の方で、魔法に秀でていた方としかばあやは聞いておりませんですねぇ」
「魔法使いだったの？わたしの母さまは」
「旦那さまの一目惚れと、ばあやは聞いておりますよ。……まあ、旦那さまの一目惚れは結構多いもんで、大半の奥方さまは別居状態でしたが……ナマエさまのお母様は病死でございましたねぇ」
「ふぅん……なんか安心した」

あの父親との繋がりは娘であるナマエでさえ絶っておきたいものだから、母がそういう形で別れているのなら妙な安堵がある。きっと父親の嫌な部分を多く見ないまま亡くなったのなら、絶望せずに済んだのだろう、と。

（……でも、あの家とこの侍女としての世界も大差がないようだ）

「あなた、誰の侍女なの？」
「わたくし、名家の出身なのにどうしてこんな仕事をしなくてはいけないのかしら？」

陰では変な意地と文句を言うお嬢様、そして奴隷として売られてきた少女との確執が生まれてきている侍女の世界。

正直、関わりたくないのでナマエは必然的に無口だった。無口でやるべき仕事を覚え、淡々と仕事をする姿を侍女頭は「見習いなさい！」と他の侍女に言うため、ナマエは良いお手本として見られる羽目になった。

「……失礼いたします、お召し物をお運びいたしました」

ちなみに。

ナマエの主は今日も朝まで仕事をしていたようで、机に突っ伏して眠っていた。

「紅明さま。……失礼いたします」

とりあえずナマエは紅明のぐしゃぐしゃになった髪を梳かす作業を始める。髪を触ってから、どうやら風呂には入ったらしいということを確認して、手入れをしていく。そうして髪を触っているうちに、「うう」と呻き声を出しながら紅明は眼を覚ます。

「おはようございます、紅明さま」
「ああ……うう、おはよう、ございます、ナマエ……もう朝なんですね、どうりで眠いわけです」
「はい。紅明さまは昨日もお仕事を頑張っておられましたようで、心配ですね」
「うう、そんなに睨まないでください……ただでさえ、朝は眩しくて苦手なのに」

そう言って顔を両手で隠す紅明。そんな紅明の髪型をきちんと完成させたナマエはてきぱきと紅明の上着を片付ける。

「お召し物はこちらに置いておきます。着替え終わったらお呼びくださいね？」
「はぁい……」
「……二度寝はだめですよ。そうなったら困るのは紅明さまですからね」
「わかってますよー……お願いですから兄王さま呼ばないでくださいね、ほんと恐いんですよ、あの人」
「わたしだって恐かったですよ、朝いきなり扉ぶち壊しに来ましたからね」

遠い眼をしてその時を思い出すナマエはぶるっと震える。ちなみに原因は紅明の寝坊である。

その惨状は……朝から紅炎は元気なお人だった。と、だけ言っておこう。









「いってらっしゃいませ、紅明さま」

きちんと一礼して見送るナマエに紅明は「いってきます」と返して、部屋を後にする。それが紅明の一日の始まりだ。

（……今朝の食事は、食べやすかったなぁ。またナマエが配慮してくれたのでしょうか？）

基本的に紅明は朝に食事はしないタイプだったが、ナマエが侍女になってからはきちんとした食事ができるようになっていた。しかも味の好みもいつのまにか把握されており、今朝の食事は美味しくいただけた。

（我ながら、良い侍女を見つけられました……）

紅明は羽扇で口元を隠す。

紅明の頬は緩んでいた。