予想外
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
日本へナマエを伴って出張するというナユタの検事としてのスケジュールを伝えると、レイファとアマラがそれに強く反応して。
「この際、もう少し休暇を取ったらどうじゃ?」
「ええ、そうですわ。公務のほうはさほど急を要するものはないし、こちらの検事の執務も、あなた一人で執り行っているわけではないのですし」
二人の言い分に、ナユタは最初は難色を示した。
確かにその通りなのだが、裁判関係は……現状王泥喜法介の負担が大きいのに自分だけ休暇を満喫するというのはどうなのだろうかと。
しかし。
「え?ああ、オレなら大丈夫だよ!なんかよく知らないうちに、成歩堂さんたちが助っ人に来てくれるらしくてさ」
「はい?」
「……ま、そこは偉大な女王様方の力添えってヤツだな。成歩堂さんも、
『さすがにクライン王国の女王様自らに頼まれちゃあねぇ』
って苦笑いしてたし」
「…………」
「だから、ほんとに大丈夫だ。……オレに妙な気遣いして、つまんないデートしてくるなよ?」
そう言ってにっかりと笑う幼馴染に、ナユタは感謝と安堵の笑みを浮かべて。
そして。
「では、拙僧は仕事に向かいますが……無理に裁判所へ入らないようになさって下さい」
日本で。
トラウマである裁判所に、決して近づくことがないようにとナユタはまずナマエに言い聞かせた。
……以前、そのトラウマのせいで倒れた彼女を介抱した経験があるので当然と言えば当然だった。
だからナマエは「じゃあ、その近くの公園で待ってます」と伝えた。
裁判が終わったら、そこで待ち合わせしようと提案した。
それぐらいならば、とナユタは了承し、仕事に向かっていった。その間、ナマエは実家である御剣邸で過ごしていたのだけれど……
(……意外と、時間の進みが遅く感じるなぁ)
昼過ぎ頃。
昼食も、一人なのでさっさと済ませて、ナマエはまだ早いと思ったが約束の公園へ赴いていた。
養父の御剣やナユタの予想では、『今回の審議はさほど難しいものではないだろう』とのことだ。予想でしかないと言えばそれまでだが、数々の法廷を経験してきた優秀な検事である二人が揃ってそう言うのだから、可能性は高いだろう。
その日は、さほど陽射しが強くない、過ごしやすい気候だった。
公園のベンチに座って、ナマエはぼんやりと整備され、綺麗に色とりどりの花々が植え付けられた花壇を遠くから眺めていた。
(………前は、こんな風に過ごすことは少なかったなぁ)
ナユタに婚約者として望まれる前は、検事局の花壇の世話をしたことはあっても、それはあくまで『仕事』感覚に近かった。
……ただ、養父に喜んで欲しくてやったことには違いなかったけれど。
『綺麗な花を見ると心が安らぐ』、そんな些細なことを聞いたので、ナマエは綺麗な花を育てた。安直過ぎる思考だと後から思ったが、それでも娘の育てた花壇に気づいた養父は口元を緩ませて。
『……ナマエが一生懸命世話をした花は、綺麗なものだな』
普段、しかめっ面であることが多い養父が穏やかにそう言ってくれた。
……自分のしたことは、確かに養父に喜んで貰えたのだと嬉しかった。
初めてだった。自分から望んで行ったことを、自分が大切だと思った人の癒しの糧となった喜びを感じたのは。
母を亡くし、『父と呼ぶモノ』の元で過ごしていた頃は、そんなものを感じなかった。
ただ、『望まれて、出来ることをしただけ』だった。
ただ、『望まれて、自分を費やすことをしただけ』だった。
喜びなどない。かといって、悲しみがあったわけではなかった。
………そんなものを感じ取れるほど、心豊かではなかった。
ただ、期待はされていた。優秀で、欲のない人間として『躾けられた』。
それが、『御剣ナマエになる前の自分』という『何か』だった。
だから、忘れていた。穏やかな優しさを知ってしまったがゆえに、蓋をしていた。
……『それ』の存在を。
「…………まあ、ナマエじゃない」
一瞬、呼吸の仕方が分からなくなった。
けれど、無意識に心の中で、記憶の中で蓋をしていた『それ』は確かに、ナマエに会えたことを『喜んでいた』。
『再会を、喜んでいた』。
「こんなところで会えるなんて……今日はなんて良い日なのかしらね」
「…………、どうして、ここに」
何とか、それだけは言えた。
ナマエが、震える身体と声を抑えることに尽力していることなど知らずに『それ』は、
__『祖母』は無垢な微笑で応えた。
予定よりも早く閉廷した裁判所を後にしたナユタは、とりあえずメールを入れてから待ち合わせの場所へ向かっていた。
さほど遠くない場所にある公園なので、約束していた時刻よりもだいぶ早く着いてしまうと思っていたが……
(彼女を想いながら待つ時間というのも悪くないでしょう)
普段は、残念なことにナユタが待たせてしまう側だ。仕事の都合で遅れてしまう休憩時や、たまに町に下りる際も、大抵ナマエが待っていてくれる。
それはとても情けないし、申し訳ないと思って。
そしていつも自分が謝ると。
『待つのは苦ではないし、ナユタさんは必ず来てくれますから、大丈夫ですよ』
彼女は、そうやってナユタを許す。
まるで、『待っていても誰も来ないことの苦痛』を知っているかのように。
そんなナマエに、ナユタはどうしようもなく不安に駆られる。
…………自分は、まだ何か大切なモノを見つけ出せていないのではないかと。
彼女の心の奥にある、深い傷を、見過ごしている気がするのだ。
けれど、かといって、無理に暴く気にはなれなかった。
無理に暴けば、傷が開き………取り返しのつかないことになりそうだと思ったから。
だから。
「ねえ、ナマエ。どうしてあなたは……私の言うことが聞けないのかしら?」
公園で、ナユタはその光景を茫然と見てしまった。
和服姿の、一見優雅で穏健な雰囲気の老女がいた。
………ベンチに座る、ナマエの顔を手で掬い上げるようにして覗き込みながら。
老女は、柔らかな声色で語る。
「昔は、あんなに素直な子だったのに……どうしたの?私の言うことは、何でも聞いたではないの。
私の、皆の期待に応えてきたではないの」
ナマエは、何も言わなかった。
いや、言えないのだと察した。だって、あんなにも顔が青褪めていて、今にも倒れそうだ。
なのに、老女はそれに気づかない。
なのに、老女は彼女を気遣わない。
「噂で聞いたわ。あなた、クライン王国にいるんですって?……それは、駄目でしょう?
『私たちの一族は、決してクライン王国に関わってはいけない』と、あなたはちゃんと知っているはずでしょう?」
その言葉に、彼女がぴくりと反応した。
震える唇で、何かを言おうとし……しかしきつく閉じられる。
言えないのか、それとも、言っても無駄だと諦めているのか。
「それとも、あなた……私から逃げるためにクライン王国へ行ったの?」
「っ、」
その瞬間、彼女はすぐに首を振った。『違う』とはっきり意思表示して、否定した。
けれど。
「……何か言ってくれないと、わからないわ。あなたは、昔からそうだったわねぇ。
何を言っても、何をしても、黙り込んだまま。もう少し、感情表現が出来る子にならないと、誰も相手にしないわよ?」
老女は、まるで出来の悪い子供を慰めているとでも思っているかのように。
「駄目な子だわ、ナマエ。あなたは、人として、本当に出来の悪い子のままねぇ」
__『駄目な子』?
__『昔から』、『黙り込んだ』まま?
ある程度までは、冷静に対応できるとナユタは思えた。
見ていればわかるほどに、ナマエと老女は顔見知りなのだろう。それも、浅い関係ではないのだということも察することが出来る。
なら、礼節を弁えて挨拶するべきなのだろうとも思っていた。
けれど、もう限界だった。
大切な人を貶められ、傷つけられる様を見過ごすほど、黙っていられるほど、彼は冷血でも無力でもなかった。
「ナマエ」
そう、彼女を呼んで……素早く老女の手を振りほどいた。
そして彼女の視界を塞ぐように抱き寄せて、
……震える身体を労った。
頭を優しく抱き寄せて、撫でるように触れながら。
「遅くなりました。……もう大丈夫ですよ」
「っ、」
「何も言わずとも宜しいのです。それは決して、『駄目』なことではありません。
あなたは決して、『駄目な人』ではないのです」
そう慰めてから、ナユタは老女を努めて静かに見据えた。
「申し遅れました。拙僧は、ナユタ・サードマディと申します。彼女の婚約者の立場におります」
「ええ、ニュースで拝見していますわ。クライン王国の王族の方ですわね?
私は、福楼院の……いえ、その子の祖母です」
「そうですか。……初めてお目にかかりましたし、話の途中なのですが。ナマエさんの気分が優れないようですので、これで失礼いたします」
色々と問いただしたいことはあったが、今は大切な彼女を優先したかった。
そんなナユタの言葉に、老女、ナマエの祖母は「あら」と柔らかく微笑み。
「大丈夫ですよ。その子は、我慢強い子ですもの。会話を邪魔することなく、大人しくできますわよ」
「……それは、本気で仰っているのですか?」
何故、わからないのだろう。とナユタは不思議で仕方がない。
眼前の、実の孫娘がこんなにも顔色が優れずにいるというのに、何故気遣う素振りすら見せないのか。
けれど、彼女の祖母は。
「?ええ、本当にそう思っておりますわ。
だって、『ずっとそうしてきましたから』」
「___、」
「ずっと、そういう子に育ててきましたもの。『自分のため』に何かを優先させるなんて、そんな我が儘な子に育てませんでしたわ。
その子はずっと、『誰かのため』に尽くすことを喜びとしているのですよ」
彼女の祖母は、笑う。
『無垢なまま』、笑って見せる。
ナユタは言葉を失った。
………これほどの人間がいたのかと、内心で眉をしかめる。
これほどに、悪意なく罪悪感なく、害を与える人間が……彼女の祖母なのだ。
(これは、酷い。……これほどに、救いようがないとは)
ナマエという少女が、何故あまり感情を露わにすることのない人柄であったのか、この時初めて正確に理解できた気がした。
ナユタは、ただ不器用なだけなのだと思っていたのだ。胸の内を明かすことが、表現の仕方が不器用なだけなのだと。
実際に、ナマエはナユタの優しさに戸惑いつつも無下にすることはなかった。
恋心を抱いていなかった時も、恋心を抱いた時も、経験したことのない感情に混乱して困り果てて……しかし彼の愛情を大切にしてくれた。
多忙な恋人を責めることなく、深い理解を示してくれた。
手を繋げば、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにしてくれた。
そんな、拙くも一生懸命にナユタへ愛情を向けてくれた彼女を、この祖母は……
「__母さん、何をしているんですか」
静かな声色が、ナユタとナマエの祖母の狭間を割いた。
その声の持ち主を見遣って、ナユタは目を見開いた。
そこにいたのは、写真でしか見たことのない、『男』。
「妙に帰りが遅いと思って来てみれば……何をしているんです」
「………あなたこそ、どうしてここにいるのかしら?そもそも、」
「僕は当主ですよ。
……由緒正しい、数多くの偉人と呼べる方々を護衛してきた福楼院家当主なんです。
そのための情報収集能力を、あなたという身内に巡らせることなど造作もないです」
「……静真、あなた」
『男』を、彼女の祖母はそこで初めて忌々しいと言いたげに眉をひそめた。
けれど『男』は動じない。
「あちらに車を待たせてあります。だから、ここはもう引き下がってください。
……一族を追放されたその子に縋るなんて、見苦しいですよ」
「っ、」
「それに、初代当主から代々言い伝わってきたはずです。
『福楼院はクライン王家に関わるべからず』、と。
ナマエは追放された身ですが、僕らは違います。
『当主の命令に逆らってはいけない』。これもまた掟なんですから」
『男』はにこりと微笑んだ。
「だから、『引き下がりなさい』。あなたは確かに僕の母で、ナマエの祖母ですが……今の当主は僕です。
『誰かの幸福のために守ることを誇りにしろ』という教えは、あなたから教えられたことです」
『男』の静かな威圧の言葉に、彼女の祖母は意外とあっさり立ち去って行った。
それを見たナユタは、『孫娘を気遣っての行為ではないのでしょうね』と複雑な思いで察していた。
ただ、『当主がそう命じたから』、従っただけに過ぎないのだと確信していた。
そうでなければ、孫娘であるナマエに声をかけないどころか視線を寄越すこともしないなど、あり得ない。
「……ナユタ殿」
自らの母親に投げた声より、幾分か柔らかい声色で呼ばれ、ナユタは視線を向けた。
けれど、決してナマエに近寄らせてはいけないと身構える。
何故なら、その男は。
「何故、あなたがここにいるのです。
ナマエさんの『実父』であるあなたが、何故このような場所にいるのですか」
「………誤解です」
「……?」
「僕は、ナマエの実父ではありません。……叔父、です」
「…………叔父?」
ナユタの訝しむ様子に、彼は目を伏せた。
「『福楼院静真』。それが、僕の名前です。その子の実父とは、双子なんです。だから、間違われるのも無理はないんですけれど」
でも、嫌われるのも、無理はないんです。と彼は言った。
「姪に、救いの手を差し伸べることが出来なかった、無能な叔父だったので」
「…………」
「僕は、もう失礼します。これ以上あなたに関わることは、掟に反するので。
……ですが、一つだけ」
彼は静かに一礼して、
「……どうか、姪を恐れないでやってください」
「……何ですって?」
「憐れみではなく、純粋に、姪を見てあげてください。
……姪は、何も悪くないんです」
「……」
「……失礼します」
そう言って、彼は静かに去って行った。
姿を見せた時と同様、ただ静かに。
「……ナマエさん。ひとまずは、ここを離れましょう」
ナユタの声に、ナマエは小さく頷く。
……けれど、声を発することはない。
それはきっと、黙り込むことで、心を閉ざそうとしているせいで。
「……」
その在り方はきっと、泣き崩れるよりも酷い、自分を否定された者が存在を崩される姿なのだとナユタは思った。
「この際、もう少し休暇を取ったらどうじゃ?」
「ええ、そうですわ。公務のほうはさほど急を要するものはないし、こちらの検事の執務も、あなた一人で執り行っているわけではないのですし」
二人の言い分に、ナユタは最初は難色を示した。
確かにその通りなのだが、裁判関係は……現状王泥喜法介の負担が大きいのに自分だけ休暇を満喫するというのはどうなのだろうかと。
しかし。
「え?ああ、オレなら大丈夫だよ!なんかよく知らないうちに、成歩堂さんたちが助っ人に来てくれるらしくてさ」
「はい?」
「……ま、そこは偉大な女王様方の力添えってヤツだな。成歩堂さんも、
『さすがにクライン王国の女王様自らに頼まれちゃあねぇ』
って苦笑いしてたし」
「…………」
「だから、ほんとに大丈夫だ。……オレに妙な気遣いして、つまんないデートしてくるなよ?」
そう言ってにっかりと笑う幼馴染に、ナユタは感謝と安堵の笑みを浮かべて。
そして。
「では、拙僧は仕事に向かいますが……無理に裁判所へ入らないようになさって下さい」
日本で。
トラウマである裁判所に、決して近づくことがないようにとナユタはまずナマエに言い聞かせた。
……以前、そのトラウマのせいで倒れた彼女を介抱した経験があるので当然と言えば当然だった。
だからナマエは「じゃあ、その近くの公園で待ってます」と伝えた。
裁判が終わったら、そこで待ち合わせしようと提案した。
それぐらいならば、とナユタは了承し、仕事に向かっていった。その間、ナマエは実家である御剣邸で過ごしていたのだけれど……
(……意外と、時間の進みが遅く感じるなぁ)
昼過ぎ頃。
昼食も、一人なのでさっさと済ませて、ナマエはまだ早いと思ったが約束の公園へ赴いていた。
養父の御剣やナユタの予想では、『今回の審議はさほど難しいものではないだろう』とのことだ。予想でしかないと言えばそれまでだが、数々の法廷を経験してきた優秀な検事である二人が揃ってそう言うのだから、可能性は高いだろう。
その日は、さほど陽射しが強くない、過ごしやすい気候だった。
公園のベンチに座って、ナマエはぼんやりと整備され、綺麗に色とりどりの花々が植え付けられた花壇を遠くから眺めていた。
(………前は、こんな風に過ごすことは少なかったなぁ)
ナユタに婚約者として望まれる前は、検事局の花壇の世話をしたことはあっても、それはあくまで『仕事』感覚に近かった。
……ただ、養父に喜んで欲しくてやったことには違いなかったけれど。
『綺麗な花を見ると心が安らぐ』、そんな些細なことを聞いたので、ナマエは綺麗な花を育てた。安直過ぎる思考だと後から思ったが、それでも娘の育てた花壇に気づいた養父は口元を緩ませて。
『……ナマエが一生懸命世話をした花は、綺麗なものだな』
普段、しかめっ面であることが多い養父が穏やかにそう言ってくれた。
……自分のしたことは、確かに養父に喜んで貰えたのだと嬉しかった。
初めてだった。自分から望んで行ったことを、自分が大切だと思った人の癒しの糧となった喜びを感じたのは。
母を亡くし、『父と呼ぶモノ』の元で過ごしていた頃は、そんなものを感じなかった。
ただ、『望まれて、出来ることをしただけ』だった。
ただ、『望まれて、自分を費やすことをしただけ』だった。
喜びなどない。かといって、悲しみがあったわけではなかった。
………そんなものを感じ取れるほど、心豊かではなかった。
ただ、期待はされていた。優秀で、欲のない人間として『躾けられた』。
それが、『御剣ナマエになる前の自分』という『何か』だった。
だから、忘れていた。穏やかな優しさを知ってしまったがゆえに、蓋をしていた。
……『それ』の存在を。
「…………まあ、ナマエじゃない」
一瞬、呼吸の仕方が分からなくなった。
けれど、無意識に心の中で、記憶の中で蓋をしていた『それ』は確かに、ナマエに会えたことを『喜んでいた』。
『再会を、喜んでいた』。
「こんなところで会えるなんて……今日はなんて良い日なのかしらね」
「…………、どうして、ここに」
何とか、それだけは言えた。
ナマエが、震える身体と声を抑えることに尽力していることなど知らずに『それ』は、
__『祖母』は無垢な微笑で応えた。
予定よりも早く閉廷した裁判所を後にしたナユタは、とりあえずメールを入れてから待ち合わせの場所へ向かっていた。
さほど遠くない場所にある公園なので、約束していた時刻よりもだいぶ早く着いてしまうと思っていたが……
(彼女を想いながら待つ時間というのも悪くないでしょう)
普段は、残念なことにナユタが待たせてしまう側だ。仕事の都合で遅れてしまう休憩時や、たまに町に下りる際も、大抵ナマエが待っていてくれる。
それはとても情けないし、申し訳ないと思って。
そしていつも自分が謝ると。
『待つのは苦ではないし、ナユタさんは必ず来てくれますから、大丈夫ですよ』
彼女は、そうやってナユタを許す。
まるで、『待っていても誰も来ないことの苦痛』を知っているかのように。
そんなナマエに、ナユタはどうしようもなく不安に駆られる。
…………自分は、まだ何か大切なモノを見つけ出せていないのではないかと。
彼女の心の奥にある、深い傷を、見過ごしている気がするのだ。
けれど、かといって、無理に暴く気にはなれなかった。
無理に暴けば、傷が開き………取り返しのつかないことになりそうだと思ったから。
だから。
「ねえ、ナマエ。どうしてあなたは……私の言うことが聞けないのかしら?」
公園で、ナユタはその光景を茫然と見てしまった。
和服姿の、一見優雅で穏健な雰囲気の老女がいた。
………ベンチに座る、ナマエの顔を手で掬い上げるようにして覗き込みながら。
老女は、柔らかな声色で語る。
「昔は、あんなに素直な子だったのに……どうしたの?私の言うことは、何でも聞いたではないの。
私の、皆の期待に応えてきたではないの」
ナマエは、何も言わなかった。
いや、言えないのだと察した。だって、あんなにも顔が青褪めていて、今にも倒れそうだ。
なのに、老女はそれに気づかない。
なのに、老女は彼女を気遣わない。
「噂で聞いたわ。あなた、クライン王国にいるんですって?……それは、駄目でしょう?
『私たちの一族は、決してクライン王国に関わってはいけない』と、あなたはちゃんと知っているはずでしょう?」
その言葉に、彼女がぴくりと反応した。
震える唇で、何かを言おうとし……しかしきつく閉じられる。
言えないのか、それとも、言っても無駄だと諦めているのか。
「それとも、あなた……私から逃げるためにクライン王国へ行ったの?」
「っ、」
その瞬間、彼女はすぐに首を振った。『違う』とはっきり意思表示して、否定した。
けれど。
「……何か言ってくれないと、わからないわ。あなたは、昔からそうだったわねぇ。
何を言っても、何をしても、黙り込んだまま。もう少し、感情表現が出来る子にならないと、誰も相手にしないわよ?」
老女は、まるで出来の悪い子供を慰めているとでも思っているかのように。
「駄目な子だわ、ナマエ。あなたは、人として、本当に出来の悪い子のままねぇ」
__『駄目な子』?
__『昔から』、『黙り込んだ』まま?
ある程度までは、冷静に対応できるとナユタは思えた。
見ていればわかるほどに、ナマエと老女は顔見知りなのだろう。それも、浅い関係ではないのだということも察することが出来る。
なら、礼節を弁えて挨拶するべきなのだろうとも思っていた。
けれど、もう限界だった。
大切な人を貶められ、傷つけられる様を見過ごすほど、黙っていられるほど、彼は冷血でも無力でもなかった。
「ナマエ」
そう、彼女を呼んで……素早く老女の手を振りほどいた。
そして彼女の視界を塞ぐように抱き寄せて、
……震える身体を労った。
頭を優しく抱き寄せて、撫でるように触れながら。
「遅くなりました。……もう大丈夫ですよ」
「っ、」
「何も言わずとも宜しいのです。それは決して、『駄目』なことではありません。
あなたは決して、『駄目な人』ではないのです」
そう慰めてから、ナユタは老女を努めて静かに見据えた。
「申し遅れました。拙僧は、ナユタ・サードマディと申します。彼女の婚約者の立場におります」
「ええ、ニュースで拝見していますわ。クライン王国の王族の方ですわね?
私は、福楼院の……いえ、その子の祖母です」
「そうですか。……初めてお目にかかりましたし、話の途中なのですが。ナマエさんの気分が優れないようですので、これで失礼いたします」
色々と問いただしたいことはあったが、今は大切な彼女を優先したかった。
そんなナユタの言葉に、老女、ナマエの祖母は「あら」と柔らかく微笑み。
「大丈夫ですよ。その子は、我慢強い子ですもの。会話を邪魔することなく、大人しくできますわよ」
「……それは、本気で仰っているのですか?」
何故、わからないのだろう。とナユタは不思議で仕方がない。
眼前の、実の孫娘がこんなにも顔色が優れずにいるというのに、何故気遣う素振りすら見せないのか。
けれど、彼女の祖母は。
「?ええ、本当にそう思っておりますわ。
だって、『ずっとそうしてきましたから』」
「___、」
「ずっと、そういう子に育ててきましたもの。『自分のため』に何かを優先させるなんて、そんな我が儘な子に育てませんでしたわ。
その子はずっと、『誰かのため』に尽くすことを喜びとしているのですよ」
彼女の祖母は、笑う。
『無垢なまま』、笑って見せる。
ナユタは言葉を失った。
………これほどの人間がいたのかと、内心で眉をしかめる。
これほどに、悪意なく罪悪感なく、害を与える人間が……彼女の祖母なのだ。
(これは、酷い。……これほどに、救いようがないとは)
ナマエという少女が、何故あまり感情を露わにすることのない人柄であったのか、この時初めて正確に理解できた気がした。
ナユタは、ただ不器用なだけなのだと思っていたのだ。胸の内を明かすことが、表現の仕方が不器用なだけなのだと。
実際に、ナマエはナユタの優しさに戸惑いつつも無下にすることはなかった。
恋心を抱いていなかった時も、恋心を抱いた時も、経験したことのない感情に混乱して困り果てて……しかし彼の愛情を大切にしてくれた。
多忙な恋人を責めることなく、深い理解を示してくれた。
手を繋げば、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにしてくれた。
そんな、拙くも一生懸命にナユタへ愛情を向けてくれた彼女を、この祖母は……
「__母さん、何をしているんですか」
静かな声色が、ナユタとナマエの祖母の狭間を割いた。
その声の持ち主を見遣って、ナユタは目を見開いた。
そこにいたのは、写真でしか見たことのない、『男』。
「妙に帰りが遅いと思って来てみれば……何をしているんです」
「………あなたこそ、どうしてここにいるのかしら?そもそも、」
「僕は当主ですよ。
……由緒正しい、数多くの偉人と呼べる方々を護衛してきた福楼院家当主なんです。
そのための情報収集能力を、あなたという身内に巡らせることなど造作もないです」
「……静真、あなた」
『男』を、彼女の祖母はそこで初めて忌々しいと言いたげに眉をひそめた。
けれど『男』は動じない。
「あちらに車を待たせてあります。だから、ここはもう引き下がってください。
……一族を追放されたその子に縋るなんて、見苦しいですよ」
「っ、」
「それに、初代当主から代々言い伝わってきたはずです。
『福楼院はクライン王家に関わるべからず』、と。
ナマエは追放された身ですが、僕らは違います。
『当主の命令に逆らってはいけない』。これもまた掟なんですから」
『男』はにこりと微笑んだ。
「だから、『引き下がりなさい』。あなたは確かに僕の母で、ナマエの祖母ですが……今の当主は僕です。
『誰かの幸福のために守ることを誇りにしろ』という教えは、あなたから教えられたことです」
『男』の静かな威圧の言葉に、彼女の祖母は意外とあっさり立ち去って行った。
それを見たナユタは、『孫娘を気遣っての行為ではないのでしょうね』と複雑な思いで察していた。
ただ、『当主がそう命じたから』、従っただけに過ぎないのだと確信していた。
そうでなければ、孫娘であるナマエに声をかけないどころか視線を寄越すこともしないなど、あり得ない。
「……ナユタ殿」
自らの母親に投げた声より、幾分か柔らかい声色で呼ばれ、ナユタは視線を向けた。
けれど、決してナマエに近寄らせてはいけないと身構える。
何故なら、その男は。
「何故、あなたがここにいるのです。
ナマエさんの『実父』であるあなたが、何故このような場所にいるのですか」
「………誤解です」
「……?」
「僕は、ナマエの実父ではありません。……叔父、です」
「…………叔父?」
ナユタの訝しむ様子に、彼は目を伏せた。
「『福楼院静真』。それが、僕の名前です。その子の実父とは、双子なんです。だから、間違われるのも無理はないんですけれど」
でも、嫌われるのも、無理はないんです。と彼は言った。
「姪に、救いの手を差し伸べることが出来なかった、無能な叔父だったので」
「…………」
「僕は、もう失礼します。これ以上あなたに関わることは、掟に反するので。
……ですが、一つだけ」
彼は静かに一礼して、
「……どうか、姪を恐れないでやってください」
「……何ですって?」
「憐れみではなく、純粋に、姪を見てあげてください。
……姪は、何も悪くないんです」
「……」
「……失礼します」
そう言って、彼は静かに去って行った。
姿を見せた時と同様、ただ静かに。
「……ナマエさん。ひとまずは、ここを離れましょう」
ナユタの声に、ナマエは小さく頷く。
……けれど、声を発することはない。
それはきっと、黙り込むことで、心を閉ざそうとしているせいで。
「……」
その在り方はきっと、泣き崩れるよりも酷い、自分を否定された者が存在を崩される姿なのだとナユタは思った。