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ふたつめ


ひがのぼる



「エッ」
通りすがりに感嘆の声が聞こえた。時間帯と声から推測できるのは、いつものもちまる。だが、驚いたような声をあげるのは珍しい。気になって、音源に近寄ることにした。
「どうし……」
近寄りながら声をかけたが、途中で途切れてしまった。
「ふわああ……」
雨丸の、それは幸せそうな声。その先に居たのは、困り顔のフレア。
「雨丸、あなた露骨になりましたね……」
「えへへへ……いやあこれはぁ……」
雨丸がゆっくりとフレアに近寄る。そしてしゃがむ。目当ては、ソファに座っているフレアの脚に乗っかっている黒いものだろう。寂しかったことを自覚した柊はあっという間に軟化していったなと思っていたけれど、復帰して数日のフレアにまで甘えるのは予想していなかったから私も驚いた。
「いいなぁ~フレアいいなあ」
「代わります?」
「みてるぅ」
雨丸は触るのも好きだが、可愛いものを見ているのが一番好きらしい。昼寝の時間帯はよく小さな悲鳴が聞こえる。
「はあ……いいんですか?この犬。違法種なんでしょ」
フレアはフレアで、最初の印象からだいぶ変わったなあと思う。言葉遣いが投げやりというか、わざと棘のある言い方をするというか。そしてそれを誰も気にしていないあたり元々そういう人だったのか、棘のついてる茎の部分がわかりやすいからか。
こんなに自由にさせておいていいのか、違法種は特別な対応が必要なのではないか、と。おそらくそういう意味合いだ。
「大丈夫だよ~今のところ兆候もないし。ねー?」
雨丸が柊を撫でると、長い尻尾がゆっくりと一往復した。柊は寝ているわけではなく、近寄ってきた雨丸をじっと見つめている。よくこうやって、誰かと触れ合いながら眠るでもなく寝転がっているところをよく見る。ぽんのすけのように動いている姿よりも見る。
「発作はともかく、ちゃんと検査しなくていいんです?突然欠損しても知りませんよ」
「あーたしかにそうだ……灯火さん、そのうち取るって言ってたけど」
「検査ってなに」
柊から疑問の声があがった。欠損という不穏な言葉も出たし、気になるのは当然のことだろう。顔をしかめたりはしていないし、不審に思っているわけではなさそうだけれど。
「柊は、違法種ってどういうものかどのくらい知ってる?」
雨丸が柊を撫でながら説明を始めた。不穏さのかけらもない穏やかな声が違法種という物騒な言葉を読み上げていることに、不釣り合いさを感じる。名前としてはどうかと思うが、そう呼ぶのが一般的になってしまった。
「違法種、人間が肉捏ねて作ったんだろ。体が脆いとか……おい」
ここで説明を聞いていてもいいが、雨丸の声の理由も判明したことだ。お昼寝している子たちの回収に向かおうかと思い足を動かそうとしたところ、柊が雨丸から私に視線を移した。私を呼び止めたということ。
「重いんで代わってくれませんかね」
フレアが疲れたといわんばかりに気だるく言う。重いのは事実だろう、フレアよりも体が大きい柊が惜しみなく体重をかけてくれば脚がしびれてもおかしくはない。ただこの発言の意図は、自分のため半分と柊の為半分というように感じられた。
少し考えて、私はフレアの隣に座ることにした。くっつきそうなぐらい近くに。フレアがものすごく何か言いたげに睨んできたのを見ないふりをした。フレアは、雨丸を筆頭に私たちと比べればかなりまともな距離感を持っている。亜人はともかく、保護者側である私たちとは適切な距離で接しているのを尊重する……が、柊は多分こうしたほうが喜ぶ。
「ちょっと、あの……」
案の定、柊はずるずると前進して私の方に頭を乗せた。フレアには頭より重い部分が乗ってしまったけれど、まあ許してくれるだろう。
「んっふっふふふ、いやぁかわいい……」
「なにがかわいいんだ……」
行動は幼い子供のようだけれど、言葉遣いや思考は警戒していたころの面影が強く残っている。育ててくれた人が柊に与えた影響で、柊そのものになったのだろう。
「かわいいからー。でね、さっき言ってくれた違法種の説明はあってるよ。体がね、脆いの。今、柊は元気そうだし、元気だと思う。でも、見えないところで体の負担が大きくなってきて、ある日突然具合が悪くなったり、最悪体の一部が取れちゃったりすることもあるんだ。未然に防げたら一番いいんだけど、絶対とは言えない。でも、できることは何でもしたいから、一度体をまるーっと調べたいんだ」
柊の顔は見えにくくなったかわりに、雨丸の柔らかい表情が良く見える。悪い事なんてないよ、というように。雨丸は、持ち前の柔らかさを共感させるのが上手だと思う。不機嫌な子から私が時間をかけて理由を聞いて解決するところを、雨丸はその微笑みと声ですぐに聞き出して解決するし、落ち着かせるのも早い。
「しらべる」
「うん、調べる。痛いことは殆どないけど……こう、腕をギュッてしたり、採血の為に針を刺したりするよ。安全だけど、我慢してもらわないといけないんだ」
ごめんね、という雨丸に対して、柊は耳をぴくっと動かして反応した。
「別にいいけど。そこまでする価値があるのか?」
「そりゃあもちろん。柊には元気でいてほしいからね」
雨丸がそういうのはわかるが、意外にもフレアも元気でいてほしいと言った。ため息交じりの、やれやれといった様子で。
「エンジェル……が、あなたを気に入ってるんです、早々にくたばったら悲しむので、ぜひ長生きしてください」
長生き。
「エンジェル……あの派手なやつ?」
柊は、どのくらい生きられるのだろう。
「ちょっと、派手なやつとはなんですか。輝かしく美しいとおっしゃい、バカ犬」
長生きしてほしいと私も思うけれど、違法種は長生きしても十六年前後で死ぬ。早ければ十年も生きないうちに。まあ、十年も生きないような無茶な作りは瀬戸産の個体くらいしかないと思うけれど。柊が何年生きていて、あとどのくらい時間があるのかはわからない。
「めんどくさ……なに。やたら髪触ってくるけど」
少し寂しくなって撫ではじめたことを指摘されたのかと思った。ちがう。顔に出たらしく雨丸に笑われた。
「あなたの髪が気に入ったそうで。長い髪が好きなんですよ、あの方は」
あそ、と柊が素っ気なく返事をしたのが不満だったらしく、フレアは柊の尻尾をギュッと掴んだ。すぐに離すあたりが根っこの優しさを表している。まあ優しさというか、フレアとしては常識的な、適切な振る舞いをしただけかもしれないが。
それにしてもあの方か。フレアにとってエンジェルは特別な相手なのかもしれない。
「フフフ……かわいい。予定が決まったら伝えるからね。それまでに、ちょっとでもヘンかな?と思ったら教えてね」
そういえば、そうだ。
「熱出るかな」
すっかり打ち解けていて忘れていたけれど、柊にはもう一つ健康上の懸念がある。人が作った亜人が持つ愛情に飢える特性から発生する症状が二つ。
「あ、たしかに……大体ワッと出るから油断してた」
「私も。柊、熱出たり咳出たりしたらすぐ教えてね」
「それは、なんだ。さっきから俺をおいてくな」
それもそう。ただこれを真面目に説明したとして納得するかというと、微妙な気がする。
「なんです?」
フレアもわからないという風に聞いてきたことに一瞬驚いたけれど、それもそうだ。アルバイトということは、雑務が主な業務であるし、数年も続けるような人はいわゆる正規雇用になっていく。亜人に関わる仕事をはじめて日が浅い可能性は高い。
「過敏症と、欠乏症。フレアは知ってる?」
「何ですか、それ。病気ですか」
「栄養失調みたいなものだよ」
その時、視界の端っこで動くものが見えた。珍しくてつが一人だけで近寄ってきて、人がいっぱいいるからか楽しそうにニコニコしていた。手招きすると、少し悩んでから私の隣に座った。ソファが大きくて良かった。
「過敏症……俗に愛情過敏症とか言うね。こっちは野良の子に多い症状。フレア、RPGとかアクションのゲームってやったことある?」
雨丸が説明を変わってくれたので、聞きながらてつを見守る。てつも柊の髪を触り始めた。えいもそうだったし、エンジェルも気に入っている髪。
「は?ありますけど」
「よかった。HPゲージとか、スタミナゲージとかを一つ想像してみてくれる?」
不審そうなフレアが静かに続きを待っている。てつも気になったらしく、髪に触ったまま雨丸を見つめた。雨丸は一層幸せそうに表情を崩した。
「それが愛情のゲージ。放置してると減っていって、長い間保護されていない子は空っぽのまま過ごす。そのうち、ゲージの中に蓋ができる……回復できる最大値が減ってしまうんだ。ゲージの長さはそのままなんだけどね」
てつの耳が倒れたり立ち上がったりしている。この子はあまり耳を動かさないけれど、ここまで動くのは想像できるようでできないような、という困惑からだろうか。耳繋がりで柊の犬っぽい大きめな耳を見てみると、リラックスしきった様子でくたっとしたままだった。
「愛情っていう通り、大好きだよってしてあげたらゲージは回復するみたいなんだけど……長期間愛情を受けられてなくて、いわば飢餓状態で大好きだよってされると、普段以上にいっぱい回復するみたいなんだ。ぎゅーんってゲージが回復すると、当然蓋にぶつかる」
てつが両手の人差し指を立てて、ゲージを再現していた。形にすれば確かに想像しやすい。てつはかなりの寂しがりらしく、アルンとメルンが昼の間べったりとくっついているのは好ましく思っているのとそれが理由だと聞いた。この愛情ゲージの長さや燃費というのは、それぞれで全く違う。てつは、ゲージは短めだけれどすぐに無くなるようだ。
「蓋にぶつかって、蓋が無くなるまでの間に具合が悪くなるんだよね。まあ言ってしまえば原因不明で発熱したり咳き込んだりするからそうなんじゃないかーって事になったんだけど……症状を止めることはできない、というか止めると長引くんだ」
納得したらしいてつが柊の髪をまた触り始めた。
「苦しいとおもうけれど、一緒にいてくれるとうれしいな」
柊に伝えるつもりで呟くが、返事はない。返事のかわりにか、耳がぬーんと動いた。
「へぇ……なんでこの犬はまだ出ないんです?野良上がりで、いわゆる適合ってやつもしてないんですよね」
「そうなんだよね、大体は仲良くしてくれるようになってすぐ出るものなんだけど……特に柊はこんなにかわいいし。考えられるのは柊の持つ愛情ゲージっていうのがとんでもなく長い、かなあ」
私もそう思う、とうなずいておく。てつの仕事で柊の髪がジャングルじみてきた。
「おれは……それにたえればいい?」
「耐える……まあ、そうなるのかな。我慢しなくていいからね、ぐあいわるいー!っていっぱい教えてね」
雨丸は砕けた表情のまま、柊の頬をちょいちょいとつついた。柊は特に返事をしなかったが、雨丸は幸せそうにしている。
「予想はつきますけど、欠乏症は?」
「ああ、フレアの予想通りだと思う。ゲージが減ってくると具合が悪くなっちゃうことだね」
「おれはなったことない」
「柊は強い子だからね」
強い子、の言葉に柊が反応した。腕をついて少しだけ体を持ち上げたことで、触っていたてつがびっくりしていた。流石に触り続ける空気ではないと判断したようで、大人しく座りなおした。
「運が良かったのか?」
柊が何を思って、雨丸に聞いているのかはわからない。ただ、あまり穏やかな気持ちではなさそうだった。
「運……も、あると思う。でも、柊自身が強かったからだよ」
雨丸は動揺することなく、柊に返事をする。
「その強さとは何」
「柊は、その……親元から離れた時から、最初からずっと、生きようって強い意思があったんじゃないかなと。だから具合悪くなる暇がなかったというか……」
後半は自信が無くなってきたのか、少し声が小さくなっていた。実際のところはわからないけれど、私もそうだと思う。
「何としてでも、何も得られなくても、何の迷いもなく生き抜くことを選べる強さが、柊にはあるんだよ」
それは、生き物の本能。
だけれど、感情に左右されやすい人間は心臓の鼓動よりもたくさんの事を考えて、それに殺されてしまったりする。それは人の形をした人工的な亜人達も同じ。
理解していたなら、親に捨てられている。理解していないなら、生活する術も知らずに放られている。
「なにを。それは」
「ふつうの事じゃないんだよ、柊。私は人間じゃないし、亜人も人間も簡単には死なないけれど。少なくともあの世界では、どう生きようかと考えている間に命を失うか、命を掌握されるかするだろう?」
知ったように話してしまうけど、実際私は生きていたことはない。私が生きられる場所ではないから、訪れるたびに蓄積されていった記憶と伝わってくる話以上の情報は知らない。
「怖いところに放置されたら、まず怖いと感じる。様子を見るためにじっとして、隠れて、どうしようかと考える。その間に半分くらいは食べられてしまうね」
「だろうな」
「柊は生きるために死体を漁ったりしたかな」
「した。さすがに追い出されてすぐは覚えてないけど。せんせいにあった時にやたら綺麗な死体を漁ってたのは覚えてる」
「うん。大体の人はね、出来ないんだ。あの世界に入ったばかりの人は……亜人でも、人間でも。それこそ獣でもない限りは」
「獣?」
私を見上げる暗い赤色が怪訝そうに細められた。
横で、怖い話を聞いたような顔をしているてつを裏の入り口にでも置いて行ったらあっという間に死んでしまうと思う。てつはきっと、そうなった現実を受け入れられない。受け入れられずに心を壊してぱたりと倒れてしまうのが想像できた。今となってはアルンやメルンもわからない。今の幸せを受け入れてしまったから、というよりも、柊以上に最初の一歩が幸運だったんじゃないか、と思う。口で生きるならなおさら、元手になるものが必要だ。それを手にできたか、どうか。育て親が少しの間でも居たのだ、そこから何かを手にできたのだろうと想像した。流石にそれを言えば軽蔑されると思うし、言う利点が何一つないから言わないけれど。
生き抜けないと思う理由は、三人が獣よりも人に寄っていると思うから。
「わざとあの世界に行くとか、流れ着いた先だったとか、覚悟していくとかいう人ならまだしも、突然来てしまった人は大体死体は漁れないし、ゴミも漁れない。柊は突然ぽいっと放り込まれて、生きたんだ」
数日の猶予があるなら順応できる人も増えるだろうけれど、無垢な命はただの鴨だ。一日も経たずにどうにかなる。柊が生き抜けたことは運もあるだろうけど、その運を掴んだのは柊自身だ。
「心臓を動かすことを生きるとしたから、柊は欠乏症が出なかったんだと思う」
「これからも?」
「これからは出ると思うよ。柊は今、心臓を動かすこと以外の事も考えられる。だから今、こうしてる」
しばらく静かに見つめあっていたが、そのうち柊は疲れたと言いたげに腕を抜いて、頭を脚の上に乗せなおした。
「柊のいたところってこわいところなんだね……」
隣のてつが恐る恐るといった様子で言うと、雨丸がやや困った顔で撫でた。
「あなたのような平和な人には縁のない世界です。安心なさい」
「そ、そっか……」
フレアにそう言われても若干ぷるぷるしていたのに気づいたらしい柊が、むくっと起き上がりてつを抱っこした。私の上に座りながら。たいへん重たい。解放されたフレアがぐっと伸びをしているのが視界の端に見えた。
「ひぃ……柊がてっちゃんだっこしたあ……」
二人の奥からもちまるの声がする。寝ていることが多い柊も、面倒見が良いというだけではなさそうだが、遊びに誘われるとついていったり抱き枕代わりに興奮している子を捕まえていたりと、周りのことを気にしている様子はあった。時々寂しくなって動けなくなるてつを、アルンやメルンが抱きしめていたのを見たのかもしれない。
「重いですか」
「重い」
フレアに聞かれて素直に答えると、ククッと押し殺した笑い声が聞こえた。何が面白いのかはよくわからない。
「そうだ……柊」
欠乏症の話で、伝え忘れていた。
「欠乏症の方は放置してると命に関わる。症状次第ではすぐに危なくなることもあるから、違和感があったら誰にでもいいから伝えてね」
「過敏の方とはちがうのか」
「症状はだいぶ。一人一人で症状が違うけど、共通しているところは発熱、咳、衰弱。放置してるとそのまま」
てつが更にぷるぷるした。ごめんねと撫でる。
柊にはきちんと伝えたほうがいいと思った。柊なら、何かあったとき情報を持っていれば真っ先に知らせてくれるはずだ。生きるために。
「そう」
短く返事をして、ぷるぷるしているてつを抱え直した。
「し、し、しんじゃう?」
てつは深刻そうな声で、この場にいる誰かへ問いかけた
「大丈夫だよ、てつのこと寂しくさせないから」
顔がこちらを向いていたから、私が返事をした。
「柊も?」
「うん。私と雨丸がいたら放置される方が難しい」
そういうと、てつが目をぱちぱちと大きく瞬かせたあと、ふふふーとご機嫌に笑った。柊は心地よさそうでも不快でもない、でも落ち着いている様子でじっとしていた。
「その症状って、どんなのがあるんです?」
そこへフレアが悪気無く話を続けようとする。知ろうとする姿勢は素敵だと思うけれど。てつの体が見てわかるくらいに強張った。
「フレア~、後でまた話そう!そろそろみんな起きるし!」
「え?ああ、そうですね、そんな時間でした。早く掃除しなければ」
「だね!スス、二人の事よろしくね」
「うん」
会話を止めてくれた雨丸がフレアと一緒に離れてくれた。てつはそのうち落ち着くとしても、柊がどいてくれるまでは動けない。座り心地なんてそこまで良くないだろう脚の上ですっかり落ち着いてしまった体を抱きしめることぐらいは許されるだろう。
てつがぽつりぽつりとお喋りを始めるまで、ソファを軽いもので叩く音が聞こえていた。



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