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ひとつめ


よなか



すぐ戻るという雨丸の発言に嘘はなく、十分も経たないうちに戻ってきて、私たちと同じように座った。逃げるくらい嫌がっていたのに上手だねと伝えると、捕まえてしまえば素直に飲むのだというので納得した。本気で嫌がる子もいれば、かまって欲しさにわざと嫌なフリをする子もいる。ねいねは後者だったようだ。
「えっと、改めて……来てくれてありがとう、スス。設備については灯火さんが説明してくれた?」
うなずく。待っている間にさっくりと灯火が洗濯や風呂場についての、自分が見ていなかった場所について教えてくれた。お風呂に関してはみんなが協力して入ってくれるそうで、私たちが過干渉せずともほとんどの子がきちんと済ませてくれるそうだ。仲がいいのは良いんだけど、時々様子を見に行くとそこまで広くないお風呂にみっちり詰まっていたりしてびっくりするんだよねと雨丸が苦笑いしていた。
「そっか、よかった。それじゃあ、お仕事についての説明をするね」
そういって、雨丸はこれまたざっくりと普段やっていることを教えてくれた。時々灯火が補足してくれたりしているが、決められてやっている事が殆どないようで、ざっくりと話すしかないようだった。シフトのこと、日中行う事務的な対応のこと、規則的な時間のこと、監視するべきこと。仕事というか半ばルールというものだろうか。洗濯や掃除など生活に必要な事に関しては一応当番制だが、自主的に手伝ってくれる子が多いのと当番が捕まって動けなかったりするので、色んな人が空いた時にやっているらしい。話を聞いている限り、ここはほとんどを亜人達を中心にしているようだった。
「ま、事務対応についてはあまり覚えなくていいよ。大抵は私と、八鐘先生がしてるから」
外部からの電話、この施設の運営元との連絡から、ここに亜人を預けたい人の対応。私もそのあたりの、普通の仕事という行動は苦手としていたので、灯火の言葉に内心ほっとした。
「言葉にするとこんなに少ないっけ?ってなるね……ほとんどその場その場でやってるから、わからない事とかあったら遠慮なく聞いてね、職場としては良い環境ではないと思うんだけど……」
「話しかけやすい人が多いし、たぶん大丈夫」
大丈夫かなあ、と雨丸は眉を下げた。
「ああ、あとは発作の対処とか怪我の対応だね」
そう言った灯火の雰囲気が、少しだけかたくなった気がする。
「うん、それは……灯火さんが言う?一応責任者だし」
「えー、まあいいけど。ここ、おひるねの庭では、発作などで錯乱した子に対しては鎮静剤の使用だけです。攻撃性が高く、けが人が出る恐れが多い場合にのみ、八鐘先生が投与します。八鐘先生は本当に先生なので、初対面では一応敬ってくださいね」
うなずくと、灯火はまた柔らかい雰囲気に戻った。対処の話が終わったわけではないが。
「で、肝心の対処なんですが……大抵は皆に協力してもらって、私たちが引き継ぐ形になります」
まあ、薬を使わない方向であればそうなるだろう。
「私たちは力で勝てないし、勝てなければ拘束もできない、できなければ薬の投与もできない。誰か、力の強い子にまずは捕まえてもらって、動けないように拘束します。その後、明かりを落とした静かな部屋で一人が付き添います。お友達が遊びに来てくれてお喋りしたり、撫でたり一緒に寝たりして落ち着くのを待ちます」
もう一度うなずく。時間はかかるが、安全で穏やかな方法。付き添う人の負担は大きいが、それ以外に問題は無いし、特に質問もない。
「あ、その八鐘先生は十時から十八時まで、午前中は二階、午後は一階の保健室って書いてある部屋にいるよ。ちょっと癖があるかもしれないけど優しい人だから安心してね」
いわゆる日勤かな?明日、挨拶しに行ってみよう。まだ部屋も全部見たわけではないし、探索も兼ねて行こう。
「後はー……何かありましたっけ?」
灯火が雨丸に聞く。雨丸も考えるように首をかしげる。
「えーと、お仕事的にはこのくらい?あとは一人一人の対応を覚える、かなあ。ただこれは……」
「丸一日か、もっとかっちゃうね」
雨丸と灯火がけろっと軽く笑う。
「今のところ注意が必要な子の事は話しておこうね。今日は誰と会ったか覚えてるかな」
灯火に聞かれて、ぜーちゃん、浅葱色の三人とてつ、マメ、聖、針音について話した。名前を直接聞いたのはこの六人だけだ。それを聞いた灯火が、雨丸に向く。視線を向けられた雨丸は、少し空を眺めていた。そしてあっと小さく零す。
「雨丸、選んだ?」
それを拾ったのかはわからないが、灯火が雨丸に声をかけた。
「はい」
雨丸は素直に聞かれたことを認めた。
「もう……他にもいるけど、注意が必要な子たちなんだよ、ぜーちゃんとてつと、アルンとメルンとアルは」
そうなの?と雨丸を見ると、そうだよと言うようにうなずかれた。まあ確かに、可愛い顔をしてとんでもない事をする子はたくさんいるし、見てきた。何かをすると、何かが起こるスイッチみたいな子達なのかな。
「その通りです」
私の考えたことがわかったのか、灯火がぱちんと一つ、両手を合わせて音を立てた。
「ぜーちゃんは、最も発作……というか錯乱することが多いです。詳細はわからないけれど、おそらく元々いた環境の影響だと考えています。不定期に起こるといえばそうなんだけど、大体はトリガーがある。扉の開閉音でその扉を粉砕したこともあるし、麦茶の入ったグラスを見て叩き割って怪我したこともある。どっちも、普段は触れるものです」
ああ。いる。見たことがある。ひどく怯えながら、恐怖と戦うように物を破壊する姿を。でも、言わなかったということは他の生き物で、他の亜人や人間をトリガーにしたことはないのかな。
「原因を壊せたら戻ってくるから、突然静かになってじっとしたら気を付けて、近寄らないようにしてね。邪魔しなければ誰も怪我はしないの」
雨丸の補足に素直にうなずく。下手に止めようとする方が危ないのだろう。体は小さくとも、力は人間よりも強い。雨丸も浅くうなずいて、灯火が淹れてくれたお茶を飲んで一休みした。
「てつは、発作を起こしたことがないみたいだからそこは大丈夫。ただ、一か月に一回くらいは骨折してるから、近くで悲鳴を聞いたらすぐ確認してね」
「あの子の骨、折れてもすぐ治るんですが、いつそうじゃなくなるかはわからないので警戒はしている……んですけど、本人がその……頑張り屋さんでよくぶつけちゃうみたい」
雨丸に続いて、灯火もやや困ったように言う。本当にぽきぽき折るんだな……骨折は相当痛い。その痛みに耐え続けるてつは、辛くないのかな。
「アルンとメルンがついててもこうだもんね……」
一瞬、困り果てた沈黙が漂って、えっと!と雨丸が持ち直した。
「大抵綺麗に折れているから固定する処置で治るんだけど、ちゃんと八鐘先生に診てもらって病院に連れて行ってもらうんだ。二人が抑えててくれるから、先生を呼んで、保健室にある担架を持ってきてくれたらいいかな」
「わかった」
さて、その二人とアルも注意が必要だという。私は飲みやすくなった緑茶を一口、口いっぱいに含んで飲み込んだ。優しい香りが喉からあがってきて、心地がいい。
「そのアルンとメルンなんだけど、この子たちは嘘と暴言が嫌いです」
嘘と暴言が嫌い。確かに過敏な子は多いと思うけれど、異常なくらいなのだろうか。
「成祈が来たばかりのころ、外で転んじゃった子に対してクソきたねえって言って死にかけてた」
死にかけてた。
「まあ注意が必要な理由はそれじゃないんだけどね。怒らせると金属バットで殴られるのと同等の蹴りが飛んでくるらしいよ」
成祈、何回死にかけたんだろう。今度聞いてみようかな、と思った。
「成祈はともかくとして、嘘も暴言も過激なものじゃなければちょっと嫌な顔するだけで済むからそんなに気にしなくていいんだけど……アルがね」
雨丸は一度口を閉じる。それを見てか、灯火も一口お茶を飲んで、私をしっかりと見据えた。
「アルは、二人に危害を加えるものを許容しません」
危害。それは先ほどの話も含まれているんだろうか。
「成祈は、口こそ軽いけれど悪意も敵意も無いのでアルは見逃している……って感じに見えるんだよね」
見逃している。それは、重々しい言葉だった。
「アルは、職員一人への加害と身元を預かっていた亜人二人を殺害しました」
一人加害、二人殺傷。加害はともかく、この表でそれだけ殺している亜人はまず殺処分になっているはずだけれど、そうなっていないということは灯火たちにとってそれには足りない人柄なのだろう。アルの主人と相談した結果なのかはわからないけれど。
「職員一人は、派遣の臨時職員でした。給金の為に働いていた様子があり、亜人排斥派では無さそうでしたが……あまり良い感情は持ってい無さそうだと私も感じていました。態度が厳しすぎるときには注意もしていたのですが……恐らくはそれが理由でしょうね。早く変えてもらうべきでした」
灯火の声は、いつの間にか温度のないものに切り替わっていた。抑揚のない真っすぐな声が、紙に書かれた事実を読み上げるように。
「亜人の二人は……正直、何があったのかわからないんです。悪意が、敵意があったのかは……亡くなった二人は、この三人との関係性が険悪だったわけでは無いんです。私から見ていても、話を聞いても。一人はアルンの尻尾を引っ張ったことが、もう一人は寝ているメルンの枕を抜き取ったという話は聞きましたが、それが尾を引いていたようには見えませんでしたし、会話もしていました」
灯火は、その時のことを思い出しているのだろうか。目を伏せて、悼むように。
「もちろんそれは、第三者の私の感想です。実際は無視出来ないほどの傷があったのかもしれませんが……うやむやにするばかりで。ただ、二人に対していたずらや取っ組み合いを仕掛けて、仲良くしている子はたくさんいるんです。なぜ、二人だけがこの結果になってしまったのか……」
亜人の方は、ちょっと気になるけれど。聞いてみて答えてくれるかはわからないし、神経を逆なでしていい事もない。話してくれるような機会があれば、しっかりと聞こうと心に決めた。
「アル、そしてアルンとメルンに対しては、出来る限り誠実に対応してください。何か否定的な感情があり、それを聞かれたら素直に伝えたほうがいい」
灯火は、重いものを置いたように口を閉じる。雨丸は少し、何かを思い出すように目を伏せていた。感情的な二人に、身も蓋もないことを聞こうとしている自分が一番冷たいと、思う。
「その死体の処理は、どうしたんですか」
軽く聞くのもどうかと思い、改まった口調に直して聞く。灯火は少し、驚いた顔をした。
「ススは、慣れているのかな」
「流石に頻繁にはなかったけれど……二人も手にかけてる亜人がまだ生きているなら、何かしらしているでしょう。えらい人達はそういう事に敏感だから。完全に防げる事故はないから、知っておいた方がいいかと思って」
「そうですか……」
私の話を、二人がどう受け止めるのかはわからない。必要なことだけ言っているだけで、悲しいと感じないわけじゃない。一旦アルの顔を見に行きたいなと思うくらいには動揺している。しているけれど、結局今必要なのは、今生きている者達が必要とするもの。少なくともアルのことを、この人たちは守った。守っていいと判断しているんだ、アルの事を。私はそれに追従する。
「うん……そうですね、いずれは知ってもらいたい。でも、今はもう少し、軽い気持ちで寄り添ってあげて欲しいな」
灯火は、私の目を覗くように見る。私がどうするかを見ているように。私は素直にうなずく。
「アルはかわいくて、ちょっと寂しがりやに見えました」
フォローになるかわからないが、重たくなった空気に一つ、軽い風を混ぜたくなった。雨丸がはっと私を見る。灯火はほっとしたような表情をした。
「でも、雨丸」
ぽろっと、疑問が一つ落ちてきたのをそのまま口に出す。
「アルンとメルンに会わせたのって、死ぬか見守ってた?」
「いや!!」
焦った様子で素早く否定された。
「てつに会わせたかったの。あの、えっとね、正直なところアルの前歴のことすっかり忘れてました」
忘れるくらい前のことだったり、今が穏やかなのかな。
「雨丸、明日ススが死体になってたらどうしよう」
「やめてください」
何だか面白くなって笑うと、雨丸がはぁ……と色々混ざったようなため息をついた。今日出会った子たちで注意が必要な子たちの説明は受けられたかな。
灯火がさて、と話を切り替えるように声を出した。
「一気に話してしまうと覚えられないかなあと思うんだけど、まだ聞く?」
「あー、名前だけでもわかるリストとか、ないかな」
「あるよ、持ってくるね」
灯火が立って、奥にある階段で上に登って行った。雨丸はそれを目で追ってから、マグカップを両手で包んで持つ。安心するため、というよりは安心したから、といったふうに。
「雨丸」
できるだけ穏やかを心がけて声をかけてみると、雨丸はなんだろう、と特に当たり障りのない反応をした。
「私は、信用に足る人物だったかな」
え、と零れ落ちた言葉は霧散していった。私を見つめる目が、何かを探している。何かを考えている。
「あ、あの。ススは、嫌……だったよね、そうだよね」
そして申し訳なさそうに、おずおずとした様子で言った。
私、感情を言葉に乗せていなさすぎる気がする。
「ううん、ごめんね、脅したみたいな言い方しちゃった。雨丸が不安がってるのは何だろうって考えてて」
「あ……」
雨丸はまた、言葉に躓いている。今度は自分の中で探し物をするように、マグカップの中に目線を落とした。ゆらゆらと気持ちを揺らすように。私は、まだ踏み入るべきではなかっただろうか。
「あの……ススは、わかるの?」
流石に試されればわかるよ、とは言わない方がいい。出迎えてくれた雨丸はとても立派に見えたのに、今は小さな不安から目を背けるように縮こまっているように見えている。両手でマグカップを撫でて、逆立った毛を落ち着かせるように。
「すごく不安なことじゃないけど、気になることを確かめている時って、結構不安そうに見える。すごく不安な時は、かえってわかりにくい」
「うわあ……すごいね、スス。不安なのは、単に失礼なことしちゃったから……なんだよ、本当に。ちょっと、驕ってたんだって自覚が出来て、ちょっとこう……落ち込んでる」
確かに、そっか。私だって失礼なことしたり、失敗したりするとふわふわの子を撫でまわしたり布団の中で消滅したい気持ちになる。
「そっかあ……ちょっと前からやってたって聞いたけど」
「うう……うん。あの……新しく来て、案内してた時に四階に置き去りにしちゃった人がものすごく、怒って。急用で、どうしても行かなきゃいけなくて、その、発作だったから……私を呼んでた」
言葉を区切る。マグカップと一緒に顔を上げて、飲もうとしたみたい。でも、私を見て、やめた。
「それが……怖かったんだ、久しぶりに、怒られたからかわからないけど怖くて。……その人、さっき言ってた人……アルの。怖い人が本当に怖い人で、だから罰せられたって、多分、安心しちゃったんだ。その人のかわりに来た人に同じことして怒ったら悪い人かもしれない、判断基準にしようって、何でか思って。今日までそれが正しいと思ってた」
声が、震えている。
雨丸は今、すごく怖がってた。
「お、怒られただけでずっと気にして、困って降りてくる人に安心してたんだよ、すっごくよくない、馬鹿だと思う……」
「雨丸」
怖がってるけど、私から目は逸らさなかった。名前を呼んだ私を、不安そうに見つめて。
「誰かに話した?」
私の言葉に、雨丸はゆっくりと、首を横に振る。
「ね、雨丸。怖かった?」
「怖かったけど、こわかったけど……ちょっと怒られただけで、職務放棄してたんだ、私」
「雨丸」
自分から逃げなくてもいいのに。雨丸は、てつの元主人に怒るくらい正義感の強い人。その正義感が、今の雨丸には、ちょっと重たそうに見えた。
「雨丸、怖かったら怖くていいとおもうよ」
「でも、私……」
「そのあとの事は置いといて、雨丸。とりあえず、今に自分を連れてこよう」
怖かった雨丸が置いてけぼりのまんまだ。
「今?」
「雨丸、こわかった?」
私は、色々見てはきたけど、受け入れる耐性ばっかりあがっているから、こういう人を、傷ついた子を励ます言葉も術もわからない。でも今、雨丸が怖がった自分から逃げ続けてるのだけはわかる。多分、このままじゃ解決しない。
「こわかった……」
ぽつん、糸が垂れるように。雨丸の伏せた瞳が、やわらかい明かりで輝いた。
ああ、どうしよう。解決しないとは思ったけど、私はこれから、何をしてあげたらいいのだろう。わからない。私の役目ではない気がする。
そう、色々と考えているうちに物音が聞こえた。木箱からだ。
ぬう、と先客が立ち上がって、出てくる。そしてゆっくり歩いて、雨丸の背後から抱きしめた。雨丸を包み込むとはお世辞にも言えない小さな腕が、雨丸の腰あたりにある。
「こわいのかあ?」
雨丸はびっくりしたのか、動けずにいた。その子はススス、と横に回ってきて、雨丸を覗き込む。
「こわいのはんぶんこしたげる」
そういうと、両腕を上に突き出した。抱っこのポーズ。雨丸は少しの間その子を見つめてから、マグカップを置いて、抱き上げる。
ぎゅう、と力強く。
「こわいとき、こわかったーって半分こするといいって雨丸がおしえてくれたもんね。人にいうくせに自分はできないのかあーい」
その子は、励まそうというよりは教えてあげているみたいだった。返事は聞こえなかったけど、抱きしめる力が強くなったのか若干うめき声がした。
「雨丸、こわがりさんねえ」
しょうがないなーと抱きしめ返しているその子も、だいぶ嬉しそうに丸くて太い、短めのしっぽが揺れていた。
「そうかも……」
消え入りそうな小さな声。
もう大丈夫かな。階段のところで待っていた灯火に向かって小さく手招きをすると、あまり足音を立てないようにしながらこちらにやってくる。
が、努力も虚しく、見事にともしびー、と挨拶されていた。雨丸は尚更顔をあげられなくなったようで、動くその体を抱きしめ続けている。力を強めたのかぐえっと呻いたのが聞こえた。
「えと……落ち着いたらと思ったんだけれど、雨丸、聞いていたよ」
「あぁぁ……」
なんというか、情けない声だった。でも、もう怖がってはなさそうでよかった。
「はーなーせ」
今度は素直に離したようで、小さな体は着地すると灯火に頭突きした。それも挨拶だったらしく、その子はまた木箱の中に収納された。灯火はそれを見届けてから、雨丸の横に立つ。
「雨丸」
「はい…」
「理由があったとはいえ、貴方が認める通り、好ましい行動ではありませんでした」
「はい…本当に、ごめんなさい……」
「貴方だけの責任ではありません。私は、案内を貴方に一任していました。貴方だけに任せられた役目というのが、貴方を苦しめた」
「え、いや、わたし」
「雨丸、たくさん頑張ってくれてありがとう。ごめんなさい」
灯火は雨丸の手を取って、そっと握る。
「灯火さん…私は自分で」
「少なくとも私達は、皆でお仕事しているんです。貴方が頑張りすぎても、過ぎなくても、変わりません」
「かわらない……」
「雨丸は自己犠牲の精神が強すぎるんです。頑張る貴方を止めたくはありませんが、本当に頑張らなければいけないときは来るものです。その時のために、すべてを頑張るのはやめてください」
灯火は、抑揚のない声で話していく。それはとても優しい声だった。
「ありがとう……」
雨丸は一度手を引いて、灯火に抱きついた。灯火は驚いたのか腕が浮いてたけど、すぐに体に回した。
「雨丸、これからはちゃんと教えてね」
「うん…」
灯火は雨丸の頭をぽんぽんと撫でると、体を離した。それから私に向かって歩いてきて、着ている服についている大きめなポケットから折りたたまれた紙を差し出した。
「これがリストです。名前と軽い特徴がかいてあります。適宜更新しているから、時々確認しにきてね。二階に上がればすぐにわかるので」
うなずくと、灯火は満足そうに微笑む。
「スス、あなたが来てくれてよかった」
それは、雨丸のことかな。大切に思っている人は信頼できる。もっとも、今日見てきただけでじゅうぶんではあったけれど。
「灯火さん、大変」
雨丸の声だ。ただ、深刻そうな声ではない。灯火さんが振り返るついでに私も雨丸を追うと、携帯を見ているようだ。
「どしたの」
「今、十一時二十分です。線路工事でしたっけ?終電ものすごく早くなってるんでヤバいかも」
「ヤバいね」
さっきとは空気の違う深刻な問題が生まれていた。よーいどんと空耳しそうな勢いで帰り支度をしている二人をみて、通う人も大変だなあとぼんやりと、ちょっと平和な気持ちになった。

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