【時和旅館】にて…
「すーさん、放してください」
リュンは眉を顰め、そう訴える。
先程、宿儺と数十年ぶりに再会した。
すぐさま「呪ってやる」と言われたのは想定内であり、彼らしいと思った。
問題は…
「俺に指図するな、小娘の癖に」
「放してくれないと、お茶が入れられないからですよ」
リュンは身動きが取れない。
…宿儺に抱き締められているからだ。
「茶はいらん」と宿儺は即答すると、右手の指先でリュンの髪を梳くようにいじる。
「髪色が変わったか」
「はい、精霊になり始めてから少しずつ…」
リュンの髪色は薄い緑だが、以前は白茶色だった。
兄は「精霊化している証」と言っていた。
これは、藤基家と本宮家の一族の先祖が関係している。
始祖となる藤基久路斗…その妻であった『美月』は精霊と人との間に生まれた混血種であった。
それゆえに、双方の家には一定の確率で精霊の加護を授かる者が生まれてくる。
特に、翡翠色の瞳を持つ者は強い能力を宿している事が多い。
さらに、該当者は【一定の条件】を満たしてしまうと、人から精霊へ進化してしまう。
実際に、先祖の中には精霊となった者が複数いた事が本宮家の関係者が綴った記録に残されていた。
そして…リュンもまたその事例の一人となった。
「その事はおいおい訊く」
それよりも…と宿儺は口端を釣り上げる。
「今は最優先すべき事がある」
「お断りします」
「おい、まだ何も言っとらんぞ」
「さっき、『呪う』と宣言されたばかりでしょう。
捕食されるのは絶対に嫌ですよ」
リュンはハッキリと拒否の言葉を告げた。
話をはぐらかしたり、遠回しに意見を言っても無駄なのだ。
十年以上の古馴染み的な付き合いがあったので、宿儺の性格をよーく知っているからだ。
「ケヒケヒッ…このやり取りも久々だ」
宿儺は懐かし気にそう言うと、リュンの髪を撫でながら目付きを鋭くする。
「俺は数十年、探し続けていた。お前をな…」
「何故ですか?」
「あの時の戦い…俺が納得したと思うか」
数十年前に行われた勝負とは…分かりやすい一対一の戦いだ。
但し、武力によって勝敗が決まるものではなかった。
「私なりに知恵を絞って提案した勝負なのに、結果が不服だなんて酷い言い草ですね」
「よう言うわ…小賢しい罠を仕掛けながら、白鼠のように逃げ切るとは、尼の分際で狡猾な手段を用いたものだ」
直接対決しても、宿儺に勝てる見込みはなかった。
だから、鬼ごっこのように逃走して、一定時間内に逃げ切れたら勝利という方式を採用させてもらった。
あの時、宿儺もその条件を了承した上で挑んだはずだ。
今更、その結果に否を唱えるとは…なんとも大人げない。
「再戦を希望しているんですか?」
「いや、違う」
返ってきた言葉に、リュンの背景に疑問符が浮かび上がる。
「結果は納得できんが、既に過ぎた事だ。
それよりもやるべき事がある」
宿儺は、耳元で囁いた…有無を言わさない低い声で。
「伊織、質問に答えろ。黙秘は許さん」
「分かりました」
リュンは怯える様子は…全くなく、平静な態度で頷いた。
「あの戦い以降、尼になったのか?」
「はい、あの後で正式にシスターになりました」
「宿の女将になるまで、尼を続けていたのか?」
「女将になる前に一度嫁ぎましたよ」
嫁いだ…つまり【結婚】したという事。
その言葉が出るや、一気に氷点下へ周囲の温度が下がっていく。
「おい…それは誠か?」
「その冬眠から理不尽に起こされた凶暴な熊みたいな顔、やめてくださいな」
話しづらくなります、とリュンが困った顔で殺気をしまうようにお願いする。
宿儺はチッと舌打ちしつつ、殺気を抑えると話を続けるように促す。
「いい方と巡り会えまして、お付き合いをした上で結婚しました」
「相手は?」
「異世界に住んでいる方で、私より年上の…素敵な人でした」
結婚した相手…夫の事を思い出したのだろうか。
ふふっとリュンは破顔させる。
「夫が他界して、子どもも独り立ちしてから再びシスターに戻りました。
それから、色々あってこの領域を生み出したんです」
リュンは夫や子どもの詳細は語らずに、簡潔にそう説明した。
語ったら、宿儺が身内に危害を加える事をすぐに想像できたからだ。
「くだらん」
「自分から聞いておいて、感想がそれですか」
案の定、宿儺は気に入らないと言わんばかりにその一言を口にした。
数十年経っても、呪いの王である彼はどこまでも自分本位な人だ。
「そして、気に食わん。
お前の身体を暴いた何処の馬の骨か分からんその男も、それを受け入れたお前も…」
宿儺は、大いに不快という心情を顔に露わにする。
彼の中では、未だにリュンは己の贄という位置付けのようだ。
自分のものはなんであろうと、他人に奪われる事を断固として拒否する姿勢も変わらない。
ブレない人だ…とリュンは苦笑する。
「私はもう貴方の贄ではありませんよ」
それでも、リュンはその事実を告げる。
宿儺がどう主張しようと、リュンは彼のものではないのだから。
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