第2章:長期任務の幕開け


エレンピオス総合病院の個室から、若い女性の看護師が一人扉を開けて入室してきた。


「カルタベラさん、点滴の時間ですよ」

「…………………はい」


その部屋に入院している20代の男性患者は消え入りそうな小声でそう返事した。


「今日は寒いですね、黒匣で部屋の温度を高くしましょうか」

「………………」


看護師の言葉に、青年は口を閉ざしたまま答えない。

その瞳は光を灯さず虚ろであり、看護師がいくら声をかけてもほぼ喋る事無く、ぼぉーと天井の上を見つめていた。


「お疲れ様、今日はどうだった?」


ナースステーションに戻った看護師に、同僚が声をかけた。


「うん、大人しかったわ」

「そう…よかったわね」

「大人しかったって…どなたの話ですか?」


病院に所属してまだ半年の新人が、先輩二人の話に参加し尋ねると…


「505号室のサイラス・ティル・カルタベラさんの事よ」

「あ、クランスピア社の入社試験で事件に遭遇しちゃった人ですかぁー。あれって犯人まだ捕まってないんですよね?」


ナースステーションには彼女達以外に誰もいない。

ここぞとばかりに、深夜の内緒話に花を咲かせていく。


「でも、此処だけの話。あの事件、もともとクランスピア社が無断で現場の個人クリニックに侵入したって話よ」

「潜入調査とか…でも、大企業ってなにかと黒い噂もあるみたいだし」

「シッ、その辺の事はあまり深入りしない方がいいわよ。誰が聴いてるか分からないんだから」

「でも、カルタベラさんも災難ですよねー…事件に巻き込まれちゃうわ、入社試験には不採用になるわ」


新人看護師が話を患者であるサイラスの話題に戻し、彼に同情する発言をする。

事件に遭遇しただけでなく、目当ての会社の試験にすら落ちてしまったのだ。

それが原因で、彼が精神的に大きなダメージを受けてしまった事は否めない。


「初めの頃なんて、凄く精神状態が不安定だったのよ。取り乱して暴れるなんて日常茶飯事で…」

「ご両親もあまりお見舞いに来てくれないんですよねぇ…なんていうか上流階級って華やかそうで家庭環境って複雑なんですねー」


サイラスの父母は入院から数回程度、顔を出しただけで後は使用人に世話を任せっきりにしている。

二週間に一回、姉と弟が様子を見に来ている事から、姉弟関係の方は両親に比べて悪くないのが救いだろうか…。


「あ、でも最近は家族以外にお見舞いに来る人がいるみたいよ」


先輩看護師がふと思い出したように言った。


「え、初耳です!」

「親戚の方?」

「友達か卒業した学校の先輩じゃないかしら?…結構、イケメンだったわよぉー」


先輩看護師のその言葉に、同僚と後輩は歓喜の声を漏らす。


「えぇ~、マジで!」

「どんな人ですか!?」

「背がかなり高くて、銀髪の彫りの深い俳優さんみたいな人! 30代手前で大人の色気が漂ってたわぁ」

「うわぁー、みてみたーいv」

「一週間に一回はお見舞いしにきているから、その内会えるわよ、きっと」


キャッキャッと話に盛り上がる看護師達。

時刻は、午前三時にさしかかっていた。

この時間帯は、医療関係者や急患を除くと、人の出入りは制限されている。

そのため、人の行き来はないはずだが…


「…? ねえ、今誰か通り過ぎなかった?」

「気の所為でしょう」


雑談に夢中な彼女達は全く気付かなかった。

…病院内に密かに忍び込んだ人物がいる事を。




【つながりの連鎖】




五階の個室の扉が静かに開かれた。

その部屋の主である青年…サイラスは瞼を閉じて眠りについている。

侵入者は足音を立てずに、寝ている彼の傍に近づく。

窓から差し込む月明かりにより、その姿が照らし出される。

黒紫色の髪に、ストレートパートの髭を生やしている30代の男性。

マントを着用し、腰には細身の剣を装備している…明らかにエレンピオスでは見られない格好だ。


「…いるんだろ? 隠れてたら話しづらいから出てきてほしいんだけどね」


男性はサイラスに向かってそう言った。

…いや、正確には‟彼の中にいる人物”に。


『やけに早めの到着じゃねえか、モンスピート』


どこからか、誰かの声が聞こえてくるのと同時にサイラスの身体から黒い靄が現れる。

それらは窓付近へと集まっていく。


「よく言うよ、時間指定をしたのはお前だろ」


男性…モンスピートは呆れた顔で指摘した。

大量の黒い靄が凝縮され、瞬時に拡散するや、長身の銀髪の男性が姿を現した。


「二ヵ月ぶりの再会だ…積もる話をしようじゃないの、エスタロッサ」


仲間の言葉に、銀髪の男性…エスタロッサは口元に綺麗な弧を描いた。





【つづく】

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