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逃避行、後日談

翌日の朝は眠そうなグリムといつも通り一緒に登校して、これまたいつも通りに特に何事も無くエースとデュースと一緒に1限目の授業を受けていた。
助太刀してくれたリリア先輩と共に唐突な逃避行を繰り広げてしまった事への報復を恐れていた自分が思わず拍子抜けしてしまうほどにいつも通りの風景と日常。
これは本当に飽きられた流れなのでは?と思った辺りで授業終わりの鐘が鳴る。

……このまま本当に何も無いのかも。

2限目の授業が移動教室で、教室の机の中に忘れ物をした事に気がついて共に行動していたグリム、エース、デュースに忘れ物をしたから先に行っといてと伝え、自分だけ取りに戻っている時の事。

やばいやばい、急がないと……!次の授業ってクルーウェル先生だったはず。
クルーウェル先生はトレイン先生並みに厳しいから時間に遅れたりなんかしたら絶対に罰として追加課題と放課後説教コースのアンハッピーセットでみっちり怒られる、ひい……!

時間もギリギリになり別棟へ向かう道にはまるで人気が無い。
誰も見ていないのをいい事に無人の廊下を走り抜け、過去にこんな感じでエースと一緒に時間に追われてた時に教えて貰った抜け道であり近道を通る事にする。

そのおかげもあって確かに時間はギリギリではあるけどちゃんと間に合いそうだな……というところまで来たため走りから徒歩へと切り替えて、走っていた事により乱れた呼吸を整えながら使われていない空き教室を横切った時。

丁度扉を通り過ぎようとした辺りで扉が突然乱暴な音を立てて開き、薄暗い中からニンゲンではあるけど白く大きな手が出てきたと思ったら腕を捕まれ、為す術なくそのまま強い力により中に引っ張りこまれた。

抱えるように持っていた筆記用具たちが床に散らばる音。

人間って本当に驚いた時には声が出ないと聞くけど本当にそうで、抵抗どころか声すらまともに出せないまま容易く中へ引き込まれてしまった。

後ろから誰かに口を塞がれながら抱きしめられている、というか抱き込まれているが表現的には正しく、この抱きしめ方は最早拘束に近い。
がっちり抱きしめられているから誰なのか確認するために振り返る事すら出来ない。
ビビりはしたけど「とにかく生きなきゃ」と思って全力で暴れたら舌打ちと共に首筋に何か温かいものが触れて、えっと思ったその矢先、鋭い痛みが走って口を塞がれたまま唸り声をあげる。

痛い、痛い、何、怖い、何が起こった?

痛みと状況についていけず混乱しているのにも関わらず、その最中であってもお構い無しに与えられ続けるまるで何かに刺されたようなじくじくとした痛みによってとうとう表情が歪み、やめてくれという懇願の意思表示をしようと後ろを振り返ろうとした時、痛み続ける首元で声がした。


「暴れンなよ」


その声に体が固まった、この声はフロイド先輩。
ようやく合点がいった、本当だ、フロイド先輩の匂いがしてる、暴れたり混乱してて分からなかった。

抵抗をやめたからか、あんなに口を強く塞いでいた手があっさりと離れていった。


「アイツの時は全然暴れてなかった癖になぁんでオレの時はそんなに暴れんの?超気に入らねー」


機嫌が悪いのが露骨に分かるくらい低くなった声音で耳元で呟かれた後、また首に鋭い痛みが襲ってきてそれを必死に堪える。


「い、いた……っ」


相変わらず襲ってくるのは蝕むような痛みで涙が滲む、ああ、その鋭い歯で噛まれてるのかと理解が出来た時にはもう遅かった。
涙のみならず、噛まれたそこはそれ相応に血が滲んでいるらしく、じゅ、とそれを啜るような音が鳴って今度は鈍い痛みが走る。
ひたすら止まらない痛みに耐えるように目をきつく閉じた。


「痛ェの?当たり前じゃん?オレに捕まったら好きな事するってオレ言ったよね?なァ?」


すごい怒ってるのが伝わってくる、でも殺す気までは無いみたいだからとりあえず好きなようにさせよう。
それにその方が早く収まるだろうから。


「あは、キレーな赤色してんねぇ。震えて小エビちゃんかわいーね」


そんな事今言われても痛みと緊張で頭に入ってこない、抵抗する術なく背後から好き勝手に文字通り食べられているのに。

抵抗しないと逆に怒ったりする時もあるけど……今回は過度に暴れずフロイド先輩の腕の中でじっと耐えた甲斐あって、溜まっていた感情の発散が出来たのか荒れに荒れていた機嫌が少し良くなったらしく、聞こえてくる声音がいつものように落ち着いてきた。

気分屋で助かった……!
この調子で解放して欲しい……!

あとどれぐらいで離してもらえるかなんて直球で聞くのは……まずいよなぁ……と思っていたらふと思い出したと言わんばかりののんびりしたいつもの口調で「あ、そーだ」と言われ、次は一体何をされるんだと身構える。


「オレさ〜?昨日小エビちゃんを目の前で横取りされてマジでイライラしてさぁ。ムカついたから帰ったらそこに居たジェイドに八つ当たりしたんだよね〜」


……フロイド先輩の……八つ当たり……?

想像するだけで背筋が凍る、アズール先輩は大丈夫だろう、そこに居ただけで八つ当たりされたジェイド先輩……は生きてるか、双子だし。
というかオクタヴィネル寮自体が大丈夫?壊れてない?
心配をしていたら勝手に続けられる会話。


「そしたらジェイドに『そんなに自分のものにしたいのならフロイドの名前でも書けばいいのでは?』って言われてさー、だから横取りなんかされんだって。自分のものには名前書くってやつあるじゃん?それ聞いてあーそっかぁ!ってなってさ?本当は今日学校なんか来る気無かったけどそれ思い出してさっき来た。でも授業出んのダリーしなーってサボろうとしてここに居たら小エビちゃん見つけてラッキー!みたいな?」

え?何が?
何があーそっかぁ!になったの?
何がラッキー?
目の前でペラペラ喋られている会話の流れが全く理解出来ない、というか残る傷跡からの痛みで考えがまとまらない、一体どれだけ深く噛んだんだ。
何の話をしてるんですか?って言ってやりたいけどこの人地雷がどこに転がってるのか予測不能過ぎて下手に何も言えない。

どう言ってやろうかと口をもごもごさせていたら何か探すような気配がして、その後「はい、て事で〜こっち見て」って体をくるっと反転させられて今度はフロイド先輩と面と向かう形に。

ふと視線をフロイド先輩の手に向けたら何かを持っている……よく見たら……ペン?多分これは……油性の。
え?ペン?何でペン?と混乱する自分を他所に鼻歌を歌いながらペンの蓋を取って、ペン先をこちらに向けて顔に何かを書こうとしてくる。

何を書く気ですか、何かの呪文とかですか。

思わず反射的に身を引こうとしたら一瞬で据わった目で睨まれながら「動くなよ」とドスの効いた声で一言言われ、喉がヒュッと鳴った、その表情や声音の一瞬の切り替えとかも含め完全にヤの付く自由業の人過ぎる。
近付いてくるペン先。
ええいままよ!
腹を括り目を閉じる。
冷えたペン先が頬に触れて、そのまま素肌を滑る感触。
怖いし緊張がやばい、早く終わって。


「出来た〜!」


思っていたより早く終わったな……?
機嫌良さそうにニコニコしながらこっちを見つめつつ長い指先でくるくると器用にペン回しをするフロイド先輩。
機嫌良さそうなのもそれはそれで怖い。


「……な、何を……書いたんですか……」


良くない系の呪文とかって誰に何とかしてもらうのが正解なんだろう、こういうのってやっぱり先生の方がいいんだろうか。
質問をされたフロイド先輩はペン回しを止めてキョトンとした後、眉間に皺を寄せて「……小エビちゃん話聞いてた?バカじゃん……」とまるで哀れむように罵ってきた。
あの顔って心底そう思ってる時の顔だよね?流石に分かる、酷すぎるでしょ、何で?


「書くのなんて名前しかなくね?」


エッ
名前という返答に驚いて思わず声に出た、それと同時に鳴り響く本鈴。
授業始まった!?えええやばい!
この教室内に引き込まれた時に落とした授業用具類を慌てて拾い集めてからフロイド先輩の腕を掴む。


「え、何?」


首を傾げてこっちを見てくる、何で未だにキョトンとしてるのか。
何?って何だ。


「何?じゃないですよ、フロイド先輩授業始まりましたよ!遅刻です!フロイド先輩自分で言ってたけどサボる気でしょ!授業行く気ないでしょ!」


そう言うと首を傾げたまま「そうだっつってんじゃん、小エビちゃんも今日はオレと1日かけてここで過ごすでしょ?」とか言って、まるで他に選択肢なんか存在してねぇだろ当然だよな?と言うかの如くニッコリ笑顔で逆に手を掴まれた。
正直怖いけどサボりとかそんな訳には絶対にいかないのでブンブン首を横に振る。


「フロイド先輩みたいに頭がいい人はサボってもいいかもしれないけど頭がいい人ばっかじゃなくて、自分みたいに頭が悪い人は授業に出ないと困るんです!努力しないとこの学校に居られなくなっちゃうんです!」


その一言で、フロイド先輩の顔が少し変わった。
でも地雷を踏んだ訳では無さそう。
少し考えるように視線をゆっくり泳がせた後、何かを思いついたらしく顔をずいっと寄せられてそれにまたビビる。


「じゃあさぁ、オレと一緒に海の中に行こ?小エビちゃんは〜今度はオレと一緒の人魚になればいいじゃん!そしたら小エビちゃんの事もこの前みたいに勝手に横取りされたりしねーじゃん!オレてんさーい!アズールに頼んで薬作ってもらうからそうしよ?ね?海の中は楽しいよぉ」


……顔と声音を見て聞くにきっと純粋な誘いなんだろうな。
全く含みのないと分かるほどに屈託の無い笑顔を浮かべながら、承諾したら最後、二度と戻れなくなること間違い無しなお誘いで誘惑されるけど……残念ながらそれは出来ない、学園長との約束があるし、まずグリムとの事もある。
ぎゅ、とフロイド先輩の腕を掴む手に力が入ってしまう、まるでその意志の固さに比例するように。


「……本当にフロイド先輩たちとならどこでだって楽しいんだろうな」


思わず漏れた言葉に「じゃあ!」と嬉しそうな顔をされる。
それを遮るように「でもごめんなさい、それは出来ません」と続けると一瞬で表情が曇った。
こういう所を見ると本当に良くも悪くも純粋な人なんだよなと思う。


「お誘いは嬉しいんです、でも……今は絶対にやらないといけない事がある。まずはそれをやってから、その時、また改めてそのお誘いは考えさせてください。だからまずはその為には授業に出ないと……どうかお願いしますフロイド先輩、ね?」


しっかりと断りつつもお願いをする姿勢で、綺麗な瞳をじっと見つめながら伝える。
そしたらこちらが本気であること、この問題は今どうこう出来ないことであって、かつどうしようも無いんだということが全て伝わってくれたらしく本当に心底面白くなさそうな顔をされた後急に手を繋いできて少し面食らった。

まるで大きな手が、長い指が、自分の指に優しく絡みつくように。


「もー……じゃあ今から小エビちゃんが一緒に教室行ってくれるんなら今やってる授業は受けてもいーよ」


まさかの申し出に驚いた、けど出てくれるんならもう他に言う事なんか無い。
嬉しくて笑顔になりながら思わずお礼を言ったら、自分とは対照的に拗ねてむすくれた顔のままぷいと逸らされた。

繋がれたままの手を引いて空き教室を出る。

むすくれたままなのに絶対手は離さないでてくてく歩いて後ろを着いてくるフロイド先輩へ向けて「何の授業ですか?」と聞くと「さぁ?分かんね〜」と言われた、この人クラス違うのにジェイド先輩に任せっきりで自分で移動してなさそうだもんな……!

困った、どうしよう?とりあえず一旦フロイド先輩の教室まで行って時間割でも見る?
一緒に歩きながらあれこれ考えていたら繋いでいた手が後ろに引っ張られて強制的に立ち止まる。

振り返りどうしたのか様子を見たらぼんやりしたフロイド先輩と視線が絡んだ。
突然立ち止まったせいでそれに従って手も引っ張られたらしく、何も言わずに見つめ合う事数秒。


「んー……多分魔法史、昨日ジェイドがそう言ってた気がする」


ナイス記憶力!……でも魔法史ならトレイン先生か……怖いな……、何か……こちらは巻き込まれた側で悪くないのにセットで怒られそう。
とりあえず1秒も無駄に出来ないのでそのままフロイド先輩を連れて魔法史の教室へ。


その後、授業中にも関わらず教室内に何事も無かったかのように入ろうとしたフロイド先輩のおかげで授業は一時中断。

そのまま廊下に出されてトレイン先生に首筋の傷が見つかり、顔面の落書き(という名のフロイド先輩の署名)も含めて主犯であるフロイド先輩がみっちり怒られている様を手を繋いだまま真隣で見る事になった。

この人こんなに怖い人に怒られてんのによくそんな「ウルセー……」と顔面に書いてありますみたいなふてぶてしい態度取れるな……肝が据わってるというか最早無いのでは?と感心していたらため息をついたトレイン先生が一旦話を切り上げて、それこそ慈悲の心から一瞬で首の傷を治してくれた上に今回遅刻に至った理由はフロイド先輩に巻き込まれたせいだったとすぐにでも現在進行形で授業中のクルーウェル先生に話を通してくれるとまで言って貰えた。

さっきセットで怒られそうとか思ってすみませんでしたトレイン先生、絶対言えないけど。

首筋の傷を治されてる最中フロイド先輩はめちゃくちゃ機嫌悪そうだったけど、肝心の署名までは消されなかったのを見て良しとしたのか渋々ではあるけどやっと手を離してくれた。


「それでは失礼します」


背を向けて急ぎ足で自分の教室へ。
ふと後ろを振り返ると「またねぇ小エビちゃーん」といつもみたいにニコニコしてるフロイド先輩に対して怒るトレイン先生の姿を見て笑いそうになるけど堪えて、クラスメイトの待つ教室へ急いで走った。

……授業終わりに意気揚々と名前を消そうとした所「うえええこれマジで油性じゃん!!いや嘘でしょフロイド先輩!!」と叫び散らしながら膝から崩れ落ちる事になったとか。
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