【20】リスタート・クエスト(マルチエンディング 2)
「母さん、久しぶりだね。元気?」
傑は久方ぶりに母に連絡を取った。
あの集落での一件以降、家族とも音信不通となっていた。
血の繋がった、愛情をかけて育ててくれた両親だ。
同時に、非術師でもある。
胸に犇めく愛憎が暴発して、いつ彼等に刃を向けて、傷つけるかもしれない。
そういう恐怖と忌避の感情から、接触するのを避けるしかなかった。
*** ******** ***
高専卒業後、フリーの呪術師として、傑は生活基盤を整えていった。
地道に人脈形成をしながら、仲間を増やしていく。
そんな日々がすっかり「日常」として定着した。
だが、時折見る悪夢が彼の心を揺さぶった。
悪夢は、昨日の夜に見た分を含めて五回、どれも酷いものだった。
最初に見た夢では、傑は上層部の方針に我慢できなくなり、独自の組織を形成して全面戦争になりかけたが…
悟や硝子達に阻止されてしまい、終身刑として専用の牢獄で一生を過ごす事になった。
二回目と三回目も似通った内容で、四回目では懐かしい高専のグラウンドで、悟と一騎打ちをした。
そして、昨日の…五番目の悪夢は今まで一番最悪のパターンだった。
…理子や黒田が、暗殺者の手により無残に殺されてしまった。
…上層部の嫌がらせで、等級違いの任務を請け負い、七海は重傷を負い、灰原は命を落としてしまった。
…あの集落の任務時、一人しかいなかった傑は、住民達を殺害するしかなかった。
最終的に、悟の教え子の一人と激闘を繰り広げ、致命傷を負い、悟の手で介錯してもらった。
どの夢も共通点として、傑は呪詛師となり、悟達と道を違えてしまう。
そして、その世界にはヴァルハラ教団が存在せず、呪術界に本宮家等の中立派もできておらず、
当然ながら…本宮舞香も存在していなかった。
夢の中の傑は、無意識にずっと探していた。
名前の分からないはずの【彼女】を…
傑にとって、それだけ本宮舞香は特別な存在であり、愛おしい異性であった。
(だから、連れてきてしまった)
あんな酷い夢を見た所為か、舞香に無性に会いたくなった。
思わず、植物の世話をしていた彼女を攫ってしまった。
…多少の反省はしているが、後悔はしていない。
眠る舞香を視界に入れると、胸が高鳴ってしまう。
幻想的な雰囲気を漂わせる、少女と大人の女性の狭間にある美しさがあった。
こんな無防備な姿を他人が見たら、どうなる事か…!
親友と禪院家の次期当主候補がこの場にいなくてよかった、とつくづく思った。
何故って?
親友である悟は、舞香に非常に重たくて激しい愛情を抱いているからだ。
彼女が眠っている隙を狙い、唇を奪って【愛の呪い】をかけるくらいに。
舞香が聖職者になった現在、悟は彼女と距離を置くようになった。
諸事情を知っている呪術師からも、悟が振られた事で大人しくなったと捉えている。
舞香の事を諦めた…? いいや違う。
十数年も求め続けていた想い人を易々と諦めるなんて、あの悟がそんな選択をするはずがない。
どうしたら、ヴァルハラ教団から還俗させられるか?
どうやったら、リエやコラソンを…エクレシア達を出し抜けるのか?
親友は今も尚、想い人を手中に収めようと、あらゆる策を練りながら好機を狙っているのだ。
禪院家の次期当主候補…禪院直哉も同様に、舞香を正妻にしようと画策している。
彼の場合はシンプルに、舞香に突撃する形で絡んでくる。
そういう点では、悟よりも分かりやすいが、何かとしつこい。
禪院家の当主であり、父親でもある直毘人氏が全面的に後援している事も厄介だ。
一度だけ、舞香に急接近した出来事があったようだが…
その際に、エクレシアの一人に徹底的にお仕置きされてしまったようだ。
その所為か、彼はエクレシアに対して苦手意識が芽生えたらしい。
だから、エクレシアがいない時を狙い、舞香を求め続けている。
…そういう点は、悟と同じく性質が悪いと言える。
そんな二人が、眠る舞香を目にしたら…彼女の貞操に危機が訪れていただろう。
勿論、傑は無抵抗な想い人に無体を強いるような愚かな真似はしない。
唇に触れたいな…とやや邪な思いが湧き出たが、ぐっと我慢した。
「我慢してえらーい!」と某ペンギンのマスコットキャラに褒められるはずだ、間違いない。
目覚めた舞香が、傑の頼みを引き受けてくれた事が幸いだった。
彼女と一緒に同じ屋根の下で暮らす…謂わば、「同棲」である。
いくつか縛りは設けなければならなかったが、些細な事だ。
人生でこれまでにないくらいの至福を感じた瞬間だった。
ただ、舞香の傍にいるための必要な手続きが難所だった。
連絡を取った際、彼女の保護者達に盛大に説教されてしまった。
可愛い愛弟子を無断で連れ去ったのだ…当然だろう。
電話越しでも、コラソンはこれでもかというくらい覇気の籠もった声音で怒鳴りつけてきた。
彼も強敵であったが、それ以上に…特級呪霊並みの怖さがあったのはリエの方だ。
彼女は声を荒げたりせず、淡々とした口調で説教していく。
言葉が重なれば重なるほど、徐々に彼女の気配が重くなっていく。
己の一挙手一投足が、間違ってしまえば…即座に命を刈り取られるだろう。
ドクドクと心臓が嫌な音を立てて、危うく失神しそうになった。
『くれぐれも、節度の保ったお付き合いをしてください。
…舞香ちゃんを傷つけたり、悲しませたりしたら覚悟してくださいね』
携帯越しに交わした、彼女とのひとつの縛り。
声だけで、意図も容易く人の生殺与奪権を左右できるとは…
―――
傑の心の中のノートに、その文言がしっかりと刻まれたのだった。
一人暮らし自体に慣れていたが、心の何処かで寂しさが付き纏っていた。
忙しい任務の時は食生活が疎かになりがちで、視界に映る世界が灰色になっていた。
舞香と共にこの家で過ごすようになり、日々の生活が少しずつ変化していった。
家に帰ってくると、「おかえりなさい」と微笑みながら舞香が出迎えてくれる。
温かい食事を準備してくれて、共に食卓を囲む。
任務がない時に、世間話をしながら一緒に料理を作る時間も楽しい。
自炊が増えてそこそこスキルは上達したが、舞香の料理の腕前には敵わないと感じた。
彼女の作る肉じゃがや魚料理が美味しくて…すっかり胃袋を掴まれてしまった。
商店街で買い物したり、ゲームセンターや博物館、映画館へ行ったりして、二人で休日を満喫する。
まるで、結婚したばかりの夫婦になった気分だ。
そして、傑が抱えている問題に対して、舞香は真摯に耳を傾けてくれた。
子どものように怯えて泣く傑を受け止め、優しく慰めてくれた。
…空虚な心が【水】を注ぐように活力で満たされていく。
…目に映る光景が様々な色へ彩られていく。
…過去に追った心の深い傷を少しずつ癒してくれる。
舞香と過ごしていく一日一日が尊くて…
高専時代の青い春とは異なる煌めきと暖かさに満ちている。
傑は思った。
…もうこの人のいない人生はあり得ない、と。
*** ******** ***
「うん、こっちはぼちぼちやってるよ」
『あまり無茶はしないでね…きついようなら、藤基先生の所で診てもらいなさい』
両親は、傑が精神的な不調に合った一連の流れを間接的だが知っている。
学生時代、実家に戻った時に、やたらと学校の事を聞かれたり、体調を気遣われていた。
後で聞いた話だが、恩師である本宮優月から情報をもらっていたようだ。
優月も、幼い頃から傑の事を気にかけてくれていた。
傑にとって、初めて心を許せた人物であり、憧れの女性だった。
…もう会う事は難しくなってしまったけれど。
「それじゃあ、また連絡するよ。あっ、そうだ…母さん」
通話ボタンを切ろうとしたその時、傑は付け加えるようにこう続けた。
「近い内に、帰省するよ…【彼女】を連れて」
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