【時和旅館】にて…
(あの人…仕事の合間に書いてくれたのね)
たくさんの手紙の中で、最も多い差出人は夫だ。
文章はそんなに長くない、まるでこちらに話しかけてくる内容だった。
『体調は? ムリしてねえか?』
『こっちは問題ない。問題なのは仕事量が半端ねえ事だけだ』
『仕事がなかなか終わらなくて、正直飽きちまった』
『ハルに見つかって、脱走が失敗した』
『今日は気分転換に料理を作った。初めて作ったにしては上出来だった…味以外は』
『だめだ。気分が乗らねえー、モチモチプニプニしたい』
『あともうちょっとで終わる。そしたら…そっちに行ける』
『お前がいないと寂しいよ、エリザベス』
「…私もよ。メリオダス」
手に持つ最新の手紙に、エリザベスはそっと口付けする。
「早く貴方に会いたい…大好き」
最愛の夫の名前と、内に溢れる思いを言霊にした。
【療養先の旅館にて…(寄り添う人と巡り会う者)】
近くにある東屋へ行こうとした…その時だった。
―――バサバサバサッ!
「あっ…」
最寄りの木に止まっていた小鳥達が一斉に飛び出した。
リュンは大きく目を見張る。
領域内の動植物が普段とは異なる反応が出る時…
それは、領域内に入る許可をしていない人物が侵入したサインである。
雑木林が強風に煽られた時の如く、忙しなく揺れている。
音程を外した楽器のように、葉擦れの音がざわざわと胸に形容し難い不安をもたらしていく。
(この感覚は…)
子どもの頃に、常に感じていた圧倒的な邪悪で…懐かしい気配。
俄かに信じられないが、同時に心のどこかで納得している自分がいる。
こちらへ近づいてくる【存在】がいつか、何かしらの手段で現世に出現してしまう…
そういう少数的な可能性を予想していたからだ。
徐に振り返ると、向かい側から花畑を進んでくる人物がいた。
20代くらいの黒髪の着物姿の男性。
…あの頃と姿形は全く異なっている。
それでも、リュンは確信していた。
「なんとも、平穏で退屈な領域だ」
着物から見え隠れする腕や顔に刻まれている紋様。
鮮血を彷彿とさせる瞳の色。
白い花…鈴蘭だけを遠慮なく踏みつけながら移動してくるその男性には、あの人の特徴があった。
「結界内の修復は済んだようだな。ご苦労な事だ」
そして、近距離まで来た途端、男性は閉じていたもう二対の目を開いた。
ああ、間違いない…あの人だ。
それでも、困惑の感情を表に出さないように口を開いた。
「どちら様でしょうか?」
「とぼける気か? 人から離れつつある身でも、お前が纏う【力】は見間違えん」
他人の振りをするのは無駄のようだ。
でも…とリュンは肩を竦めてこう言い返した。
「この姿では『初めまして』ですよ、両面宿儺様」
「ケヒッ、屁理屈を捏ねるか」
「実際そうじゃないですか」
「そうなると、俺のこの姿も初となる。
まあ、細かい事はどうでもいい…」
宿儺はそう言うと、リュンの顔へ手を近づけてきた。
リュンは一歩後退しようとするが、彼はそれを許す事なく仮面を奪った。
「このような小細工で、己の力を制限するとは…くだらん事をする」
「返してください」
「それよりも、面を隠すな」
宿儺の指先が、リュンの頬に触れる。
ヒヤリと冷たい指の感触に、思わず眉根を寄せてしまう。
「やめてくださいよ」
「ケヒケヒッ、断る」
独特の特徴的な嗤いも、意地悪なところも変わっていない。
無意味だと分かりつつも、不遜な態度の彼に抗議する意味でジト目で見据える。
「久しいな、会いたかったぞ。ウィッチ」
「私はその逆ですよ、すーさん」
本音を口にするとともに、数十年ぶりに彼の事を愛称で呼んでいた。
その事に気を良くしたのか、宿儺は口元を緩く上げた。
「逃がさんぞ―――『伊織』」
久方ぶりに呼ばれる人間だった頃の名前。
不意を突かれるように、額に彼の唇の温かい感触が伝わる。
「あの時の続きだ。存分に呪ってやる」
物騒な言葉とは裏腹の行動と…耳元で囁かれる多少の甘さと熱を孕んだ声音。
宿儺の意図はまだ分からないが、リュンは困った表情で思った。
…「面倒な事になりそう」だと。
【つづく】
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