みっつめ
よいよい
珍しくぽんのすけが歩いていた。正面から歩いてくるぽんのすけは躊躇いなく直進を続け、その真っすぐさに見惚れている間に避け忘れた結果、もぶっと合体した。
「んぬー」
お互い歩いていたし、直前で歩を緩めたのでとても柔らかな接触だった。ぽんのすけはゆるく鳴くと、私の体に足を引っかけてぐっとよじ登り、上半身でその熱源は落ち着いた。
「ぽんちゃん、どしたの。おひるね?」
「んむふぁ」
ゆるい声を上げただけで、私に対して返事をしてくれることはなかった。とりあえずそのまま、移動をする。特にあてはなく何となく一階に降りる。走り回って遊んでいる子達が通り過ぎていく。ぽんのすけが出すなんとも気の緩む鳴き声を音楽に、一階の遊び場に向かった。
今日は、猛暑だ。普段は外で遊んでいる子も日が傾くまでは屋内に居ることが多い。一階のダイニングと遊び場では、手を動かして何かしている子が大半であるようだった。体を動かして遊んでいる子も居なくはないが、手を動かして作業している子の邪魔をしないためか走り回ったりはしていない。
「つまんなーい」
ぽんのすけがぽいっと投げ捨てるように言った。
「つまんない?」
「たのしーことしたーいー」
「たのしいことー。ぽんのすけも何か作る?」
「おもしろくなあい」
「そっか。何しよっか」
んーんーと唸るぽんのすけをむにむに撫でている。ぽんのすけとしては本望だったようで、一向に提案はないまま遊び場の隅で落ち着くことにした。
辺りを見回す。各々が物作りをしていたり、おもちゃで遊んでいたりゲームをしていたり、転がっていたりお喋りしていたり。窓を介していくらか柔らかくなった陽の光が差し込む室内は、とても和やかだ。だが、なにか違和感がある。違和感の正体を探してみようとして、目についたのは大型の工作をしている子達の塊。あの子達は連日、段ボールを使って滑り台付きの遊具を作っている。大型といってもその子達の半分程度の大きさだ。最初は二人だけで形だけを真似た物から始まり、工作好きの子たちが加わって設計図を書いたりと本格化してきていた。バザーに触発されたようだけれど、流石にあの大きさは出せない。けれど、小さい子なら乗って遊べそうなくらい素敵になってきているし、写真を撮って飾るくらいはいいだろう。頑張りを見てほしい。
ああ、それはいいかも。みんなが何をしているかという様子を写真に撮って文章を乗せて……いっそ新聞のようにするのもいいかもしれない。見てもらえるかはわからないけれど、作るのが好きな子はいるんじゃないかな。後で声をかけてみよう。
「ぬん」
色々考えていると、ぽんのすけが注目してほしげに声を出した。私には抱きしめて撫でることしかできないが、意識が向いたことに満足したらしい。それにしても、今日のぽんのすけはいつもより甘えてくる気がする。バザーに関連する事で一部の人がやや忙しなく動いているから寂しくさせてしまっていたのかもしれない。それは本末転倒だ。
やっぱり私くらいはいつも通りでいたほうがいいのかもしれない。事務や管理というものは苦手なのだから、協力出来ることを捻り出すよりは割り切って関与しないほうが安心してくれる子はいるかも。なにかするのは呼ばれたときだけでいいか。
「ねえぽんのすけ」
さっきの違和感をコミュニケーションとして聞いてみようと思い、ぽんのすけを呼ぶと私を見上げた感触があった。
「あそこで遊具作ってるの、前から知ってた?」
「あん?そりゃあーあんだけデカけりゃあ。手伝わされたことあるぜ」
「おぉ、それはすごいね」
「べつにぃ」
「ふふ。……今日、昨日と違う気がするの、なんでだろ」
「ちがうぅ?」
ぽんのすけが振り返って確認してくれたが、すぐに元に戻った。
「ススぅ〜。きみはおめめわるいねぇ。よおくみてごらん、間違い探しだよ」
間違い探し。結局、自分で見つけろと言われてしまった。そう言われたならそうしよう。私が違和感を覚えたのは、何に対してだろう。製作者たちではないなら遊具そのものか。
一人、真っ直ぐな板を持ってきた。他の子と同じように、パーツを作るのだろう。作業用シートの上、台に固定して糸鋸を使い……いとのこぎり。
あの板、段ボールじゃない。木材だ。木の板だ。それは見るからに、独特の縦線を浮かべている黄色っぽい木材だ。塗装されているものも、されていないものもあるのを見るに、廃棄する予定のものを集めたのだろう。遊具そのものは、まだ段ボールのままだ。
「わかったあ?」
「うん。木で作り始めたんだね」
「そーらしー。カンがくれたらしいよ」
「カンが?そうなんだ」
カンと木材が私の中で結びつくことは無かったが、何となく人脈は持っていそうでそこまで違和感は無かった。コミュニケーション能力が高いからかな。
「すごいよねぇ〜エライヒトって」
「えらいひと?」
「あんらぁ?ススぅちゃまは何も知らないんだあ」
「知らないねえ。カンは自分の話をしてくれたことがないや」
「だろうねぇ〜ひけらかすようなヒトじゃないし聞かないと答えないー、ススは人間に興味ないしー」
「無くはないよ、今すごく気になる。話さないことを聞かないだけ」
「ふうん。同じじゃないの〜?聞かれなきゃ話す機会ってないじゃーん」
「そう?」
「アジンとニンゲンならべちゃいかんだろー」
「あー……まあ、そうだね」
「気になるんならあ、聞きに行こーぜ」
ぽんのすけが、しっかりと絡めていた腕から呆気なく抜け出していった。それがなんだか無性に寂しくて、立ち上がったぽんのすけの手を握る。ぽんのすけは得意げな顔をして、私を連れて行ってくれた。
カンは三階にいた。針音とお喋りしていたようで、カンの脚に座っていた針音は、私達が視界に映るとぴゅいっと鳴いた。
「ぽんちゃん、スス」
「だね〜。嬉しい?」
「うれしい」
針音の屈託のない笑顔を好きにならない人はほとんどいないだろうな、と思う。ご機嫌そうにぴょこぴょこしている針音を、カンもニコニコしながら見つめている。その表情は、私とは違うと確信できて一種の神々しさを感じるような、とても慈愛に満ちたものに見えた。
「はりねー」
ぽんのすけが私から手を離し、針音の目の前で両手を広げ、針音が一層嬉しそうな反応をしたのを確認してからゆっくりと合体していった。
「ススがねえ、カンせーんせのお話興味あるってぇ」
針音に抱きしめて貰ったぽんのすけが訪れた目的を伝えると、カンは優しげな顔を疑問に変えて私へと向けた。
「あたしのはなし?」
「うん。ぽんちゃんがえらいひとって言うから気になっちゃった」
「えらいひと?えら……あー、もー。えらくないっていったじゃろー」
カンがぽんちゃんの頬をぐにーっと潰した。
「えらいじゃーん」
「確かに仰々しい家に生まれたけどねえ、あたしはなーんもえらくないんだい」
「でもおーおうちに連絡して木の板もらってきたんでしょお」
「そだけどお」
「つまりーカンは認められてるってことじゃん?えらいじゃーん?」
「んもおー。まあ、うん、確かにあたしの家はその地域では権力のある家だけど、田舎での話だよ。閉鎖的な町だったから、色々関係性がね……それにあたしは家継がなくていいからさ、外でるーって出てきたの」
ぽんのすけとカンに挟まれている針音がカンの話、と呟くと、カンはまた愛おしそうに針音を見つめて、そうだよと答えた。
「繋がりは切ってないし、いらないものなーい?って連絡したら色んな人に聞いて集めてくれたりするけど、私自身は何でもないよ」
外に出たカンに対してそこまでしてくれるのだから、認められている……というか、愛されてはいるのだろう。
「カン、電話、難しい話してる」
「あーしてるぅねぇ。この前お金の話してなかったあ?」
ぽんのすけが針音にこくこくと頷きながら話す。針音も頷き返して、嬉しそうに微笑んでいた。
「お金?あー……あれは別に大したことじゃなくて今度宴会するから予算の……人のプライベートは覗き見厳禁だぞ〜」
ぽんのすけがまたむにーっと揉まれ、楽しそうに針音がぴゅーいっと鳴いてから、はたと首を傾げる。
「なぜ、カンえんかい?の、お金の話する?カン、えんかい、やる?」
そう聞いた針音の表情に浮かんでいたのは不安だ。予算という言葉から行事だと考えられたのだろう。成祈と違い、カンは滅多に外へ出ないから、いなくなるかもしれない不安だろうか。カンは針音の頭に沈んだ。
「宴会やんない。ここにいるよ」
その声からは、絶対やらないという意志を感じた。針音はぴっと返事をした。でもたしかに、参加しないならなぜカンに予算の話がされたのだろう。仕送りをしていて、それの使い道に対する許可をとったとか、そういうことだろうか。
「で?なんで予算の話?」
ぽんのすけは逃してくれなかったらしい。カンがやれやれといった様子で顔を上げた。
「大した理由じゃないよ、あん人たち酒盛り好きだからさ……他で決めないと湯水のようにお金使うんだ。話聞いてくれるのが私しかいないとかで、今でも連絡がくるだけ」
カンの返答に、ぽんのすけはつまらなさそうな鳴き声を出した。おそらく聞こえていないと思うが、表情から察したのか針音が慰めるようにさえずる。
「じゃあじゃあじゃあー、もっと前にい……あ、なんかー土地がどうとかあ」
「引っ越してくる人がいるよーって世間話だよ」
「んむむむー」
「そんなもんだよう」
ぽんのすけは何か問うことを諦めたのか、静かに揉まれ始めた。
「あ」
揉んでいたカンが私を見る。
「聞きに来たのススだった」
「そういえば」
私も忘れていた。空気のように突っ立っていた。
おいで、と誘われたので私も隣に座り、なにか聞きたいことがあるかと考えてみる。
「んー……よく電話がきているし、聞こえてしまった声からはいつも違う相手っぽいことが多かったから、色んな人と知り合いなのかなとは思ってる。あと、育ちが良さそうだなーって感じてるから……そうだな、どんなところで育ったんだろう。家を出る前はどんな生活をしていたの?」
「電話やめてって言っても聞いてくれなくてねー……どんな生活かあ。ん-、起きてご飯作って食べてー、お祈り……あのあたりの文化でね、一日の始まりに数分だけお祈りするんだ、それしてから家に用事のある人を取り次いだり、書類が溜まってたら分別したりしてたけど……大半遊んでたかな?ふふ」
「あそんでたのお~」
ぽんのすけの雲のように気の抜けた声に、カンは針音の頭の上で愛おしげに目を細めながら遊んでたのと繰り返した。
「あの辺って学校がゆるくってね、陽が高い時間だったら公園とか児童館で遊んでたり勉強している子が多いから、一緒に遊んだり勉強したりしてたかな。大人は大人、子供は子供でーって感じでさ、まあ仕事してるってのはあると思うけど……休みの日くらいしか構ってもらえなくて正直寂しいって子がいっぱいいてね。あたしも楽しいし、一緒に居ることが多かったな」
そう話すカンの目は、確かにぽんのすけに向いている。けれども見ているのは、きっと昔のことなのだろう。
「体が大きくなってきても、意外と遊んで欲しがるのが……あたしは嬉しいけど、寂しいっていうか良くないなーって思った。どれだけ友達、仲間がいても……保護者って必要だと思う。何とかならないかーってわたわたしてみたけど、今はどうなってるかなあ」
思い出を語る人。足跡を辿るような話を聞くたびに、どういった感情で話すのだろうと考えるが、結局わからない。今わかるのは、私からしっかりと顔の見える針音がそわそわしていることだけ。
「カン」
針音の短い呼び掛け。
「なあに」
カンはまだ、どこかを見たままだ。
「心配か?」
その声は、一切の揺れがない音だった。
「んー……まあね。寂しい思いをする子がいたら、悲しいじゃない?どうしても時間が作れないならせめて寝る前に話す時間作るとかさ。大人たちが子供の頃に欲しかったものを、今は与えることができるんだって騒いでみたんだけど……さて。まあ、そんなとこ」
「カンちゃんはいつかー。帰るの?」
「え?かえる……帰省する気はあるよ、嫌いで出てきたわけじゃないし。……ふたりとも。あたしはね、親になりたくないんだ」
唐突な親という言葉に、二人がそれぞれの声で不思議そうに鳴いた。
「あたしねえ、多分ススと似てる。可愛い子たちが成長していくのは嬉しい。あたしに手伝えたことがあったなら誇らしい。手を振っていってらっしゃい!頑張ってね!って応援する。同時にとてつもなく喪失感がある……ふふ、あたしはあそこで一番の寂しがりやだって思ってるからね」
「さみしがり?……んん?」
「あたしは誰かを助けることで寂しさを埋めていたんだよ、例に漏れず放置され気味だったからさ。中途半端に成長して、自由にしていいと言われて、まだ子供だって頼ってももらえない。同じような小さい子がいたら、一緒に遊ぶ。そんで、もう大丈夫だよ安心してって離れていっても、あたし変わってないから寂しい」
「はなれ……る、ばいばいする?」
「さよならはしないよ、話す機会はいくらでも。あたしはただ……もっと遊びたいなーって。遊んでくれなくなっちゃうんだよねえ」
二人に浮かんでいた不安は疑問へと変わったようだった。
「針音とミントたちとのんびり生きてる方がいいや〜ってことかな」
二人の様子に気付いたらしいカンが話を切り上げた。ぽんのすけの尻尾がゆっくりと空気を撫でる。
「んー……そうかあ。カンはなんでこのへん来たの?」
「それは成り行き〜?端っことはいえ都会にしては家賃が安かったんだよねえ。知らないとこでなんかしよー!ってきたらまあ無茶だったよね!ふふ」
「むちゃ?」
「そ。そもそも何か勉強したい!ってふわっふわした状態で来たのがバカだったとは思うんだけどね。バイトで食いつないでる時にたまたまここの求人見かけて応募してー、面接で会った子……針音なんだけどあまりの可愛さに何でもするから雇ってくださいって泣きついたんだよ」
「あまりのかわいさに」
針音が復唱した声を聞いたカンは色々と溶けだした表情を浮かべていた。針音本人は目をぱちぱちさせている。
「かあいいもんねえ針音ちゃんねえ~。どんなだったのお」
「んっふふふ~……ちょっと人見知りでしょ?灯火さんの横でじーっとしてる針音にこんにちはーって話しかけたらニコ~ってしてくれたの。そんだけで完敗!」
それはわかるな、と思わず頷いてしまった。針音は、無表情の時と嬉しい時の笑顔にかなりギャップがある。無表情でいる事が多いし、文字通り無の顔をしている針音が楽しかったり嬉しかったりすると、ぱぁっと花が咲いたように笑うのだ。針音本人だけは不思議そうだったが、要は自分を気に入ってくれたのだと理解したようで嬉しそうに揺れていた。
そういえば。
「カンは、灯火との面接だったんだ」
「ん?あ、ススは違うんだっけ」
「うん。前のところが終わっちゃう前に運営してる会社の方に紹介されてて、面接も会社の人とだったんだ」
「へえー……あたしはここの求人だったからかなあ。ススが来てくれてよかったなあ」
カンの言葉に反応してか、針音とぽんのすけの両方が私を見た。今ここに居るのだから居なくなりはしないのだけれど。
「スス、いなかった?」
針音はカンに対して問いかけた。
「いなかったかも。他の施設もあるからねえ、ここに雇われたのは運が良かったんじゃないかな。ちょうど人が足りてなかったのを、良かったというのもおかしいんだけどね」
「そいやススが来た頃は派遣の人が出たり入ったりしてたもんねえ」
人の出入りの話をカンが肯定すると、針音とぽんのすけはなんとも伸びた顔をした。何かを思い出している顔なのだと思うが、いかんせんゆるい。
そんな顔をいくらか堪能してから、今はもう聞きたいことはないと話を切り上げる。ぽんのすけだけはやっぱり……と言いたげな視線を向けていたが、カンと針音にお礼を言ってから一階に戻ることにした。ぽんのすけはついてきた。
「ねぇ〜」
最後の一段を降りるとともに、ぽんのすけの声が後ろから聞こえて足を止める。
「ススはカンせんせのことすき?」
想定した質問ではなかったが、完全に想定外でもない。隣でぽんのすけが私を見上げている。
「すきだよ」
「ほんとお?」
じっとりと目を細めるぽんのすけの髪はふわふわしている。触る間だけ目を細めてくれるその表情は何にも代えがたい。
「私は満足しているよ。カンは全部話してくれた」
「えー?まだ聞きたいこと……もっとお家での話とか最初の頃の話とか聞きたくないのお?」
「聞いてみたいとは思うけれど、それは思い出話というものでしょう?カンがどんな人なのかは、何となくわかったから」
カンはよく気が利いて、故郷の人からも愛されている。先生であることを好んでいるし、望んでいる。エンジェルのような、カリスマのようなものとも違う親しみやすさを持つ皆の先生。それが、今私が持つカンに対する印象だ。十分ではないだろうか。
「カンちゃんえらあい人なのわかった?」
「偉大な人かは私にはわからないけれど、素敵な人だと思うよ」
「ンー」
ぽんのすけはどうしても私にカンを偉いと言わせたいのか、まだぐるぐると不満をくゆらせている。また何か案が浮かぶまでじっとしていそうなぽんのすけを抱き上げて、遊具の制作を見に戻ることにした。
