恋する検事さんは強いのです
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
クライン王国、姫巫女であり、幼き女王のレイファはまだ恋を知らない。
そもそもまともな友人と呼べる者がいなければ、今、レイファにはお付きの従者がいなかった。そんな中、本当の母のこと、父のこと、はたまた自分に兄がいたことなど、隠されていた真実がすべて明るみに出たのだ。信じるべきもの、自分のなすべきことがはっきりしたと言えど、混乱も動揺も、まったくないとは言い難い。
特にレイファはナユタが自分の兄だと認めることはできても、『お兄様』と呼ぶことができない。今までのレイファとナユタの関係は、どちらかと言えば主と家臣、それほど隔たりがあったのだから。
ナユタは常に冷静で、穏やかに、厳しく律すべき場所では怜悧な振る舞いをする。母から受け継いだ穏健な容貌からは信じられないほどに苛烈な発言をする性格は、『龍』と称された父親の血が垣間見えた。
そのナユタが。
「恋とは落ちるもの、とは言い得て妙ですね。……その中で、一目惚れ、というものに自分が落ちるとは思いも致しませんでした」
『龍は屈せず』という思いを抱き、『龍』の血を引き継ぐ者と呼ばれる男が、綻ぶように微笑む姿は確かに『人』に戻っていた。
__恋心によって。
レイファは恋を知らない。
しかし恋はどんな相手でも変化を与え、聖母のような人間も『龍』と言われた人間も、人に戻すのだとレイファは知っていた。
クライン王国、宮殿内に招かれている状況の御剣ナマエは、これと言って決められた仕事がない。
クライン語やら、クライン王国の歴史に関する勉学は元女王アマラや、本当に時間がある時はナユタが担当してくれる。ナマエは現在、日本では『留学中』として扱われているので、多少の勉学実績が必要になるのだ。日本にいた時、来日するナユタがクライン語を多少教えていたのがここで助かるとは思ってもおらず、こうなることを予想していたのだろうかと尋ねれば、柔らかく微笑まれるだけでナマエには何も言ってくれなかった。
(でも、同じ勉強をする生徒としてレイファ様もご一緒されていいのだろうか……)
そう思わなかったわけではない、が、ナマエが気にしても仕方のないことなのだろうと特に何も追求しなかった。ただ、「よろしくお願いします、レイファ様」と挨拶し、紅茶やお茶菓子を差し上げたら大層喜ばれ、次に会ったらクライン名物『まがたまん』というものを持ってきて、「これ!これに合う紅茶は淹れられるか?」と期待された。
紅茶を淹れるのが趣味、とはいえナマエはプロの紅茶好きではない。
なので宮殿の台所をお借りして、口に合う紅茶の研究をした。紅茶の試飲は偶然雑用仕事を任されて、ヨレヨレになった王泥喜法介がいたのでお願いしたら快く受けてくれたので、時々弁護士事務所に赴いて紅茶を試飲してもらっていたら、
「ナマエさん。私という婚約者がおりますのに、別の男の元に通うのは感心致しませんね?」
仕事の時以外、時々ナユタは自分のことを『拙僧』ではなく『私』と言う。それを知ったのは、ナマエが婚約者になった後だ。たぶん、素なのだろう。普段の一人称は彼の僧侶としての癖で、それもまた彼なのだろうと彼女は思った。
仕事の休憩中で素に戻ったナユタがいっそやんわりと、優しく微笑んで尋問したのでナマエは白状した。事情を説明すれば、ナユタはどこかほっとしたような表情を浮かべる。ナマエが首を傾げてみせると、ナユタは安堵のため息をついた。
「……あなたが他の男の元に通っている、という情報を耳にいたしましたので少し不安になっておりました」
「はあ。ええと、わたしも何も言わなかったのが良くありませんでしたね。何せやましいことがなかったもので」
「ええ、そうでしょうとも。あなたはいたずらに事をややこしくするような方ではありません。
ですが、たとえやましいことがないにせよ、通っていた相手が幼馴染兼義兄弟であったとしても、私はもやついた心境を抱かずにはおれませんでしょうね」
「??ナユタさんには、いつも紅茶を差し入れてますけれど……」
「でしたらば私に紅茶の試飲を頼めばよろしいでしょう?」
「え……それは、ちょっと…」
「何故、私では駄目なのですか?」
「え……だって、ナユタさんにはいつも美味しい紅茶を飲ませてあげたいですし。研究不足の紅茶なんて、美味しくないの、ナユタさんに飲ませられませんよ」
「…………うぅ」
「どうしました、ナユタさん。胸を手で押さえて……急病ですか?」
「ナマエさん……」
「はいはい?」
「………不意打ちで、私をときめかせないでくださいませ…」
「??すみません、ナユタさんが恥じらう乙女のようにときめくポイントがわからないので……注意しようがないです」
「…ぽるくんか………」
……と、このようにナユタが少し悲しそうに項垂れたので、ナマエは「こ、今度はナユタさんにお願いしますから」と頼めば、ナユタは嬉しそうに目を細め、花が綻ぶように笑った。
(……美人が笑うと、まるで花が飛ぶような雰囲気があるなぁ)
ああ、だから時々蝶々が誘われてくるのだとナマエは思った。はたしてこのナユタという花は、どんな蜜を含んでいるんだろうと絵空事を考えながら、ナマエは今日もナユタと紅茶を飲みながら他愛ないことをお話しした。
「レイファ様は表情豊かで、可愛らしいですね」
わたくし、アマラのために淹れてくれた紅茶を日本からやってきた息子の婚約者、ナマエが差しだしながらそう呟いた。紅茶のほかに、娘のレイファと一緒に街に下りて買ったというまがたまんを添えてくれた優しい子に、わたくしはたまらず微笑んでしまう。
レイファは少しわがままで、なかなか素直になれない娘に育ててしまった自負があるのだけれど、可愛らしいと褒めてくれたのは母親として素直に嬉しいのです。ナマエは嘘は言わない子なのだから。
___正しくは、この子は嘘が言えない体質なのだと詳しい話を聞いた時、わたくしは胸が痛んだ。
ナマエが今名乗っている姓は養父の姓であり、以前に名乗っていた姓は忘れたいほど嫌っている。その原因は、今は亡き父親のせいだという。母親は交通事故で亡くなっており、残されたナマエは父親に酷い暴力を受けていたのだという事情はナユタが調べ上げたことだ。
そのせいで一時は男性恐怖症に近い状況にまで陥り、今では多少の男嫌い、くらいには回復したのだとナマエ自身が教えてくれた。それを聞いたわたくしが「じゃあ、ナユタは好きなのね?」と訊いてしまったのは単純すぎたかしら?それでもわたくしの問いかけに、ナマエは「嫌いでは、ありません」と口を濁した。どうしたのかしら、と理由を聞くとナマエは言いにくそうにしたけれど、きちんと答えてくれたわ。
「恋という感情を、わたしは好んでないんです。むしろ嫌悪すら、抱いています。
……そんなわたしを、ナユタさんが慕ってくれるのは……申し訳なくて仕方がありません」
ナマエは苦しそうに眉をしかめて見せた。
「ナユタさんの想いは、とても真っすぐです。純粋で、優しくて、あたたかなそれに応える術を、……わたしにはどうしても手を伸ばすことができません。
まるで、綺麗な白い花を泥で汚すような、罪悪感が…ずっと居座っているんです」
「………恋、というものは美しいばかりではなくてよ?」
「わかっています。………『あの男』が、それを嫌というほど思い知らせたから」
『あの男』__ナマエがそう呼ぶのは、自分の、本当に血の繋がった父親のこと。
ナマエが最も厭い、許さずにいる……嘘の塊のような男。ナマエはその嘘だらけの父親のせいで、生理的に嘘を受け付けぬようになり、嘘の言えない体質になった。
それが、どんなに優しい嘘であっても。思いやりにあふれた行為であろうとも。
彼女にとって………嘘とは父親の残した負の遺産だけに過ぎない代物なのだ。
「ナユタは、あなたに嘘を言ったことがあるのかしら?」
「いいえ。……わたしが、嘘が嫌いなのだと言った時から、律儀にそれを覚えてくれているようで」
「そうなの。……まあ、でもナユタはあなたには別の意味でも嘘なんて言えないかもしれないわね」
「??」
「あの子は恋愛初心者なのです。今まで恋やら愛やらに現を抜かすなど、って言って躱していた穴に落ちてしまって、内心ずっと怯えていたのですよ。
クラインに帰国し、革命が収束して……あの子、初めてわたくしに相談してきて」
「………?」
「ふふ。あなたのことですよ、ナマエ。国も歳も離れた女性を忘れられないのですがどうしたらいいでしょうか、って心底困った顔をして……うふふ、今思い返しても、とっても嬉しくて感動して微笑ましかったわ」
「…………」
「恋は人を変えます。ええ、その通りだと思うわ。それに、好きになってしまったら、本人にはどうしようもできませんもの。とても厄介で、愚かしくも美しく、良くも悪くも心を豊かにする秘術。それが、恋なのでしょうね。だから、わたくし言ってあげたわ。
__恋を認めないことを諦めなさい、って」
わたくしの言葉に、ナマエはきょとんと眼を瞬かせる。その顔が可愛らしくて、わたくしはくすくす笑ってしまう。
「恋する女性は美しいというけれど、恋する男性は……少なくともわたくしの愛した男性は情熱的で、諦めることを知らない人だったわ。その血を引くナユタが、恋する女性に情熱的にならないわけがないのよ」
「ナユタぁ!!」
執務室にいきなり乱入してきた客人、いえ、妹に拙僧は公務の指示を記す手を止め、するりと書類を巻き取った。妹、レイファは顔を真っ赤にさせて、涙目で、怒ったような悔しそうな表情でずんずんと拙僧の目の前に歩み寄る。
「何故、何故ナマエを娶らないのじゃ!!」
………いきなり精神を、胸を抉るような発言をされ、拙僧はぐっと息が詰まった。
レイファはナマエさんにとても懐いている。元々正反対の性格である二人が仲良くできるのは、正反対であるからこそ、だろう。欠けた部分がうまく噛み合うように、歯車のように円滑に回っているような姿が二人の友好関係を表している。
そのレイファが、拙僧がナマエさんを娶らないことに関して憤っている。
どうしてそのような事態になっているのか、拙僧が尋ねると。
「……ナマエが、ワラワやソチ、母様を誑かしている異国人だと、噂されておる。そんな言いがかりのようなことを言い続けている奴らとナマエを、見たのじゃ」
「………」
拙僧は眉をしかめる。
噂は、確かに聞いたことがある。革命から間もないこの国の中枢は、未だに頭の腐った家臣が残っている。その噂を、以前に拙僧の耳に入れた家臣は、己の地位を確立させたいがために『善意』のつもりで話したのだろう。
……勘違いも甚だしいとは、まさにこのことだ。
そもそも認識が間違っているのが最初からだ。
噂では『異国から留学してきた少女は、我が国の革命時での恩人から伝手を頼ってクライン国に忍び込み、クライン王家を誑かしている』と言っているが、この国に留学という形で来訪させたのは拙僧の都合である。我が国の革命にて関わった恩人の伝手を使ってナマエさんをこちらに呼び、婚約者という肩書を欲したのも拙僧自身であり、誑かしたのはむしろこちらなのだ。
「……それで?」
「ワラワはそれが間違っていると言った。ナマエはそんなことしていない、ただ、ワラワたちに優しいだけじゃと……だけど、だけどナマエが、」
「ナマエさんは、なんと?」
「……『愛国心の強い人たちですね。今後は出過ぎた真似をしないよう、気を付けます。ご迷惑をかけてすみませんでした』……って」
「それは……何という」
言いがかりをつけてきた者にとっては、ナマエさんが言い返すことを予想していただろう。まともな人間は、間違った認識をされると正しき方向へ修正したがる。怒りに身を任せた発言をした瞬間、言いがかりをした者たちはそれに過剰に反応し、余計騒ぎ立てるはずだったのだろう。
しかし、相手はあのナマエさんなのだ。
「何故じゃ……何故、ナマエはあんなにも、あっさりと受け入れてしまうのじゃ……」
「レイファ様、それは違います」
視線を合わせるように顔を覗き込むとレイファは「え?」と目を瞬かせた。
「ナマエさんは受け入れたのではございません。きっと、それほどにその者たちの側にいたくなかっただけなのでしょう。ナマエさんはその話が嘘であることを誰よりもご存じなのですから」
「ならば、何故言い返すこともなく……!」
「レイファ様。……ナマエさんは、嘘が大嫌いなのでございます。それこそ、嘘を聞いた瞬間に……逃げ出したくなるほどに」
「嘘が、嫌い?逃げるほどに?」
「ええ、ですから言いがかりをつけてきた者たちを、ナマエさんは酷く嫌悪されたはずです。ナマエさんの嘘に対する嫌悪は普通ではございません。
憎き敵のようなもの、とでも申しましょうか……」
「じゃあ、じゃあ、ナマエは……」
「その場を逃げるには、その態度を受け入れるようなことを言ったほうが遥かに簡単だったのでございましょう。それで、レイファ様。ナマエさんは、今どちらに?」
「部屋のほうに……向かったと、思う」
「では、拙僧はこれにて失礼いたします。ナマエさんの体調が心配です」
「じゃ、じゃが、さっきワラワが声をかけたら、大丈夫です、って……」
「だからこそでございますよ」
レイファに心配をかけまいと、ナマエさんはきっと『大丈夫』と嘘をつかれることでしょう。
嘘が言えない体質になったナマエさんが、嘘を言った瞬間どうなるのか……拙僧は、知っているのです。
そもそもまともな友人と呼べる者がいなければ、今、レイファにはお付きの従者がいなかった。そんな中、本当の母のこと、父のこと、はたまた自分に兄がいたことなど、隠されていた真実がすべて明るみに出たのだ。信じるべきもの、自分のなすべきことがはっきりしたと言えど、混乱も動揺も、まったくないとは言い難い。
特にレイファはナユタが自分の兄だと認めることはできても、『お兄様』と呼ぶことができない。今までのレイファとナユタの関係は、どちらかと言えば主と家臣、それほど隔たりがあったのだから。
ナユタは常に冷静で、穏やかに、厳しく律すべき場所では怜悧な振る舞いをする。母から受け継いだ穏健な容貌からは信じられないほどに苛烈な発言をする性格は、『龍』と称された父親の血が垣間見えた。
そのナユタが。
「恋とは落ちるもの、とは言い得て妙ですね。……その中で、一目惚れ、というものに自分が落ちるとは思いも致しませんでした」
『龍は屈せず』という思いを抱き、『龍』の血を引き継ぐ者と呼ばれる男が、綻ぶように微笑む姿は確かに『人』に戻っていた。
__恋心によって。
レイファは恋を知らない。
しかし恋はどんな相手でも変化を与え、聖母のような人間も『龍』と言われた人間も、人に戻すのだとレイファは知っていた。
クライン王国、宮殿内に招かれている状況の御剣ナマエは、これと言って決められた仕事がない。
クライン語やら、クライン王国の歴史に関する勉学は元女王アマラや、本当に時間がある時はナユタが担当してくれる。ナマエは現在、日本では『留学中』として扱われているので、多少の勉学実績が必要になるのだ。日本にいた時、来日するナユタがクライン語を多少教えていたのがここで助かるとは思ってもおらず、こうなることを予想していたのだろうかと尋ねれば、柔らかく微笑まれるだけでナマエには何も言ってくれなかった。
(でも、同じ勉強をする生徒としてレイファ様もご一緒されていいのだろうか……)
そう思わなかったわけではない、が、ナマエが気にしても仕方のないことなのだろうと特に何も追求しなかった。ただ、「よろしくお願いします、レイファ様」と挨拶し、紅茶やお茶菓子を差し上げたら大層喜ばれ、次に会ったらクライン名物『まがたまん』というものを持ってきて、「これ!これに合う紅茶は淹れられるか?」と期待された。
紅茶を淹れるのが趣味、とはいえナマエはプロの紅茶好きではない。
なので宮殿の台所をお借りして、口に合う紅茶の研究をした。紅茶の試飲は偶然雑用仕事を任されて、ヨレヨレになった王泥喜法介がいたのでお願いしたら快く受けてくれたので、時々弁護士事務所に赴いて紅茶を試飲してもらっていたら、
「ナマエさん。私という婚約者がおりますのに、別の男の元に通うのは感心致しませんね?」
仕事の時以外、時々ナユタは自分のことを『拙僧』ではなく『私』と言う。それを知ったのは、ナマエが婚約者になった後だ。たぶん、素なのだろう。普段の一人称は彼の僧侶としての癖で、それもまた彼なのだろうと彼女は思った。
仕事の休憩中で素に戻ったナユタがいっそやんわりと、優しく微笑んで尋問したのでナマエは白状した。事情を説明すれば、ナユタはどこかほっとしたような表情を浮かべる。ナマエが首を傾げてみせると、ナユタは安堵のため息をついた。
「……あなたが他の男の元に通っている、という情報を耳にいたしましたので少し不安になっておりました」
「はあ。ええと、わたしも何も言わなかったのが良くありませんでしたね。何せやましいことがなかったもので」
「ええ、そうでしょうとも。あなたはいたずらに事をややこしくするような方ではありません。
ですが、たとえやましいことがないにせよ、通っていた相手が幼馴染兼義兄弟であったとしても、私はもやついた心境を抱かずにはおれませんでしょうね」
「??ナユタさんには、いつも紅茶を差し入れてますけれど……」
「でしたらば私に紅茶の試飲を頼めばよろしいでしょう?」
「え……それは、ちょっと…」
「何故、私では駄目なのですか?」
「え……だって、ナユタさんにはいつも美味しい紅茶を飲ませてあげたいですし。研究不足の紅茶なんて、美味しくないの、ナユタさんに飲ませられませんよ」
「…………うぅ」
「どうしました、ナユタさん。胸を手で押さえて……急病ですか?」
「ナマエさん……」
「はいはい?」
「………不意打ちで、私をときめかせないでくださいませ…」
「??すみません、ナユタさんが恥じらう乙女のようにときめくポイントがわからないので……注意しようがないです」
「…ぽるくんか………」
……と、このようにナユタが少し悲しそうに項垂れたので、ナマエは「こ、今度はナユタさんにお願いしますから」と頼めば、ナユタは嬉しそうに目を細め、花が綻ぶように笑った。
(……美人が笑うと、まるで花が飛ぶような雰囲気があるなぁ)
ああ、だから時々蝶々が誘われてくるのだとナマエは思った。はたしてこのナユタという花は、どんな蜜を含んでいるんだろうと絵空事を考えながら、ナマエは今日もナユタと紅茶を飲みながら他愛ないことをお話しした。
「レイファ様は表情豊かで、可愛らしいですね」
わたくし、アマラのために淹れてくれた紅茶を日本からやってきた息子の婚約者、ナマエが差しだしながらそう呟いた。紅茶のほかに、娘のレイファと一緒に街に下りて買ったというまがたまんを添えてくれた優しい子に、わたくしはたまらず微笑んでしまう。
レイファは少しわがままで、なかなか素直になれない娘に育ててしまった自負があるのだけれど、可愛らしいと褒めてくれたのは母親として素直に嬉しいのです。ナマエは嘘は言わない子なのだから。
___正しくは、この子は嘘が言えない体質なのだと詳しい話を聞いた時、わたくしは胸が痛んだ。
ナマエが今名乗っている姓は養父の姓であり、以前に名乗っていた姓は忘れたいほど嫌っている。その原因は、今は亡き父親のせいだという。母親は交通事故で亡くなっており、残されたナマエは父親に酷い暴力を受けていたのだという事情はナユタが調べ上げたことだ。
そのせいで一時は男性恐怖症に近い状況にまで陥り、今では多少の男嫌い、くらいには回復したのだとナマエ自身が教えてくれた。それを聞いたわたくしが「じゃあ、ナユタは好きなのね?」と訊いてしまったのは単純すぎたかしら?それでもわたくしの問いかけに、ナマエは「嫌いでは、ありません」と口を濁した。どうしたのかしら、と理由を聞くとナマエは言いにくそうにしたけれど、きちんと答えてくれたわ。
「恋という感情を、わたしは好んでないんです。むしろ嫌悪すら、抱いています。
……そんなわたしを、ナユタさんが慕ってくれるのは……申し訳なくて仕方がありません」
ナマエは苦しそうに眉をしかめて見せた。
「ナユタさんの想いは、とても真っすぐです。純粋で、優しくて、あたたかなそれに応える術を、……わたしにはどうしても手を伸ばすことができません。
まるで、綺麗な白い花を泥で汚すような、罪悪感が…ずっと居座っているんです」
「………恋、というものは美しいばかりではなくてよ?」
「わかっています。………『あの男』が、それを嫌というほど思い知らせたから」
『あの男』__ナマエがそう呼ぶのは、自分の、本当に血の繋がった父親のこと。
ナマエが最も厭い、許さずにいる……嘘の塊のような男。ナマエはその嘘だらけの父親のせいで、生理的に嘘を受け付けぬようになり、嘘の言えない体質になった。
それが、どんなに優しい嘘であっても。思いやりにあふれた行為であろうとも。
彼女にとって………嘘とは父親の残した負の遺産だけに過ぎない代物なのだ。
「ナユタは、あなたに嘘を言ったことがあるのかしら?」
「いいえ。……わたしが、嘘が嫌いなのだと言った時から、律儀にそれを覚えてくれているようで」
「そうなの。……まあ、でもナユタはあなたには別の意味でも嘘なんて言えないかもしれないわね」
「??」
「あの子は恋愛初心者なのです。今まで恋やら愛やらに現を抜かすなど、って言って躱していた穴に落ちてしまって、内心ずっと怯えていたのですよ。
クラインに帰国し、革命が収束して……あの子、初めてわたくしに相談してきて」
「………?」
「ふふ。あなたのことですよ、ナマエ。国も歳も離れた女性を忘れられないのですがどうしたらいいでしょうか、って心底困った顔をして……うふふ、今思い返しても、とっても嬉しくて感動して微笑ましかったわ」
「…………」
「恋は人を変えます。ええ、その通りだと思うわ。それに、好きになってしまったら、本人にはどうしようもできませんもの。とても厄介で、愚かしくも美しく、良くも悪くも心を豊かにする秘術。それが、恋なのでしょうね。だから、わたくし言ってあげたわ。
__恋を認めないことを諦めなさい、って」
わたくしの言葉に、ナマエはきょとんと眼を瞬かせる。その顔が可愛らしくて、わたくしはくすくす笑ってしまう。
「恋する女性は美しいというけれど、恋する男性は……少なくともわたくしの愛した男性は情熱的で、諦めることを知らない人だったわ。その血を引くナユタが、恋する女性に情熱的にならないわけがないのよ」
「ナユタぁ!!」
執務室にいきなり乱入してきた客人、いえ、妹に拙僧は公務の指示を記す手を止め、するりと書類を巻き取った。妹、レイファは顔を真っ赤にさせて、涙目で、怒ったような悔しそうな表情でずんずんと拙僧の目の前に歩み寄る。
「何故、何故ナマエを娶らないのじゃ!!」
………いきなり精神を、胸を抉るような発言をされ、拙僧はぐっと息が詰まった。
レイファはナマエさんにとても懐いている。元々正反対の性格である二人が仲良くできるのは、正反対であるからこそ、だろう。欠けた部分がうまく噛み合うように、歯車のように円滑に回っているような姿が二人の友好関係を表している。
そのレイファが、拙僧がナマエさんを娶らないことに関して憤っている。
どうしてそのような事態になっているのか、拙僧が尋ねると。
「……ナマエが、ワラワやソチ、母様を誑かしている異国人だと、噂されておる。そんな言いがかりのようなことを言い続けている奴らとナマエを、見たのじゃ」
「………」
拙僧は眉をしかめる。
噂は、確かに聞いたことがある。革命から間もないこの国の中枢は、未だに頭の腐った家臣が残っている。その噂を、以前に拙僧の耳に入れた家臣は、己の地位を確立させたいがために『善意』のつもりで話したのだろう。
……勘違いも甚だしいとは、まさにこのことだ。
そもそも認識が間違っているのが最初からだ。
噂では『異国から留学してきた少女は、我が国の革命時での恩人から伝手を頼ってクライン国に忍び込み、クライン王家を誑かしている』と言っているが、この国に留学という形で来訪させたのは拙僧の都合である。我が国の革命にて関わった恩人の伝手を使ってナマエさんをこちらに呼び、婚約者という肩書を欲したのも拙僧自身であり、誑かしたのはむしろこちらなのだ。
「……それで?」
「ワラワはそれが間違っていると言った。ナマエはそんなことしていない、ただ、ワラワたちに優しいだけじゃと……だけど、だけどナマエが、」
「ナマエさんは、なんと?」
「……『愛国心の強い人たちですね。今後は出過ぎた真似をしないよう、気を付けます。ご迷惑をかけてすみませんでした』……って」
「それは……何という」
言いがかりをつけてきた者にとっては、ナマエさんが言い返すことを予想していただろう。まともな人間は、間違った認識をされると正しき方向へ修正したがる。怒りに身を任せた発言をした瞬間、言いがかりをした者たちはそれに過剰に反応し、余計騒ぎ立てるはずだったのだろう。
しかし、相手はあのナマエさんなのだ。
「何故じゃ……何故、ナマエはあんなにも、あっさりと受け入れてしまうのじゃ……」
「レイファ様、それは違います」
視線を合わせるように顔を覗き込むとレイファは「え?」と目を瞬かせた。
「ナマエさんは受け入れたのではございません。きっと、それほどにその者たちの側にいたくなかっただけなのでしょう。ナマエさんはその話が嘘であることを誰よりもご存じなのですから」
「ならば、何故言い返すこともなく……!」
「レイファ様。……ナマエさんは、嘘が大嫌いなのでございます。それこそ、嘘を聞いた瞬間に……逃げ出したくなるほどに」
「嘘が、嫌い?逃げるほどに?」
「ええ、ですから言いがかりをつけてきた者たちを、ナマエさんは酷く嫌悪されたはずです。ナマエさんの嘘に対する嫌悪は普通ではございません。
憎き敵のようなもの、とでも申しましょうか……」
「じゃあ、じゃあ、ナマエは……」
「その場を逃げるには、その態度を受け入れるようなことを言ったほうが遥かに簡単だったのでございましょう。それで、レイファ様。ナマエさんは、今どちらに?」
「部屋のほうに……向かったと、思う」
「では、拙僧はこれにて失礼いたします。ナマエさんの体調が心配です」
「じゃ、じゃが、さっきワラワが声をかけたら、大丈夫です、って……」
「だからこそでございますよ」
レイファに心配をかけまいと、ナマエさんはきっと『大丈夫』と嘘をつかれることでしょう。
嘘が言えない体質になったナマエさんが、嘘を言った瞬間どうなるのか……拙僧は、知っているのです。