みっつめ
おゆうねの庭
楽しかった気持ちと疲れは両立する。
見知らぬ場所で見知らぬ人に囲まれて数時間過ごすしたことによる身体的な疲労と、楽しかったことや新しい友達と過ごしたことによる感情の変動からくる精神的な疲労がメーターいっぱいになってしまったようだ。
ぴーちゃんは帰りの電車でエンジェルに抱き上げられた時に眠ってそのまま。そしてたった今、三月が灯火と手を繋いで本館に入った途端に泣き出した。本人も混乱していて灯火が宥めている。
「なん、なん?んん、うぇ、うえぇ、なんでっ」
「三月、大丈夫ですよ。目を擦らないで、止めなくていいんです」
「で、でもっ、う、たのしかっ…うぇ、うぅーっ」
「うん、楽しかったね。ちょっぴり疲れてしまっただけですよ」
エンジェルは私をちらと見てから、ぴーちゃんを抱っこしたまま靴を脱いで脱がせて、階段を登っていった。私も横を通り過ぎて廊下にあがり、荷物を置いてたまたま玄関に居た子には大丈夫だよと話しつつ、遊び場の隅っこにまとめてあるお昼寝用のタオルケットを取りに行く。一階にいる子におかえり、とかわいいまといつきをしてもらったけれど、少しだけ待ってねと足早に戻る。ついてきた子がワッとなったのを肌で感じた。
「三月」
灯火に抱き上げられて靴は脱げたようだけれど、混乱のせいかもがいているようで座り込んでいる。持ってきたタオルケットで後ろから三月を包む。少し暴れたが、すぐに落ち着いた。
「三月、どうしたの?」
ついてきていたてつがゆっくりと近寄ってくる。珍しく浅葱色が見えない。
「楽しくて疲れちゃったみたい」
「疲れて?そっか?んん……大丈夫?」
灯火が穏やかな笑みを浮かべる。その笑みだけで大丈夫だと伝えるように。
「うん。三月のお話は落ち着いたらにしようね」
「うん。ね、スス」
三月を見ていたてつが何かを話すため私に向き直ろうとしてよろめいたから抱っこして、そのまま階段へ向かう。三月は灯火に任せておけば大丈夫。
「つれてかれちゃった」
「かわいい子は連れてっちゃう」
「んもお!えへへ。スス、あの飛行機、見てもらえたかな?」
顔は見えないけれど、声がそわそわと上ずっているのがわかった。
「見てもらえてたと思うよ、展示スペースをじっくり見ていた人もいたから」
「ほんと!えへ、えへへ……ある?」
「もちろん。下に置いたままだから取ってこようか」
「へへ。んーん、あとでっ」
声を踊らせながらも運ばれる事を優先したようだ。今はアルンもメルンも側に居ないから少し寂しいのかもしれない。
「てつ、今日はなにしてたの?」
三階に足をつけた。
「ん?んーとね、あっアルと刺繍したよ!なんか、すごいことになったけど……」
「すごいことかあ。刺すって言うんだよね、何を刺したの?」
「んー、なんだとおもうー?」
ヒントが欲しいなと言うのと視界にえいとメルンが生えてくるのはほほ同時だった。わざわざ死角から視界に入ってきたようだ。
「わあ」
「ん?わあ!」
「ススおかえりおかえりっ」
「おかーえりぃー」
こんなに可愛いお出迎えをしてもらって良いのだろうか。いつもの挨拶とはまだ違う雰囲気に表情が緩んでいく。
「ススぅ、てっちゃんのししゅー見たいだろぅ!」
「見たあい」
アルンに似た微笑を浮かべているのにご機嫌さが滲み出ているメルンが手を口元に近付ける。折りたたまれた布を持っていることに気がついたてつが抵抗を示すようにうごめいた。
「メルン!なんでもってるの!」
「なんでって君がくれたんだろぅ?」
「あげてないよっ!いらないってしたの!」
「捨てられたものを拾ったら僕のものさ。ね、えい?」
「たぶん?おれもなにか知りたいな」
暗に何が刺繍されているのかわからないと言われたてつが腕の中で縮こまった。失敗しても気にしないなと思っていたけれど、今回はそうでもないらしい。
「んーもー!」
「怒るなよぅ、いい出来なのにさあ」
そう言って広げられたほんのりベージュ寄りの白い布の隅っこに、小さな鳥がいた。黒色で縁取られた鳥の頭には赤いトサカらしきものがついており、黄色いくちばしもあればその下にまた赤色が垂れている。形が歪だが鳥の形ということはわかるし、初心者ならば十分な出来ではないだろうか……と考えたところで、えいの言葉を思い出す。これは鶏ではないらしい。
「てつ、私は可愛いと思う」
とりあえず本音を伝える。てつが一生懸命ちくちくした事実だけであまりにも尊いが、それを隅においてもこの歪さは愛嬌がある。モチーフの再現度はともかくとしても、きちんと完成されているのはすごいことだ。
「うう……ススにはお話だけにするつもりだったのに」
「忘れたほうが良いなら忘れるけれど、恥じるものではないと思う」
「そーだあ、僕てっちゃんの自信取り戻しちゃろーと思ったんだよう」
優しいからと付け足したメルンにてつが優しくなーい!とふすふすした。抱っこから脱出しようとはしていないから本気で嫌がっているわけではない。よく見る、お互いにわかったうえでのじゃれあいだ。仲良し。
「てっちゃん、なにかいたの?」
えいからの純粋な興味からの問いかけにてつはもぞもぞしている。突然動き出さないよう痛くない程度に強く抱きしめておく。あったかい。
「今回は僕たち関与してないからさあ、思わず笑っちゃったんだよ。ごめんねえ」
てつが一人で居たのはそれが理由かな。てつが謝罪の言葉に反応したのを感じた。
「うう〜もうもう……は……はと」
はと。
鳩かあ。確かに見てわかるのは難しいかも。
「はと?」
えいがきょとんとした顔で繰り返し、メルンが広げたままの布を見る。まあそうなるよね、という顔のメルン。
「うぎぎ……その鳥も……はとのひとつだと思ってたの」
小さな声だったが、メルンとえいには聞こえただろう。えいの耳がぴくりと震えてから、花火のように予備動作付きで笑顔を浮かべた。
「てっちゃん!この白いのねっにわとりっていうんだよ!たべてる鶏さん!」
「ほぇ」
「テレビでみたよ!ふわふわで、コケコケ言うの!たぶん鳩じゃない……よね?」
「鳩ではないねえ、なんだっけ?なんか別の食べれる鳥の仲間じゃなかったあ?」
メルンの知識にそうなんだ、と関心していたらスッと近寄ってきて脇腹を小突かれた。多分どこかで聞いたことはあるだろうけれど、今引っ張り出せる記憶の中にないものだった。
「んー?まあいいや、そうなんだって!」
メルンの行動に首を傾げつつも、えいは教えてあげた事で満足そうにしてた。小さく揺れる体に伴ってふわふわの髪がふわふわしている。知らないことを過剰に恥じることはない。まあこればかりはてつ本人の感じ方だから、恥ずかしいなら恥ずかしいになってしまうけれど。少なくとも、ここには笑いはしても突き放す者はいない。
「うん……」
「この子はにわとり?はと?」
「え?えっと……にわとり!」
「にわとり!」
えいは復唱して笑みをいっそう深めた。満足の行く回答が得られたようだ。
「鳩じゃなくて?」
「違うもん、鳩だと思ってただけで鶏なの」
メルンの確認にふすーっと反抗的になりながら答えたてつを一撫でしてから床に降ろす。メルンがいれば転ぶことはないだろう。
「だっこおしまい?」
支えの腕を離そうとした時にそんな言葉が聞こえてぎゅっと抱きしめてしまった。えへへーと笑い声が聞こえて心臓を取り替える必要が出た。取り替えた。
「飛行機取ってくるよ」
「んー、はあい」
少し名残惜しそうなのはやっぱり拗ねていて寂しかったからかな。ニコニコのメルンも一撫でしてから、疑問が晴れて満足したからか横にぴったりとくっついたえいの手を握る。
「荷物を片付けに行くけれど、一緒に行く?」
「え!いいの?」
横からてつがわたしも!と声を上げたのをメルンが潰していた。君はかえって散らかすだろぅ、と真実を隠すこともなく伝えたメルンに対してまたてつがふすふすと怒っている。てつ達が居ても楽しいだろうけれど、メルンが気を遣ってくれたのならそれに従おう。まあるい瞳を真っすぐに私へ向けてくるえいの手を握り二人に挨拶して、一階に置きっぱなしの荷物の元へ向かおう。
先生が少なかったぶん、みんなから遊んでほしいと絡まれる確率もあがっていたということ。皆の大好きな灯火とエンジェルが居ないのは結構な大穴で、残っている先生は寝ている成祈を除いてもみくちゃにされ続けていたようだ。まあ成祈は寝ていようがいまいがもみくちゃにされているが。洗濯物を畳んでいるアルと聖の横でぼんのすけと寝ている……というか、寝落ちした雨丸にぽんのすけがくっついている形になっていて、留守にしていた数時間ほぼ休みなく遊びに付き合っていたから寝かせてあげてと労られるほどだったらしい。アルが自身を亜人除けと自慢げに言っていたが、アルは意外と避けられてはいない。積極性に絡んだりする子は少ないし発作直後は寄ってこないけれど、居る事自体を警戒されてはいない。自虐ともまた違うのだろうけれど、アルは寂しがりだからそっと伝えて撫でておいた。
少し離れた位置で、エンジェルとマメなどのバザーに興味がある子達が話をしている。こうやって見ていると、外での出来事に興味を持つ子は少ないのだと実感する。バザーという話と物を作って売りに出すことに楽しさを感じても、当日どうするかどうなるかに意識を向けた子はあまり居ない。ぴーちゃんや三月も好奇心がある方だったけれど、最終的には交流の方に意識が向いていた。施設でも個人でも、物事のある一定の線を越えると途端に興味を失う子が多かった。外に出かける事が好きでも遠出には興味がなかったり、急に帰りたがったり。遠出が好きでも時間が決まっていたり。まるで、そうなるようになっているように。
「ねえスス、放っておいていいのかい」
「ん?」
「その子」
「ん、大丈夫」
聖が気にしてくれた。ここに来てから長時間留守にすることが今まで無かったからか、帰宅を知ったミントが激怒しながらヒナ達さながら張り付いてしまった。いろんな気持ちが混ざって軽くパニックを起こしているようだから、もう少し落ち着くまではじっとして触らないほうが良いと思う。聖も察してくれたようで、優しげに笑ってくれた。
「ひじりい、でぇきた」
「はあいよくできました」
「ねぇ〜」
「あんたのほうが早くてきれいなんだから早くやりな」
「ススぅ!聖ひどおい!」
「アルはえらいね、お手伝いしてくれてありがとう」
「あは!わふーん」
寸劇じみたやりとりに和やかな空気が満ちる。アルは満足げに喉を鳴らして、迷いのない手付きでシャツを畳んでいってくれた。少しでも動くとミントが唸る私は、二人の会話やバザーの話をのんびりと聞きながらぼーっとする贅沢をせざるおえなかった。
この場に運び込まれていた洗濯物が整えられ、通りすがりの山駆などが運んでくれてスッキリしてきたころ、ミントがもそもそと体を動かした。んいー、と低い音を鳴らしながら私の背後から這い出てくると、そのまま聖の元まで行って脚に頭を乗せる。聖の手が優しくミントの頭に乗った。
「ススはもういいのかい」
「ススあきた」
ぼそっとした声で聖の問いかけに答えていた。飽きたなら贅沢をおしまいにして今日やるべきことが残っていないか確認しにいこうかな。
「ミント、ススに冗談通じないのをそろそろ覚えなよ」
「ふんだ」
「行っちゃった〜って泣いても聖さんは面倒見れませんよ」
「い〜〜」
ミントが複雑そうに鳴いた。あれから寝ていないのなら眠たさもあるのかもしれないなあ。ミントも例に漏れず聖が好きな子だから任せるつもりだったけれど、今は保護者が必要な時のようだ。
「ミントー、抱っこしていい?」
「や」
「やー?どうしてもや?私ミントと行きたいな」
立ち上がりながら聞くと、ミントがもそもそと動いて私の方へ向いた。いつもの可愛い顔だから泣いたりはしていなさそう。や〜、と口だけで抵抗するミントは無抵抗に腕の中へ収まってくれた。
「ススに取られた」
「とっちゃった」
ふふ、と笑いあうアルと聖に感謝を伝えてから、その場で一帯を見渡す。帰りの時間が迫っている子がいないかどうか。
「あ」
いた。バザーの集いの中、普段はそろそろ下で待ち構えている姿を見る子がまだ三階にいる。
「クリック」
ぎりぎりまで話しているにしても、準備が終わっているかの確認だけはさせてね。邪魔してごめん。そんな気持ちとともに声を掛ければ、集まっている全員から視線を向けられた。クリックの長い尾がうねる。
「帰る支度は終わっている?」
「えっ」
クリックが勢いよく壁掛けの時計を確認して、ぎゅんと立ち上がった。隣りにいたマメの耳もぎゅんと立ち上がった。
「まだ大丈夫だよ、焦らせてごめんね」
「み、みてなかった……ええと、荷物は……」
クリックが持ち物を思い出しはじめた。マメの耳は戻った。
「もうこんな時間だったか。スス、作品の片付けを任せてしまってすまなかったね」
「ん?うん、大丈夫」
作者に返しに行くのは楽しかったしわざわざ気にすることでも無いようなと思ったけれど、私も同じことを言う気がして頷いた。
「おみんみん」
マメが立ち上がって私の前に立ち腕から溢れている白緑の尻尾をさっと撫でた。ミントからの反応は特になかったが、嫌がりもしなかったのを了承と捉えたのか、マメが挨拶の頭突きをミントの腰あたりにシていた。
「ちょっ、マメなんか圧、マメ痛い」
「わはは!」
「んだぁテメー抱っこの計に処すぞ」
「ミントならまだ……いいぜ!」
「ここにススがいるだろ」
「ヤーッッ!」
マメが抱っこ嫌いなのは足がつかないからなのかなあ。ご機嫌に笑いながらエンジェルの背後に隠れていったマメと、絡んでもらえたことで少し元気になったミントが耳をぴこと揺らした。
「くりーく、荷物は見たほうがはやくなあい?」
クリックを見上げていたマヌゥがのんびりと言うと、クリックはまたハッとして、そうだった……と少し恥じらった。
「ねえクリック」
さっき返したときにも伝えたのだけれど。
「きっと喜んでくれるから、ぜひみせてあげてね」
「え?あ……うん。あの……お迎えのときに」
「うん」
「ん?くりーく、傘……まさか見せないつもりだあたの!?」
「う、うん……は、恥ずかしいし」
「なんてことだ……」
マヌゥが衝撃的だという顔をしてクリックを見上げて、トヌルとエンジェルが小さく笑ってしまっていた。何だろう、甘いと思ったものが苦かったときにする顔かも。
「くりーく、あんなかわいいの、かくしたらご主人さん悲しいとおもーよ?」
「さっきススにも言われた……し、よくよく考えてみたら、みんなが手伝ってくれたのに恥ずかしいって失礼だった。ごめんなさい」
「んえ、謝らないの!ぬぅたちは布選んだだけだし、きれーにかわいくしたのくりーくだもん!好きだよ!」
ふわふわの毛布みたいな笑い方をするマヌゥにクリックも表情を和らげた。マメがエンジェルの背後から出てきてクリックに頭突きした。
「わっ、マメ、た、たおれるたおれる」
「うひひ」
「マメちゃんこらあ〜」
和やかで、幸せな光景。永遠に見ていたいけれど、時間は止まらないものだ。クリックの離脱をきっかけにバザーの集いは解散していき、エンジェルと三人でそれを見送った。聖達の横で寝落ちしていた雨丸が体を起こして眠気と格闘しているのが見える。そうなってしまえば、三階に広がる光景は毎日見るものと変わらないものになった。
「エンジェル」
ミントの耳がぴくりと動いた。エンジェルの夏の空色と目が合う。
「今度は中で何かイベントをやりたい」
「お願いするのは僕になのかい」
「企画するのは苦手」
「だからって僕に投げるの?」
冗談交じりの声色で私にもっともな事をいう。本当にその通り。でも出来ないことを無理にやっても良いことはない。
「エンジェルならきっと、こういう事やりたいって言えば中身詰めてくれる」
「君ねえ」
「で、頑張ってくれたエンジェルを頑張ってくれてありがと〜ってする」
「おや、頑張らないとしてくれないのかな」
「してもいいならするけど」
エンジェルは皆ほど居ることを肯定されても喜ばない。というか、何かすることで存在をねじ込もうとしている節があると思っている。エンジェルは完璧な微笑をほんのり崩してから、だれの心も射止めそうな照れ笑いをした。
「ススには敵わないな」
「私だけじゃないよ」
「いいや、ススだけだ。僕が望むのならば心から頼ってくれるのはね」
「あー……まあ、でも。イベントしたいのは本当、企画とか向いてないのも本当だから、一人でめちゃくちゃにした案を泣きながら持ち込んでたかも。どの道頼りはしたと思う」
「ススが泣くのお?」
ミントから声が聞こえて、エンジェルがふふと笑いを零した。
「想像出来ないね」
「なかなさそー」
「胸の内で泣いてるから」
ケタケタ笑うミントが愛しい。疲れてぼんやりしていたのに、泣きながらという言葉に反応してくれたんだろうな。
「無表情で涙声?」
「ススから涙声するの想像できないや」
「なかせてやろーかー」
腕の中でがおー、とポーズを取ったミントがあまりにも可愛くてぎゅっとした。ぐえっとうめき声がして、エンジェルがまた笑う。
「ふふ。しばらくお休みしたら、考えてみようか。ミントも楽しめるイベントをね」
「だねえ」
「イベント?バザーも楽しかったぞ、バザーてか箱作ったの」
「それはよかったよ」
エンジェルの嬉しそうな声色にまた心臓が熱を纏う。和や家な会話を聞きながら、時々言葉を挟む。やっぱり、雨丸がぜーちゃんに頭突されて転がりそうになって居るのが見えたりするような、知っている場所は落ち着く。出掛けるのも楽しいから、いずれ電車に乗ってどこかに行けないか聞いてみたりもしたいけれど、しばらくは。
そう言えば、とミントが呟く。
「ゆってなかった。エンジェル、スス、おかえり」
返事をする声は綺麗に重なった。
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