【20】リスタート・クエスト(マルチエンディング 2)
共同生活が始まり、二週間が経った。
思いの他、舞香は穏やかな日々を過ごしていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
時刻は午後12時18分。
帰宅した傑に、舞香は微笑みながら声をかける。
午前5時に起床して、朝食も取らないまま、傑は依頼人のもとへ向かった。
「早めに帰るよ」と言っていたので、今日中には戻ってくるとは思っていたが…意外と早かった。
「いかがでしたか?」
「呪霊の数は多かったけど、そんなに難しくはなかったよ」
「お怪我はなさそうですね」
「心配してくれてありがとう。それよりも…」
ぐぅ…と腹の虫が鳴る音が響く。
朝食抜きで、大量の呪霊相手に戦っていたのならば…言わずもがな。
つまり、今の傑はとても危険な状態だ。
「これは、早急に対応しないといけない!」と舞香はギュッと両手に拳を作る。
「今日の昼ご飯は【ナポリタン】です。どのくらい盛り付けましょうか?」
「山盛りで」
きりっとした顔つきで即答する傑に、舞香はふふっと笑みを零す。
リクエスト通りに、ナポリタンをたくさん作った。
「うん、うん…この味…たまらない!」
そう感想を呟きながら、傑は美味しそうに味わってくれる。
舞香は満足そうに頷きつつ、自分用のナポリタンの具と麺を絡めてゆっくりと食べていく。
「この間、商店街を通ったら、新しくカレー専門店ができていたよ」
「カレーですか、一度行ってみないと…!」
「あと、デパートの方で、今日から北海道展が始まったようだ。
明日辺り行ってみない?」
二人の会話は、日常の些細な事がメイン。
時々、傑は任務の内容を一部話す事があるが、あくまで必要最低限の情報だけだ。
傑が任務等でいない時は、舞香は炊事、洗濯、掃除…等、専ら家事をしている。
食品や必需品は、徒歩で数分の場所にあるスーパーや薬局で購入できるので便利だ。
傑の許可を得て、呪霊と一緒に庭の手入れもしており、観葉植物を植えてこまめに世話をしている。
大方の仕事が一段落したら、リエやコラソンと連絡を取って情報共有している。
現状、あちらの方でこれといって問題は発生していない。
週一で、呪術界の関係者が訪れてはいるようだが…(コラソンが言葉を濁しつつ、愚痴っていた)
実家の家族にも事情は話しており、母からの要望で確認の電話はし合っている。
兄の和広曰く、実家周辺で目立ったアクシデントは起きていないようだ。
週一で、祖父や伯父のもとに御三家の人が顔を出しているようだが…(震え声の兄からのマル秘情報)
そして、テレビを観たり、雑誌を読んだり、ソファーで眠る等の休憩を取る。
(こういう風に時を過ごすのは…久しぶり)
シスターとエージェント…双方の業務で多忙な日常を過ごしている舞香にとって、
ゆったりとした時間を過ごせるのはいつぶりだろうか。
(うん、幸せ…)
この時間は、限定的なものだ。
舞香はそう思いながら、ソファーで横になり、瞼を閉じて夢路へと旅立った。
それから、数日後…
その日は、朝からずっと雨が降り注いでいた。
舞香は夜中に目を覚ました。
喉が渇いたので、水分補給のために台所へ行く事にした。
ミネラルウォーターを飲んで、部屋へ戻っていたその時…
『はぁ…はぁ、はぁ…』
傑が休んでいる部屋から息を切らす声が聞こえてきた。
咄嗟に襖を開けると、布団で横たわり、苦しそうに魘されている傑の姿があった。
「傑さん、傑さん…!」
「かはっ…あぁ……舞香…ちゃん?」
瞼を薄らと開いた傑は、舞香の存在を認識した途端、彼女の腕を掴み、引き寄せた。
「わっ…」
「離れないで…ッ 頼む…傍に…いてくれ…ッ」
苦痛に耐えるかのような声で、懇願する傑。
嗚咽している彼の頭を優しく撫でながら、舞香はハッキリした口調で言った。
「お傍にいます、絶対に」
その言葉が作用したのか、傑は大声をあげながら涙を流していく。
舞香は彼の背中を撫でながら、「大丈夫、大丈夫…」と子どもをあやすように言葉をかけ続けた。
「すまない、ありがとう…」
一時間後、落ち着いた傑は気恥ずかしそうに謝罪と御礼を言った。
傑が取り乱したのは、悪夢を見た事が原因だった。
「夢の中の私は、最悪の状況だった。
あちらでは、理子ちゃんや黒井さん、灰原まで…死んでしまった」
彼が見た夢は、まさにIFの世界であった。
もしも、理子が暗殺者の手で殺されていたら?
同時に、黒井さんも手にかけられていたら?
等級違いの案件で、灰原が七海を庇って命を落としていたら?
全ての道筋が悪い方向へ向かってしまった…
――― 【最悪の世界線】
「あの盤星教の信者達が、殺された理子ちゃんを抱える悟と私の前で拍手していた…ッ!
夢だとしても…凄く醜悪で悍ましい光景だったよ」
宿敵を射殺そうと言わんばかりの鋭い眼光。
最悪の世界線の光景が、存在しない記憶として頭を支配しようとする。
心に負っている傷口に、容赦なく刃を突き立てていく。
「悟とも擦れ違ったまま、美々子と奈々子を守るために、あの集落の猿共を殺した。
呪詛師となった私はね…あの盤星教を乗っ取ったんだ」
夢の中の傑は、盤星教の代表の園田氏を殺害し、その頂点となった。
理子の死を喜んだ信者達を死ぬまで、苦しみ続けさせながら手駒として扱ったそうだ。
「呪詛師となった私を最終的に殺したのは誰だと思う?」
「…悟さん、ですか」
舞香が自ずと口にした答えに、傑は悲しそうに笑みを浮かべて「その通り」と肯定した。
「夢の中の悟は、死にゆく私に対して最後まで呪いの言葉を吐かなかった。
…なんて言ったと思う?」
傑がその台詞を口にすると、舞香は納得したように口元を緩めた。
「悟さんらしいですね。本当に…傑さんの事が大好きだったんですよ」
舞香の意見に、「うん…」と傑は目尻からは僅かに涙が溢れていた。
「傑さん、ご加減はいかがですか?」
「…大分、スッキリしたよ」
「怖い夢を見るのは、今回が初めて?」
もしかして…と思い、質問を投げかけてみると、傑は首を左右に振った。
悪夢を見るのはこれで五回目だと正直に答えてくれた。
「悪夢の内容はその都度、微妙に異なるけれど…
流れはどうであれ、私は悟達と袂を分かってしまうのは共通だった」
「辛かったでしょうに…」
悲しそうに目を伏せる舞香。
傑は「そうだね」と頷きつつ、こう続けた。
「一番辛かったのは、どの夢の中にも君が存在していなかった事だ」
「私…いなかったんですね」
「夢の中の私は呪詛師になってからも、無意識に探していたんだ。
舞香ちゃん、君の事を…」
傑は真剣な表情で、舞香の手を握りしめた。
「君がいたから、私は悟達と別れずに済んだ。
君がいるから、私は…この世界でも笑う事ができるんだ」
こちらに向けられる眼差しは、熱が籠っている。
握りしめられた手の温もりを、心地良く感じた。
捧げられた情愛が込められた言葉に、心が高鳴っていく。
(どうしよう…)
上手く言葉が返せない。
お互いに見つめ合い、緩やかに時が流れていく。
気付けば、煩い雨音はなくなり、心地よい虫の音が鳴り響く穏やかな夜へ変化していた。
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