婚約者の意外な一面
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「いやぁ~ナユタ様のおかげで良い風景が撮れました~」
ツグムの明るい声に、ナユタは若干疲れたように息をついた。
撮影当日、ナユタは急遽仕事が入り、ナマエの撮影時間を正確に聞き出すためにカメラマンのツグムに連絡した。
すると、「最初は本格的に撮るようなことはしないんで、何だったら美しい風景の場所教えていただけませんかぁ~?」と仕事終わりにナユタはツグムとともにクライン王国の名所巡りのようなことをすることとなった。
クラインの名所案内と説明を行い、ナユタはクライン王国の山の一つで、見晴らしの良い場所にツグムとともに向かっている。
(……ナマエさんとも、あまり名所巡りができていないというのに)
しかしこれもクライン王国の摂政として、手は抜けまいと思いながら進む。クラインの山はなかなか高所であり、険しいところが多いがツグムは割と平気そうな表情でずんずん歩いている。そういえば、撮影場所からナユタの元まで迎えに行くと言って、疲れた様子もなく笑顔だ。
「ツグム殿はずいぶんと体力のある方なのですね?」
「え~?そうですかね~?まあ、フットワークが軽い奴ってよく言われますけど~。今はただ、浮かれてるだけですよ~」
「……それほどナマエさんを撮影することが楽しいのですね」
「ちょっと不安でしたけどね~。……でも、杞憂でした。ナマエちゃん、相変わらず、切り替えがすごい子でした~」
「レモン殿も、満足気でしたね……」
「ええ。僕のテーマをすぐに理解しちゃって……メイクのおかげ、ってナマエちゃんは言うけど、兄さん、めちゃくちゃ絶賛してたからな~」
「テーマ、ですか?」
「はい~。今回はあらかじめ、僕が指示しました~。……テーマは、
『羽衣を失った天女』ですよ」
高い山脈が並ぶ、晴れた青空の下で……複数のスタッフが『それ』を見つめ続けていた。
けたたましいシャッター音が、他のカメラマンが憑りつかれたように熱狂的に指示を出す声が響く中……羽衣のない『彼女』はただただ、愁いを帯びた眼差しを湛えている。
その身に起きた悲劇を、地上のすべての醜さを、嘆いているような。
空を仰ぐ。
……捨てざるを得なくなった故郷を想うように。
陽に手を翳す。
……これ以上、自分の闇を照らすなと悲しむように。
見る者すべてに憐れみを抱かせる。愛さずにはいられぬ、魔性であり、天性とも言うべき蠱惑的な女性。
__それがナマエだと、ナユタは頭ではわかっているはずなのに、まるで信じられない、違うモノを見たような感覚だった。
「__だから言ったでしょ?見ないとわからないって」
「……あ………え、ええ」
ツグムの声に、ようやくナユタは正気に戻れたような感覚がした。改めて見れば撮影している彼女は、ナマエなのだと教えてもらわなければわからないほどに着飾られている。
モデルに身をやつしている、意識を集中しているナマエを見つめるだけでいつもよりもやけに気分が高揚してしまっている。
ただ見ているだけのナユタがそうなのだから、スタッフたちはそれ以上に興奮しているのではないだろうか。
そんなナユタを見て、ツグムは嬉しそうである。
「今ナマエちゃん撮影してるの、新人の子。将来有望って言われてて、経験積ませるために編集長が僕に預けた子なんです」
「そうなのですか?……何故、限られた機会だというのに新人に撮らせているのですか?」
「そりゃもちろん、『良い経験になる』から。あのナマエちゃんを相手に撮影なんてしたら、目が肥えますしね~。多分、あの新人も僕と同じようになるから、成長させやすくなると思いまして~」
「………」
「あの新人の子、今はあんなに熱狂して写真撮ってますけど、ほんとは物静かな子なんですよ~。良い写真を撮れるんだけど、人物は苦手でね。積極性が足りてない。……けど、ナマエちゃんは」
「『カメラマンの欲を引き出させる』、ということでしょうか?」
「そういうことですね~。……まあ、ナマエちゃんの1枚だけしか載せないっていうのも、編集長の許可を気にしたのも、正直意味はないんですよね~。だって、『アレ』は魅せられたら選ばざるを得ないんですからね~」
「……ですから、条件を飲んだのですか?絶対にナマエさんの写真が採用されることを見越して?」
「そこがナマエちゃんの弱点、みたいなもんですよね~。
ナマエちゃんは自分の価値に気づいてない。自分がどう見えるのか、わからない。自分の存在にどこまでも無知。だから自分が評価されるなんて、彼女にとっては『あり得ない』ものにしか思えない。
……もったいないことですよ」
残念そうに呟いて、「さて」とツグムが自分の持っていたカメラケースを漁り始める。
「最後は僕が撮ります。……ナユタ様、僕の後ろにいてもらえませんか~?」
「??何故でしょうか?」
「約束したじゃないですか~。ナマエちゃんの『変化』には、あなたが必要ですよ~。それに、一番『良い絵』が見れると思いますよ~?」
「???」
ナユタはツグムの後ろについていき、ナマエを見つめる。
……距離が一気に近づいて、それだけで少し緊張が走るような、妙な心地がした。
新人カメラマンと場所を代わり、ツグムはしばらく、黙っていた。
羽衣を失った天女の『彼女』は、まだ気が付いていない。相変わらず、その表情はどこまでも枯れることのない愁いがある。
「……ナマエちゃん、」
ツグムが『彼女』に伝えるために、声をかけた。
「___ナユタ様に、笑って見せて」
たった一言。
その一言に、『彼女』は弾かれたようにこちらを振り向いた。
『彼女』は呼ばれた通り、ナユタを見つけて。
そして。
「___、」
その『表情』に、誰もが言葉を失った。
唐突に自分の名前を出されたナユタも、その『表情』に息を吞み、知らず知らずのうちに胸を押さえるように手を握っていた。
悲劇があった。拭いきれない愁いがあった。『彼女』はそれしか美しく見せなかった。
しかし、そのすべてを……まるで、そのすべてを許してしまうような自分の大事にしていた花が、そこで綻び、咲いていることに喜びを感じているような。
(……ああ、なんて………)
そこにいたのは、__天女ではなかった。
ただ、愛しい者を見つけた……『恋する少女』がそこにいた。
「はぁー……」
宮殿内の一室にて。
与えられた自室のソファーでナマエはようやく正常な呼吸をすることができたような感覚に、疲れていた。背もたれに深く腰掛けてぼんやりと天井を見上げながら、不安を抱えている。
「……現場にナユタさんが来るとは思わなかった」
カメラマンの指示に従って、ナマエはひたすらに撮られているだけだったとしか思えない。そんな中、最後に指示を出された時に、ナマエはようやくナユタに気がついたのだ。
「……そんなに、見るに耐えなかったかなぁ」
撮影が終了したナマエと視線を合わせてくれたスタッフは少ない。
皆、どこかふわふわした眼差しで、ナマエが挨拶をしてもどこか慌てて済ませ、作業に戻っていく。
……昔と変わらないと、ナマエは思い出すように目を閉じる。
昔、母に憧れたカメラマンやスタッフがナマエを指名し、期待をした。あの、『恋する乙女』をキャッチフレーズにした母の娘に。
たった1ページの、僅かな空白を埋めるための期待。別にナマエでなければいけないわけではない、1枚分の写真のためにナマエは現場に立った。その居場所が、自分のものではないことをナマエは教えられた。
……己の『父』に。
彼女の顔に泥を塗るようなことをするな。
彼女と似ているお前のせいで、彼女はもう戻ってこない。
絶対に、お前は一生、許されないんだからな。
「…………」
『無理して笑わなくて、いいからね~』
毎日呪うような言葉しか投げつけられなかったナマエにとって、あのカメラマンの言葉は『救い』だった。
いつも笑顔を輝かせていた母を知る大人の声に言われたその言葉は、『許し』だった。笑顔がなくともナマエが現場に立てたのは、確かにあのカメラマン、ツグムのおかげだと言い切れる。
養父、御剣怜侍もナマエが無理に笑わずとも、むしろ無理に笑ったらすぐに理解し、ナマエの身を案じてくれる優しい大人だ。
『仕事柄、私は人の機微に敏いところがある。だから仮にお前が嘘をつけたとしても、私はお前の嘘をすぐに見つけてみせよう』
そう言い聞かした養父をナマエは心の底から信じたし、感謝していた。当時の世間はナマエの『父』を有罪にした養父を責めたが、ナマエにはそれが理不尽にしか思えない。
ナマエを徹底的に貶めた、嘘だらけの『父』から救いだしたのは、検事、御剣怜侍だったというのに。
「…………さん、ナマエさん?」
ふっ、とナマエが知らないうちに意識を戻すと、どこか安堵した表情のナユタが顔を覗き込んでいた。
驚きで目を瞬かせていると、ナユタが申し訳なさそうに笑いかけた。
「申し訳ございません。外から声をかけたのですが、返事がなく……気になって入りましたら、顔色が悪かったので」
「……ああ、知らないうちに眠ってましたか。ご迷惑おかけしました」
「何か、悲しいことがあったのですか?」
「……悲しくは、ないです」
「…………」
「大丈夫ですよ。……ナユタさんが、悲しむ必要がないようなことを思い出しました。それだけです」
ナマエがそう言えば、ナユタはそれ以上深く聞き出すことなく、ただ寄り添うようにソファーに座る。
そんな彼に、ナマエは少し安堵する。彼は決して無理やりに聞き出そうとしないから、気が楽なのだ。
ナマエがナユタに教えていることは美しかった母と、そんな母に惚れ込んでいた、ろくでなしだった父とは名ばかり男のことだけだ。
けれど、ナマエは養父の検事としての情報収集能力を知っているし、何となく、彼も多少は自分の家庭事情を知っているだろうことは勘づいている。むしろ何も調べていなかったらクラインの重要人物がそんなことでいいのかと叱りたいぐらいだ。
ナユタに、自分の過去を知られたくないわけではない。知られてもいいが、ナマエがあまり口にしたくないだけで、そしてできれば優しくしてくれる彼にも口にしてほしくないだけなのだ。
……おぞましい、父とは名ばかりの男のことなど、聞きたくもない。
それを察してくれている時点で、ナマエはナユタに好感を抱ける。
(だから、大丈夫)
あなたが、そんなに悲しむ顔をしなくてもいいのに。
「……撮影、どうでした?」
「え……」
軽い調子で話題を振ると、ナユタは少し戸惑った様子を見せた。
「大した事、なかったでしょう?」
きっと、モデルの撮影が珍しかったのだと思い、ナマエはそれでもあくまで世間話をするように話す。
けれどナユタは、その時のことを思い出しているように、または感銘を受けたと言いたげな表情で。
「いえ……貴重なものを、見せていただきました」
「ふふ、そうですね……知り合いがあんな風に写真を撮られている姿なんて、あまり見ないでしょうねぇ」
「ナマエさん、そういう意味では」
「まあ、あれだけ大掛かりにしましたけど、たぶん掲載はされないとおも」
「いいえ、あれは間違いなく、絶対に掲載されるでしょう」
「……?どうして言い切れるんです?」
「ツグム殿が自信をもってそう仰っておりましたし……私も、」
ナユタは少し言葉を濁す。彼にしては珍しく上手く言葉が出てこない様子だ。そのことが、ナマエは少し不思議に思い、首を傾げる。
それでも彼は、ナマエのやり遂げた仕事を肯定するように。
「私は専門家ではございませんので、信用できないと思います。ですが、あの光景は編集長殿に選ばれるであろうことは私自身も、信じられます。
あなたは、それだけのものを見せて下さった。
……直接見ることが出来て、本当に良かった」
「……………最後、」
「?」
「最後に、わたし……笑ってって、言われて……」
『ナマエちゃん、ナユタ様に、笑って見せて』。
最後の指示。
ナマエに笑わなくていいと許してくれたカメラマンの、最初で最後の『笑え』という指示。
笑えるだろうか。そんな不安が、焦りが、一瞬ナマエの中でよぎったのは確かだった。
けれど。
「わたしは、……あなたに、笑顔を向けられたんでしょうか…?」
撮影時のナマエはどこか夢見心地になってしまう。それは、無意識下で被写体になりきれる才能ゆえに起こる感覚だった。
カメラマンの指示を受けて自動的に身体は動き、意識は存在感の強調を維持するためにかろうじて保つことができているような、そんな、曖昧な意識感覚にどうしてもなってしまう。だから他人がどんなに絶賛しても、実感がないのだ。
写真の中の自分と、現実の自分が、どうしても重ならない。
そんな感覚でモデルの仕事をしてはプロに失礼だと、だからナマエはずっとモデル業の仕事が来ても取り合わなかったのだ。
今回は条件を付けたが、それでも過去に恩のあるツグムの要望だったから応えただけで、ナマエはこの先モデル業に身を費やすことはないつもりでいる。
だから、だからこそ。
(ちゃんと、仕事を果たせたと……それだけ伝えてくれればいい)
期待に添えられた実感がない。だから、客観的に見ていたナユタにそれだけは確認しておきたかった。
ちゃんとできておりましたよ、とただそれだけ言ってもらえれば、ナマエは安心できる。
ナユタはナマエが嘘を憎んでいることを知っている。だから、決して嘘や偽りの賛辞などを言わない。
だから、ありのままの評価を下してくれると思っていたのだ。
「……ええ、」
ナユタはナマエの目を見つめて、告げる。
あくまで客観的に、正直に、ナマエが見せた姿に、嘘偽りなく。
「とても綺麗で、………とても、あなたが好きだと思いましたよ」
ナユタの声に、表情に、ナマエは言葉を失う。
(……なに、これ)
どうしてそんなに嬉しそうに、愛おしそうに、笑っているんだ。
わたしはただ、ちゃんと笑えたかどうかを、……それだけ聞いただけなのに。
『お母さんの笑顔はね、大好きな人に支えてもらっていて、その人が大好きよ、って気持ちで出来てるのよ』
不意に、母の言葉を思い出す。どうしてこのタイミングで、と考えてもナマエにはわからなかった。
ただ……どうしてかナユタの顔を、まともに見られない。
鼓動が早く高鳴る。顔が熱い。いつもは怜悧な眼差しだというのに、今自分に向けるそれがあまりにも甘やかで、優しく見えて仕方がない。
(……綺麗、なのは)
「ナマエさん?」
「……な、ゆた…さん」
「ナマエさん!?」
ナマエは顔を真っ赤にさせて、感情の許容量が超えてしまい、ソファーに倒れた。それに対し、ナユタは顔面蒼白で、急いで医者を呼んだ。
それ以降、ナマエはナユタを避けるようになった。
ツグムの明るい声に、ナユタは若干疲れたように息をついた。
撮影当日、ナユタは急遽仕事が入り、ナマエの撮影時間を正確に聞き出すためにカメラマンのツグムに連絡した。
すると、「最初は本格的に撮るようなことはしないんで、何だったら美しい風景の場所教えていただけませんかぁ~?」と仕事終わりにナユタはツグムとともにクライン王国の名所巡りのようなことをすることとなった。
クラインの名所案内と説明を行い、ナユタはクライン王国の山の一つで、見晴らしの良い場所にツグムとともに向かっている。
(……ナマエさんとも、あまり名所巡りができていないというのに)
しかしこれもクライン王国の摂政として、手は抜けまいと思いながら進む。クラインの山はなかなか高所であり、険しいところが多いがツグムは割と平気そうな表情でずんずん歩いている。そういえば、撮影場所からナユタの元まで迎えに行くと言って、疲れた様子もなく笑顔だ。
「ツグム殿はずいぶんと体力のある方なのですね?」
「え~?そうですかね~?まあ、フットワークが軽い奴ってよく言われますけど~。今はただ、浮かれてるだけですよ~」
「……それほどナマエさんを撮影することが楽しいのですね」
「ちょっと不安でしたけどね~。……でも、杞憂でした。ナマエちゃん、相変わらず、切り替えがすごい子でした~」
「レモン殿も、満足気でしたね……」
「ええ。僕のテーマをすぐに理解しちゃって……メイクのおかげ、ってナマエちゃんは言うけど、兄さん、めちゃくちゃ絶賛してたからな~」
「テーマ、ですか?」
「はい~。今回はあらかじめ、僕が指示しました~。……テーマは、
『羽衣を失った天女』ですよ」
高い山脈が並ぶ、晴れた青空の下で……複数のスタッフが『それ』を見つめ続けていた。
けたたましいシャッター音が、他のカメラマンが憑りつかれたように熱狂的に指示を出す声が響く中……羽衣のない『彼女』はただただ、愁いを帯びた眼差しを湛えている。
その身に起きた悲劇を、地上のすべての醜さを、嘆いているような。
空を仰ぐ。
……捨てざるを得なくなった故郷を想うように。
陽に手を翳す。
……これ以上、自分の闇を照らすなと悲しむように。
見る者すべてに憐れみを抱かせる。愛さずにはいられぬ、魔性であり、天性とも言うべき蠱惑的な女性。
__それがナマエだと、ナユタは頭ではわかっているはずなのに、まるで信じられない、違うモノを見たような感覚だった。
「__だから言ったでしょ?見ないとわからないって」
「……あ………え、ええ」
ツグムの声に、ようやくナユタは正気に戻れたような感覚がした。改めて見れば撮影している彼女は、ナマエなのだと教えてもらわなければわからないほどに着飾られている。
モデルに身をやつしている、意識を集中しているナマエを見つめるだけでいつもよりもやけに気分が高揚してしまっている。
ただ見ているだけのナユタがそうなのだから、スタッフたちはそれ以上に興奮しているのではないだろうか。
そんなナユタを見て、ツグムは嬉しそうである。
「今ナマエちゃん撮影してるの、新人の子。将来有望って言われてて、経験積ませるために編集長が僕に預けた子なんです」
「そうなのですか?……何故、限られた機会だというのに新人に撮らせているのですか?」
「そりゃもちろん、『良い経験になる』から。あのナマエちゃんを相手に撮影なんてしたら、目が肥えますしね~。多分、あの新人も僕と同じようになるから、成長させやすくなると思いまして~」
「………」
「あの新人の子、今はあんなに熱狂して写真撮ってますけど、ほんとは物静かな子なんですよ~。良い写真を撮れるんだけど、人物は苦手でね。積極性が足りてない。……けど、ナマエちゃんは」
「『カメラマンの欲を引き出させる』、ということでしょうか?」
「そういうことですね~。……まあ、ナマエちゃんの1枚だけしか載せないっていうのも、編集長の許可を気にしたのも、正直意味はないんですよね~。だって、『アレ』は魅せられたら選ばざるを得ないんですからね~」
「……ですから、条件を飲んだのですか?絶対にナマエさんの写真が採用されることを見越して?」
「そこがナマエちゃんの弱点、みたいなもんですよね~。
ナマエちゃんは自分の価値に気づいてない。自分がどう見えるのか、わからない。自分の存在にどこまでも無知。だから自分が評価されるなんて、彼女にとっては『あり得ない』ものにしか思えない。
……もったいないことですよ」
残念そうに呟いて、「さて」とツグムが自分の持っていたカメラケースを漁り始める。
「最後は僕が撮ります。……ナユタ様、僕の後ろにいてもらえませんか~?」
「??何故でしょうか?」
「約束したじゃないですか~。ナマエちゃんの『変化』には、あなたが必要ですよ~。それに、一番『良い絵』が見れると思いますよ~?」
「???」
ナユタはツグムの後ろについていき、ナマエを見つめる。
……距離が一気に近づいて、それだけで少し緊張が走るような、妙な心地がした。
新人カメラマンと場所を代わり、ツグムはしばらく、黙っていた。
羽衣を失った天女の『彼女』は、まだ気が付いていない。相変わらず、その表情はどこまでも枯れることのない愁いがある。
「……ナマエちゃん、」
ツグムが『彼女』に伝えるために、声をかけた。
「___ナユタ様に、笑って見せて」
たった一言。
その一言に、『彼女』は弾かれたようにこちらを振り向いた。
『彼女』は呼ばれた通り、ナユタを見つけて。
そして。
「___、」
その『表情』に、誰もが言葉を失った。
唐突に自分の名前を出されたナユタも、その『表情』に息を吞み、知らず知らずのうちに胸を押さえるように手を握っていた。
悲劇があった。拭いきれない愁いがあった。『彼女』はそれしか美しく見せなかった。
しかし、そのすべてを……まるで、そのすべてを許してしまうような自分の大事にしていた花が、そこで綻び、咲いていることに喜びを感じているような。
(……ああ、なんて………)
そこにいたのは、__天女ではなかった。
ただ、愛しい者を見つけた……『恋する少女』がそこにいた。
「はぁー……」
宮殿内の一室にて。
与えられた自室のソファーでナマエはようやく正常な呼吸をすることができたような感覚に、疲れていた。背もたれに深く腰掛けてぼんやりと天井を見上げながら、不安を抱えている。
「……現場にナユタさんが来るとは思わなかった」
カメラマンの指示に従って、ナマエはひたすらに撮られているだけだったとしか思えない。そんな中、最後に指示を出された時に、ナマエはようやくナユタに気がついたのだ。
「……そんなに、見るに耐えなかったかなぁ」
撮影が終了したナマエと視線を合わせてくれたスタッフは少ない。
皆、どこかふわふわした眼差しで、ナマエが挨拶をしてもどこか慌てて済ませ、作業に戻っていく。
……昔と変わらないと、ナマエは思い出すように目を閉じる。
昔、母に憧れたカメラマンやスタッフがナマエを指名し、期待をした。あの、『恋する乙女』をキャッチフレーズにした母の娘に。
たった1ページの、僅かな空白を埋めるための期待。別にナマエでなければいけないわけではない、1枚分の写真のためにナマエは現場に立った。その居場所が、自分のものではないことをナマエは教えられた。
……己の『父』に。
彼女の顔に泥を塗るようなことをするな。
彼女と似ているお前のせいで、彼女はもう戻ってこない。
絶対に、お前は一生、許されないんだからな。
「…………」
『無理して笑わなくて、いいからね~』
毎日呪うような言葉しか投げつけられなかったナマエにとって、あのカメラマンの言葉は『救い』だった。
いつも笑顔を輝かせていた母を知る大人の声に言われたその言葉は、『許し』だった。笑顔がなくともナマエが現場に立てたのは、確かにあのカメラマン、ツグムのおかげだと言い切れる。
養父、御剣怜侍もナマエが無理に笑わずとも、むしろ無理に笑ったらすぐに理解し、ナマエの身を案じてくれる優しい大人だ。
『仕事柄、私は人の機微に敏いところがある。だから仮にお前が嘘をつけたとしても、私はお前の嘘をすぐに見つけてみせよう』
そう言い聞かした養父をナマエは心の底から信じたし、感謝していた。当時の世間はナマエの『父』を有罪にした養父を責めたが、ナマエにはそれが理不尽にしか思えない。
ナマエを徹底的に貶めた、嘘だらけの『父』から救いだしたのは、検事、御剣怜侍だったというのに。
「…………さん、ナマエさん?」
ふっ、とナマエが知らないうちに意識を戻すと、どこか安堵した表情のナユタが顔を覗き込んでいた。
驚きで目を瞬かせていると、ナユタが申し訳なさそうに笑いかけた。
「申し訳ございません。外から声をかけたのですが、返事がなく……気になって入りましたら、顔色が悪かったので」
「……ああ、知らないうちに眠ってましたか。ご迷惑おかけしました」
「何か、悲しいことがあったのですか?」
「……悲しくは、ないです」
「…………」
「大丈夫ですよ。……ナユタさんが、悲しむ必要がないようなことを思い出しました。それだけです」
ナマエがそう言えば、ナユタはそれ以上深く聞き出すことなく、ただ寄り添うようにソファーに座る。
そんな彼に、ナマエは少し安堵する。彼は決して無理やりに聞き出そうとしないから、気が楽なのだ。
ナマエがナユタに教えていることは美しかった母と、そんな母に惚れ込んでいた、ろくでなしだった父とは名ばかり男のことだけだ。
けれど、ナマエは養父の検事としての情報収集能力を知っているし、何となく、彼も多少は自分の家庭事情を知っているだろうことは勘づいている。むしろ何も調べていなかったらクラインの重要人物がそんなことでいいのかと叱りたいぐらいだ。
ナユタに、自分の過去を知られたくないわけではない。知られてもいいが、ナマエがあまり口にしたくないだけで、そしてできれば優しくしてくれる彼にも口にしてほしくないだけなのだ。
……おぞましい、父とは名ばかりの男のことなど、聞きたくもない。
それを察してくれている時点で、ナマエはナユタに好感を抱ける。
(だから、大丈夫)
あなたが、そんなに悲しむ顔をしなくてもいいのに。
「……撮影、どうでした?」
「え……」
軽い調子で話題を振ると、ナユタは少し戸惑った様子を見せた。
「大した事、なかったでしょう?」
きっと、モデルの撮影が珍しかったのだと思い、ナマエはそれでもあくまで世間話をするように話す。
けれどナユタは、その時のことを思い出しているように、または感銘を受けたと言いたげな表情で。
「いえ……貴重なものを、見せていただきました」
「ふふ、そうですね……知り合いがあんな風に写真を撮られている姿なんて、あまり見ないでしょうねぇ」
「ナマエさん、そういう意味では」
「まあ、あれだけ大掛かりにしましたけど、たぶん掲載はされないとおも」
「いいえ、あれは間違いなく、絶対に掲載されるでしょう」
「……?どうして言い切れるんです?」
「ツグム殿が自信をもってそう仰っておりましたし……私も、」
ナユタは少し言葉を濁す。彼にしては珍しく上手く言葉が出てこない様子だ。そのことが、ナマエは少し不思議に思い、首を傾げる。
それでも彼は、ナマエのやり遂げた仕事を肯定するように。
「私は専門家ではございませんので、信用できないと思います。ですが、あの光景は編集長殿に選ばれるであろうことは私自身も、信じられます。
あなたは、それだけのものを見せて下さった。
……直接見ることが出来て、本当に良かった」
「……………最後、」
「?」
「最後に、わたし……笑ってって、言われて……」
『ナマエちゃん、ナユタ様に、笑って見せて』。
最後の指示。
ナマエに笑わなくていいと許してくれたカメラマンの、最初で最後の『笑え』という指示。
笑えるだろうか。そんな不安が、焦りが、一瞬ナマエの中でよぎったのは確かだった。
けれど。
「わたしは、……あなたに、笑顔を向けられたんでしょうか…?」
撮影時のナマエはどこか夢見心地になってしまう。それは、無意識下で被写体になりきれる才能ゆえに起こる感覚だった。
カメラマンの指示を受けて自動的に身体は動き、意識は存在感の強調を維持するためにかろうじて保つことができているような、そんな、曖昧な意識感覚にどうしてもなってしまう。だから他人がどんなに絶賛しても、実感がないのだ。
写真の中の自分と、現実の自分が、どうしても重ならない。
そんな感覚でモデルの仕事をしてはプロに失礼だと、だからナマエはずっとモデル業の仕事が来ても取り合わなかったのだ。
今回は条件を付けたが、それでも過去に恩のあるツグムの要望だったから応えただけで、ナマエはこの先モデル業に身を費やすことはないつもりでいる。
だから、だからこそ。
(ちゃんと、仕事を果たせたと……それだけ伝えてくれればいい)
期待に添えられた実感がない。だから、客観的に見ていたナユタにそれだけは確認しておきたかった。
ちゃんとできておりましたよ、とただそれだけ言ってもらえれば、ナマエは安心できる。
ナユタはナマエが嘘を憎んでいることを知っている。だから、決して嘘や偽りの賛辞などを言わない。
だから、ありのままの評価を下してくれると思っていたのだ。
「……ええ、」
ナユタはナマエの目を見つめて、告げる。
あくまで客観的に、正直に、ナマエが見せた姿に、嘘偽りなく。
「とても綺麗で、………とても、あなたが好きだと思いましたよ」
ナユタの声に、表情に、ナマエは言葉を失う。
(……なに、これ)
どうしてそんなに嬉しそうに、愛おしそうに、笑っているんだ。
わたしはただ、ちゃんと笑えたかどうかを、……それだけ聞いただけなのに。
『お母さんの笑顔はね、大好きな人に支えてもらっていて、その人が大好きよ、って気持ちで出来てるのよ』
不意に、母の言葉を思い出す。どうしてこのタイミングで、と考えてもナマエにはわからなかった。
ただ……どうしてかナユタの顔を、まともに見られない。
鼓動が早く高鳴る。顔が熱い。いつもは怜悧な眼差しだというのに、今自分に向けるそれがあまりにも甘やかで、優しく見えて仕方がない。
(……綺麗、なのは)
「ナマエさん?」
「……な、ゆた…さん」
「ナマエさん!?」
ナマエは顔を真っ赤にさせて、感情の許容量が超えてしまい、ソファーに倒れた。それに対し、ナユタは顔面蒼白で、急いで医者を呼んだ。
それ以降、ナマエはナユタを避けるようになった。