第1章:誘拐事件は危険な出会いの始まり


「いつまで遊んでいる。床がそんなに寝心地がいいとは思えんがな」

「そ…そんなバカな!」


アズーロは絶句した。

目の前の信じがたい現象を目にして、心身とも恐怖に支配されてしまったからだ。


「いつまで狸寝入りを決め込むつもりだ…セバスチャン」


シエルが呆れた眼差しを今しがた殺したはずの執事へ向ける。

主の声に反応するかのように、倒れているセバスチャンの指がピクッと動き、ゆっくりと起き上がった。


「…やれやれ、最近の銃は性能が上がったものですね。『百年前』とは大違いだ」


けふ、ごほんと軽く咳をしながら感想を口にするセバスチャン。


「何をしてる、殺せぇエッ!」


アズーロの命令に、同じく言葉を失っていた部下達が我に返り、咄嗟に銃の引き金を弾こうとする。



「お返ししますよ」


 ズダダダダダダ!



しかし、ニヤリと妖しい笑みを浮かべたセバスチャンが、掌から己に打ち込まれたはずの血で濡れた銃弾を周りにいた男達に投げつけた。

…男性達は悲鳴を上げる事無く倒されてしまった。

セバスチャンは立ち上がると、バッバッと埃を払い、穴だらけで血塗れの燕尾服に溜息をつく。



「嗚呼…何という事だ。服が穴だらけになってしまいましたね」

「遊んでいるからだ、馬鹿め」


「私は坊ちゃんの言いつけを忠実に守っていただけですよ。

―――“それらしく”していろ…とね」



悪態をつくシエルに、セバスチャンはクスクスと笑って言い返した。


「それになかなかイイ格好をされているじゃないですか。芋虫の様にとても無様で素敵ですよ。小さくて弱い貴方にピッタリだ」

「く、来んなッ、止まれ!」


怯えながら警告するアズーロを完全に無視して、セバスチャンは一歩ずつ近づいてくる。


「…誰に向かって口を聞いている」


シエルはムッとした顔で、早くしろと急かす。


「止まれェ! と…とと止まれって言ってんだよ! それ以上近寄ったらブチ殺すぞ!!」

「さぁ、どうしましょうか? 私が近づけば殺されちゃいますよ」


アズーロの言葉に怯むどころか、逆にこの状況を楽しんでいるセバスチャン。



「貴様…『契約』に逆らうつもりか」


「とんでもない。“あの日”から私は坊ちゃんの忠実な僕。坊ちゃんが願うならどんな事でも致しましょう。

―――捧げられた犠牲と享楽を引き替えに」


「何ワケのわかんねえこと言ってやがる! 変人共(スプーキー)がぁ!!」



大声で吠えるアズーロは最早蚊帳の外状態。

セバスチャンは艶やかにこう言った。


「坊ちゃん、おねだりの仕方は教えたでしょう?」

「命令だ、僕を助けろ!」



――――ズガァアアン


黙れぇええ、と恐慌状態のアズーロの声とともに、銃弾が鳴り響いた。



◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇



「ええーい!」


バシンッという音を立てて、男性は頭を叩かれた。

男性の手が離れ、危うく口付けをされる寸前だったリエは、何事が起きたのかと目を数回瞬きさせる。

頭を抱えながら唸る男性の背後にいたのは…


「セリアさん!」


なんと、牢屋で待っているはずのガヴァネスの一人、セリアだった。


「この不埒な男! レディの唇を奪おうとするなんてなんて破廉恥なの!」


どこからか入手した箒を両手に構えて、バシバシッと勢いよく、男性を叩いて攻撃する。

不意をつかれた男性は、戸惑っているようで数歩後退するが…


「きゃあああ、こ、来ないでぇええ!」


右横から、もう一人のガヴァネスのヘレンが袋をもって、その中に入っている白い粉を男性目掛けて投げつけてきた。

男性の顔面に見事命中したそれ…袋のパッケージに「小麦粉」と書かれている。


「ぐっ…なんだ、この娘達は…」

「あら、戦う女は苦手かしら?」


別の方向から聞こえてきた色気のある女性の声。

リエと男性は目を向けた瞬間、きらりと光る何かが、男性のフードをかすった。

ドガッと音を立てて、床に突き刺さったそれは医療用のナイフ。


「でも、敢えてアドバイスさせていただこうかしら。…強引な口説き方は、返って女心を萎えさせるわよー」

「アンさん!」


フフフッと得意げな顔をして、優雅な足取りで現れたのはマダム・レッドだった。


「珍しいわね、リエ…貴女がピンチになるなんて」

「ちょっと油断してしまいました」


助けてくださり、ありがとうございます…とリエはほんのり笑ってマダム・レッドに礼を言う。


「どーいたしまして♪ 捕えられていた他のガヴァネスの娘達はもう避難させたわ。そろそろ市警(ヤード)も来るはずよ…」

「でも、セリアさんとヘレンさんはどうして…?」


救助されているはずの二人が、なんで此処にいるのか。


「あの子達、貴女の事が心配で…私に懇願して此処までついてきたのよ」


マダム・レッドが、穏やかな声音でその答えを教えてくれた。


「…リエさんが、まだ会って間もないのに…私達のために危険を冒してマフィアのところへ行ってくれて…それなのに…私達だけ安全なところに逃げるなんて…できなくて…」

「このままじゃいけないって思ったんです…だから、私達も微弱ながら加勢いたします!」


涙をこらえながらも理由を語るヘレンと、箒をぶんぶん振って「さあ、かかってきなさい」と言わんばかりに、男性を睨み付けるセリア。

リエは微かに目を見開くが、二人の勇気ある行動にじーん…と胸が熱くなる。


「セリアさん…ヘレンさん。ありがとう」

「…さてさて、そこのあんた、私の可愛い相棒になんで迫ろうとしていたのかは分かんないけど、その訳たぁーぷりと吐いてもらいましょうか?」


マダム・レッドがビシッと人差し指で、黒いコートの男性を指さして言った。

その男性はやれやれ…と首を緩慢に振ると、コートについた小麦粉を振り払うかのようにフードを下ろした。




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