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みっつめ


なつのいっぽ



今日は、ここに来てから初めてで、私にとっても久しぶりな失敗をした。私と同じくらいの時間に目覚める事が多いミントが、目覚めたら目の前にいたのだ。ぼんやりする頭で、理解する。
寝坊した、と。

寝起きの挨拶をしてくれる私が見えない、とわざわざ探しに来てくれたミントに、起こしてくれてありがとうと声を掛けて頬を指で撫でる。どうやら私をお気に入りにしてくれたらしいミントは、私に対してだけいたずらの内容を教えてくれたりする。私が止めないどころか、改善案を出したことが決定打になったようで、それまでのお気に入りだった成祈には秘密にするようになったらしい。狭く深い関係を好むミントにとって、私の姿が見えないのはとても居心地の悪いものだったようだ。
「ミントー、着替えてもいいかな」
撫で続けることを要求しているミントに声をかければ、渋々といった様子でベッドに転がった。私がベッドから離れると、ミントはわざとらしくシーツやタオルケットを巻き込んで荒らしている。横で着替えていても全くお構いなしにベッドを荒らし、枕元に置いていた携帯を掴んでぽいっと投げたり。流石に壊されると困るからやんわり止めると、伸ばした手を掴んで好戦的な笑みを浮かべられてしまった。私が寝坊したという事実を弱点と捉えているのか、今のミントは私を玩具だと思っているような感じがする。
「着替えさせて、ミント。携帯は壊さないでね」
ミントはニヤニヤと笑うだけで、手を離すどころかぐっと引っ張ってきた。倒れるほどじゃないけれど、これで引っ張り返すと余計に離してくれなくなるだろう。
「ミント」
遊んでほしい子にとっては反応することが遊びへの同意とみなされることが多く、ミントも本当に嫌がらない限りは遊び始める。傷つけない程度にやんわり断る方法は、何もしないこと。
「むいーうーぃー……ぅー」
そのまま見つめ合っていると、ミントは不満そうな声を出したあとに手を離してくれた。着替えに戻ると、さっきよりも遠く、高く携帯を投げるようになった。
そもそもそこまで時間のかからない着替えが終わり、思い通りに動かなかったことへの溢れ出る不満をベッドにぶつけて暴れているミントを回収する。抱き上げてもまだ暴れようとしたから、力を込めてぎゅっと抱きしめた。
「ぐえっ……すーすー!」
「ふふ、ごめんね?」
怒っているミントを抱えながら携帯だけ回収して部屋を出る。ここでは初めて寝すぎたけれど、どのくらい怒られるのだろう。気にされなかったことも、言葉で叱られたことも、処罰が与えられた事もある。今まで過ごしてきた印象からは強く叱られるようなイメージは沸かないけれど、それとこれとは違うかもしれない。
まだ明るいが、日が傾き始めた夕方。真昼の猛暑が去ったばかりの、なんとも生暖かい空気が私達を迎える。夕日に照らされた本館は開けられる窓がほとんど開けられていた。寝坊したとはいえ、今日は空調を切るのがやけに早い。ミントに聞いてみると、怒ったまま体調不良の子が出たと教えてくれた。いたずら好きなかわいい子を撫でながら本館に入る。外に遊びに出る子が増えるのはもう少し熱が引いた後だろうか。
「ねえスス」
いつの間にか怒り終えていたらしいミントが腕の中で私を見上げていた。靴を履き替えたいので降ろすついでになあにと聞き返す。
「具合わるいの?」
それはまた、突拍子もないことを聞く。無事に靴を履き替えてからミントに視線を戻して意図を探ろうとしてみるけど、私からは純粋な疑問を浮かべているようにしか見えなかった。
「悪くないよ。私、なにか変?」
さっきまで怒っていたのが夢だったかのように平静としているミントは、両手をお腹の上でゆるく握って私を見ていた。見ていると言っても、前髪で隠れぎみの目が私に向いていると断言できるわけではないのだけれど。
「いっぱいねむかったの?」
寝坊の話だった。
「あー……うん、そうかも。内緒だよ」
内緒だよと言えば、ミントはベッドでみたような好戦的な笑みを浮かべた。
「そうか、内緒か!ナイショ!」
絶対内緒にはならないけど、今はまだ内緒だ。秘密を共有されたことが嬉しかったらしいミントは口元を緩めていてかわいい。つるんとした髪に触れて、そういえば一階にあまり人がいないな、と思う。遊び場の方もまだご飯前だというのに静かだ。空調を切るのが早かったから、みんなのんびりしてるのかな。ちょっと気になるけど、先に洗濯物と、切れかかってるお風呂場の洗剤があったはずだからそれも確認しにいこう。ミントをぽんぽんと軽く叩くように撫でておしまいを伝えると、名残惜しそうにしていたけれど何か手伝う気は無いようで、私をじっと見つめたあとに反対の方向へ歩いて行った。
やはり脱衣所やお風呂場も無人だ。まあ、水場は特定の時間以外は中々居るものじゃないけれど。お風呂場の中に並んでいる液体石鹸の残量を確認していく。夏場は一日二回お風呂に入る子も珍しくない。一回目は水浴びで流すだけの子が多いが、以前の施設でもこの施設でも夏場が一番石鹸の消費量が多いようだ。誤飲防止に臭いと言い切れない程度に匂いの強いボディソープを詰め替えると、お風呂場にフローラルすぎる香りが充満した。少しの間換気を入れたほうがよさそうだ。
お風呂場の用事を終えて洗濯物を運んで三階にやってきた。やってきたというか、道中であったはずの三階で足を止めざるおえない光景が広がっていた。二階にもちらほら居たけれど、今三階にはほとんどの人がいるのではないか、というくらいの大人数が詰まっていた。なんというか、映画を見るときに似た雰囲気がある。何かを聞きつけてわらわらと集まってきただけで、明確な目的はなさそうな子がほとんど。何ならごろごろしている子も居る。中心にいるのはエンジェルで、周りにはフレアはもちろん雨丸などの先生が揃っていた。何かを話し合っているようで、うなずいたり首を傾げたりしている。深刻な様子は一切なく、穏やかで楽しそうにしている。気になるけれど、先に洗濯物を干してしまおうと、足を階段に向けた。
「スス!」
何故か真横に山駆がいた。何だかご機嫌のいい山駆は私から洗濯物を奪うように引き取ると、そのまま上の階に向かう階段へ走っていった。それをてつと、付き添いらしいアルンが追いかけていく。突然の事で怯んでしまったけど追いかけようと……して、また反対側からぐいっと腕を引っ張られた。勢いが良すぎてバランスを崩した体が床にぶつからなかったのはメルンが受け止めたからだった。今日はアルもまだいるようで、斜め横でニコニコしているのが見える。
「すすぅ。お寝坊さんしたんでしょ」
メルンが私を立たせた後に、ニヤニヤと愉快そうな笑みを浮かべながら言われた。
「ススのお寝坊さん。仲間外れにされちゃったねえ」
何だかよくわかっていない私のぼんやりとした反応が面白いらしく、二人はくすくすと笑うばかりだった。そのうち満足したのか、メルンとアルに引っ張られるままにエンジェルたちの元に連れていかれる。自分でいうのもあれだが、それなりに真面目な態度の私が寝坊したという事実が面白いのだろうか。なんだか連行される囚人のような気分だった。
私たちに気づいたエンジェルたちは、一人を除いてあっという顔をした。反応は様々で、フレアはやっと来たと顔に書いてあるし、灯火は怪我した子に向けるような顔で、八鐘はメルン達のようにニヤニヤと愉快そうに笑っているし。表情だけ見れば怒られそうな気配は無く、無意識の緊張が緩まっていくのがわかる。これに慣れてしまわないよう、自分を戒めることは忘れないようにしなければ。
「おはよう、スス」
唯一、表情を変えなかったのはエンジェルだった。エンジェルはやわらかな微笑を浮かべたまま、私の到着を歓迎してくれているような雰囲気があった。迎えてくれたエンジェルの言葉をひと区切りとしたように、他の人もまあよく来たなといった雰囲気に変わった。
「おはようございます。寝坊してごめんなさい」
仮に私が数時間寝こけていたところで問題や騒ぎが起こるような環境では無いとしても、決まりは決まりでそれを破るのはよくないことだ。それくらいはわかっている。軽く頭を下げてからもう一度見まわしてみても、やっぱりどこか温かい目線を向けられるだけだった。強いて言うなら成祈は周りの反応を見てあれ?という顔をしているように見える。
「反省できるなら言う事はありません。おはよう、スス」
「あれえ、俺の時は怒るじゃないですか。ちょっと期待してたのに」
成祈が残念そうに言うと、灯火はすこし眉をひそめて成祈の肩を小突いた。
「君は悪いと思っていないでしょ」
「常習犯だし」
灯火の言葉にカンが続くと、えーっとわざとらしく大きな声で不満げにしていた。実際、私も成祈が寝坊して失敗したと考える姿は全然想像できなかった。成祈は結構合理的というか、問題が起きないなら何をしてもいいと思っている節がある。仕事に入る時間を守らなければ問題が起きるというわけでもないのだから、成祈としては怒られることが不思議なのだろう。私も別に怒らなくていいと思うけれど、郷に入っては郷に従えという言葉もあるので難癖を付けられたわけでもないなら同じように振舞った方がいいだろうな、と考えている。それに、このおひるねの庭は職員が少数だ。以前のフレアのように体調不良で突然抜けてしまった場合などを考えると、やはり気軽に捉えていいものでもないだろう。
「酷いと五時間ぐらい寝坊してるよね」
雨丸がさらっと言う。それはもう誰かが起こしたらいいのではないだろうか。
「寝坊かと思って部屋見に行ったら居ないこともありましたっけ?外行ってたとかで」
今度はフレアが記憶を探り当てて言葉にしていた。
「そん時は!近所に買い物行ったら喧嘩に巻き込まれたって言ったじゃないすか!」
「あなたが黙って行ったのが悪いんでしょ。報連相って知らないんですか?」
「成祈が居ないってパニックになってた子も居た事を忘れるないでね?」
フレアにエンジェルも続いてしまった。パニックになった子はミントかな、と何となく想像した。知り合いの不幸を見ようとした成祈がいじられはじめてしまったが、成祈はこれほどまでに行動を気にされている、大事な存在でもあるということなのだろう。時々誰かを本気で怒らせたりもしているが、それでも何とかなるというお手本にもなっているような気がする。
「も、もういいでしょ!それよりほら、ススにも話さないと。俺もう行きますね!」
これ以上何かを暴かれるのを恐れたらしい成祈が口早に話すと、逃げ出すように小走りで行ってしまった。妙にコミカルに見えるのはわざとやっているのだろうか。成祈についていく小さなストーカーを見送っていると、カンもご飯の準備をするからと皆に会釈して、今日のお手伝いさんを募ってから行ってしまった。次に居なくなるとしたら八鐘かな、と視線を向けてみる。
「なによススちゃん」
居心地悪そうに眉をひそめられた。
「八鐘も帰るのかなーって」
「ススちゃんが帰れって言う~」
「えぇ」
流石に本気ではないと思うけれど、八鐘がむくれてしまった。思い通りにならなかった時の幼い子のように。見た目も相まって撫でてしまいたくなるからやめてほしい。私は愛しければ冗談でも猫被りでも構わないというのに。
「ススちゃんがいじわ」
「八鐘せーんせっ」
理性と戦っている数秒の間に雨丸が動いていた。雨丸は……どちらだろう、本気なのか冗談なのかまではわからないが、八鐘の手を握ってニコニコしていた。八鐘は浅い落とし穴にはまったような顔になった。
「おうち帰ろうね!」
「はぁい……」
お迎えの時間に向けて準備をする子に付き添うときの雨丸がそこにはいた。もしかすると話が逸れ続けている事を気にしてくれたのかもしれない。自分で始めた幼い子のフリを途中で投げ出さない八鐘も変な律義さがあるけれど。何にせよ、残ったのは灯火とエンジェルとフレア、そして十人程いる亜人達。こちらに興味を示しているのは二人くらいで、他の子たちはいくつかの塊に分かれてお喋りをしているようだった。
「何の話をしていたの?」
エンジェルに向き直って聞いてみると、軽く頷いてくれた。
「僕の学校でバザーをするそうなんだ」
エンジェルは、とても嬉しそうに微笑んでいた。


エンジェルの通う学校がいわゆる夏休みに入るらしく、その間に一日だけバザーを開催するのだという。入場条件は亜人に対して興味がある、というもの。このバザーの主目的は亜人への理解を促進させる、というものらしい。実際には設置されたリーフレットを持てばいいということで実質無条件だ。この地域にいくら亜人容認派が多いとしても、実際に遭遇すると驚いてしまう人や拒絶してしまう人も少なくない。相容れない部分があったとしても、同じように生きていて、良き隣人や良き友人になれるという事を知る場になればいい、ということらしい。店の出店料と設置した寄付箱から集めたお金は亜人支援に回されるとか。
そして、肝心の出店について。申請や抽選などはなく、主催者側から打診があり受けるかどうかを決めるそうなのだが、学校で話を聞いたエンジェルにおひるねの庭も出ないか、と声をかけられ、エンジェルは元気に可と答えたという。
「ちゃんとした連絡はまた後日って。嬉しくってね、皆に話していたら集まってきちゃったんだ」
そう話すエンジェルは、心いっぱいの嬉しいをこぼしながらはにかんでいる。ソファの座面に手をつき肩をすくめて、良い意味で落ち着かなさそうなその様子は純粋という言葉がよく似合う。
「うれしいね」
それ以外に感想も言葉も出てこなかった。きっと私の口元はひどく緩んでいる事だろう。灯火だってそうなのだから。
「うん、嬉しいんだ。僕ね、もっと皆のことを知ってもらう良い機会だと思ったんだ。だって、実際のところ収入源として無視できない稼ぎを出せるくらい、素晴らしいものを作れる子がたくさん居るのだから。顔も名前もわかるファンも出来ると思うんだ」
「エンジェル、本当にお優しい……」
横のフレアが小声で呟きながら拝んでいるのは触れない方がいいのだろうな、と思う。私も気持ちはわかる。
「ほら、そこの子たちもそう。皆、前向きに考えてくれたのも嬉しくって。えへへ……ふふ。僕、皆の役に立ちたかったんだね」
「ふふ。エンジェル、準備頑張ろうね。大変なのはこれからですよ」
灯火が優しく声をかけると、エンジェルはまた嬉しそうに微笑んだ。
「もちろん。この僕を知ってもらう機会でもあるのだからね。といっても、制作に関してはみんな任せになってしまうけど……精一杯手伝うよ。設営や接客は頑張るから、期待してほしいな」
「はい、頑張りましょうね。スス、今のところの仮決定ですが、当日はエンジェルと私、ススが出ます。他に二人、立候補してくれる子がいるかなーと様子を見る予定です」
「私?」
なんでまた。雨丸やカンあたりなら喜んで手を上げそうなところなのに。
「あ、仮なので難しければ」
「ううん、行くのは良いんだけど……雨丸とかは?」
「あー……その、気を悪くしないで欲しいんだけれども。ススになったのって消去法でね」
と、若干申し訳なさそうになった灯火が理由を教えてくれた。
八鐘はこちらでの仕事の方が大事。エンジェル曰く、亜人を招くイベントだから医療班も居るだろうしということ。フレアと雨丸は元々休日で予定が入っていた。カンは、意外にも人込みが苦手らしく難色を示した。成祈は一部の子にとって安定剤になっている節があるうえ、こちらもがやがやした雰囲気は好まないと。カンも成祈も、毎日ここで生活しているのに意外だな、と思う。そして私はというと、亜人最優先で予定も今のところ無く、私を好んでいる子は居るけれど成祈のようにパニックを起こす子は居ないだろう、ということらしい。
一番気になるのは、成祈が安定剤という話だった。
「成祈が居なくてパニックになったのは、未申告だったからじゃ?」
実際、外に出かけるときは数時間離れることになる。頭に浮かんでいるのはファインの姿だった。あの子は、成祈が居るとか居ないとかではなく、ほぼ常に近くにいるという印象がある。物理的な接触はあったりなかったりするが、成祈が居る部屋には必ずと言っていいほど居るし、移動すると少し遅れて追いかけていくのが見えたり、逆に追い越した後に戻ってきたりする。そんなファインも、成祈が出掛けるときはちゃんと待っているはずだ。
「そうなんだけどねえ……まあ、長くなっちゃうからまた後で話すとして、簡単に言うとファインが死にかけちゃって」
灯火の穏やかな声でものすごく嫌な単語が聞こえた。気になるけれどいちいち話の腰を折っていても仕方ない、と飲み込んでおく。
「そっか……うん、わかった。頑張ります」
「ありがとう。詳しいことが決まったらまた声かけるね」
うん、と頷く。エンジェルは、物騒な単語が出たのもあってか少し落ち着いた様子だった。フレアだけはそのままだったけれど。
「亜人とっていう目的はあるけれど、それは主催者側のテーマであって、僕達参加者は好きに楽しめばいいと思っている。僕としてはみんなの凄さを知ってもらいたいけれど、みんなが楽しいことが一番大事だ」
「そうだね。バザーそのものに興味がない子も何かしら楽しめるようにしたいところ」
「そこなんだよね。バザー関係なく制作が好きな子はいいのだけれど……あっ、もちろん先生たちもだからね」
もう一度、フレアからお優しい……と声が漏れていた。エンジェルは無視をしているのか聞こえていないのか無反応のままだ。
「ありがとう。ふむ……そこのお二人」
灯火が声をかけたのは、近くで私達の話を聞いていた二人。一人は耳を立て、もう一人は尻尾をくるんと巻いて反応した。
「二人は、やってみたいことはあるかな。もちろん、まだ思いついていなくても大丈夫」
その問いに、マヌゥは一拍置いてから気持ちが緩まるぷえーという音を喉の奥から鳴らした。隣のクリックはマヌゥの出した音でくすくす笑っていた。
「おつの!」
マヌゥは、ぱぁっと満面の笑みでそう言った。角の事だろうか。そういえばそろそろ切る長さになってきていると気づいたところで、マヌゥの言いたい事が一足先にわかった気がした。
「お角切りーの、それでなんかできないかなー?ソレでお金稼いだりするのしぃてるよ!」
それを聞いたクリックは、笑みを消して表情を曇らせた。マヌゥはクリックの表情に気付くと不思議そうに音を鳴らした。
「くりーく?なん……あー。そーかごめんね、くりーくはとれないもんねえ」
「そうではなくて……角?本当に?」
「ん?うん。丈夫なんだよ?おかげで切るの大変なんだからー」
「それも違う……ううん、私おかしい……?」
クリックが、助けを求めるように私達の方を見た。そして恐らく、誰も応えなかった。
こういった感覚の違いは、第三者が介入する前に本人達で話し合ったほうがいい。困惑したクリックに、灯火やエンジェルが優しげな眼差しを送っている事だろう。
「くりーく?」
「うう……」
「くりーくは、違う?楽しくない?」
「うー……うぅうん……いや……知ってはいるよ、自分を素材にしたもので生きてる人が居ることくらい……びっくりしちゃって」
「びぃくりしちゃった?くりーくはおかしいと思うの?」
マヌゥの迫り方で、明らかにクリックは怯んでいた。仲良しというほど一緒に居るところを見たことはないが、それでも毎日顔は合わせている相手と衝突するのは避けたいのだろう。対してマヌゥは、理由を知りたいというだけに見える。クリックの方が話したく無いと意思表示したら、誰かが割って入ってくれるだろう。
「おかし……うーん……爪とか髪で何か作る……と考えちゃって。なんというか……」
言いにくい、という様子ではあったけれど、マヌゥが自身を真っ向から否定したいわけではないとわかっているからか、話すことにしたようだ。マヌゥは目を細めて、落ち着いた様子で聞いていた。
「なるほど?」
「動物のはく製とか、革や羽毛とかそれこそ角だって装飾品……あるし、そういうものと同じだってわかってはいる、つもりなん、だけど……」
「ふむ。ぼくはステキならいいーと思うの。角は普段捨てちゃうから、丁度よく切るなら使えないかなーって。売ろーていうよりは、見てもらいたいの!自分で言うけど、つるぴかーんな感じがステキ!」
「そう……だね。うん、私も綺麗だとは思う……」
クリックは角を見つめながら、ゆっくりと確認するように呟いた。耳のすぐ上にあり、眠るのに邪魔になりそうなくらい伸びてきた黒い角はしっとりと輝いていて、溝や隆起もない。角という文字から想像するような、ゴツゴツしていたり複雑な曲線は無くぽってりとした黒い棒が垂れ下がっているような形。作り物のように端正で、黒い陶器のようだ。
マヌゥは、クリックの言葉に嬉しそうに微笑んだ。
「ふふー。くりーくにほめてもらえたあ!へへー。くりーく、ぼくがお角でなにかするのは嫌?」
「いや……嫌……では……ない?うん……」
「よおーし、ならやりたい!ぼくは決めたよ、くりーくはある?」
「うー……私……」
自分の中で色々と処理ができていなさそうなクリックがあーうーと呻いていたので、クリックの話はまた後日聞こうということになった。フレアがクリックを休ませにいってくれたあと、塊になっていた子たちからも話を聞いてみたりしたが、制作に携わらない、バザーにも興味がないという子達にどう楽しんでもらおうかという案は中々出ない。まだ時間はあるから、と次の話し合いの機会を作ってから解散になった。解散といっても私達が仕事に戻るだけなのだが。

「山駆」
「はいっ!」
洗濯物を干してくれた山駆にお礼を伝えに来た。山駆は、満面の笑みで言葉を受け取ると、何かを期待するように私を見る。お出掛けの帰りに抱っこしてから、すっかり気に入ってくれたようだ。
万が一落としても怪我が無いように周りに気をつけつつ、ゆっくりと山駆を持ち上げる。持ち上げることはできる、という重さだから辛いといえば辛いけれど、山駆が嬉しそうにしてくれるのだから疲れたなどと言う気にはなれない。腕がちぎれないか少し不安になった頃、山駆は満足したのか降りてくれた。そして間髪入れずに抱きしめてくれる。
「スス〜。バザーのお話は聞きましたか?」
「うん。山駆はなにかするの?」
「いえー。私は手先は器用らしいんですけど、作りたいものがあるかーって言うと無いので。お手伝い必要なものがあったらーくらいでしょうか」
「そっか。山駆はバザーの話を聞いて嬉しかった?」
「もちろんです!ワクワクしますから!」
ワクワクするから。ふと、おひるねの庭って行事という行事をやっていないな、と思った。このバザーもそうだが、行事に興味がない子はもちろんいるだろう。その子達がいつもどおりに過ごせるようにしつつ、ちょっとしたイベントをする……というのは、他の施設ではよくあることだった。少し前までは映画もイベントに含まれていた。今は色んなサービスがあって気軽に見られるけれど。
「ねえ山駆。山駆が来てから、イベント……行事って、何かあった?」
「行事ですか?うーん……それらしきことは……いつの間にか起きてたりしましたけど、言われてみると無いかも」
大勢が喜んでいるのは、それが理由でもあるのかな。少なくとも月に一回はあるものだった。だからといって何かあるわけではないのだけれど。
「だから楽しみなのかもしれません。山では季節ごとに色んな事していましたから。何かが起きる予感って、こんなに楽しい気持ちになるんですね」
「だね。山ではどんなことしていたの?」
「うーん、そうですねえ。色々ありした……何月かはわかりませんが、夏は雨で災害が起きやすいので山を守ってくださいますようにってお祈りをしました」
「お祈り。山に祈るんだね、自分たちじゃなくて」
「はい!山は主でした。たとえ住んでいる自分たちが犠牲になっても、山は守られますようにってお祈りするんです」
「犠牲になっても?」
「はい。みんなそう言っていました。山は愛してくれないので私にはわかりませんでしたが……みんな、大切にはしてくれましたけど愛してはくれないんです。私はここに来て幸せです!お友達もたくさんいますから」
「それは、よかった。私も山駆に会えて幸せだよ」
ふふ、と曖昧な相槌が帰ってきた。嬉しくなったらしい山駆は私を抱き上げて、どこかに行く。露骨に嫌がらなければ気軽に抱っこしてくる山駆は、抱っこが好きな子にとって良い意味の奇襲者であるらしい。
ご機嫌な山駆の足取りを追いかけてくる足音がした。私から見ることはできないけれど、山駆は足を止めて相手を待った。
「山駆ぅ、さーんちゃ……ススまだねむいの?」
正面に回ってきたのはてつだ。その後ろに浅葱色も見える。
「てつ!いいえ、先ほど抱っこしてもらったので今度は私が抱っこしています!」
「そっかー。ふふー、ススがお世話されてるみたい」
「なるほどお世話。私はお世話得意ですから、任せてください!」
「私もお世話するー!」
てつが楽しそうに私に手を伸ばした途端、数歩後ろで控えていた浅葱色がてつの首根っこを掴んだ。
「こらこら。てっちゃんはお世話される専門だろぅ?」
「なーんーでー。はなしてよ」
「だーめ。てっちゃんはお世話されるのー」
解放されようという足掻きも虚しく、てつはメルンの腕の中に収納された。メルンだけてつの側についているのもなんだか珍しい。
「てつはいい子ですね!ある……あ、メルン、なぜ駄目なのです?」
「てっちゃんはお世話むいてないもんね。すぐ甘えたちゃんになるぞお?」
「ならないもん!」
てつはぷんぷん怒っていたが、メルンはびくともせずゆるゆるとした笑みを浮かべたままだ。
「てっちゃん、撫でてもらったりぎゅーしてもらったり、遊びに行ったり我慢できるのかな?」
「で……できるもんね」
気丈に振る舞おうとしているけれど、厳しいだろう。アルンとメルンに放置されると一時間も経たないうちに突撃して撫でてもらいに行くてつを見たあとでは、てつのために止めたくなってしまう。私じゃなくてメルン達のお世話なら……そもそもお世話とは具体的に何をするのだろうか。
「お世話ってどんなことするの?」
この場にいる誰かに聞いてみる。
「お世話ですか?ススならわかるような……でも説明しますね!まずは朝、決まった時間にご飯です。食欲があるか、食後に問題が無いかを確認します。朝はそれだけかな?お昼近くまでは他の事してます。お昼ご飯のあとはお外行きます!」
山駆が元気に話し始めたのは、恐らく山で育てていた動物の話だろう。山駆は山での生活をいつも楽しそうに話す。知識があるというよりは言いつけを守っていた、という経験談を一通り話し終えると、私の髪を優しく撫でた。
「きちんと責任を持ってやらないと駄目です。雑にお世話したり投げ出したりしたら、オフクロさまが来てしまいますから」
「オフクロさま?」
山駆以外の全員が疑問に思ったであろう単語を、てつが繰り返した。
「はい。オフクロさまは悪い子が開ける扉の先に現れて、大きな手で袋に押し込んでしまうんです。その後どうなるかは色々とあるみたいなんですが、食べられてしまうとか餌になるとか、食に繋がる結末になることが多いみたいですね!」
子供に聞かせるための、よくいるお化けの話に思える。が、それを素直に受け取ってしまうのがてつだ。案の定、てつがメルンの腕にしがみついたのが見えた。動いても外されなかった腕が自分から離れないように。山駆は誰かをからかったり、嘘をついたりしないという所も信憑性を高めていることだろう。
「まあ流石にここまで来ることはないと思います、山にいらっしゃる方ですから。でも、お世話で一番大切なのは間違いなく責任を持つことです!」
「せきに……おふ……くろ……さま……」
「うん?」
てつが細かく呟いた言葉に山駆が首を傾げた気配がした。青くなって縮こまろうとしているてつを、メルンが面白そうに抱きかかえているのが見える。
「どうしようねえ、てつの所にオフクロさま、来ちゃうかなあ?」
「や、やだ!こないもん!こないもんいい子だもん!」
「え?ど、どうしたんですか?てつはいい子ですよ!」
「ううう~っ!」
「てつ、大丈夫だよ。連れて行かせないからね」
山駆に降ろしてもらい、暴れて怪我をしないようにといった風に抱っこされているてつに近寄って、ふわふわの髪を撫でると、みずみずしい新緑の瞳が私を見上げた。
「ほん、ほんと?ほんと?」
「うん。私もいるし、アルンとメルンがいるから大丈夫だよ。ね?」
「ん-、どうかなあ」
「いじわる言わないの」
「んふふふ。だってかわいいもん。ねぇ?」
メルンが愛おしそうにてつを見つめるが、てつ本人は肯定してくれなかった事が不満だったようでメルンの垂れさがった髪を掴んで軽く引っ張っていた。恐らく困っているだろう山駆にふり返ると、やっぱり困っていた。
「私、怖い話をしましたか?」
「てつは素直だから怖かったみたい」
そういえば、山駆はどこに向かっていたのだろう。ここは二階の階段前だ。
「素直だから、ですか?」
「うん。てつは自分のしたよくないこともちゃんとわかってるってことだから。オフクロさまが来てもあげないよ」
「わかっているから……想像はできませんけど、そうなんですね。はい、オフクロさまにはお帰りいただきますとも!」
「うん。てつのこと安心させてあげよっか」
「はい!」
てつとメルンの側に寄った山駆の背中を見送りつつ、このあとの事を考える。一緒に居て話をしたい気持ちはあるが、とりあえず仕事をしなければ。

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