みっつめ
がうがう
バザーの知らせからバザー当日までの期間が真ん中に近づいてからは、作りたいものを決めて制作を続けている子といつもの日常に戻った子で分けられるようになっていた。早々に作り終えた子もいるが、制作を続けている子のほとんどは一日に一時間前後時間を使いゆっくりと進めているようで、非日常感に浮かされてなにかしようとしていた子たちは制作を切り上げていた。時間の掛かりそうだった遊具こと滑り台があっという間に完成していたことには驚いたけれど。楽しかったらしく、制作陣は余った木材で棚を作り始めている。
すっかり元通りになっていたはずの遊び場も、今日は空気が重たい。こんな回想をしてしまうほどに。
誰も遊ばないおもちゃを清掃をしているが、それにちょっかいを出されない日など年に指で数えられるほどしかないのではないだろうかというくらい、普段は横やりが入る。見向きもしていなかったはずが、こちらが手に取った瞬間にこれ見よがしに奪い取っていくのに。何の妨害もない物足りなさを抱えながら、いくつもある積み木やブロックのおもちゃを一つ一つ拭いていく。そして時々周りを見渡して、話し声はするがどこか重い空気を吸い込んでから、また玩具を拭くということを繰り返していた。
そんな中、近づいてくる足音に気が付いた。顔をあげる頃には止まっていたその音の主は二又の白い尾を一度だけ横に流した。
「ねぇー」
「なあに」
ねいねは耳を小刻みに震わせつつ、私の前に座る。散らばった玩具たちを一瞥してから、その黒い瞳が私の顔を覗き込む。
「ねんね?」
ねんね。眠る、寝ている。それが指すのは、今現在の状況のことだろう。
「ねんねだね」
遊び場に居る子達はまだ元気な方だ。動いたり話したりする元気がある。今駄目になっている子達の大半は動けずにベッドにいる。通いの子達も、動けない子は三階のソファーやカーペットの上で寝かされている。影響のない子も周りにつられて静かにしているほどだ。
「ねんね。なんでー?」
「今、台風が来ているから」
「たいふう。お外雨!なんでー?」
ねいねは首を傾げて、顔を近づけてきた。ねいねの癖の一つ、光さえも吸い込みそうな深い黒色が私の視線を吸い込もうとしている。かわいい。
「たぶん、気圧。気圧ってわかる?」
「きあつ。くうきのあつ!ってなにー?」
「実のところ、私もよくわかってないんだけれど……気圧が急に上がったり下がったりする事とか、気圧がすごく下がった低気圧っていう状態で、具合が悪くなる子が多いんだ。ねいねは大丈夫?」
「んぴー」
大丈夫そうだ。
「ぐあいわる?」
反対方向に首を傾げた。ふわふわの髪と耳が揺れる。
「うん。頭痛いとかだるいとか、息苦しいとか……色々」
「あたまいたーい?体痛い?ぜーちゃんばたばた」
「あー、ぜーちゃん辛そうだったね。古傷が痛むみたい」
一度様子を見に行ったとき、じっとしていられない痛みなのか体を掻きむしろうとして、それを止めようとした雨丸をかなりの力で殴りつけているところを見た。雨丸は念の為八鐘に渡して、今は灯火とミントが側についているはず。
「むん。ぜーちゃんもだもだ」
「酷そう?」
「つらそうだねえ。痛いのないない、ないない?」
「完全には難しいかもしれないけれど、お薬飲んだはずだから落ち着いていくんじゃないかな」
「おくすりのんだー?ンー、もぢゃもぢゃしてたと?」
「落ち着いたことで雨丸殴ったこと思い出したのかも。発作とは違うから」
ねいねは少し離れて、んまあ……と言いたげな顔をした。どうやら雨丸のこと知らなかったようだ。手短に説明したてみると、口からもんまあ……と聞こえた。
「ぜーちゃん、雨丸お気に入りだもんねえ」
「そうだね。まあ、雨丸も大丈夫ってなったらすぐ戻るんじゃないかな」
そう言うと、ねいねからにゅーんと音がした。せっかく目の前にいるのだしと寂しさから頭を撫ではじめると、リズムを刻むように上下に揺れ始めた。それに合わせてぽんぽんする。段々とシュールさが面白くなってきた頃、ねいねも喉の奥から溢れてきたような笑い声をあげた。
「く、ひひひ……ぼんぽん!」
「ぽんぽんだったね」
ねいねは少しの間くすくすと笑ったあと、口元は楽しそうにしながらごろんと寝転がった。満足したらしい。最後にゆっくりとひと撫でしてから、残りの玩具を拭きに戻った。
この玩具箱にあるものは拭き終わったはず。ねいねがごろごろしながら、手に取ろうとした玩具を取り上げたりそれを投げたりしていたからか、いつの間にか近寄ってきていた鼠の双子に箱ごとひっくり返されて一波乱起きたりして最初に想定していたよりは時間がかかったが、普段と比べれば遥かに早い。
「んぴー」
飽きずに私に絡み続けるねいねも珍しい。目的を達して暇になった手を引き寄せられ、体相応に小さい手で私の手をなぞっていく。輪郭、指の間、掌、爪の先。それが済むと、指と指を絡めた。私からもなにかしよう、と暇のままでいるもう一方で頭のてっぺんをちょんと突く。大きな両耳がみょーんとのけ反った。頭のてっぺんを突っつくと耳をピンとさせてくれる子が多くてよくやってしまう。
「なーん」
一つ鳴くと、寝ている姿勢からまるで水中にいるかのように体をよじって起き上がった、と理解し終えたときには両頬を挟まれていた。みっともない顔にはならない程度に。
「ススス!」
「一個多いねえ」
「ス!」
「一個少ないねえ」
「ススススス」
「二人と一個だねえ」
この間訓練された問答をこなせば、ねいねは満足そうな笑みを浮かべた。
「ススちゃー」
「なあに」
ねいねは満足そうだ。頬をたっぷり数十秒揉みしだいたあと、手を離して私を立たせた。
「なんなわー」
言葉の意味はわからないが、とりあえず楽しそうだからそれが全てだ。手を引かれるまま遊び場から移動する。双子もこそこそとついてきていた。
そして辿り着いたのはぜーちゃんがいる部屋だった。不機嫌な顔で灯火に張り付きながら撫でられているぜーちゃんと、その近くでゲームをしてるミントがいる。
「なんなんなー」
ねいねは私から離れてぜーちゃんに近寄った。ぜーちゃんはねいねを目で追うだけで、それ以外の反応はしない。ミントの尻尾が様子を見ている時にする揺れ方をした。
「わっ」
声は灯火。動いたのはぜーちゃんとねいね。張り付いていたぜーちゃんが飛び上がった衝撃で眼鏡が飛んでいき、それをろんりが回収し、りんりのところに戻った。多分数秒の、一瞬の出来事だった。
ねいねがぜーちゃんの前で勢いよく両腕をぴんと上に伸ばし、ぜーちゃんがねいねに食って掛かろうとして飛び込んだが避けられ、次のターンに入る前にミントがゲーム機を置いてから二人の首根っこを掴んでいた。相変わらず動きが早い三人だ。
「なぁにしてんの」
普段は見守られる側に居ることが多いミントも、ぜーちゃんとねいねが居るときはこうやって見守る側に居る、この頼もしさ。視界の端っこでろんりとりんりが眼鏡をかけて遊んでいるのが見える。
「ねーねがやった!」
「ぜーちゃんおこったあ」
「ぜーちゃんは今具合悪いの。ちょっかいだしたねいねが謝んな」
「なんむむむ」
「食べちゃうぞ」
ミントが口を開けてみせれば、ねいねはきゃあ!と気の抜ける悲鳴をあげて、未だ眉間にしわのよったぜーちゃんに向き直って手を伸ばした。ミントに掴まれているから届いてないけれど。
「ぜーちゃんあそぼーあそぼー?ねー」
「遊ばないの」
「あそばないのお……そっかあ……」
ぜーちゃんがいつもより低い声で言うと、ねいねが全身を使ってしょんぼりした。機嫌が悪いことをよくわかっていないのか気にしていないのか。しょんぼりしたねいねを先に降ろしてから、ぜーちゃんを灯火に渡しにいった。私はねいねを再回収した。
「スス」
灯火に呼ばれてそちらを見る。灯火は少し困ったように眉を下げていた。
「すみません、丁度いいのでここに居てくれますか。一つ用事があって」
「わかった。ぜーちゃんもそれでいい?」
ぜーちゃんはげんなりした顔で私を見ていた。拒絶でないなら良いだろう。しょんぼりしたねいねを抱えたままミントの近くに座って、灯火からぜーちゃんを貰い受けて身を寄せる。
「また後でね、ぜーちゃん」
灯火は子守唄を歌うときのような優しい声でそう伝えて、ミントもしっかり撫でてから部屋から出ていき、双子がその後を追いかけていった。
「急にうるさくなって急に落ち着いた」
座り直して密着したミントが、画面を見たまま呟く。ぜーちゃんとミントに挟まれている。雨丸だったら満面の笑みを浮かべているだろうなあ。
「止めてくれてありがとう、ミント」
「ふん……ススは遅いんだから。カン並みに遅い」
「カンって遅いんだ?」
子供をみていたらしいから、止めるのは早そうだけれど。
「遅い。ススもカンも、大丈夫大丈夫って止めないだろ」
理解した。私はただ反応が遅いだけだけれど、カンの場合はじゃれあいだろうと判断して見送っていることが多いのだろう。
「それならきっとカンの方が早いよ」
「そーかなあ……なんで?」
「私は本当に反応できてないから。何してるのか把握するので終わっちゃう」
「えー。だめじゃーん」
「だめだよー。私はここにいることしかできないや」
「だーめーじゃーん」
尻尾でぽふっと叩かれた。
「だめだねえ。ミントが居てくれてよかった。ありがとう」
「ぬ……む。ぬむ……」
照れた様子のミントへ、片手を伸ばして耳をつつく。ぴこっと震えた。
「もう……ねいね」
私との会話を切り上げたミントは持ちなおしていたゲーム機を置くと、ねいねの正面に回って話しかけた。ねいねの大きな耳がぴくりと反応する。
「お前はなんか作るの?」
ねいねの顔の向きが変わったのがわかった。
「みんみんは?」
「質問を質問で返すな」
「えー。みんみんはー?」
「お前が答えなきゃ答えなーい」
「えーえー。……作んない。きょーみなーい」
「だよなあ」
納得した様子で頷いているミントを今度はねいねが突っついて先程と同じ質問をすると、ミントは素直に作るよと答えた。私としては少し衝撃だった。今まで素振りもなかったし、ミントが何か作るという姿を想像していなかった。けれど確かにミントなら作れそうだ。手先が器用で、好きなものも多い。何を作るんだろう、私も興味がある。
「売るとかは考えてないけど。お前はどうなのかと思っただけ」
「ん〜。ミントなにつくるの?」
「びっくり箱」
びっくりばこ。思わず声に出して繰り返しそうになったが、とりあえず二人の邪魔はしないでおこうと飲み込んだ。ねいねはんおーと感嘆を含んだ声を出していた。
「びっくりばこー。ミンちゃん箱つくる」
「そー。箱作んの箱。山駆達が色々工作してるでしょ?何となく箱ほしいって言ってみたらさらっとしっかりしたやつ作ってくれたから細工して遊ぼーと思って」
棚作りの合間に更に何か作っている事を初めて知った。一日中作業しているわけでは無さそうだし、すさまじく手際が……ああ、良いな。主に作業している子達はみんな手先が器用だし、その中でも山駆は山に居た頃木工作業が生活の一部にだったからと最初の方で工具の使い方を指導したりもしていたくらいだ。どういった箱かはわからないけれど、箱だから簡単というよりはあの子達だから簡単だったのだと思う。勝手に驚いて納得している間に、ミントはこのくらい、と箱の大きさを手で表してくれていた。両手に乗るくらいの正方形かな。
「ぽへー。どんなことするの?」
「おーしえない。ネタバレしたら面白くないでしょ」
「ネタバレーばればれー。そっかあーミント作るんだねえ」
「別に売りモンになるとは思ってないし、その気もないけどな。何か……せっかくだし」
「んひひ。できたら見せてね」
「やだ。ねーねはびっくりしないもん」
えー、と言う割に特に残念そうでもないねいねと、嬉しいのか尻尾がゆるく持ち上がっているミントを、ぜーちゃんはぼんやりと見つめていた。ねいねとひと悶着したことで苛立ちを少しは発散出来たのか、今は眠そうにも見える。思わず撫でたくなったけれど、私が触ることでまた刺激することは避けるべきだ。
そこまで考えて、私の脚に頭を乗せていたぜーちゃんが身じろぎして仰向けになった。
「スス」
ぜーちゃんの目が私の方を向いて、僅かに開かれた口から私を呼んだ。腕に抱え込みたくなる無力感がある。
「なあに」
だからこそいつも通りに返事をする。ぜーちゃんは望んでこの姿でいるわけではない。
「雨丸は……へーき?」
「平気だよ。ちょっと休んでるけど、元気みたい」
痛みが取れたら戻ると言っていたし、もうそろそろ戻りそうな気はしている。私の体基準だから信憑性は低いけれど。
「そう……あめまう、怖いかな」
その言葉にどのくらいの感情が込められているんだろう。するりと落とされた言葉はとても重いものに感じられた。二人の話し声が途切れ、静かになる。三人から私に言葉を求めて視線が向けられている。外でごうっと強い風が吹いた。
「私にはわからないよ」
届けた時の反応を見た限り、怖がっている様子は無かったけれど。私がいくら言ったところでぜーちゃんの不安は晴れないだろうし、私だって本当のところはわからない。その場しのぎの張りぼてを言うくらいなら、わからないと言い切ってしまう方がいいと思った。少なくとも今のぜーちゃんには。
「雨丸、早く戻ってきてほしいね」
深い茶色の髪に指を通すと、いつもよりふんわりした感触があった。ぜーちゃんは期待外れと言いたげに、大きな目をカミソリのように細めて私を睨んだけれど、それも一瞬のことだった。ここで怒らないなら、不安が晴れないことをわかってはいるのだろう。
「あみー」
腕の中のねいねが声を出しながら身じろぎして、解放するとふり返ることもなく部屋を出て行った。扉の開閉音の後、ミントが盛大にため息をついた。
「間がわるーい」
「ふふ」
ミントの言葉に思わず笑い声が漏れた。ねいねは気まずくなって部屋を出たわけではなく、ただここに居ることに飽きたのだろう。
「雨丸も……あ」
雨丸について話そうとしたミントが言葉を止めたと同時にだるさなど欠片も感じさせない軽やかさでぜーちゃんが体を起こした。その瞳は真っ直ぐ唯一の出入り口を向いている。私には窓を叩くような雨音しか聞こえなかった。
無事に戻った雨丸が何事もなかったかのようなもちまるぶりを発揮してくれたこともあり、ぜーちゃんが元気を取り戻した。そのことを灯火に連絡したあと、預りが済んだ子たちを確認しにきた。重苦しさのせいか夕方くらいだと錯覚しそうだが、まだ午前中である。言い聞かせないと忘れそうだ。亜人が体調面で影響を受けやすいというだけらしく、災害にはならないであろう暴風雨では皆の主人達の仕事が無くなることはまず無い。いつもより早かったり、逆に遅かったりと時間に違いはあるものの常連の子はまず居るうえ、この嵐で不安になってしまうような普段は預かりを利用しない子も定員に空きがある限りは受け入れているようで、見慣れない名前の子が数人居たはずだ。
どこに居るかなと捜索する事になるかと思ったが、二階に来た途端に見慣れない菫色の美しい髪が目についた。私の足音に気が付いていたのか、視認した時点で黄色の混ざった緑色の瞳が私を捉えていた。
「あなたは、ピース……だね」
明らかに私を気にしている様子だったので、試しに声をかけてみる。返事は無かったが、名前は合っていたようで耳がぴょこ、と跳ねるように揺れた。そして探るように、あるいは品定めだろうか。私の顔を見ながらゆっくりと周りを一周して、元の位置に戻った。大きな瞳にじいっと見つめられているが、その表情は無表情に見える。私もピースのことを観察してみよう。まず、連絡があったときに体調不良という情報はなかった。そして今見ている限りでも具合が悪いことを訴えたいわけではなさそう。尻尾の動きは正面からではよく見えない。ほとんど動いてないのだろう。耳も何かを表すような動きはしていなさそうだ。
「ピース」
行動を待っていることを察してくれた……という雰囲気でもない気がする。ピースは人差し指と中指のみを立て、それ以外の指を掌の中心に折ったものを両手で作り見せてくれた。表情は先程と変わりなく無表情に見えたが、名前と同じ形をした両手を頬に近づけているそのポーズはなんとも愛らしい。何を期待されているのかはわからない。だから無難に、素直にいこう。
「かわいいね」
また耳がぴょこと跳ねた。そして尻尾がぱたぱたと左右に揺れているのが確認できた。それらが必要な順番だったと言わんばかりに口元を緩め、嬉しそうに微笑む。
「かわいい。ピースかわいいね。ふふ。さっきいた?」
心を許してくれたらしいピースは懐っこそうなゆるい表情で私に問いかける。無表情だと菫色の髪も相まってまさに美しいという印象になるが、崩れた表情は豆腐がほろほろと崩れるような柔らかさがあり、愛らしいの一言に尽きる。
「居なかったよ。私はスス、よろしくね」
「煤?ん?スス……煤じゃない?」
「うん、多分煤じゃない」
正直私もそうなのかそうじゃないのか自信を持って断言しきれないけれど。煤のように低い音から上がる呼び方はしないと記憶しているから、多分スス。
「多分なの?」
「うん、多分ね」
「ふーん、ふふ、へんなのー」
ピースは両手を降ろすと、表情はゆるめたままでまた私を中心にぐるりと周った。癖なのかな。
「ね。ねえピース、何か……困ったこととか、ない?」
「困ったことー?んー、りー、いない?ふふ」
「あー、ご主人さんはまだいないねえ」
「ふふふ。あー……うーん。あんねえ、一個あるよ」
微笑みを引っ込め、やや背中を曲げて私を見上げ、伺うように首を傾げた。そんなことしなくてもいいのに、と思うけれど、これが慣れない相手への遠慮からなのか本人の癖なのかはまだわからない。
「聞かせてくれる?」
「うん、あのねえ……いっつもいってるとこね、お弁当持ってこなきゃなんだけど、今日りー、忘れちゃってね、お昼ごはん無いなんだあ」
だいぶ深刻な問題だった。
「それは大変……大丈夫だよ。ご飯は作っているから。人数分ぴったりって事もないから、食べられるよ」
「ほんとー?ほんと?」
「ほんとー」
一応、申告してもらわないと食事は提供しないとしているがピースの情報を貰ったときに食事に関しては特に無かったから、預かるときに何も言われてないと思う。まあ、普段と違う施設に預けるにあたってすっぽ抜けていたんだろう。よくあるといえばよくあるから、後から食費の請求をして終わりだ。高くもないし今までに経験はないが、苦情が来たら私が払ってもいい。
「ピース」
私ではない声がピースを呼んで、ピースがぎゅんっと振り返った。私からみて正面、二階の中央にある事務机から灯火がこちらを見ていた。眼鏡はかけていた。動き出したピースを見たあと私にも目線をくれたから、一緒に来てくれということだろう。
到着すると、灯火は温厚そうな微笑みを浮かべる。今度はピースの背中を見ているけれど、尻尾がぱたぱたしていた。無表情とのギャップがあるだけで表情も感情も豊かな子のようだ。
「ピース、朝ごはんは食べましたか?」
「朝ごはん?たべた!食べた?うんたべたよ」
疑問形が挟まったことが気になったのは灯火も同じようで、もう一度食べた?と聞く。ピースはうーんと首を傾げてから、うんと頷いた。
「あんねー、りーね、お寝坊したんだって。まえにね、いんふら?系の仕事だからやべーっていってた!たぶん今日もやばかった!」
それはまた、私達がお世話になっているお仕事の方だったらしい。そういう話をするということは、だ。
「おお、インフラ関係の方なんですね。間に合っていると良いけれど」
「そうなのー、りーすごいのに朝弱いの。ふふ。でねー、いつものとこ時間過ぎたからだめだーてなって違うとこになったんだって」
「なるほど。ここを選んでくださって嬉しいです。ピースと会えたからね」
「んふふふー。あんねー、そんでね。朝ごはんねえ……」
この反応から見るに、朝食が少なくてお腹が空いているのは確実だろう。そしてそれを言うことで、主人に対して懐疑的な印象がつくのを恐れているように見える。朝に弱いというし、前にそういうことがあったのかもしれない。
「ピース、おやつ食べませんか?」
やや傾いていたピースの耳がみょんと伸びた。
「おやつ」
「うん。カン……ご飯当番さんに、ああ」
灯火がなにかに気づいたように、手元のブロックメモに何かを書いて一枚千切って、二つ折りにする。それを、ピースに向けて差し出した。
「これを届けてくれませんか?あの人、あまり携帯を見ないんです」
「んー?いいけど……おやつ?」
「届けてくれたら、お当番さんがおやつくれますよ」
「ほんとー!?」
おやつ、という単語にこの部屋の中にいる何人かが反応していた事に嵐を忘れそうな穏やかさが胸を満たした。反応はしたが、話を聞いていたので静かにしているというところだろう。伏せっていた子も反応していたし、おやつというのは魔法の言葉と表現してもいいと思う。
「はい、何がもらえるかはお楽しみです。あ、その前に。おやつとご飯に、苦手なものはあるかな?」
「苦手なものー?うーん、んー。甘いもの?」
「甘いもの……なるほど。たくさん聞いてごめんね、最後に一つ。食べてはいけないと言われているものはあるかな?」
「なーいとおもうよ!あっそうだえっとね、りーにいわれてたの、『アレルギーはありません、野菜が好きな子です』ってご飯とか聞かれたら言いなーって」
こういう事態をきちんと想定している主人のようだ。抜けがないのが一番とはいえ、私個人としては好感の持てる人だと思う。失敗をしないことはできないのだから。
「お野菜好きなんですね!わかりました、ありがとう。よく覚えていたね」
灯火が折ったメモを開いて書き足し、また閉じた。内容はピースの食事についてなのだろう。ピースはご機嫌のようで、ニコニコの顔を私にも向けてくれた。えらい?と言いたげだったから、えらい!と言うつもりで頭をぽんぽんした。
「えへー」
「よし。届けてくれますか?」
差し出された小さな紙を、ピースは丁寧に受け取る。
「とどけるよ!おやつもらうの」
「ふふ、はい。案内はススがしてくれます。よろしくね」
私が頷くのとピースが体半分に引っ付いたのはほぼ同時だった。この子はご機嫌になると接触が増えるタイプらしい。大変愛らしい。
「カンなら今は一階かな。階段を降りようか」
「おりるー」
灯火に軽く会釈してから、ピースを伴って下階へ行くために一歩踏み出した。
「居た、あの人がカンだよ」
キッチンのある方向に向かうと自然に遊び場が見え、相変わらずくたくたなみんなに混じってお喋りしているらしいカンが見えた。珍しくお歌三人組が誰も近くに居ないようだ。
「かんかん。勘?」
「んー、アルミ缶かも」
「ふふー。……静かにしたほうがいい?」
伺うように私を見たピースはやや緊張した様子だった。実際、動かないだけで何ら問題のない子も混じっている。ピースが気遣ったのと同じ様にしているだけだろう。
「大丈夫、ここの子たちは元気な方だから」
そう言うと、返事を聞いて安心したらしくまた微笑んでくれた。
「そっか。じゃー……かんりょーりちょー」
特に声量は変わりないが、遠くから呼びかけるような言い方で近寄っていった。私もその後ろに続く。カンはその声に気がついて手元の子を撫でながら視線を上げた。
「お、ピースちゃん」
カンの微笑みは暖かな日差しのような、そんな優しさがあるなあといつ見ても思う。
「今いーい?」
ピースは近くにしゃがんで、撫でられている子に問いかけた。ぐう、とわざとらしいいびきをかいてくれたのは、いいよの返事なのだろう。カンも少し笑っていた。
「ふふ、ありがとー。あんね、灯火……灯火ってなんだろ?灯火さん……?」
料理長であったり何か敬称的なものをつけたいようだ。少し悩んでまあいいか!となったらしく、灯火さん!と呼びきった。
「灯火さんからね、これ渡してっていわれたの」
先程受け取ったメモをカンに差し出す。手に持ったままはしゃいでいたがくしゃくしゃにはなっていなかった。
「灯火から?何だろう」
カンはお礼を言って受け取り、折れた部分を伸ばす。ピースは受け取るときも後も、そして今も中身を見る様子はない。その代わり、褒めてほしそうにわくわくしているように見えた。
「ありゃ、ふむ。なるほどなるほど。ピース、届けてくれてありがとう!」
「えへ」
ピースはとても嬉しそうにして、耳を傾けて頭を寄せた。要求を察したカンの手は菫色の髪に吸い込まれていった。
「わー、ふふ。お駄賃におやつをあげようね、何がいいかな」
カンがそう聞いたのは、先程まで撫でられていた、寝たふりをしている三月だ。そして間髪入れずにサンドイッチと返答があった。
「いいねえ、そいや食パンいっぱいあるんだった。ピース、食べる?」
「おやつにさんどいっち……?いいの?」
「いいよー、いっぱい食べる子多いからよくあるよ、ねー」
ぐー、と返事があった。カンはまた笑って、少し待っていてとピースをぽんぽんしてからキッチンへ向かった。実際、間色に小さく切り分けられたサンドイッチが用意されることは多い。その時はクリームやフルーツサンドであることが多いが、おそらくは主食用の味付けで作ってくれるだろう。やや不思議そうなピースだったが、提案してくれた三月が話しかけてきたことで興味も移ったようだ。
「ピースちゃん、お外の子だよねえ」
「うん、お外すんでるよ。えーと?」
「三月といいまあす」
「さ?んがつ?おぉ、さんがつ。あったかくなる?」
「そうそう、その三月。三つの月ですよ。でも腕四つなの」
そう言うと、三月の服に埋もれていた背中から生えている腕がにゅっと動いた。横になっていたのもあり完全に見えていなかったようで、ピースの耳と尻尾がピンと伸びた。
「うで、よっつ、わお」
「あり?ごめん、はじめてみた?やだったかな」
困惑した反応に対して三月が焦ると、ピースは言葉よりも先に動きで否定した。
「とおーくから見たことあったけど、近くで見たの初めて!わー、ねね、聞いていい?」
「いいよお」
「ど、どんなかんじなの?んーと、腕四つあるってかんじ?」
ピースは興味津々らしい。三月もその反応を見て安心したようだ。ゆったりと体を起こし、腕が見やすくなる。
「多分そうかなあ、動けーって動かす感じではないかな。ふつーにうごくというか」
「ふえー、じゃあ、字かけたりするの?」
「練習したらできるとおもう。ほら、利き手じゃないとかきにくいのとおなじ」
「あー!」
「あやとりめっちゃ得意だよ」
「あやとり?」
「おっ現代っ子!あやとりね、輪っか状の糸をこねくり回して遊ぶやつ」
「なんそれ!みたい!」
ピースが無邪気な子と化していた。三月としてはカンが戻るまでの繋ぎとして声をかけてくれたのだと思うが、この感じなら三月も楽しむことができるだろう。二人をぽむっと一撫でしてから、他の子も確認しに行こうとその場を後にした。まだまだ今日は長い。
