第8話【誘因】


「…ありがとう、ローエンさん」

「いえいえ、こんなジジイの拙い技が役に立てるとは光栄です」


ふっと口元を緩めるリーシェと、ローエンのやり取りをみて、カナンは内心驚いていた。

いつの間に、この二人は知りあって交流を深めていたのか…。


「フェイタン…俺はいいから、団長の所へ」

「……チッ」


拘束されて身動きが取れないにも関わらず、シャルナークは冷静な態度でフェイタンに指示する。

フェイタンは小さく舌打ちすると、素早く逃走する。


「逃走した、追跡しろ!」


違う男性の声が高らかに響く。

すると、予め潜伏していたのか鎧を纏った兵士達が複数現れて逃げて行ったフェイタンを追いかけていく。

滝のそばにある高い岩付近を、カナンが見上げる。

そこには、黒い衣服を纏う男性の姿…彼女がよく知る王の側近、ウィンガルがいた。


「…一人逃げましたな」

「多分、捕まらないでしょう。逆に…追わない方がいい」


何故ですか、とローエンが疑問を口にすると…



「フェイは、数分で10人の首を刈れる程の奴ですから。

下手に攻撃したら返り打ちにされるのが落ちです」


「なんと…」



返ってきた答えに、ローエンは顔を驚愕させる。

そうなりますと…今後の対応策を練らなければなりませんね、とすぐに冷静な顔つきになると、ウィンガルのいる所へ足を進めて行った。

リーシェは視線をカナンへ移す。


「迷惑かけてごめんね」


神妙な面持ちで謝罪するリーシェに、カナンは首を緩慢に左右に振る。


「いいえ…私は平気です。それよりも…教えてください」


何が起こっているんですか?

一番弟子の率直な質問に対し、リーシェは眉間を指先でおさえると唇を動かす。

長くなるけど…移動しながら話すよ。




【誘因】




―――プルルルル


バイブ音と共に、携帯の黒い画面に光が灯る。

浴びていたシャワーの蛇口をひねり止めると、青年は置いてあったバスタオルで、頭を拭きながらそれをとった。


「…フェイタンか。状況は?」


電話相手は仲間。

今、遠方にいて仕事を遂行している一人だ。


「…シャルが捕まったか」


青年―――クロロは取り乱す事無く平静な表情でその連絡をきく。

電話の向こう側にいるフェイタンは、機嫌が急降下しているようだ。

殺気と苛立ち交じりの声で不満をぶつけてくる。


『だからいたよッ! 説得なんて甘い事せずにいためつけた方がよかたね!!』

「そう興奮するな。冷静さを失うと、リーシェの思う壺になるぞ」

『あいつも相変わらずだたよ。なんで、団長はあいつ気に入てるか…』

「フェイタンは嫌なのか?」


『…ムカつくヤツ。でも…嫌いじゃないね』

「そうだろ?」


仲間の返答に、クロロは満足そうに笑いを浮かべる。


『……団長、これからどうするか?』

「一旦、その世界から撤退して他の団員と合流しろ。次の連絡がくるまで待機しててくれ」


そう指示すると、クロロは携帯を通信を切った。

バスローブを羽織ると浴室から出て、リビングルームのソファーに腰を下ろす。

異世界のホテルの一室―――この部屋を借りるのは富裕層がほとんどだ。


用意された葡萄酒をグラスにそそる。

グラスを手に取ると、注がれた朱色の液体をジッと見つめる。


そこに『彼の人』が映し出される。

仮面を被らず、美しい素顔を曝け出した翡翠色の瞳の女性が…。



 “ お断りだね ”



かつて、彼の人が別れ際に言ったあの言葉が頭をよぎる。

昔も現在も…彼の人の心は、己ではない『他者』のもの。

―――だからこそ…“奪い甲斐”がある。



「盗んでみせる…絶対に」


その身も…心も…。

黒の瞳を怪しく光らせ、グラスの葡萄酒を味わった。





【つづく】

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