シークレット・メモリー
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「兄さま、これなあに?」
伊織は見た事のない代物に興味津々だ。
木製の箱の中に入っているのは、紫色の禍々しい干物のような指。
難しい文字が書かれた札に厳重に巻かれているそれは、怖そうでどこか好奇心を駆り立てられる物に見えた。
兄である慶一は、それに触ろうとした伊織の手をそっと優しく握って制止する。
「触っちゃダメ。これは呪物だから」
「じゅぶつ?」
「そう、これは大昔に色んな意味で有名人だった両面宿儺の指だよ」
―――『両面宿儺』
1,000年以上前…呪術の全盛期の時代に存在した呪詛師の名だ。
伊織は、その人物の事を知っている。
母が枕元で、彼が生きていたその頃の出来事をもとにした御伽話をよく聞かせてくれるから。
宿儺は平安の時代に多くの人々を戦慄させ、恐怖の渦へと陥れた存在。
己の気分次第で人を殺めるなど身勝手で残虐な性格。
けれども、ただ強いだけでなく計算高く狡猾であり、多くの呪術師が相手にしても勝てなかった。
最早、天災と呼ぶべき存在である宿儺だが…唯一というべきか対等に渡り合った人物がいる。
それが、伊織の先祖に当たる「藤基久路斗」である。
「久路斗さんが、宿儺の口に目掛けてゆで卵を投げ込んで『うるさい、それでも食べて黙ってろ』って窘めた話は有名なんだ」
「くろとにっきのこと?」
「そう、お父さんが今新しいのを翻訳しているんだ。
次の日記の内容が楽しみだなぁ…」
【久路斗日記】とは…久路斗自身が残した著書もとい日記である。
現当主の父が翻訳しており、兄はその日記を読むのが趣味になっている。
「慶一様、伊織様、お食事の時間ですよ」
伊織が生まれた時から屋敷で働いている女中の千歳が、昼食の時間を知らせに来た。
今日のごはんは何かな~と居間へ向かおうとした時、バチッと火花が散るような音がした。
《―――ケヒッ…いい…だ》
「…うん?」
「伊織、どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
誰かの声が聞こえた気がした。
伊織は小首を傾げつつも、気の所為か…と思い、その場を後にした。
*** ***** ***
伊織はその日の夜、夢を見た。
目を開けると、伊織は水の上に寝転がっていた。
真っ赤な…鮮血を連想させる色。
辺りは薄暗く、地下を連想させる空間。
今の時期は春のはずなのに、雪が降る時のような冷たい空気が辺りを支配している。
「どこ…?」
「俺の領域だ」
聞こえてきた声に、伊織ははっとした。
眼前にある大量に積まれた牛骨。
その頂点に、玉座のように腰を下ろす一人の男性。
複眼、4本の腕を持ち、顔に刺青が施されている。
邪悪な雰囲気を漂わせるその男性に、伊織は目が釘付けだった。
並大抵の子どもであれば、そんな人物を目にすれば、恐怖のあまり大泣きするだろう。
「お兄さん、どなた?」
だが、伊織はきょとんとしていた。
自分はつい先程まで、母と一緒に布団で寝ていた。
牛の骨の玉座に座っている男性とは初対面だ。
あんなに凶悪な空気を纏わせている人は見た事がない。
「ふん…俺を目にしても騒がんとは。
幼いながらも肝が据わっておるな」
「きも? おナベのぐ?」
「ケヒ…拙い頭では分からんか」
男性はそう呟いた直後に、玉座から姿を消した。
目をぱちくりさせる伊織は、ふわっと浮かび上がった。
いつの間にか、背後にいた男性が4本の内の右前の手で伊織が纏う浴衣の首根っこを掴んでいたのだ。
「小娘、名は?」
「もとみやいおり」
「成程…あの男の血縁者か。
精霊の混血児であったあの巫女の眼も引き継いでいる。
道理で馨しい匂いがするのか…」
伊織の顔の前に、男性が顔を近づけるとスンスンと彼女の髪の毛を嗅ぐ。
「におい? いおり、とんかつ食べたよ」
「とんかつ?」
「おニクにパン粉をまぶしてアブラであげたの。おいしーよ」
伊織はにこにこしながら説明する。
4歳の幼子の態度に、男性は毒気を抜かれたような顔になる。
「ねえ、お兄さん、どなた?」
「…ああ、言ってなかったか」
男性は口端を吊り上げて、その言葉を放った。
「俺の名は【両面宿儺】
先程、お前が見ていた指の主だ」
伊織は目を大きく開いた。
驚愕と動揺の色が顔に表れた…と予想通りの反応に、両面宿儺はククッと喉を鳴らして笑うが…
「ゆでたまごが大好きなひと!」
「おい、その話…誰から聞いた?」
伊織の口が発したとんでも発言に、宿儺は大いに眉を顰めたのだった。
【呪いの王様と出会いました】
「それでね…くろとにっきに、すくなさんはくいしんぼーで、どうしよーもないヒトだったって書いてるんだよ」
「(チッ、久路斗の奴、余計な伝承を後世に残しおって…)
…他に記述されていた内容は?」
「『しそんよ、すくながのちの世によみがえったらショクヒをせいきゅうしてやるように、
今のうちにちょうぼをエイキュウホゾンしておけ』って兄さまがこのあいだ言っていた!
おうちに、それあるよー」
「…あいつ、細かい事まで執念深いな」
「ねぇねぇ、すくなさん…ゆでたまご、好きなの?」
「あぁ…あいつが作った物はどれも美味だった」
これが、本宮家の小さな女の子と両面宿儺との最初の出会い。
のちに、呪いの王である宿儺が大いに執着し、己のモノにしようと画策する…【本宮伊織】という人物の物語である。
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