ひとつめ
ゆうがた
解散したのは、だいぶ陽が傾いた頃だった。二人とも、遊びまわるよりお喋りや座ってできる遊びの方が好きなようで、何が好きであるとか、最近こういうものが面白いとか。そこから話を広げていくのが上手だった。そろそろ迎えが来るから準備をする、とアルが立ち上がり、聖はそれを見送った。私はついていこうかと思ったが、準備というのはあの三人に会う事だというので、私も見送った。
調べられていなかった反対側の部屋は鍵が掛かっていて入れなかった。戻ってきた私にソファで寝転がっている聖がそこは特定の子に必要な部屋らしいけど詳しくは知らない、と教えてくれた。教えてくれた聖にお礼を言ってから、階段を下る。
私はやっと、二階に降りる。そこには三階ほどではないが広い空間があった。表すのなら図書館だろうか。広い空間には小さめの本棚がいくつかあり、飾りっ気はないが年季の入った綺麗なテーブルと椅子がが並んでいて、何人か机に向かって本とノートを広げているように見える。また、中央には事務作業をするのであろう机がいくつか並んでいて、パソコンや受話器などの電子機器とそのコードが見える。三階ほど広くない理由は三つ部屋があるからで、それぞれに小窓のついた扉がついている。背の高い本棚が並んでいる部屋が二つ、最奥の部屋には一人用の机と椅子が部屋いっぱいに、適度な間隔で置かれている。その部屋の壁には黒板があり、ここはまるで教室のようだった。
その風景は、私には珍しく映る。
この子たちの保護にあたって、勉学というものは必要とされない。そして本人たちが望むことも、多くはなかったと思う。ここでは何かを教えているのか、それともただの部屋なのか。時々覗いてみようかな。
どの部屋にも入らず、二階はこのくらいかなと階段に足を伸ばして、ふと。
ここまで、他の"先生"と一度も会わなかったな。一階と庭にいるのだろうか。おそらく、一階には食事や風呂など、生活するスペースと遊び回るためのスペースがある。そこに集中するのはおかしくないな、と答えを出して、階段を降りる。
来たときとは大違いの、賑やかな空気が階段に漏れてきていた。
この階段は入口の近くにある。靴箱がずらりと並ぶ玄関の先、透明な壁からは外で走り回る子たちがよく見えた。横目で見つつ、今は室内の探索を進めていこう。
目に入ったのは広いダイニング。見た目は食堂のようで、長机と椅子がずらりと並んでいる。今席についている子たちは飲み物を飲んでいたり、何か作業をしているようだ。更にその先には、カーペットが敷いてあったりするものの、ほとんど木製のフローリングがあたたかそうな陽の光で輝いている。そこにボールが転がっていったり小さめの跳び箱が置いてあったり。室内で遊ぶためのものがぱらぱらと置いてあり、見てきた中で一番人も多い。一人ひとり数えていかないと集計は難しいくらい。
ぼんやり眺めていると、私を見つけたという感じで歩いてくる二人がいた。背が高い。
「お迎えの方ではないですよね」
先に声をかけてくれたのは深夜の空のような色をした髪を持つ人。低く響く声をしているが、威圧感はない。私がうなずくと目を細めた。
「さっきマメちゃんが新しい子はゾンビだー!って言いふらしてたけど、ススさんってゾンビでしたっけ?履歴書に……」
「書いてないです、マメと話しているときにそういう方向に」
「だよねえ。案内任せた雨丸がすぐ降りてきたんだけど……置き去りにされました?」
またうなずくと、二人共またかあと言いたげな反応をした。よくあるのか。
「ちょっと前も派遣の人を……うーん」
「かわいそお、スス先生」
先生、と呼んだもう一人は光沢が控えめの灰色の髪。焼いた骨の色に似ている。深夜の人よりは背が少しだけ高い。
「怒るのか困るのか見るんだって雨丸は言うんだけど、失礼だからやめてほしい……って、ああごめんなさい!私は灯火。塩屋灯火」
塩屋。雨丸もそうだったが、名字があるひとが二人もいるのは珍しい気がする。この感じ、臨時で派遣されたわけでもないようだし。もしかして隣の人も、と目線を向けてしまった。
「あ、俺はないすよ!……あれ?こんなに誇ること?」
「違うかなあ」
「すよねえ。俺はナイノっていうんす!成す祈りって書くらしいんですけど、変な名前すよね~。あっ!別にスス先生の名前を変だとか思ってはないっすから!」
成祈は私の名前を変だとおもったらしい。私は私の名前を変だなと思うけれど、このご時世いろんな名前の人がいるからちょっと失礼かもしれない。灯火はげんなりした表情で成祈を見た。
「失礼を覚えなさい……」
まだ失礼という概念がある灯火は、相当まともな人ではないかと思う。保護する側もされる側も、失礼とかそうじゃないとか言ってられない事になるわけだし。
「ありがとうございます、灯火さんと、成祈さん。すでにご存じかと思いますが、私はススと申します。早速で申し訳ないのですが、一つお願いしたいことがあります」
丁寧に喋るのってこれであってるのかなあ。面接のときも思ったけれど、よくわからない。
「なんだろう」
「先生とつけるのはやめてください」
二人は一瞬、息を止めたのかもしれない。それくらい、ここだけ空気が止まった気がした。それは本当に一瞬で、二人はやさしい、人を歓迎するような笑みを浮かべた。
「許して、スス。先生っていつの間にかわけるようになっていてね」
「はい。私も不便だなとは思うんですが、やっぱり嫌いなので」
流石に、向こう側だというのはわかるんだなあ。安心した。
「あ、ゆるく喋ってダイジョブっすよ!俺は教育に悪いからわざとお堅くしろって言われてるんですけどね」
お堅くしてそれなのか。私の感想を察したらしい灯火が苦笑いしていた。
「受け入れてくれてありがとう」
何回も経験しているとはいえ、基本的に私は同じところに長くいる。どうしても新しい環境というのは緊張するし、こうやって私を受け入れると示してもらえると、とても安心する。
「こちらこそ。ススのような人が来てくれて嬉しいし、助かるよ。いつでも人出不足だからね」
「そーそ、しかもススさんて住み込み希望でしたよね?めちゃくちゃ助かりますよ、灯火さんとか日勤の人が帰っちゃうと、俺か派遣の人しか残らない事多くてちょいギスるんすよねー。夜勤希望の派遣サンってロクでもないの多くてさ」
灯火がまた遠い目をした。私からしても新鮮な言葉で、何だか面白くなってきた。色々と話をしたい気持ちはあるが、今はまだほとんどの子が元気な時間帯だ。自然と本来の仕事に戻ることになった。二人が。引きずっていくのを我慢してくれていたようで、成祈が突然引っ張られて行ってしまったのを見ている間に、灯火が、着用していたエプロンの裾を千切れる勢いで引っ張られていた。というか千切りたかったらしい。千切られる前に抱きかかえて、若干亀裂の入ったエプロンを気にしつつも軽く会釈をして、奥の方に移動していった。夕飯が終わったころなら、もう少し話ができるだろうか。情報はあればあるほどいい。
ここに、二人以外に先生と思しき人は居なさそうだった。てつの話に出ていた、カン先生と八鐘先生は今日居ないのかな。それに雨丸もここにはいない。特に気にされてもいないようだし、庭に出てみよう。
広い。庭というか、やはり学校の校庭のように見える。棒で出来た檻を積み重ねたような遊具の中を泳ぐように移動していく子がいたり、ブランコを逆立ちで漕ぐチャレンジをしている子がいたり。とにかく走り続けている子、目で追うと疲れそうな速度で追いかけっこしている集団、ボールを抱えたまま丸まっている子。気になって近寄ると眠そうな目で見上げられたので、倒れて砂まみれにならないようにベンチの上に移動させた。無抵抗で運ばれてくれた。
今は遊んでいる子がほとんどだが、隅の方にある花壇は見事なもの。近寄ってみるとそれなりに大きな花壇だった。植物が好きな子がいるのだろう、何となくで出来るものでもない。植物に詳しくはないけれど、素人が見てもしっかり管理されているのだろうと感じる元気そうな植物の姿と、うまい言葉が出てこないが、目を引く配置。決して複雑そうではないのに、大きな葉や花は強過ぎず、小さな葉や花も良く見えるような。毎日の通勤経路にこの花壇があったら、毎日少しだけ気分がよくなりそうだな、と思う。派遣の形式で勤める時は住み込みがほとんどできないので、そういう時の通勤経路に素敵な花壇があると、ほんの少し嬉しくなったのを思い出す。
ぼうっと眺めながら歩いていたが、そういえばと方向を変える。
あの、森の入り口のような場所が見える。興味のままに近寄って、足を踏み入れた。
流石に森というには狭い。せいぜい林だろうか。だとしても、深呼吸するには十分に広い。木々の隙間からいっそう温度を上げた色の光が差し込む。その差し込み方も一方的なものだから、光が届かない部分は極端に暗い。この敷地の壁にまで来て、振り返る。中に入ると、地面はそこまで鬱蒼としてないことがわかった。意図的に刈り取っているようで、何かを置いていたような痕跡もある。もしかすると椅子やテーブルを置いていたのかもしれない。それにしてもここは、静かだ。遊んでいる子たちのにぎやかな声は聞こえるけど、それもどこか遠い。木があるせいだろう。風で擦れる葉っぱの音が雨のような音を立てる。
その音の中に違うものがあった。
気になって音を探す。さあさあと流れる音の中で、何か。
ぴい。
屋上で聞いた音。
どこから?
私はなぜか上を見上げた。
私を見下ろしていた。木に登って、良い感じの枝に座っているようだ。足をゆっくりと前後させ、時々ぴー、ぴーとぎりぎり人の声の高音を出している。
この子、屋上にも居たけれど、静かなところが好きなのかな。私はこの子が居たい場所に侵入している可能性がある。が、一応確認はしておこう。
「こんにちは」
声をかけてみると、高音を出すのをやめた。ただじっと私を見下ろしている。
「私は、新しくここに来たんだ。ススっていうの」
返事はない。私の言葉を待っているように見える。
「静かなところが好き?」
ぴい。一つ。
返事をする気がないのかとも思ったが、興味がないわけでも無さそうで。しばらく待ってみる。
風はそんなに強くない。さあ、さあと、時折せせらぎのような音が鳴るだけの、静かな場所。
私には少し寂しい。
「ああ」
声がした。
「いや。違う」
ヴァイオリンのような声だと感じた。別に、楽器に詳しいわけではないんだけど。何となく、そう感じた。まさに弾くような、ゆったりとした入りから出る、芯の強い声。思っていたより低い声だ。
「静かは、嫌い。ここはよく聞こえる。近いと、絡まる」
「そっか。少し離れたほうが話しやすい?」
「いや。ススを見つけた、問題ない。話す?」
「少しだけ。屋上で会ったときに私を触ったのは、どうしてなんだろうと思って」
特に意味がないのならそれでもよかった。私は覚えていると伝われば。それをどう思うか。
「おれ、と?」
あれ。
顔は確かに見ていないけど。高音と、髪の長さと色。服は他の子と似たようなものだけど、この子だったはず。アルン達のような血縁者がいる?双子のように、もっと似ている。
「違った?」
弁明したところで。新入りに免じて許してほしいし、ひとまずは確認をしよう。
「いいえ」
違わなかった。
「小さく、鳴く、あまり話さない、離れている。おれを覚えるのは、早くて一週間」
流石に上から降ってきて顔に覆いかぶさられた上、軽く叩かれたら印象に残るよ、と言うべきか。もしかすると覚えてほしかったのかもしれない。
「覚えてるよ。名前を聞きたかったんだ」
「はりね。針の音」
針音。あの高音からきているのかな。
「針音、ありがとう」
名前が聞けて嬉しい、と感謝を伝える。針音は私を見下ろしたまま、何も言わない。嫌な沈黙ではなく、不思議と心地がいい。
「スス」
「なあに」
「一人でいるのは嫌い」
「うん」
「今、少し。たくさんが近くにあるのは苦しい」
多分、聴覚が特殊なのだろう。今の調子だとこのくらい静かなところで賑やかな音を聞いていないとうるさくて仕方なく、でもそれは望んだ孤立ではないと。既にみんなに気に入られて、音の中に連れて行かれる他の人では中々側にいてやれないのだろうか。嫌いと言う割に平気そうにしているが、それは表面上だけかもしれない。この子は自己主張が得意ではないとか。
「夜は、静か。近くでも苦しくない。その代わり、寝てる」
「うん」
「スス……これから、たくさんのところに行く?」
「お夕飯の時間になったら行こうかな」
「お腹……すいた。うん」
針音が身じろぎした。受け入れる姿勢をとってみると、正解だったようでぽとっと落ちてきた。間近で喋ってうるさくないかなとも思ったが、がっしり掴まれている。
「針音は、ご飯はいつ食べてるの?」
「苦しくないところにいると、持ってきてくれる。スス」
うん、と返事をする。小さな体が、私を確かめ続けるように力いっぱい絡みつく。
「おれも、中にいたい。苦しいのは、対処できる。音を選ぶ。でもそれは、一人になること」
音を選べる。すごい能力を持っているようだ。それを使って遊んだりもできそう、と話と違うことを考えてしまった。
「針音」
名前を呼んでみると返事はないが、返事の代わりに頭を動かした。私の方を見ていると思う。
「私、来たばかりだから一人なんだ。一緒に、ご飯を食べてくれないかな」
ハッキリとは言わなかったから、私から言ってみる。針音がどのくらいここにいるのかはわからないが、全く友達がいないわけでもないだろうし、そういう子が近寄ってきてくれるかもしれない。
「いく……たべる。一人は嫌」
声色に感情が見えた。震えたか細い声だった。思っていたより参っていたのかもしれない。放置していたらもっと酷くなっているだろうし、頃合いを見て針音に付き添うというのが現状の距離感なのかも。多分、それは針音もわかっている。自分の難儀さもきっと。活発な子のように怒ったり喚いたりするには利口すぎるのだと思う。そうじゃなければ覚えるのに一週間もかかることはないはずだし、後回しにされることもない。我慢が上手な子は難しい。
まあ全部、私の想像である。まだ仮定だ。夕飯でどうなるかを見ればもう少しわかるかな、と一度思考を切り上げて、苦しくないであろう程度に抱きしめる。
ぴゅい。
人の声ではなかった。亜人特有の、もう一つの声。動物のような鳴き声だった。さらに高く、風を切るような音。きれいな音だった。
「針音はきれいな声だね」
ぴゅーい。
きっと、この子の声で歌を唄えば足がすくむほど美しい歌声を響かせるだろう。この子はおそらく鳥系で、それも美しい声が特徴の。
「針音は、いつも何してるの?」
「なに……何。音探し。歌を歌う。たまにいたずら」
いたずら。いたずらという言葉が気になりすぎて、多分口に出た。
「夜、見回りしている時、後ろに立って、なにかの音を出す。驚く」
中々良い趣味しているな。なにかの音ということは、音を真似ることも上手なんだろう。
「でもこの前、成祈に頭を引っ掴まれた。怖かった……」
成祈に。あの人が以前何をしていたかはわからないが反射的に防御反応をするなら、まあ裏に関わっていた人なのだろう。あるいは、今もか。
「大丈夫だった?怒っておこうか」
そう言うと、針音はふふ、と喉から空気を漏らすように笑う。
「驚かせたのはおれだ。なのに、成祈を怒る?」
「手段はともかく、針音は成祈に怒られた。なら次は、その手段をとった成祈を怒るよ」
「ふふ……ううん、成祈も気付いてすごく謝った。おれもごめんなさいといった。それからは少し控えている」
「そっか。針音は良い子だね」
「いたずらするのに?」
「元気なのはいいこと」
針音なら過激なことはしないだろうし、というのもある。
「ふふ。ススはあまり驚かなかった」
屋上でのことかな。
「驚いていたよ。私はびっくりすると、動けなくなるから」
「ふむ。覚えておく」
「御手柔らかに」
そんなような話を、日が暮れるまでしていた。
