恋人らしく
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ナマエさんに、未だかつてないほどに避けられている……
ナユタはため息をついて執務室に篭る。
撮影を終えたナマエが倒れ、しかし大したことはないというので安心したのもつかの間。それ以来だ、ナユタがナマエに避けられるようになったのは。
(会話は、できている。修正不可能なほどに嫌われては、いない……恐らく)
ただ、ナユタと会うと苦しそうで辛そうで、視線が合うことがない。
どこか具合が悪いのか、理由を探ろうとしても会話はすぐに切り上げられ、まともに顔を見る機会も極端に減ったものだから、彼が得られる情報は少ない。
(撮影を見に行くことを黙っていたから、怒っている?……いえ、ならばナマエさんは直接仰るでしょうし)
執務の合間に取っていた、休憩を兼ねたナマエとのお茶会も、今はない。たかが、たったそれだけが、ナユタの精神を抉る。
けれど増えていく仕事はそれを察してくれるわけでもなく、ナユタも無理やりナマエを問い詰める気にはなれない。
まだ特別に心許されていないというのに、そんなナマエの心を無理に暴くほどの傲慢を、何故抱けるというのだ。
「…………龍は、屈せず……」
椅子に背をもたれ、父の信念である言葉を拠り所にするように呟く。
ナマエへ、優しくひたむきな心を尽くす。それが、嫌になったわけでは決してない。
ただ、色恋に関して耐性がないせいで初めて恋をした彼女に避けられるということが、ナユタの精神を思ったよりも辛い疲労として感じさせていることもまた事実である。
(……母上は、ナマエさんの味方ですし。レイファは、……正直、相談できる相手として不足しておりますし)
「……これ以上悩む前に、仕事を終わらせるべきでしょうね」
ナユタはそう呟いて、もう一度姿勢を正し、机に向かう。
やるべきことをやって、そして諦めずにナマエに向き合おう。彼女をこんなところまで呼んだのだから、今更臆しても仕方がないのだとナユタは早く終わらせるべく、仕事に励むことにした。
「会話が続けられない?どうして?」
王泥喜法律事務所にて。
王泥喜法介は仕事の合間に紅茶を差し入れてくれたナマエの相談を受けていた。
ナマエは硬いソファーに膝を抱え込むようにして座っており、気まずそうに頷いた。
「ナユタさんと話すの、つらい。まともに、顔も見れないんです……」
「……何かあったの?ていうか、あいつが何かした?」
「……仕事の後、少し話をして……それから、自分でもよくわからない症状が……」
「??具合、悪いの?」
「……精神的には、そうかもしれません」
「ふうん……ナユタが嫌いになったの?なら、日本に帰っていいんじゃない?」
「ちょっと、あんたはどうしてそう…わからないのかしらねぇ」
「??茜さん、わかるんですか?」
偶然、事務所を訪れていた宝月茜はナマエの紅茶を頂きながら、深々とため息をついた。
「ナマエちゃんは別にナユタ検事が嫌いだから、そういう態度をとってるつもりじゃないんでしょ?」
「は、はい……」
「そういう態度をとってること自体申し訳なくて、で、自分でも理由がわからないからナユタ検事に説明のしようがない。……違う?」
「あ、合ってます…」
「そこまでの気遣いができて、意外と答えがわからないもんなのねぇ……
……ナマエちゃん、恋愛小説とか読まないタイプでしょ?」
「………興味がなかったので…」
「あー……まあ、ナマエちゃん、どっちかって言ったらヒーローものとかのほうが詳しいわよねぇ…好きなの?ヒーロー」
かりんとうをサクサクと食べながら茜が訊くと、ナマエは少し楽しそうに目を輝かせて。
「真宵さんとか、成歩堂さんが教えてくれて……ヒーローには、けっこう憧れますね。
……わたしにとって、ヒーローはお養父さんだったから、そう呼ぶと、嬉しそうにしてくれて、わたしも好きで」
「で、白馬の王子様よりもヒーローに会いたい、と。
……ナユタ検事、苦労するわねぇ」
「茜さんは、ナマエちゃんの症状が理解できるんですか?」
「……まあ、非科学的な根拠だけどね。こういう心理的なことは心音ちゃんのほうが向いてると思うけど」
「…………」
「??どうしたの、ナマエちゃん?」
「あ、いえ……わかってしまう宝月刑事がすごいなぁ、って思って」
ナマエは物憂げに小さく息を落とす。
そして、ぽつりと呟く。
「……、よかったのに」
「え?」
「……ナユタさん、……宝月刑事を好きになればよかったのに」
「………………………聞き捨てなりませんね」
低い、背筋が凍るような声色が、事務所の入り口で呟かれた。
その声に肩を震わせ、法介がそぅっと視線を向ければ……そこには剣呑な様子のナユタが立っていた。
法介は驚きすぎて紅茶を零しそうになり、茜は言葉を失って声を出すこともできず。
ナマエはといえば。
「………あ、…な、んで……ここ、」
視線を泳がせ、慌ててソファーから降りようとしたところを、それを掬い上げるように伸びたナユタの腕によって抱き上げられる。
「っ、な、ゆた、さ……っ?」
「宝月刑事、余計なことは言わないようにしなさい。ホースケ、今後ナマエさんがこちらに来たら必ず連絡するようにしなさい」
「は……はぃ」
「……お、おぉ」
「では失礼いたします。また、法廷でお会いしましょう」
それだけ言うとナユタはそのままナマエを連れて、出ていく。
それを見て、茜は深くため息をついた。
「あーあ…いわんこっちゃない」
「え?」
「あんたもデリカシーがないけど、ナマエちゃんも大概よねー。
……あれは、禁句でしょうに」
「……そんなに変なこと、言ってましたっけ?ナマエちゃんはただ茜さんを褒めたんでしょう?」
「そうでしょうねー、少なくともナマエちゃんはそうだろうけど。あれを言われた側のナユタ検事は……ちょっと同情しちゃうかも」
「???」
いまいちわかっていない法介を置き去りに、茜は紅茶を飲みなおす。ナユタが発した冷気のような威圧の影響で、紅茶の温度も温くなっているような気がして、もう一度ため息をついた。
たった一言、ナマエが言ったその言葉は、疲労していたナユタの心を揺さぶるのに充分だった。
『宝月刑事を好きになればよかったのに』。
このような、こんな言葉がナマエの口から出てくるということは、自分の気持ちが全然うまく伝わっていなかったという証拠だとナユタは歯噛みする。
気持ちを伝えきれなかった自分に腹が立つ。しかし、気持ちを理解できていなかった彼女に対しても、彼は苛立っていた。
早急に宮殿内の、ナユタの自室に向かう最中、ナマエは彼から必死に距離を取ろうと、離れようと試みている。
しかし今のナユタが逃すわけがない。絶対に離すものかとさらに力を入れて抱き込んで見せる。
自室に入り、多忙のためあまり使い込まれていない、しかし座り心地の良いソファーに深く座り込む。
……ナマエを抱きしめたままなので、ナユタの膝の上に彼女が横座りする体勢になる。
「………」
視線を下すとナマエの目が合い、しかしすぐに逸らされた。
ナユタはそれが不満で、彼女の顎を指で掬い上げて無理やり視線を合わせた。
「何故、私と視線すら合わせて下さらないのですか?」
「……、」
「……私とは視線を合わすことも、会話すら不愉快ですか?」
「っ、ち、違い、ます…!」
「では理由を述べて下さいませ。……今回ばかりは、伝えて下さらなければ、私もあなたの気持ちがわからないのですよ」
「………ふ、不愉快、とかじゃ、なくて…り、理由、理由は……わたしも、答えが、でてなくて……」
ナユタはじっと自分の膝の上に拘束しているナマエを見つめる。
「か、身体、が……感情が、うまく、……扱えて、なくて…どうしたらいいのか、わからなくて……」
ナユタの目を見つめながら、ナマエは顔を赤く染める。しかし声は震えて、身体中が緊張で強張る。そしてその目は、若干潤んでいた。
「ほ、ほんとは…前は普通に、できたのに……ナユタさんが、話しかけてくれて、……笑いかけてくれて、……楽しかったのに、……今は、胸が、ぎゅうって、苦しくて……」
「………、…………?」
「直接、合わせられないのに…顔を見たら、ほっとして……でも、ナユタさんが…前より、綺麗で、キラキラしてて……近くにいると、心臓が、うるさくて…」
「……ナマエさん?」
「え?」
「今も……そうなのでしょうか?」
「……今は、ナユタさん、怒ってるの、初めて見たので………なんでそんなに怒ってるのか、理由もわからなくて……わたしの、不調の原因がわからないことも含めて、こわい、です」
「………申し訳ございません。大人げないことを致しました」
ナユタは察した。
……色々と、ナマエ自身気づけていないことも本人よりも先に気づいた。
だから、いきなり謝り出したナユタに彼女は不思議そうだった。
「……??で、でも、わたしが、何かやったから…ナユタさんは、」
「そうですね。ですが、これはお互い様、ということなのでございましょう」
はぁー、と深くため息をついたナユタはそこでナマエと視線を外して、俯いた。
ナマエは恋心に憧れがない。興味を抱いたこともない。
そしてそれは、見方を変えれば、『恋を知らない』ということである。
体験したことのないそれに、ナマエは心の底から理解できないのだ。いや、理解したくもなくて、知ろうともしていなかった。
だから今、自分の感情の変化を持て余している。そして、それを本当に認めることができるのはナマエ自身で、他人に教えられてもなかなか納得するのは難しいだろう。
……ナユタだって、そうだったのだから。
「もっと、早く話し合うべきでしたね…」
「???」
「まあ、手遅れになる前に私が気づけたのは僥倖でございましたがね」
「…ておくれ?」
「それよりもナマエさん。……私といると、緊張いたしますか?」
「……はい」
「顔を合わせて、視線が合うと胸が高鳴りますか?」
「……はい」
「…それは、私も同じでございますよ。ナマエさん」
「え、」
「私も当初、恋心を抱いていたあなたに会うと緊張で手が震えましたし。実際に顔をご覧になって、あなたが私を見つめるたびに胸の鼓動は早まってしまい、勘づかれないよう努力いたしました。
……実際、あなたは気づいておられなかったでしょう?」
「……はい。いつも穏やかで、余裕のある人だと思ってました」
「そう見せていただけです。あなたに嫌われたくなくて、あなたに少しでも好感を抱いていただけるようにと……平静を保っていただけなのです。
ナマエさんは、『男』にあまり良い印象を抱かれませんが、『良い大人』ならば警戒心なく接してくださると判断いたしましたので」
「……そう、ですね」
「ですが、ナマエさん。私はあなたに『良い大人』ではなく、『男』として見ていただきたいのですよ」
「……」
「もちろん、良い意味で、でございますよ。あなたが男嫌いにまで至った経緯は、私も多少は存じております。勝手ながら、調べさせていただきましたので。
……ですから、あなたに過去を忘れろとも、すべての男を許せとも申し上げません。ただ、」
ナユタはナマエの手を自分の胸に引き寄せる。
……彼女を想い、速く高鳴る鼓動が、わかるように。
「私だけは、信じていただけないでしょうか?あなたを愛する男として、許して下さりませんでしょうか?」
「……ナユタさんだけ?」
「ええ。とりあえず今はそれだけで宜しいでしょう。日常生活で他の男性と接する機会はあるでしょうが、本当に心を許す男は私だけでいいのです。
……本来、男嫌いのあなたがここまで心の成長をして下さったのは喜ばしいことですから」
「成長、ですか?」
「私と同じ感情を抱いているのでしょう?でしたらそれはナマエさんの中で、私に対する気持ちが成長したということです。
……私にとって喜ばずにはいられない、『恋心の芽生え』という変化なのですよ」
ナマエは「恋心…」と茫然とした様子で呟く。
そして胸元を手でぎゅう、と抑え込むような仕草をしながら。
「ナユタさんは……ずっと、こんな、病気みたいな症状を持っていられたんですか?」
「ええ、そうですね」
「……恐く、ありませんでしたか?」
純粋な疑問を口にするナマエに、ナユタは優しく微笑む。
「……クライン王国がまだ革命を果たしたばかりの時に、私が何故日本に通ったか。ナマエさんは知っておりますね?」
「……いきなり、婚約者になってほしいって、ナユタさんに言われましたね」
「ええ。……内心、ずっと緊張するばかりでございました。突然そのような懇願をされても、あなたは困るだろうとわかっておりました。
ですが……少し目を離したらどこかでまた倒れるのだろうか、泣いていないだろうか。誰か、私以外の人間に絆されていないだろうか。
時間が、居場所が離れれば離れるほどにそんな不安がいつだって、頭の中で居座るのです。
ですから婚約者の肩書を欲したのは、こんな離れた国にわざわざ呼んだのは、恋い慕うあなたの側にいたいという想いの優先と、その不安を少しでも減らせると思ったからです」
「………」
「そんな私に立派な大人の余裕など、ないのですよ。愚かにも、恋を認めない時もございましたし、あなたを忘れて過ごすという道を考えなかったわけではありません。
それでも、私は諦めの悪い男なのです。ですから、あなたを迎えに行ったのですよ」
ナユタは「私も案外、大人げないのです」と苦笑する。
「婚約者という肩書が、あなたにとって枷でしかないともわかっておりました。それでも、もしかしたらあなたが私を通じて何か感じ取れるものがあるかもしれないと無理やり希望を抱いて、あくまで『優しい大人』として接して参りましたが……
……ずっと、私はあなたを失うのがただ恐ろしくて、不安ばかりが先立ってしまう。
今回も、そうです。あなたに避けられて不安があったとはいえ、あなたとろくに話もしないで身勝手に苛立ちました。……申し訳ございません」
「いえ、……余裕がないのは……わたし、ですから」
「では、今回はお互い様、ということにして下さい。それでこのお話は終わりです」
「……はい。………あの、ナユタさん?」
「はい?」
ナユタの膝の上で、ナマエはもじもじと身じろぐ。
「い、いつまでこの体勢、なんでしょうか……?」
「嫌、でございますか?」
「い、嫌、というか。恥ずかしさが勝ります…」
「………ふむ」
「??ナユタさん?」
全く離す気配がないナユタは何かを考え込む。
「ナマエさん」
「はい?」
「先日のミスに対しての私の『お願い』……まだ言っておりませんでしたよね?」
唐突に出てきた口約束に、ナマエは目を瞬かせる。
「み、ミスというと……時間を気にしないで空港に到着しちゃった、アレですか?」
「ええ、アレ、でございます」
ナユタはにっこりと微笑む。
ナマエは、困惑する。
「……ええと、どうして今、それを持ち出したんでしょう?」
「それはもちろん、ナマエさんに『お願い』ができましたので」
「……い、今、ですか」
「ええ、今、でございます」
「……わたし、何をすればいいんでしょうか…?」
「『する』、というより、『させて』いただきたいことがございます」
「え……な、なにするんです?」
「ナマエさんは最近、私とあまり接触しておりませんでした。それはナマエさんの心境の変化、そしてそれに耐性がなかったから起こってしまったすれ違いです」
「そう、です、ね?」
まるで説法を説くようにつらつらと論理づけるナユタに、ナマエは戸惑いつつも頷く。
その様子にナユタは「そうでしょう?」と微笑みかける。
「ですから、これからも私とお付き合いしていただくには耐性をつけていただきませんと、辛いものです。ナマエさんも勿論でございますが、それは私も同じこと」
「……なるほど?」
「はい。ですから私が『お願い』することは
『ナマエさんと触れ合う機会』を得たい、というものでございます」
「ふれあう……?……あの、具体的には……?」
「そうですね……とりあえず、もう少しこのまま抱きしめさせて下さい」
そう言ってナユタはナマエを更に抱き寄せて、頭に頬擦りをする。
明らかに普段よりも距離が近く、そしてどこか甘えているような彼にナマエは身体を強張らせた。
「な、ナユタさん……っ」
「……つい最近まで、あなたとの接触がままなりませんでしたので、もう少し堪能させて下さい。
……はぁ、やはりあなたとこうして側におりますと多幸感が堪らない」
「ま、前はこんなに距離が近くなかったです……!」
顔を真っ赤に茹で上がらせてナマエが恥ずかしがるので、しばらくするとナユタは『これくらいにしておきますか』と解放する。
湯気が出てしまうのではないだろうかと思うほどの初心な反応を見せる彼女に、それでもナユタは釘を刺さなければならないと熱を持った頬を指の背で撫でる。
「……あまり、そのように可愛らしい反応をなさりますと、男は勘違いをするのでお気をつけなさいませ」
「え?」
「ましてや、自分に好意を寄せているとわかっている恋人に対して下心を持たぬ男はいないと思ったほうが宜しいですよ。
……拙僧とて、そうした類の忍耐力に『絶対』などないのだと思いますので」
「……。…………!?」
ナユタの言葉の意味を理解したナマエはこくこくこく!と頷いた。
そんな彼女に、ようやく恋人らしく振舞えるナユタは優しく微笑みかける。
「とりあえず、今後の執務の休憩時には……また、拙僧と共に過ごす時間を取って下さりますか?」
……これで、またナユタとナマエのお茶会が始まったのは、言うまでもなく。
そして以前よりも甘やかな雰囲気になったのも、護衛の者たちから証言が得られたそうな。
ナユタはため息をついて執務室に篭る。
撮影を終えたナマエが倒れ、しかし大したことはないというので安心したのもつかの間。それ以来だ、ナユタがナマエに避けられるようになったのは。
(会話は、できている。修正不可能なほどに嫌われては、いない……恐らく)
ただ、ナユタと会うと苦しそうで辛そうで、視線が合うことがない。
どこか具合が悪いのか、理由を探ろうとしても会話はすぐに切り上げられ、まともに顔を見る機会も極端に減ったものだから、彼が得られる情報は少ない。
(撮影を見に行くことを黙っていたから、怒っている?……いえ、ならばナマエさんは直接仰るでしょうし)
執務の合間に取っていた、休憩を兼ねたナマエとのお茶会も、今はない。たかが、たったそれだけが、ナユタの精神を抉る。
けれど増えていく仕事はそれを察してくれるわけでもなく、ナユタも無理やりナマエを問い詰める気にはなれない。
まだ特別に心許されていないというのに、そんなナマエの心を無理に暴くほどの傲慢を、何故抱けるというのだ。
「…………龍は、屈せず……」
椅子に背をもたれ、父の信念である言葉を拠り所にするように呟く。
ナマエへ、優しくひたむきな心を尽くす。それが、嫌になったわけでは決してない。
ただ、色恋に関して耐性がないせいで初めて恋をした彼女に避けられるということが、ナユタの精神を思ったよりも辛い疲労として感じさせていることもまた事実である。
(……母上は、ナマエさんの味方ですし。レイファは、……正直、相談できる相手として不足しておりますし)
「……これ以上悩む前に、仕事を終わらせるべきでしょうね」
ナユタはそう呟いて、もう一度姿勢を正し、机に向かう。
やるべきことをやって、そして諦めずにナマエに向き合おう。彼女をこんなところまで呼んだのだから、今更臆しても仕方がないのだとナユタは早く終わらせるべく、仕事に励むことにした。
「会話が続けられない?どうして?」
王泥喜法律事務所にて。
王泥喜法介は仕事の合間に紅茶を差し入れてくれたナマエの相談を受けていた。
ナマエは硬いソファーに膝を抱え込むようにして座っており、気まずそうに頷いた。
「ナユタさんと話すの、つらい。まともに、顔も見れないんです……」
「……何かあったの?ていうか、あいつが何かした?」
「……仕事の後、少し話をして……それから、自分でもよくわからない症状が……」
「??具合、悪いの?」
「……精神的には、そうかもしれません」
「ふうん……ナユタが嫌いになったの?なら、日本に帰っていいんじゃない?」
「ちょっと、あんたはどうしてそう…わからないのかしらねぇ」
「??茜さん、わかるんですか?」
偶然、事務所を訪れていた宝月茜はナマエの紅茶を頂きながら、深々とため息をついた。
「ナマエちゃんは別にナユタ検事が嫌いだから、そういう態度をとってるつもりじゃないんでしょ?」
「は、はい……」
「そういう態度をとってること自体申し訳なくて、で、自分でも理由がわからないからナユタ検事に説明のしようがない。……違う?」
「あ、合ってます…」
「そこまでの気遣いができて、意外と答えがわからないもんなのねぇ……
……ナマエちゃん、恋愛小説とか読まないタイプでしょ?」
「………興味がなかったので…」
「あー……まあ、ナマエちゃん、どっちかって言ったらヒーローものとかのほうが詳しいわよねぇ…好きなの?ヒーロー」
かりんとうをサクサクと食べながら茜が訊くと、ナマエは少し楽しそうに目を輝かせて。
「真宵さんとか、成歩堂さんが教えてくれて……ヒーローには、けっこう憧れますね。
……わたしにとって、ヒーローはお養父さんだったから、そう呼ぶと、嬉しそうにしてくれて、わたしも好きで」
「で、白馬の王子様よりもヒーローに会いたい、と。
……ナユタ検事、苦労するわねぇ」
「茜さんは、ナマエちゃんの症状が理解できるんですか?」
「……まあ、非科学的な根拠だけどね。こういう心理的なことは心音ちゃんのほうが向いてると思うけど」
「…………」
「??どうしたの、ナマエちゃん?」
「あ、いえ……わかってしまう宝月刑事がすごいなぁ、って思って」
ナマエは物憂げに小さく息を落とす。
そして、ぽつりと呟く。
「……、よかったのに」
「え?」
「……ナユタさん、……宝月刑事を好きになればよかったのに」
「………………………聞き捨てなりませんね」
低い、背筋が凍るような声色が、事務所の入り口で呟かれた。
その声に肩を震わせ、法介がそぅっと視線を向ければ……そこには剣呑な様子のナユタが立っていた。
法介は驚きすぎて紅茶を零しそうになり、茜は言葉を失って声を出すこともできず。
ナマエはといえば。
「………あ、…な、んで……ここ、」
視線を泳がせ、慌ててソファーから降りようとしたところを、それを掬い上げるように伸びたナユタの腕によって抱き上げられる。
「っ、な、ゆた、さ……っ?」
「宝月刑事、余計なことは言わないようにしなさい。ホースケ、今後ナマエさんがこちらに来たら必ず連絡するようにしなさい」
「は……はぃ」
「……お、おぉ」
「では失礼いたします。また、法廷でお会いしましょう」
それだけ言うとナユタはそのままナマエを連れて、出ていく。
それを見て、茜は深くため息をついた。
「あーあ…いわんこっちゃない」
「え?」
「あんたもデリカシーがないけど、ナマエちゃんも大概よねー。
……あれは、禁句でしょうに」
「……そんなに変なこと、言ってましたっけ?ナマエちゃんはただ茜さんを褒めたんでしょう?」
「そうでしょうねー、少なくともナマエちゃんはそうだろうけど。あれを言われた側のナユタ検事は……ちょっと同情しちゃうかも」
「???」
いまいちわかっていない法介を置き去りに、茜は紅茶を飲みなおす。ナユタが発した冷気のような威圧の影響で、紅茶の温度も温くなっているような気がして、もう一度ため息をついた。
たった一言、ナマエが言ったその言葉は、疲労していたナユタの心を揺さぶるのに充分だった。
『宝月刑事を好きになればよかったのに』。
このような、こんな言葉がナマエの口から出てくるということは、自分の気持ちが全然うまく伝わっていなかったという証拠だとナユタは歯噛みする。
気持ちを伝えきれなかった自分に腹が立つ。しかし、気持ちを理解できていなかった彼女に対しても、彼は苛立っていた。
早急に宮殿内の、ナユタの自室に向かう最中、ナマエは彼から必死に距離を取ろうと、離れようと試みている。
しかし今のナユタが逃すわけがない。絶対に離すものかとさらに力を入れて抱き込んで見せる。
自室に入り、多忙のためあまり使い込まれていない、しかし座り心地の良いソファーに深く座り込む。
……ナマエを抱きしめたままなので、ナユタの膝の上に彼女が横座りする体勢になる。
「………」
視線を下すとナマエの目が合い、しかしすぐに逸らされた。
ナユタはそれが不満で、彼女の顎を指で掬い上げて無理やり視線を合わせた。
「何故、私と視線すら合わせて下さらないのですか?」
「……、」
「……私とは視線を合わすことも、会話すら不愉快ですか?」
「っ、ち、違い、ます…!」
「では理由を述べて下さいませ。……今回ばかりは、伝えて下さらなければ、私もあなたの気持ちがわからないのですよ」
「………ふ、不愉快、とかじゃ、なくて…り、理由、理由は……わたしも、答えが、でてなくて……」
ナユタはじっと自分の膝の上に拘束しているナマエを見つめる。
「か、身体、が……感情が、うまく、……扱えて、なくて…どうしたらいいのか、わからなくて……」
ナユタの目を見つめながら、ナマエは顔を赤く染める。しかし声は震えて、身体中が緊張で強張る。そしてその目は、若干潤んでいた。
「ほ、ほんとは…前は普通に、できたのに……ナユタさんが、話しかけてくれて、……笑いかけてくれて、……楽しかったのに、……今は、胸が、ぎゅうって、苦しくて……」
「………、…………?」
「直接、合わせられないのに…顔を見たら、ほっとして……でも、ナユタさんが…前より、綺麗で、キラキラしてて……近くにいると、心臓が、うるさくて…」
「……ナマエさん?」
「え?」
「今も……そうなのでしょうか?」
「……今は、ナユタさん、怒ってるの、初めて見たので………なんでそんなに怒ってるのか、理由もわからなくて……わたしの、不調の原因がわからないことも含めて、こわい、です」
「………申し訳ございません。大人げないことを致しました」
ナユタは察した。
……色々と、ナマエ自身気づけていないことも本人よりも先に気づいた。
だから、いきなり謝り出したナユタに彼女は不思議そうだった。
「……??で、でも、わたしが、何かやったから…ナユタさんは、」
「そうですね。ですが、これはお互い様、ということなのでございましょう」
はぁー、と深くため息をついたナユタはそこでナマエと視線を外して、俯いた。
ナマエは恋心に憧れがない。興味を抱いたこともない。
そしてそれは、見方を変えれば、『恋を知らない』ということである。
体験したことのないそれに、ナマエは心の底から理解できないのだ。いや、理解したくもなくて、知ろうともしていなかった。
だから今、自分の感情の変化を持て余している。そして、それを本当に認めることができるのはナマエ自身で、他人に教えられてもなかなか納得するのは難しいだろう。
……ナユタだって、そうだったのだから。
「もっと、早く話し合うべきでしたね…」
「???」
「まあ、手遅れになる前に私が気づけたのは僥倖でございましたがね」
「…ておくれ?」
「それよりもナマエさん。……私といると、緊張いたしますか?」
「……はい」
「顔を合わせて、視線が合うと胸が高鳴りますか?」
「……はい」
「…それは、私も同じでございますよ。ナマエさん」
「え、」
「私も当初、恋心を抱いていたあなたに会うと緊張で手が震えましたし。実際に顔をご覧になって、あなたが私を見つめるたびに胸の鼓動は早まってしまい、勘づかれないよう努力いたしました。
……実際、あなたは気づいておられなかったでしょう?」
「……はい。いつも穏やかで、余裕のある人だと思ってました」
「そう見せていただけです。あなたに嫌われたくなくて、あなたに少しでも好感を抱いていただけるようにと……平静を保っていただけなのです。
ナマエさんは、『男』にあまり良い印象を抱かれませんが、『良い大人』ならば警戒心なく接してくださると判断いたしましたので」
「……そう、ですね」
「ですが、ナマエさん。私はあなたに『良い大人』ではなく、『男』として見ていただきたいのですよ」
「……」
「もちろん、良い意味で、でございますよ。あなたが男嫌いにまで至った経緯は、私も多少は存じております。勝手ながら、調べさせていただきましたので。
……ですから、あなたに過去を忘れろとも、すべての男を許せとも申し上げません。ただ、」
ナユタはナマエの手を自分の胸に引き寄せる。
……彼女を想い、速く高鳴る鼓動が、わかるように。
「私だけは、信じていただけないでしょうか?あなたを愛する男として、許して下さりませんでしょうか?」
「……ナユタさんだけ?」
「ええ。とりあえず今はそれだけで宜しいでしょう。日常生活で他の男性と接する機会はあるでしょうが、本当に心を許す男は私だけでいいのです。
……本来、男嫌いのあなたがここまで心の成長をして下さったのは喜ばしいことですから」
「成長、ですか?」
「私と同じ感情を抱いているのでしょう?でしたらそれはナマエさんの中で、私に対する気持ちが成長したということです。
……私にとって喜ばずにはいられない、『恋心の芽生え』という変化なのですよ」
ナマエは「恋心…」と茫然とした様子で呟く。
そして胸元を手でぎゅう、と抑え込むような仕草をしながら。
「ナユタさんは……ずっと、こんな、病気みたいな症状を持っていられたんですか?」
「ええ、そうですね」
「……恐く、ありませんでしたか?」
純粋な疑問を口にするナマエに、ナユタは優しく微笑む。
「……クライン王国がまだ革命を果たしたばかりの時に、私が何故日本に通ったか。ナマエさんは知っておりますね?」
「……いきなり、婚約者になってほしいって、ナユタさんに言われましたね」
「ええ。……内心、ずっと緊張するばかりでございました。突然そのような懇願をされても、あなたは困るだろうとわかっておりました。
ですが……少し目を離したらどこかでまた倒れるのだろうか、泣いていないだろうか。誰か、私以外の人間に絆されていないだろうか。
時間が、居場所が離れれば離れるほどにそんな不安がいつだって、頭の中で居座るのです。
ですから婚約者の肩書を欲したのは、こんな離れた国にわざわざ呼んだのは、恋い慕うあなたの側にいたいという想いの優先と、その不安を少しでも減らせると思ったからです」
「………」
「そんな私に立派な大人の余裕など、ないのですよ。愚かにも、恋を認めない時もございましたし、あなたを忘れて過ごすという道を考えなかったわけではありません。
それでも、私は諦めの悪い男なのです。ですから、あなたを迎えに行ったのですよ」
ナユタは「私も案外、大人げないのです」と苦笑する。
「婚約者という肩書が、あなたにとって枷でしかないともわかっておりました。それでも、もしかしたらあなたが私を通じて何か感じ取れるものがあるかもしれないと無理やり希望を抱いて、あくまで『優しい大人』として接して参りましたが……
……ずっと、私はあなたを失うのがただ恐ろしくて、不安ばかりが先立ってしまう。
今回も、そうです。あなたに避けられて不安があったとはいえ、あなたとろくに話もしないで身勝手に苛立ちました。……申し訳ございません」
「いえ、……余裕がないのは……わたし、ですから」
「では、今回はお互い様、ということにして下さい。それでこのお話は終わりです」
「……はい。………あの、ナユタさん?」
「はい?」
ナユタの膝の上で、ナマエはもじもじと身じろぐ。
「い、いつまでこの体勢、なんでしょうか……?」
「嫌、でございますか?」
「い、嫌、というか。恥ずかしさが勝ります…」
「………ふむ」
「??ナユタさん?」
全く離す気配がないナユタは何かを考え込む。
「ナマエさん」
「はい?」
「先日のミスに対しての私の『お願い』……まだ言っておりませんでしたよね?」
唐突に出てきた口約束に、ナマエは目を瞬かせる。
「み、ミスというと……時間を気にしないで空港に到着しちゃった、アレですか?」
「ええ、アレ、でございます」
ナユタはにっこりと微笑む。
ナマエは、困惑する。
「……ええと、どうして今、それを持ち出したんでしょう?」
「それはもちろん、ナマエさんに『お願い』ができましたので」
「……い、今、ですか」
「ええ、今、でございます」
「……わたし、何をすればいいんでしょうか…?」
「『する』、というより、『させて』いただきたいことがございます」
「え……な、なにするんです?」
「ナマエさんは最近、私とあまり接触しておりませんでした。それはナマエさんの心境の変化、そしてそれに耐性がなかったから起こってしまったすれ違いです」
「そう、です、ね?」
まるで説法を説くようにつらつらと論理づけるナユタに、ナマエは戸惑いつつも頷く。
その様子にナユタは「そうでしょう?」と微笑みかける。
「ですから、これからも私とお付き合いしていただくには耐性をつけていただきませんと、辛いものです。ナマエさんも勿論でございますが、それは私も同じこと」
「……なるほど?」
「はい。ですから私が『お願い』することは
『ナマエさんと触れ合う機会』を得たい、というものでございます」
「ふれあう……?……あの、具体的には……?」
「そうですね……とりあえず、もう少しこのまま抱きしめさせて下さい」
そう言ってナユタはナマエを更に抱き寄せて、頭に頬擦りをする。
明らかに普段よりも距離が近く、そしてどこか甘えているような彼にナマエは身体を強張らせた。
「な、ナユタさん……っ」
「……つい最近まで、あなたとの接触がままなりませんでしたので、もう少し堪能させて下さい。
……はぁ、やはりあなたとこうして側におりますと多幸感が堪らない」
「ま、前はこんなに距離が近くなかったです……!」
顔を真っ赤に茹で上がらせてナマエが恥ずかしがるので、しばらくするとナユタは『これくらいにしておきますか』と解放する。
湯気が出てしまうのではないだろうかと思うほどの初心な反応を見せる彼女に、それでもナユタは釘を刺さなければならないと熱を持った頬を指の背で撫でる。
「……あまり、そのように可愛らしい反応をなさりますと、男は勘違いをするのでお気をつけなさいませ」
「え?」
「ましてや、自分に好意を寄せているとわかっている恋人に対して下心を持たぬ男はいないと思ったほうが宜しいですよ。
……拙僧とて、そうした類の忍耐力に『絶対』などないのだと思いますので」
「……。…………!?」
ナユタの言葉の意味を理解したナマエはこくこくこく!と頷いた。
そんな彼女に、ようやく恋人らしく振舞えるナユタは優しく微笑みかける。
「とりあえず、今後の執務の休憩時には……また、拙僧と共に過ごす時間を取って下さりますか?」
……これで、またナユタとナマエのお茶会が始まったのは、言うまでもなく。
そして以前よりも甘やかな雰囲気になったのも、護衛の者たちから証言が得られたそうな。