婚約発表のおはなし

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「初めまして。国際検事として参りました、ナユタ・サードマディと申します」


養父の元で、偶然出会った国際検事を見て抱いた第一印象は、『何だか、真っ白な人だ』という簡単なものだった。

怜悧な眼差しは、意外と柔和な表情を形作るのが上手で。

優しい微笑は、案外本音を隠すことが上手いのだと知った。


クライン王国出身、と聞いて少し身構えた部分はあったけれど、ナマエはもう御剣怜侍の養女だという実感のほうが強かったので何も気負うことなく接することが出来たと思っている。

その結果、様々な出来事が起こった上で、御剣ナマエはナユタ・サードマディの婚約者となったわけで。

(人生、何が起こるのかわからない)

まるで達観しているように、思う。けれど実際は驚かされてばかりだ。

『自分なんかが、こんなにも優しく立派な人の側にいてもいいのか』と、そんな仄暗いことをずっと心の中で思う。

(かといって、相応しくないと言われても……どう動くべきなのか、よくわかっていないのだけれど)

ただ、それでも、せめて情けない部分はあまり見せられないと気を付けるだけなのだとナマエは思っていた。



レイファの誕生日パーティー兼ナユタの婚約発表の会場にて。

会場は席が用意されてはいるものの、その席にずっと鎮座し続けているのは女王様方くらいなものだ。レイファとアマラは基本的に挨拶しに来る客人の相手を受ける側で、ナユタとナマエは挨拶回りを終えると女王の傍らに控えるようにしている。

レイファに誕生日祝いの言葉と祝いの席に招待してくれた謝礼を述べて、そしてついでにナユタの婚約者に視線を寄越す客人たち。

その視線に応じるように、

「……」

伏せがちな目で、ほんの少し、口元に笑みを乗せる。

それは、ナマエがアマラの花嫁修業で習得した『愛想笑い』だ。

その微笑を見た客人は目を見張る。
それを見たナマエは『20歳にもなっていない娘が婚約者になったのが珍しいのだろうな』と察する。

(まあ、クライン王国の成人年齢は18歳だし……未成年というわけじゃないけど)

だがまだ若いというのはどうしても目立つのだろうと思い、気を張ったまま、ナマエはレイファの傍らにいたのだった。







「…………アマラ様、ナマエさんにとんでもない武器を身につけさせましたね?」
「あら。ナマエはとても頑張って愛想笑いを習得したのですよ?」

ある程度の招待客との挨拶を終えたナユタは悩ましいと言いたげに気づかれることがないよう、小さく息を落とす。

「確かに、多少の愛想笑いや社交辞令というものは必要になりますでしょうが……相手を見惚れさせるほどの威力のモノは求めておりませんよ」

拙僧の心配事が増えるだけでございます。とナユタは若干責めるようにアマラを睨む。
だがこの程度で怯む元女王ではない。

「けれど、あなたの婚約者という存在感としては上出来でしょう?
……まあ、愛らしいとはいえど、あなたの婚約者はあくまでレイファやあなたのおまけとして一線を引いていて。
きっとその目はあなたたちやわたくしを守るために一生懸命なのでしょうけれども」
「……あまり良い思いではございませんが、彼女は悪意や害意に敏感なようですしね。レイファ様をお守りする存在としては、確かに頼もしい限りです」

そうならざるを得なかったのが、実父たちのせいだというのだから腹立たしい。という言葉は飲み込んでおく。
今日のような祝いの席で、少なくとも考える必要のない苛立ちで過ごしたくはないのだ。

だから。

(………拙僧の婚約者の、何と可愛らしいことか)

感情と目の保養として、愛しい彼女を見遣る。

自分の婚約者として美しく彩られた彼女は、幼さを残しつつも大人びた美貌を自覚せずに晒しているのだろう。
……でなければ教えられたままに、無防備に愛想笑いなど披露しないだろうから。

(もし、妙な勘違いを起こしている男に気づけば、彼女は即座にその視線を拒絶するでしょう)

ナユタや王泥喜法介などと接しているから忘れがちだが、ナマエは基本的に男嫌いなのだ。だからこそ、彼女が接触を許す男というのは真っ当で、信用に足る者しか寄り着けない。

そして、正式に婚約者の座に立つことを決めた彼女は、決してナユタの不利益になるような振る舞いはしない。
大切な人の立場を落とすような真似など、決して許さないだろう。

それが、『大切なナユタのため』ならば、彼女はきっと……何の苦もなく力を尽くすのだろうから。

(……このような場が増えれば、そんな彼女の負担が増えるのでしょうね)

ならば、せめて自分が彼女の気が安らげる居場所を作らなければ。

そう思い、緩みそうになっていた表情を再度引き締めることに尽力する。

そんなナユタをアマラは見遣って、

「それよりも、この日のために着飾ったナマエを、あなたはきちんと褒めてあげましたか?」
「……知っている称賛の言葉があまりに少なかったことを恥じてしまうほどには」

本当に自分はまだまだ至らないと言いたげな息子を、母は微笑ましそうにくすくすと笑った。








「お疲れ様でございました。
……大丈夫ですか?」
「……お酒は、飲んだことがなかったので……慣れてなくて」


パーティーが無事に終わり、お互いに楽な服に着替えてから、ナユタはナマエの自室を訪れた。

理由は、お互いに今日のパーティーの感想を話したかったことと、祝いの席だからと初めて酒を振舞われた婚約者をナユタは心配していたからだ。

気分は悪いのだろうかと尋ねれば、それは特にないという。
ただ、どこかふわついた意識なのか、その目は少しぼんやりとしている。

(早々に退室して、休ませたほうが宜しいでしょうね)

会場では客人たちによく話しかけられ、なかなか二人で楽しく話せなかったので、色々と話したい気分ではあったが……それは大切な恋人の体調より優先するべきものではないとナユタは判断する。

「今日はお疲れでしょう。早く休まれたほうが良いですよ」
「…………」
「? ナマエさん?」

ソファーから立ち上がろうとしたナユタの服の裾を、ナマエが掴む。
どうしたのだろうと彼が首を傾げると。

「………もう少し、側にいたいです」
「え?」
「それに…………今日は、キスしてないです」
「!?」

あまりに珍しいおねだりに、ナユタは目を見開く。

そしてそんな積極的なおねだりを言った原因は、『酒に酔っているからだ』ということも察した。

(素直に本音を言っているのか。それともただ酔っているだけの気の迷いなのか)

しかしナユタも、ダッツや王泥喜法介など、招待客に付き合って今回は酒を嗜んでいる。
……キスといった触れ合いをしても、大丈夫なのだろうかと一抹の不安がよぎる。

だが、縋るようにナマエがナユタを見上げ。

「…………だめ、ですか?」
「………貴女にそのようなおねだりをされるとは思いませんでしたので、驚いているだけですよ」

ソファーに座り直して、ナマエの頬を優しく撫でて。

ナマエ……」
「……ん」

触れる程度のキスを、数回続ける。
そうして唇を離すと、ナマエはとろりとした眼差しで。

「……もっと」
「……、……ずいぶんと、煽るようなことを仰いますね」
「もっと……ナユタさんの側にいたいです」

首元に抱き着くように、擦り寄るナマエにナユタは戸惑いながらも抱きしめ返し、あやすように頭を撫でる。

「拙僧も、貴女のお傍にいたいと思いますよ。
……ですが、あまりそのように可愛らしいことを言われると、貴女が困ることになります」
「……?」
「拙僧とて、健全な男なのです。

………愛しい恋人が無防備に煽れば、それに過剰な反応だっていたしますとも」

ナマエの耳にキスを一つ落とすと、「んっ」と彼女は身体を震わせる。
その耳に、優しく囁くように語り掛ける。

「貴女に甘えられるのは、とても嬉しい。ですが、その甘えに乗じて……その隙に貴女を暴くような真似をするのは、いただけません。
拙僧は、私は……酔った勢いで貴女を傷つけたくありませんので」
「……きず?」

相変わらずぼんやりとした眼差しで首を傾げる彼女に、ナユタは優しく微笑みかける。

「『そうした行為』は、お互いに素面の際にいたしましょうというお話です」
「? そうした、行為?
……キスも、だめ?」
「キスは、まあ……盛り上がらない程度には良いのでしょうけれど」
「じゃあ、キスしたいです」
「……酔った貴女はずいぶんと愛らしい我が儘になるのですね」

正直、今のナユタは盛り上がりそうな状態だ。

普段、キスをせがむようなことがない彼女がキスをしたいと強請り、自分から離れたがらないのだから……愛おしさで『どうにかしたい』と思ってしまいそうになるのは仕方がない。


キスだけでなく、彼女の身体の隅々まで愛し尽くしたい。

未だ誰にも暴かれていない新雪のような肌を、暴いてしまいたい。


そんな欲を、ナユタは我慢しているのだ。

(ですが……仕方がありません)

それで彼女の気が安らぐならば、できることは決まっている。

「では、貴女が眠るまでは側におりますよ。添い寝をする許可を頂けますか?」
「! 側に、いてくれるんですか?」
「嘘でこのようなことを軽率に申し上げられませんよ」
「お泊り!」
「いえ、とま」

『泊まらない』という意思を言おうとするナユタに、ぐりぐりと頬を擦り寄せて。

「ぎゅってすればベッドで一緒に寝られます!
……ふふ、ナユタさんといっしょ、嬉しいです」
「…………ナマエ、一つだけ、拙僧と約束いたしましょうね」

ナユタは困るくらい可愛くて堪らない彼女を大事に抱えて、ため息を一つ落としてから語り掛けた。


『貴女はもうお酒を嗜むのはお止めなさいませ』、と。









「……ナユタさん。わたし、きょうはちゃんとできてました?」
「ええ、それは勿論でございますとも」
「……おさけ、のんでるときも、だいじょうぶでした?」
「はい。……慣れていないのに、我慢をさせてしまい申し訳ございませんでした」


ベッドで、身を寄せ合って横たわりながら、ナユタはナマエの髪を梳くように優しく撫でる。

その撫で心地が気持ちいいのか、徐々に眠気に襲われているナマエの声も拙くなっていく。

それでもナユタにしがみつくように抱き着きながら、ナマエは眠りたがる。
……これは、本当に今夜はここに泊まらなければならないとナユタは諦めていた。

(普通でしたら、もっと艶めいた雰囲気になるのでしょうが……今回は特殊な状況ですしね)

仕方がない、今は『良い大人』になろうとナユタがナマエの頭を優しく撫で続けていると。

「…………がまんは、なれてるから、いい」
「!」
「がまんよりも、やくにたてないほうが、つらい。
……やくにたてない、なにもまもれないわたしは、いみがないから」
「そんなことはございませんよ。
……そんなことは、決して」

ナユタは静かに、しかしはっきりと語る。

「役に立って下さるとか何かを守って下さるからだとか、そういう理由で拙僧は貴女を求めたわけではございません。
……貴女は、拙僧にとって大切な人だからここにいるのです」
「……たいせつ?」
「ええ。大切で、愛おしくて堪らないのです。貴女が拙僧の腕の中にいること、想いを受け止めて下さったことは、拙僧にとって喜びでしかないのです。
……想いが通じ合っていない時に婚約者という枷を与えてしまったことは、本当に申し訳ございませんでした」

そして今後も、その枷は続くのだとナユタは憂う。
正式に婚約者となり、そして、いずれ夫婦となっても『ナユタ・サードマディ』という個人だけの妻として見られることは少ないのだろう。

クライン王家のナユタ。王族籍に復籍した今となっては、王子である自分の妻であれば、相応の責務が課される。
……クライン王家の血を受け継ぐ、後継者問題を提示される日もそう遠くないのだろうとナユタは内心でため息をつく。

自分はただ愛する彼女を大切にしたくて、後継者問題が理由で彼女を求めてなどいないというのに、それさえも念頭に置いておかねばならないのだ。

(そんなことを思いながらも……今更な話でしかありませんが、もっと早く、貴女に出会いたかった)

さほど近いとは言い切れない年齢差があれど、それでも、もっと早く出会っていたかったと思ってしまう。
もし、早くに出会っていたら……側にいることができたなら。

拙僧は、私は……貴女をもっと早く愛することが出来ただろうに。

「……私の愛情は、重いですか?」
「ん……?」

うとうとと微睡むナマエに、それでもナユタはどうしても聞きたかった。

「貴女の心の傷も憂いも、すべて私が取り除いて差し上げたい。貴女の心の空白も、すべて私の愛情で満たして差し上げたい。
……傲慢にもそう思っている私が、本当に大切扱いされるに値するのか、わからなくなる時があります」


ガランに屈し、弁護罪に従い続けた自分が綺麗な人間だと思っていない。
そうせざるを得ない理由があったとしても、罪深い人間なのだと自覚し、贖うように働き続けている。

そんな自分に、愛おしくて堪らない人が出来て。そして、今度こそはと守るべき家族と同じくらいに、あらゆるものから守りたいと願うようになった。

何があっても。誰が相手でも、きっと自分はあらゆる手を尽くして守り、愛そうとするのだろう。

そんな自分の心が、愛が重いのか、よくわからない。今まで誰かに恋をし、心のままに愛したことがないから。

だから、どうか教えて欲しいと願うのだ。


「貴女に相応しい人間なのか、わからなくなります。私は、……決して綺麗な人間ではございませんから」
「……きれいじゃない?……どうして?」
「……酷い過ちを犯しておりますから。こうすることが最も正しいことなのだと己に言い聞かせ、過ちを正そうとせず、見過ごしてきた。
……そうすることで多くの人が不幸になると、わかっていたのに」


女王ガランによる、法曹界の暗黒時代があった。

かつてはその法曹界に一矢報いると意気込んで、検事として宮殿に潜り込んだ。
……結局、それは果たされることが出来ず、ガランにとって都合の良い手駒を増やすだけになってしまったとナユタは情けなく思う。

だがそれを止めるために、ドゥルクによる革命は起きたのだ。

そしてそのドゥルクの遺志を引き継ぎ、これから新たなクライン王国に生まれ変わる。そんな、希望に溢れる声は多い。

だが、それだけではない。
……クライン王家が犯した罪を責める声もまた、確かにあるのだ。

そしてそうした声は、すべてナユタの元でせき止めておくように指示してある。
……王家への不信感や抗議といった国民の声は、すべてナユタが聞き届けるようにしている。

そうした咎を受けるのは、応じるべきは、ドゥルクの遺志を継いだ自分であるべきだと思っているから。


そう思い、表情を曇らせるナユタに、ナマエは。

「……まちがいをおかしたひとは、なにをしてもゆるされないなら、
………そんなひとにやさしくするひとが、いなくなっちゃいますね」
「え、」
「もし……そうだったら、ナユタさんが……わたしにやさしくするひつよう、なくなる。
……わたしは、ふじょうなものだから」
「! 貴女は不浄な者などではございません、そんな、」
「でも、」

ナマエはそこで、小さく笑った。
愛想笑いなどではなく、本当の笑みを。

「そんなわたしに、ナユタさんはやさしくしてくれたから。
どんなまちがいをおかしたとしても……たおれたわたしをたすけて、なぐさめてくれたナユタさんは……ほんとうだから。
それが、どれくらいうれしかったか、しっているから。
……だから」

ナマエの手が、ナユタの頬を優しく撫でた。
……愛おし気に、慰めるように。

「まちがいをおかしたあなたが、それでもやさしくあるあなたが、わたしはだいすきです」
「____、」

ナユタは目を見張る。

そして自分の頬を撫でる彼女の手を握り、

「……っ」
「ん、」


感情の赴くままに、口づける。

唇も、声も吐息も自分の物にして、奪ってしまいたいと思いながら何度も唇を重ねる。

(何故、貴女はそれほどに……私に甘いのです)

何故、自分が綺麗な人間ではないことや、酷い過ちを犯していることを知っているにもかかわらず、それさえも愛そうとしてくれるのか。

(優しいというのは、貴女のような人を言うのに)

「ん、……っ、はぁ」
ナマエ……、好きです。……愛したくて、」


『貴女が欲しくて、堪らない』。

『貴女の優しさも、愛情も、すべて受け入れたくて』。

……『ただの弱い私を、受け入れて欲しい』。


(そんなことを思う私を、許して下さい)

「……?……ナマエ?」

キスの最中に、ナマエから反応が消えたことを怪訝に思うと、彼女は耐えきれなかった睡魔に拐われていた。

「……そういえば、酒にも酔っておりましたしね」

慣れない状況で疲労もあっただろう。だから眠ってしまっても責められない。

むしろ、責められるべきは。

「……本当に、余裕のない」

自分を落ち着かせるように、息を一つ落とす。
そしてこのまま自室に戻ったほうが良いのだろうと思う。

だが。

「…………拙僧も、我が儘になったものですね」

一度は起き上がったものの、改めてナマエを抱き寄せてベッドに横たわる。

女性には充分に広く大きなベッドだが、成人男性も一緒となると話は別だ。必然的に、こうして身を寄せ合っていなければ眠れない。

それが、今は有難かった。
………今夜は特に、離れがたいと思っているから。

(……今夜のことは、何も起きなかったし何もなかったのだと、きちんと説明しておかねばならない)

婚約発表した日に、婚約者の部屋に泊まったなどと知れたら、誤解しか生まれない。
特に母であるアマラからは多少の小言を貰うかもしれない。『あなた、婚約と結婚の違いはわかるかしら?』とか。

(…………明日のことは、明日の己に任せましょう)

若干投げやりな心境になってしまい、ナユタは目を閉じて眠ることにする。




救いきれなかった御霊に縋られる、自業自得だと思っている悪夢を、その夜だけは見ることはなかった。

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