【6】記念小説集
お風呂から出て髪を拭くと、エルは足早に玄関へ向かう。
「…やっぱり帰ってきてないね」
「にゃ~…」
つまり、3人は今夜は野宿をしているのだ。
エルは、寂しそうに顔を俯ける。
そんな少女の足元に、ルルは擦り寄る。
「ありがと、ルル…」
「なーう」
エルはふふっと笑って、しゃがみこむとルルの背中をヨシヨシと撫でる。
ルルは不思議な猫だ。
今みたいに、エルの心を慰めるような仕草をしたり、気まずい雰囲気が漂ったりすると、場を和ませたりと行動を起こす事がある。
ルルの事を「まるで、人間みたいだな」とシンが以前そう表現していた。
彼の言う通り、気配りができる猫なんてそうそういないだろう。
『ペットは飼い主に似る』という言葉があるから、ルルはもしかしたらルドガーの影響を受けたのかもしれない。
「エルちゃん、そろそろ10時になりますよ」
就寝の時間を告げるリエの声が、エルの耳に伝わる。
「……」
本当はもうちょっとだけ、此処にいたい…。
でも、さっきリエから言われた事を思い出して…エルは仕方なさそうに踵を返そうとした。
「エルちゃん…どうしたの?」
リビングから顔を出したリエが、エルの様子が気になったのか尋ねる。
「……ごめんなさい、リエさん。…まだ起きていたい」
「理由を聞かせてもらえますか?」
リエは怒る事なく、平静にエルが眠りたくない理由を訊いた。
「ルドガーも…シンも…シズクも…もしかしたら、夜おそくに帰ってくるかもしれない。
もし、3人が帰ってきて…みんな眠ってて、『おかえり』って言うヒトがいないと寂しいよ」
エルは語った。
まだ5歳の頃…父が急な仕事で家から離れた事があった。
父のいない家は、幼いエルにとっていつも以上にとても広かった。
家を空けたのはたったの数時間程度だったが、当時のエルにはとても長く感じられた。
父が帰宅した時、エルは「おかえり!」と言って力いっぱい抱き付いた。
『ただいま…エルの【おかえり】を聞いたおかげで、疲れが吹き飛んじゃったよ』
すると、父は一瞬驚いたものの、すぐに笑顔でそう告げてエルの頭を優しく撫でながら抱きしめてくれた。
誰かが待ってくれている事は、その人にとってとても嬉しい事なのだと、この時エルは初めて知った。
だから、ルドガー達に『おかえり』を言いたい。
そうする事で、3人の疲れを少しでも癒してあげたい。
…思っている事をすべて打ち明けた。
エルは、恐る恐るリエの表情を上目遣いで確かめる。
「でも、そうなると…エルちゃんは夜更かしをしてしまう事になりますね」
リエは、うーんと少々眉を寄せて難を示す言葉を口にする。
やっぱりダメみたいだ…。
エルは、半ば諦めたようにハァ…と視線を落とす。
「子どもは寝ないと大きくなれません」
「………はい」
「でも、時と場合によっては、子ども時代にしかできないイベントを挑戦するのも大切な事です」
「えっ…?」
「エルちゃん、貴方に特別任務をお願いします。
『いっしょに、夜の貴重な時間を過ごしませんか?』」
茶目っ気のある、魅惑的な提案。
エルは目をパチクリさせ、その意味をすぐに理解すると破顔した。
*** ***** ***
「今日は少し冷えるから、何か温かい物を飲みましょう」
エルにとって初めての単独任務は、リビングルームで行う事になった。
(初めての任務…エルにとって、初めての…)
エルはドキドキしている。
まさか、リエが夜遅くまで起きる事を許可してくれるなんて思わなかった。
時刻は、夜9時半となった。
この時間帯はいつも寝ているため、エルにとっては未知の領域である。
「はい、ホットミルクをどうぞ」
「いただきまーす」
差し出されたマグカップを手に取ると、エルはふーふーと息を吹きかけながら、ちびちびとホットミルクを飲む。
ほのかに甘いミルクが、少々冷えていた身体にぬくもりを与える。
「おいし…」
ふぅ…と一息つくエル。
リエが、床暖房のスイッチを入れてくれたおかげで、徐々に足元からポカポカと温かくなっていく。
ふと窓の方に視線を向けると…外は真っ暗だ。
エルが知っている夜の風景とは違う、星の光すらない濃い闇が広がっている。
(…なんかこわい)
近付いたら、吸い込まれそうだ。
エルは自ずと窓から遠ざかろうと、ソファの隅から中央へ移動する。
「閉めましょうか」
すると、エルの様子を察したのか、リエが窓のカーテンを閉めた。
「さて…今から、任務を始めます」
「うん! 何すればいい?」
「そうですね…」
リエは口元に手を添えて思案する。
数分後に、そうだと思いついたように呟くとリビングルームを一旦出て行った。
(…まだかなぁ)
その間、エルは足をプラプラさせながら待つ。
5分経過して、リエが両手に荷物を持って戻ってきて、テーブルにそれらを広げた。
「時間を楽しく過ごすためのアイテムを持ってきました」
トランプ、ボードゲーム、パズル…など、時間を有意義に使うには欠かせないものを一通り集めてきたのだ。
エルはおおっ…と目を大きく見開いて、にっこりと笑顔のリエとゲームの数々を交互に見つめる。
「どれにしますか?」
「うーん…じゃあ、トランプから!」
こうして、『特別任務』は始まった。
「はい、これとこれ」
「すごー…リエさん」
トランプの神経衰弱では、リエの記憶力の良さにエルは感嘆し…
「次は、オセロしよ!」
「白はエルちゃんで、黒は私ね」
「やったー! 勝った!」
「ふふ、よかったですね」
オセロの結果は、エルは8ゲーム中3勝できた。
なかなか強いリエを相手に、3回勝てた事にエルは自分の事をちょっと誇らしく思えた。
「そぉーと、そぉ~と…」
「ゆっくり、ゆっくり」
「もうちょっと、ってあぁ~!」
「惜しかったですね」
長方形型の木の棒をタワー型に並べたゲームは、一本ずつ棒を抜いていく過程にドキドキした。
残りの数が少なくなって、タワーが崩れないように抜き取るのは難しく、何度か途中で倒れてしまったりした。
それでも、刻々と刻まれていく時間を忘れるくらい、エルはリエと遊ぶのに夢中になった。
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