【3】その客人、酔狂
「例の銀行口座の手続きは済ませておいたよ、ヴァンス」
「ああ、そうか」
その会談は奥の居間にて行われている。
この屋敷の主人であるヴァンスは、上等な革製の椅子に肘をついて、その客人の相手をしている。
だが、いつもと異なり、必要以上の言葉は交わさないものの、翡翠色の眼差しは真剣な色合いだ。
彼は基本的に相手側からの接触を除いて、人付き合いを制限している。
その相手が、自分の目に敵わない者(小物や汚物に値する者)なんか眼中にさえ入れない。
彼とまともな会話をする者…
特に、対等に話が出来る者とは、それだけ器が大きいか、彼の目に適う人材だという証拠。
客室用の椅子に座る一人の人物…
…ブルネットの髪の穏やかな風貌の男性は語りを続ける。
「それにしても、君の所の部下2人は有能だね。どうやってスカウトしたんだい?」
「…勝手に付いてきただけだ。
『ココ』に留まるも出ていくも、あいつらの意志だ」
「ハハハ、君程、自由主義な雇い主は生前目にした事がないよ」
「失礼します」
居間の扉を開けて入室してきたのはイタチ。
ガラス張りの四角型のテーブルに主人と客人用の紅茶と茶菓子を丁重に置いていく。
客人は、ニコリとほほ笑みながらイタチに話しかける。
「イタチ君、此処の住み心地はどうだい?」
「恐れながら…ヴィンセント様。
あなた様のおかげで、非常に快適な暮らしを満喫しております」
「そうかい、それは良かったよ」
客人こと、ヴィンセントは満足そうな表情で笑いを零す。
その時、ヴァンスはイタチに目配らせをする。
その意味を解したイタチは、素早くその場から退席していった。
「なかなか手際が良いじゃないか」
「まあな」
部下が褒められた事に、ヴァンスは口端を上げてフ、と笑みを零す。
どうやら満更でもなさそうだ。
「ココを退職する時は、私の屋敷で雇いたいものだね」
「ほざくか、阿呆が」
2人は互いに笑みを浮かべているが、瞳はそれとは逆の感情が渦巻いている。
対等に話す間柄とはいえ、互いの本心を曝け出す事は双方共、愚かな行為だと認識しているからだ。
「全く、私だから穏便に済ませているけれど、その言葉遣いは止める事を忠告するよ。
信頼を失うよ?」
キラリと目を光らせて、妖艶な面持ちで冷笑するヴィンセント。
それに対して、ヴァンスはククッ、と喉を鳴らし笑いながら言い返す。
「『信頼』とは、『猜疑』と紙一重である感情だ。それをお前は一番よく熟知しているはずだ…。
【悪の貴族】ヴィンセント・ファントムハイヴ当主殿」
「『前』当主だよ、ヴァンス殿」
表情を変えずに、間違いを指摘するヴィンセント。
テーブルの上にある紅茶を手に取り、一口飲む。
その無駄のない優雅な仕草、綺麗な言葉の発音が上流階級の気品を漂わせる。
「フン、その裏表ある二面性が祟り、あの世の豚箱へとぶち込まれたんだろうが…
どうやら、恐れ知らずの性格までは更生出来なかったようだな」
「人の【本質】というものは、年を重ねようとも、『魂』となろうとも簡単に変える事はできない。
それは君がよく知っているはずだけど?」
売り言葉に買い言葉…二人は、互いに皮肉を言い合っている。
その様子を、イタチは扉越しで聞いていた。
「今日も相変わらず、か」
イタチは知っていた。
ヴァンスとヴィンセントは、傍目から見れば水と油の如く険悪な関係だと思われそうだが、実は互いに認め合っている事を。
仲介人の中では、おそらく一番仲が良い部類に位置している。
出身、職業の違いはあれど、彼らの人生は共通点が色々とある。
―――幼少時の辛い境遇、自らの生き方を悟った青年期、家族との幸せな時間、突如降りかかった理不尽な【死】……そして、行方の分からない愛しき伴侶を捜索している事だ。
主人であるヴァンスは長い年月はかかったが、伴侶を見つける事は出来た(現在は事情により、離れている)。
しかし、ヴィンセントは未だに妻の行方が不明なまま…。
普段から平静を装っているが、心中は…あまり穏やかでない。
「ところで…『彼女』の行方は判明したかい?」
「…悪いが、お前の『探し人』はこの世界にはいない」
「そうかい…」
その言葉を聞き、ヴィンセントは寂しそうに笑い、顔を少し俯ける。
彼の態度に、ヴァンスは眉を顰める。
「さっきまでの威勢はどうした」
「…生憎、私は君とは違って、心は繊細なんだよ」
ハァ、と息を漏らして落ち込むヴィンセント。
ヴァンスは無言のまま暫く見つめていたが、ふと何か思いついたのか立ち上がる。
次の瞬間……
―――バコンッ
ヴァンスは、何時になく哀愁漂う仲介人の頭を勢いよく拳骨で殴り付けた。
「イタッ! 何するんだい、いきなり…」
「阿呆が…お前がそんな調子だと、こちらまで気分が悪くなる」
「だからと言って、殴る事はないだろう…」
やれやれ、とため息を吐きながらヴィンセントは文句を零す。
だが、苦笑いしながら余裕の表情を取り戻していく。
「すまなかったね」
「ようやく正気に戻ったか」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、ヴァンスは再び、革製の椅子にドカッと座り込む。
その会話のやりとりを聴いていたイタチは、ふいに家の外に視線を注ぐ。
『……気配がする』
嫌な予感が胸中をよぎったイタチは、瞬時にその場から姿を消した。
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