婚約者の意外な一面
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「ナユタ坊とは仲良くやっているであるか~?ナマエ嬢!」
宮殿内にある中庭の雑草取りを宮殿で働く使用人と共にやっていると陽気に声をかけてくる男がいた。ナマエはその声に雑草を取る作業の手を止めて、思い当たる名前を呼んでみた。
「ダッツさん。またこっそり忍び込んで……怒られますよ」
「大丈夫であーる!オレも雑草取りに助太刀にきただけであるからな~ナユタ坊も怒れまいよ~」
名前を呼びながら振り向くとそこで陽気に、豪快に笑う男ダッツにナマエはそういうことならと作業を再開する。ダッツも隣にしゃがんで雑草を取りながら、話し続ける。
「そういえばナマエ嬢!ホースケと密会していた件はナユタ坊とちゃんと話したのか?」
「……もしかして、ナユタさんに情報提供したの、ダッツさんだったりするんです?」
「オレは世間話をしただけである~勝手に勘違いしたのはナユタ坊であるよ~」
ひゅーひゅーうまく吹けていない口笛を吹きながらダッツは素知らぬ顔をする。その、嘘という判断に満たない反応にナマエはため息をつく。
「紅茶の試飲の件はナユタさんが代わりにやるということで決着しました。ついでに言えば、まがたまんに合う紅茶の淹れ方もうまくなりました」
「おお!じゃあ今度、ご馳走してもらうである!ホースケも呼んで、」
「その前に、拙僧に一声かけるべきなのでは?ダッツ?」
「どぁあああああっ!?」
俊敏な反応でダッツはその場を瞬時に離れた。鮮やかな動きに驚いていると流れるような動きでダッツの後ろから襟元を掴む手が見えた。
__ナユタである。
「おやおや、そのように逃げるとはつれない反応でございますね。先日は拙僧に気軽な『世間話』をしてくださったのに」
「わー!わー!ナユタ坊、落ち着くである!」
「拙僧は落ち着いておりますとも。落ち着きがないのは、あなたのほうでは?」
「ナユタ坊のその笑顔は怒っているのであーる!」
「そう見える、ということはあなたが何か拙僧が怒るようなことをしたという自覚があるのでは?」
「べ、弁護士ー!ホースケ、弁護を頼むであーる!!」
どちらが年上の大人なのかわからない会話に、ナマエはただ見つめるしかない。そんなナマエにナユタは本当の優しい微笑に切り替えて「一休みいたしましょう」と手を差し伸べて誘ってくる。
そのナユタを見て、伝えなければならない事項をふと思い出し、ナマエは雑草のついた前掛けを外しながら、
「ナユタさん」
「どうかなさいましたか?」
「わたし、日本へ帰ります」
「………………………………………え」
「だーっはっはっはっ!あの時のナユタ坊、見物だったであーる!!」
王泥喜法律事務所にて。
クライン名物まがたまんを食べながら、法介は隣で不愉快そうに悔しそうにお茶を飲んでいるナユタを見遣る。
詳しく話を聞いたら、こういうことらしい。
定期的に近況報告している養父、御剣怜侍にナマエが先日体調不良に陥ったことを伝えたら、主治医に診てもらうために一時帰国するよう心配された。離れた土地でもっと深刻な体調不良に陥られては心配で仕方ないと唯一の家族に言われてしまえば、ナマエが断るほどの強い理由はなかった。
だから、その経緯を前もって知らされずに一週間ほど日本に帰国するとだけ先にナマエに言われて、ナユタは酷く狼狽したらしい。その場に居合わせていたダッツが証人である。
「まあ、いきなり帰国するって言われて驚くのは無理ないだろうけどな」
『ナユタを嫌いだと思ったら帰国していい』という条件で婚約者の肩書きを得たナユタは心底焦っただろう。それを知っている法介は若干同情するが、ダッツは隙を見せることが少ない昔からの付き合いである坊主の拗ねる様子に笑いが止まらない。
「ホースケにも見せたかったであーる!ナマエ嬢が帰るって言った途端、一瞬放心したかと思ったらめちゃくちゃ焦って『拙僧に何か至らない所がございましたか!?』って捲し立てるように詰め寄って、ナマエ嬢に落ち着かせられたナユタ坊はアマラさんに謝るドゥルクとそっくりだったであーる!」
「…………なんたる、不覚」
「そういうこと聞いてると、ナユタはドゥルクに似ているんだな」
顔立ちは母親似だが、性格は父親に寄っているようだと法介は笑う。
「……ドゥルクがナマエちゃんと会ったら、めちゃくちゃ構いそうだよなぁ」
「そうであるなぁ。ナマエ嬢みたいな、甘えたがらない猫みたいな子供はドゥルクの父性を刺激するであろうなぁ」
「そして構い過ぎたドゥルクはナマエさんに過剰気味に警戒されるのでしょうね」
『あー……』
容易く想像できた光景に法介とダッツは同じ反応をする。
ナユタは小さくため息をついて、それでもドゥルクが、自分の父が生きていたならきっとナマエを可愛がっただろうと思う。そして自分の息子が特別に人を好きになったことを喜んだだろうと容易に信じることができた。
(きっと、お互いに何かが通じたのでしょうね)
ふと、そんなことを思う。
恋をする時間も暇もいらないと歩き続けてきたナユタと。
恋など抱かないほうがいいと理解し、納得していたナマエ。
ナユタはナマエと出会ってからも、自分の恋を認めなかった。日本の検事局で時々目にする、花壇の花に水をあげる少女を何となく気にかけていながら、この手が彼女に伸びることはないのだろうと信じていた。
実際、ナユタに心の余裕など、なかったのだ。ナマエに抱く想いが恋なのだろうかとか、今度はいつ目にすることがあるのだろうかとか、時々そんなことを思い出しては考えを振り払った。
仕事のこと、国のこと、家族のこと……深刻に考えるべきことは尽きることがなかったのだから。
それに変化が起こったのは、日本で裁判を終えて、ナユタが帰路に立った時のことだった。
目の前にふらふらと、不安定な状態で歩くナマエがいた。後ろ姿だったが、ナユタが見てきたナマエはずっと後ろ姿だったのですぐにわかった。しかしいつもしゃんとした姿勢でいる彼女が、どこか弱々しく見えると思ったらその身体は力なく地面に倒れてしまった。
驚いたナユタは慌てて駆け寄って、ナマエを抱き起こした。
__そして、その顔色の悪さに唖然とした。
血の気が引いた蒼い顔、浅い呼吸、熱があるのか汗が額に滲んでおり、口元を手で覆い、吐き気があるのか小さく喘いだ。
(病院に、)
そう思い、念のため用意していた携帯電話をナユタは取り出し、しかしその手は小さな手によって阻まれた。
そして続いたのは、……小さな悲鳴のような言葉だった。
「なにも、しないで………ほうっておいて、いいから……」
「___、」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……もう、なにも……しないで……おこらないで……」
「御剣さ、」
「だれにもいわないから……もう、ないて……さわいだり、しないから……」
不意に脳裏に浮かんだのは、いつも花壇に立っていたこの少女の姿だった。
しゃんとした姿勢で立っていたナマエの姿に違和感があるように気が付いたのは……養父に愛され、信頼しているにもかかわらず、彼女がどこか途方に暮れたかのように立ち尽くしているように見えたから。
(__ああ、あなたは)
(__あなたも、『囚われている』のか)
強く頭部を強打されたような感覚に、『気づいた』ナユタは眉をしかめて、歯噛みした。
この痛々しい彼女の声に、姿に、もうナユタには気が付いていない『振り』など、できるはずがなかった。
壊れ物を扱うように抱き上げて、近くの公園にあった木陰でナマエを休ませた。時折汗を滲ませながら、うわ言のように誰かに謝り続ける彼女の小さな手を握って、「大丈夫ですよ」とあやすように慰めた。
目を覚ましたナマエは、泣きながら「自分が嫌いだ」といった。
そんなふうに思うナマエを、悲しいとナユタは思う。まるで自分のことのように、彼女が彼女自身を傷つけていることは酷く胸が痛んだ。
彼女に、まったく信頼できる大人がいないわけではない。信頼している大人の筆頭は、救いの手を差し伸べてくれた養父である御剣怜侍なのだろう。
けれど、ナマエは頼るべき大人の手に縋っていいのか迷っている。側にいて、自分に優しい愛情を向ける大人を、これ以上困らせたくないと心の底で願っている。
__いつか、その手が離れることを想像して。
何故なら、本来子供の信頼を得ているはずの実の父親が、彼女にとっては害悪そのものだったのだから。
(不器用、という言葉で片づけていいものではないのでしょう)
母親を早くに亡くし、父親は愛するどころか虐待をし。
尊敬し、信頼する養父を大切に想うがゆえに甘えきれない。
きっと、心のどこかではまだまだ甘えたかっただろうに。
そんな彼女の抱える傷はどこまで多く、そして深いのだろうとナユタは憂いた。
……その傷の存在を知っておきながら、手を伸ばすことができない己が歯がゆかった。
その時のナユタは、これ以上大切な者を作ることが恐ろしかったのだ。
……彼にとって大切な者を側に置くことは、偽りの女王だったガランたちに新たな『弱点』を差し出すようなものでしかなかったから。
だからクライン王国で革命を終えて、ナユタは自分の歩む道に、このままただ歩き出していいものか悩んだ。
思い浮かぶただ一人の少女を、途方に暮れ、立ち尽くしているであろうナマエを置いて、足を進ませるのは強い抵抗があった。
(……手を、差し伸べてもいいのでしょうか)
ナユタの勝手な恋心によって、ナマエが傷つくのではないだろうか。嫌悪されるのではないだろうか。そう想像するだけで、彼女に想いを伝えることが、彼はとても恐ろしかった。
けれど、それでも諦めるという後悔はもうたくさんだった。
もし、ナマエがまた誰かの腕の中で泣いていたらと考えたら、歩みは彼女のいる場所へ向かっていた。ただ想うだけでは、側にいるだけでは駄目なのだとナユタは知っていたから。
歩みを止めて見えない『誰か』に謝り続けるナマエの手を引き上げて、しっかり繋いで、一緒に歩き出したい。
そんな、切実な祈りを抱いてナユタはナマエに会いに行っていたのだ。
王族籍に戻った自分の責務は理解している。そんな自分が、ただ一人の女性を望むということは一般人としての、普通の生活から遠ざけることでしかない。
きっと、様々な視線に晒される。ナユタの恋は、様々な人々が注目するものでしかないのだ。王族籍から除外されていたなら、それほど重要視されなかっただろう。
けれど今のナユタはクライン王家の人間なのだ。
(……それでも、願わずにはいられないのです)
途方に暮れる彼女に寄り添うのが自分であれば、それは喜ばしいことに変わりはない。けれど優しさを、慈しみを存分に与えて、ただ彼女に『自分自身の幸福』を感じて笑って欲しいのだ。
『婚約者』という肩書は、結局、今の彼女にとっては枷でしかないということはわかっている。
だから自分の恋が実ることなく、そして彼女のためにならないなら。その時は潔く、彼女の手を離そうとナユタは思っている。
そして。
(どのような結末になろうと、私はただあなたを想う)
たとえ、自分の想いが叶わぬものであっても、愛しい人に幸せで在って欲しい。
それが、ナユタ・サードマディの愛し方なのだ。
宮殿内にある中庭の雑草取りを宮殿で働く使用人と共にやっていると陽気に声をかけてくる男がいた。ナマエはその声に雑草を取る作業の手を止めて、思い当たる名前を呼んでみた。
「ダッツさん。またこっそり忍び込んで……怒られますよ」
「大丈夫であーる!オレも雑草取りに助太刀にきただけであるからな~ナユタ坊も怒れまいよ~」
名前を呼びながら振り向くとそこで陽気に、豪快に笑う男ダッツにナマエはそういうことならと作業を再開する。ダッツも隣にしゃがんで雑草を取りながら、話し続ける。
「そういえばナマエ嬢!ホースケと密会していた件はナユタ坊とちゃんと話したのか?」
「……もしかして、ナユタさんに情報提供したの、ダッツさんだったりするんです?」
「オレは世間話をしただけである~勝手に勘違いしたのはナユタ坊であるよ~」
ひゅーひゅーうまく吹けていない口笛を吹きながらダッツは素知らぬ顔をする。その、嘘という判断に満たない反応にナマエはため息をつく。
「紅茶の試飲の件はナユタさんが代わりにやるということで決着しました。ついでに言えば、まがたまんに合う紅茶の淹れ方もうまくなりました」
「おお!じゃあ今度、ご馳走してもらうである!ホースケも呼んで、」
「その前に、拙僧に一声かけるべきなのでは?ダッツ?」
「どぁあああああっ!?」
俊敏な反応でダッツはその場を瞬時に離れた。鮮やかな動きに驚いていると流れるような動きでダッツの後ろから襟元を掴む手が見えた。
__ナユタである。
「おやおや、そのように逃げるとはつれない反応でございますね。先日は拙僧に気軽な『世間話』をしてくださったのに」
「わー!わー!ナユタ坊、落ち着くである!」
「拙僧は落ち着いておりますとも。落ち着きがないのは、あなたのほうでは?」
「ナユタ坊のその笑顔は怒っているのであーる!」
「そう見える、ということはあなたが何か拙僧が怒るようなことをしたという自覚があるのでは?」
「べ、弁護士ー!ホースケ、弁護を頼むであーる!!」
どちらが年上の大人なのかわからない会話に、ナマエはただ見つめるしかない。そんなナマエにナユタは本当の優しい微笑に切り替えて「一休みいたしましょう」と手を差し伸べて誘ってくる。
そのナユタを見て、伝えなければならない事項をふと思い出し、ナマエは雑草のついた前掛けを外しながら、
「ナユタさん」
「どうかなさいましたか?」
「わたし、日本へ帰ります」
「………………………………………え」
「だーっはっはっはっ!あの時のナユタ坊、見物だったであーる!!」
王泥喜法律事務所にて。
クライン名物まがたまんを食べながら、法介は隣で不愉快そうに悔しそうにお茶を飲んでいるナユタを見遣る。
詳しく話を聞いたら、こういうことらしい。
定期的に近況報告している養父、御剣怜侍にナマエが先日体調不良に陥ったことを伝えたら、主治医に診てもらうために一時帰国するよう心配された。離れた土地でもっと深刻な体調不良に陥られては心配で仕方ないと唯一の家族に言われてしまえば、ナマエが断るほどの強い理由はなかった。
だから、その経緯を前もって知らされずに一週間ほど日本に帰国するとだけ先にナマエに言われて、ナユタは酷く狼狽したらしい。その場に居合わせていたダッツが証人である。
「まあ、いきなり帰国するって言われて驚くのは無理ないだろうけどな」
『ナユタを嫌いだと思ったら帰国していい』という条件で婚約者の肩書きを得たナユタは心底焦っただろう。それを知っている法介は若干同情するが、ダッツは隙を見せることが少ない昔からの付き合いである坊主の拗ねる様子に笑いが止まらない。
「ホースケにも見せたかったであーる!ナマエ嬢が帰るって言った途端、一瞬放心したかと思ったらめちゃくちゃ焦って『拙僧に何か至らない所がございましたか!?』って捲し立てるように詰め寄って、ナマエ嬢に落ち着かせられたナユタ坊はアマラさんに謝るドゥルクとそっくりだったであーる!」
「…………なんたる、不覚」
「そういうこと聞いてると、ナユタはドゥルクに似ているんだな」
顔立ちは母親似だが、性格は父親に寄っているようだと法介は笑う。
「……ドゥルクがナマエちゃんと会ったら、めちゃくちゃ構いそうだよなぁ」
「そうであるなぁ。ナマエ嬢みたいな、甘えたがらない猫みたいな子供はドゥルクの父性を刺激するであろうなぁ」
「そして構い過ぎたドゥルクはナマエさんに過剰気味に警戒されるのでしょうね」
『あー……』
容易く想像できた光景に法介とダッツは同じ反応をする。
ナユタは小さくため息をついて、それでもドゥルクが、自分の父が生きていたならきっとナマエを可愛がっただろうと思う。そして自分の息子が特別に人を好きになったことを喜んだだろうと容易に信じることができた。
(きっと、お互いに何かが通じたのでしょうね)
ふと、そんなことを思う。
恋をする時間も暇もいらないと歩き続けてきたナユタと。
恋など抱かないほうがいいと理解し、納得していたナマエ。
ナユタはナマエと出会ってからも、自分の恋を認めなかった。日本の検事局で時々目にする、花壇の花に水をあげる少女を何となく気にかけていながら、この手が彼女に伸びることはないのだろうと信じていた。
実際、ナユタに心の余裕など、なかったのだ。ナマエに抱く想いが恋なのだろうかとか、今度はいつ目にすることがあるのだろうかとか、時々そんなことを思い出しては考えを振り払った。
仕事のこと、国のこと、家族のこと……深刻に考えるべきことは尽きることがなかったのだから。
それに変化が起こったのは、日本で裁判を終えて、ナユタが帰路に立った時のことだった。
目の前にふらふらと、不安定な状態で歩くナマエがいた。後ろ姿だったが、ナユタが見てきたナマエはずっと後ろ姿だったのですぐにわかった。しかしいつもしゃんとした姿勢でいる彼女が、どこか弱々しく見えると思ったらその身体は力なく地面に倒れてしまった。
驚いたナユタは慌てて駆け寄って、ナマエを抱き起こした。
__そして、その顔色の悪さに唖然とした。
血の気が引いた蒼い顔、浅い呼吸、熱があるのか汗が額に滲んでおり、口元を手で覆い、吐き気があるのか小さく喘いだ。
(病院に、)
そう思い、念のため用意していた携帯電話をナユタは取り出し、しかしその手は小さな手によって阻まれた。
そして続いたのは、……小さな悲鳴のような言葉だった。
「なにも、しないで………ほうっておいて、いいから……」
「___、」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……もう、なにも……しないで……おこらないで……」
「御剣さ、」
「だれにもいわないから……もう、ないて……さわいだり、しないから……」
不意に脳裏に浮かんだのは、いつも花壇に立っていたこの少女の姿だった。
しゃんとした姿勢で立っていたナマエの姿に違和感があるように気が付いたのは……養父に愛され、信頼しているにもかかわらず、彼女がどこか途方に暮れたかのように立ち尽くしているように見えたから。
(__ああ、あなたは)
(__あなたも、『囚われている』のか)
強く頭部を強打されたような感覚に、『気づいた』ナユタは眉をしかめて、歯噛みした。
この痛々しい彼女の声に、姿に、もうナユタには気が付いていない『振り』など、できるはずがなかった。
壊れ物を扱うように抱き上げて、近くの公園にあった木陰でナマエを休ませた。時折汗を滲ませながら、うわ言のように誰かに謝り続ける彼女の小さな手を握って、「大丈夫ですよ」とあやすように慰めた。
目を覚ましたナマエは、泣きながら「自分が嫌いだ」といった。
そんなふうに思うナマエを、悲しいとナユタは思う。まるで自分のことのように、彼女が彼女自身を傷つけていることは酷く胸が痛んだ。
彼女に、まったく信頼できる大人がいないわけではない。信頼している大人の筆頭は、救いの手を差し伸べてくれた養父である御剣怜侍なのだろう。
けれど、ナマエは頼るべき大人の手に縋っていいのか迷っている。側にいて、自分に優しい愛情を向ける大人を、これ以上困らせたくないと心の底で願っている。
__いつか、その手が離れることを想像して。
何故なら、本来子供の信頼を得ているはずの実の父親が、彼女にとっては害悪そのものだったのだから。
(不器用、という言葉で片づけていいものではないのでしょう)
母親を早くに亡くし、父親は愛するどころか虐待をし。
尊敬し、信頼する養父を大切に想うがゆえに甘えきれない。
きっと、心のどこかではまだまだ甘えたかっただろうに。
そんな彼女の抱える傷はどこまで多く、そして深いのだろうとナユタは憂いた。
……その傷の存在を知っておきながら、手を伸ばすことができない己が歯がゆかった。
その時のナユタは、これ以上大切な者を作ることが恐ろしかったのだ。
……彼にとって大切な者を側に置くことは、偽りの女王だったガランたちに新たな『弱点』を差し出すようなものでしかなかったから。
だからクライン王国で革命を終えて、ナユタは自分の歩む道に、このままただ歩き出していいものか悩んだ。
思い浮かぶただ一人の少女を、途方に暮れ、立ち尽くしているであろうナマエを置いて、足を進ませるのは強い抵抗があった。
(……手を、差し伸べてもいいのでしょうか)
ナユタの勝手な恋心によって、ナマエが傷つくのではないだろうか。嫌悪されるのではないだろうか。そう想像するだけで、彼女に想いを伝えることが、彼はとても恐ろしかった。
けれど、それでも諦めるという後悔はもうたくさんだった。
もし、ナマエがまた誰かの腕の中で泣いていたらと考えたら、歩みは彼女のいる場所へ向かっていた。ただ想うだけでは、側にいるだけでは駄目なのだとナユタは知っていたから。
歩みを止めて見えない『誰か』に謝り続けるナマエの手を引き上げて、しっかり繋いで、一緒に歩き出したい。
そんな、切実な祈りを抱いてナユタはナマエに会いに行っていたのだ。
王族籍に戻った自分の責務は理解している。そんな自分が、ただ一人の女性を望むということは一般人としての、普通の生活から遠ざけることでしかない。
きっと、様々な視線に晒される。ナユタの恋は、様々な人々が注目するものでしかないのだ。王族籍から除外されていたなら、それほど重要視されなかっただろう。
けれど今のナユタはクライン王家の人間なのだ。
(……それでも、願わずにはいられないのです)
途方に暮れる彼女に寄り添うのが自分であれば、それは喜ばしいことに変わりはない。けれど優しさを、慈しみを存分に与えて、ただ彼女に『自分自身の幸福』を感じて笑って欲しいのだ。
『婚約者』という肩書は、結局、今の彼女にとっては枷でしかないということはわかっている。
だから自分の恋が実ることなく、そして彼女のためにならないなら。その時は潔く、彼女の手を離そうとナユタは思っている。
そして。
(どのような結末になろうと、私はただあなたを想う)
たとえ、自分の想いが叶わぬものであっても、愛しい人に幸せで在って欲しい。
それが、ナユタ・サードマディの愛し方なのだ。