【8】第一回 ヴァイス語検定試験


「ヴァイス…おーい、休まないか?」


エスタロッサが声をかけるが、気付いていないようだ。

些細な音さえも耳に入らないのか、ヴァイスはずっと作業を進めている。

エスタロッサは、クッキーをサクッと咀嚼しつつもいつになく集中している幼馴染の姿を落ち着かない様子で見つめる。


「なんだ、そんなに点数が気になるのか?」

「それもあるけど…」


メリオダスが茶化したように尋ねると、エスタロッサは歯切れが悪そうに言う。


「…ヴァイスが俺の知らない誰かになってるんじゃないかって…不安なんだ」

「ん? なんて…言った?」


小さく囁いたエスタロッサの声が聞こえづらかったのか、ミルクティーを飲んでいたデリエリが聞き返した。

「なんでもない」とエスタロッサは曖昧に笑って誤魔化した。

そんな彼に、デリエリは眉を顰めて「へんなの…」と呟く。


(…そういや、デリエリはまだ知らねえんだな)



*** ***** ***



―――【ヴァイスが前世の記憶を所持している】

その事実を知っているのは、メリオダスとエスタロッサ…そして、デリエリとメラスキュラを除いた十戒を含める上層部の限られた者だけだ。

ヴァイス自身は、まだその事実を皆に打ち明ける様子はない。

…もしかしたら、恐れているのかもしれない。

魔界とは異なる世界で生きてきた前の自分の記憶を持つ事で、こちらが拒絶する事を…。


記憶を蘇らせるきっかけとなった出来事以降、ヴァイスは周囲と一定の距離を取るようになった。

周りはほとんど気付いていないが、赤ん坊の頃からずっと見ていたメリオダスには分かった。

最初に胸に込み上げてきたのは…怒りと苛立ちだった。


(なんで、言わないんだ…一緒に育った仲なのに…ッ!)


ヴァイスに詰め寄るような行動に至らなかったのは、ゴウセルが助言をしたからだ。



『あまり責めないでやってくれ。

ヴァイスもヴァイスで…葛藤しているはずだ』



『前世の記憶保有者は孤独な存在だ』とゴウセルは言った。

記憶を持つがゆえに、生きている今世で異分子となってしまう。

前世の記憶を利用して、巧みに生き抜く者達も中にいるようだが、そんな器用な事ができる人物は限られている。

前世と今世の常識がかけ離れているほど…記憶保有者の精神は不安定になる。

前世の記憶を明かしても許容できる理解者がいれば話は別だが、周囲から受け入れられないと心に壁を作り、徐々に孤立を深めていく。

特に、血縁関係者や親しい者達から拒絶された場合…記憶保有者の精神は崩壊する可能性が高くなる。


『ヴァイスと今後どう付き合っていくのかは、あくまでお前自身が決める事だ』


だが、これだけは言わせてもらう…とゴウセルはいつになく真剣な顔で続けた。



『メリオダス…感情の赴くままに安易な行動に出るのだけは止めろ。

下手をすれば、お前は大切な幼馴染を失ってしまうぞ』



…その覚悟はあるのか?

その言葉を突きつけられ、メリオダスは何も言い返せなかった。


(バカだ…俺は。一番苦しんでいるのは、ヴァイスなのに…)


もし、一人で激情に駆られてヴァイスに接していたら、取り返しのつかない事態になっていた。

ゴウセルのおかげで、冷静さを取り戻す事ができたメリオダスは黙考した。

仮に、ヴァイスの事情が周りにバレたとしても、受け入れてくれる同胞がどれだけいるだろうか…。

事実を公表して、掌を返してくる者達がいると想像するだけで胸糞悪くなる。

そして、悶々と考え抜いた結果…


(…ヴァイスが自ら告白するまで待つしかない。周りがどうであれ、俺だけは味方で居続けてやるんだ)


例え、ヴァイスが再び前世の誰かの記憶に翻弄される事になっても、彼を支えてやれる存在になる。

それが、メリオダスが最終的に導き出した答えだった。



*** ***** ***



ヴァイス語を学ぶようになったのも、前世の彼の情報を入手する事が目的だ。

同時に、少しでもヴァイスの気持ちを理解していき、彼が無意識に作った心の壁を壊していけるようにするためでもある。

当初、前世の言語を教える事をヴァイスは躊躇っていたが、今は学びたい人物がいれば、快く指導するようになった。


(…ヴァイス語が人気になったのが意外だったけどな)


正直、あの言語ほど難しいものはないとメリオダスは常々感じている。

魔神族の固有言語とは違い、三つのタイプの文字を混ぜこんで使用するという点が厄介なところだ。

特に、漢字は強敵だ。

簡単なものなら大体読めるようになったが、逆にひらがなから漢字へ変換させる事は不得手だ。


…ヴァイスが暮らしていた世界はどんな所だろうか。

ややこしい言語や美味な料理の作り方が確立されている事から、発達した文化があった…とゴウセルは確信しているようだった。

メリオダスもまた、好奇心がくすぐられていた。

もしも、ヴァイスにとって自分が本当の意味での理解者になれたら…


(その時は、ヴァイスに前世の事をいっぱい話してもらいたいな)


そんな淡い期待を抱いているメリオダスを現に戻したのは、玄関の扉を叩く音だった。




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