プロローグ
人気の多い商店街から大分離れた閑静な住宅街。
さらに、その区域から南西部に位置するところに、かつて洋館があった。
そこの主…男性は、地元では名の知れた富豪であった。
遡る事約70年前の大戦後、裸一貫で事業を始めて高度経済成長を通じてのしあがっていき、
小さな雑貨屋を今では名前が浸透している某有名企業にまで成長させた経歴の持ち主だ。
男性は、幼い頃から好奇心旺盛な性格だった。
興味あるモノはとことん食いついた。
戦前は生家が貿易業を営んでいた事もあって、外国から輸入された雑誌や書物なんかは、幼い彼の探求心をくすぐるものだった。
文章を理解するために語学を学んだ。
英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、中国語…
そのおかげで、貿易の取引の際に外国人と話すのに苦労せずに済んだ。
また、男性は広い視野を持ち合わせていた。
急成長する会社を運営する上層部にはワンマンな体質な人物が少なくない。
事実、そういった体質がはびこっている所為で、現代社会におけるニーズと合わなくなってきて、一種の軋轢を生むところもある。
男性は早い段階から未来において、その体質が何がしらの不利益をもたらす可能性がある事を見据えていた。
――――【思い立ったが吉日】
――――【鉄は熱いうちに打て】
そのことわざに従うかのように、男性は会社内部の改善にも努めていった。
年功序列ではなく実力次第で昇進するシステムを構築し、勤務態度や功績なども評価していく事で、社員のやる気を促した。
また、有給制度やリフレッシュ休暇、女性社員の率先雇用や出産・育児休業等を早期導入する事で、過労死防止や
早期退職したくない社員への配慮をしていった。
近年では、問題化しているセクハラやパワハラ、モラハラなどの対応もした。
心を痛めた社員のためのカウンセラー室の設置や、どうしても名前を明かしたくない人物の為の相談窓口も設けた。
そんな経緯もあってか、男性は多くの社員に慕われていた。
敵も多少はいたものの、きさくで明るい性格ゆえに、色んな人が彼の下に集まった。
ただ、彼が唯一恵まれなかったのは家族だった。
両親は政略結婚だった。
不仲ではないものの、互いに外で愛人をつくっていたビジネスライクな関係だった。
家に仕えていた使用人達が愛情を注いでくれたおかげで、捻くれた性格にならずに済んだのが幸いだろう。
腹違いの弟と妹はいたが、その出生ゆえに引け目を感じていたようで、兄である男性とは距離を置いていた。
思春期に突入した弟は父親に反発して家出してしまい、それきり。
妹は、婚約者がいる上流階級の青年と恋に落ちてしまい、双方の家からの大きな反発を退ける形で駆け落ちしてしまった。
男性は結婚した。
相手は、秘書を務めていた一般家庭出身の女性。
格式を重んじる自尊心が高かった母親とは真逆の家庭的で優しい素朴な女性だった。
男性にとって、初めて愛した異性だった。
しかし、妻となった女性は十年後に病が原因で他界してしまう。
男性は泣いた。
子どものように、ワンワンと号泣した。
それだけ、男性は妻の事を愛していた。
男性はそれ以来、独身を貫きとおした。
高い地位と名声に媚を売ってきたり、愛人になりたがる女性もいた。
後妻にと娘を勧めてくる者もいた。
それでも、男性はその誘いを断った…相手に不快を与えないよう巧妙に。
男性は悲しみを振り切るかのように、仕事だけでなく多彩な趣味に没頭していった。
骨董や絵画、釣り、園芸…中高年層が好みそうなものは一通り嗜んだし、趣味を通じて友達もできた。
しかし、男性はそれだけでは満足できずに、新たなジャンルへ足を踏み入れた。
最初はなんとなくだった。
若い小中学生が電車内で夢中になって読んでいる雑誌に目がいった。
…【漫画】と呼ばれるジャンル。
試しに、最寄りの書店によって同じものを購入してみて読んでみた。
なんだこれ…面白いじゃないか…!
まだ幼少期だった頃に、洋書を初めて読んだ時のあの興奮が蘇った。
いっぱいあるタイトルの中から、いくつかの作品がお気に入りとなった。
単行本も一括払いで購入して、読み漁った。
また、別の雑誌にも目をつけて買ってみたが、それもまた彼の心を射止める作品と巡り合わせたのだ。
少年、青年系は勿論の事、拝読の範囲をさらに少女漫画にまで幅を広げていき、気付けば、新入社員の男女と話が合うようになっていた。
その頃には、男性は一般の企業の定年退職年齢をとっくに過ぎてしまっていた。
彼是数十年、がむしゃらに働き続けて、老後の貯蓄も十分溜めたし、信頼できる社員を後継者に任命し終えていた。
もう頃合いだな…と思った男性は、引き止める上役達を説得し、たくさんの社員から名残惜しまれながら引退した。
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