第2章:人には【光】と『影』がある


(そうだ…【彼女】は立ち向かっていた)


切り裂きジャック…ジェームズの脳裏に、あの時の記憶が蘇る。

かつて、医学生時代に【彼女】…アンジェリーナがたった一人で理不尽な言いがかりをつける男達と戦っていた。荊の道を、確固たる意志を持って進んでいくアンジェリーナはあたかも異国の聖女を連想させるくらいに…強い女性だった。


「その人と過ごした日々は、貴方にとって心休まる日々だった…そうではありませんか?」


アンジェリーナと友人となり、医学生として共に過ごした月日は穏やかで満ち足りたものだった。

どうして、今まで忘れていたのだろうか…。



「その思い出は、貴方にとって大切な宝物。

捨ててしまえば、二度と戻らないかけがえのないものです。

その記憶を失ってまで、手に入れようとしているものに価値はありますか?」



リエのその言葉を聞いた瞬間、切り裂きジャックの瞳の色がブラウンへ戻った。


「…あの記憶を捨てて、得る物…そんなものあるわけない」

「ジェームズ…」

「嫌だ、この記憶は…僕の心の支え…この思いだけは…失いたくないッ…!」


ジェームズは首を左右に振り、自分自身に言い聞かせるように大声で本音を吐露する。

残虐な【もう一人の自分】を奥へ押し込めて、封印しようと必死のようだ。

アンジェリーナはジェームズの様子に思わず駆け寄ろうとしたが…


「や…めろ……ジェームズ…やめろ!」


瞳の色が赤く染まり、再び切り裂きジャックが表に出てくる。



「惑わされるんじぇねえ! 記憶がどうした!

お前の支えだっていうアンジェリーナは別の男を選んだろうがッ!!

昔の思い出なんかに女々しくしがみついたところで…ぜんっぜん意味がねえんだよ!!」


「まったく、しぶとい人格ですね」



セバスチャンはうんざりした心情を顔を露わにして、喚く切り裂きジャックの頬にそこらに落ちていた石を容赦なく投げつけた。

剛速球のそれは見事命中してしまい、切り裂きジャックはぶぼばっ!と間抜けな声を漏らす。


「同感だワ。ご主人様もとっととねちっこいそいつから主導権を奪ったら、コッチは楽に狩れるのに」

「狩られてなるものか! 俺の野望を…ッ」


グレルの嫌味を含んだ挑発に言い返そうとした瞬間、切り裂きジャックは苦悶の表情を浮かべ、「げほっごほっ」と激しく咳をし出す。

そして、咳と共に…鮮血色の液体が盛大に地面へばらまかれた。


「ご…れば…ッ」


切り裂きジャックは、己の口から出たそれを見て愕然とした表情となる。


「あいつ…まさか病を患っているのか?」


喀血した彼を目にしたシエルは、訝しそうにその推測を口にする。

アンジェリーナは、もしやとグレルの方へ自ずと視線を移した。

浮かびあがった、信じたくない可能性を否定してもらいたかったが…グレルは緩慢に被りを振った。


「そんな、ジェームズは…」

「最初に言ったでしょう? そもそも、こいつが野望を叶えるなんて絶対にムリなのヨ」


己の異変に動揺している切り裂きジャックに、グレルは憐みの眼差しを向ける。



「切り裂きジャック……ジェームズ・スピアリンクは肺の病に侵されている。

だから、アタシは本業を遂行しないといけないのヨ」





【赤執事の告白と、リエの実力】





「…いつからなの」


「判明したのは一カ月前。本人は隠そうとしてたけどネ…バレバレよ。

ご主人様は…もうそんなに長くないワ」


「うそだ…ウソだ…嘘だァアアア!」



グレルの言葉に、切り裂きジャックは狼狽する。


「いえ、本当ですよ。私にも分かります。スピアリンク様の生命力が徐々に弱まりつつあるのが…」

「ふざけんな! 俺は認めねえ、こんな…こんな理不尽な事あるか…ッ!!」


セバスチャンの足を掴んで壁へ投げつける切り裂きジャック。

飛ばされる途中で、セバスチャンは一回転して軌道を変えると切り裂きジャックの背中へ蹴りを入れる。



「数年間、このアタシや同期の目を掻い潜って好き勝手やってきたでしょう。

アタシの貴重な時間を奪った上に、被害者の女達を血祭りにしてきたんだから自業自得ネ!」



グレルは吐き捨てるように言うと、デスサイズを構えてすかさずに攻撃を仕掛けていく。





再び激戦が繰り広げられる中、アンジェリーナは顔を俯けて沈黙していた。


「今から逃げたとしても、誰も貴女を責めたりしない」


シエルはそう言うしかなかった。

薄っぺらい同情や気休めの言葉なんて…何の意味もない。

残酷な事実が明かされた今、アンジェリーナが誰よりも絶望しているのだから。


「この結末は僕が責任を持って見届ける。だから…」

「いいえ、まだよ」


シエルが帰宅を促そうとしたその時、アンジェリーナが待ったをかけた。

予想外の事に、シエルはぱっと隣にいる彼女へ目を向けた。


「まだ…私にもできる事がある」


そう告げると、アンジェリーナはゆっくりした足取りで前へ進んでいく。


「リエ…いえ、『マリエル・レイディアン』


セバスチャン達を加勢しようと、呪文を唱えている最中のリエに対して、その【名前】で呼んだ。

振り返ったリエは、アンジェリーナに尋ねる。


「なんでしょうか?」

「……貴女の力を貸してちょうだい」


ギュッと拳を作り、アンジェリーナは協力してほしいと言った。


「…覚悟を決めたのですね」

「ええ、そうよ」


迷う事なく答える契約者に、リエは満足そうに頷く。



「分かりました。アンさんの【願い】を教えてください」





【つづく】

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