【5】『ハレ』のイベントは少女と軍神を魅了する
「やっぱりこの町にも誰もいない。
ヒトはみんなアレと一緒。
アレといっしょの楽しいユメからずっと目覚めない。
アレと一緒の時間はユメ。ユメみたいな素敵な時間。
アレはどんなこともかなえてくれる。
ヒトがこうあってほしいようにしてくれる。
ヒトがこうあってほしいようにいてくれる。
アレはヒトじゃないからヒトのユメになれる。
でもアレにもひとつだけできないことがある。
アレはヒトにはなれない。代わりにはなれてもヒトにはなれない。
それはアタシが良く知ってるアタシだから良く知ってる。
アタシは今日も『アタシだけのヒト』を探す。
アタシがアタシだから好きになってくれるヒト。
アタシがユメをかなえられなくても好きでいてくれるヒト…」
絨毯が敷かれた床に楽な姿勢で腰を下ろしたハルは絵本を広げ、そこに書かれている文章を読み上げていく。
向かい側には、足を延ばしたいつきと正座をする謙信がハルの音読に耳を傾けている。
「これなら、話の内容が分かるでしょう」
「うん!」
ハルは、ゆっくりと感情を込めて言葉を生み出していく。
その声音は、聞いているいつきと謙信の心に安らぎをもたらしていく。
「…母ちゃんがいた頃、寝る時におらにお伽噺を聞かせてくれたっけ」
話を聞きながら、いつきは頭の中に当時の記憶が蘇る。
彼女の言う『母ちゃん』とは、血の繋がった母親ではなく、純白の透き通った羽のエクレシアの事。
悪い侍の手下に悪戦苦闘していた際に助けてくれたのがその人だった。
ほんの数ヶ月の間だけど、寝食を共にして過ごした。
彼女はいつきの事を実の娘のように接し、いつきもまた彼女の事を母親のように思うようになった。
彼女を時々『母ちゃん』と言うようになったのも、それが大きく影響している。
「はい、おしまい」
物語が終わり、ハルはぱたんと絵本の頁を閉めた。
「どうだった?」
「うん…すごくよかったべ!」
「普段は黙読する物語でも、音読すると違った面白さがありますね」
いつきと謙信の感想を聞いたハルは「ならよかった」と穏やかに目を細める。
「続きはどうしますか?」
「是非お願いします」
「おらも! その話、もっと聞きたいべ!」
ハルの確認の問いに、二人は音読の続行をお願いした。
かしこまりました…とハルは三冊目となる絵本を開く。
それから、その絵本の最終巻まで読みあげると、さらにいつきからのリクエストで
絵本以外の児童文学書の音読もする事になった。
時間は流れて、三時間後。
ハルが落ち着いた口調で物語の結末を締めくくると、二人はパチパチと拍手する。
「ありがとうございます…とても奥深い物語でした」
「にいちゃんの声が頭の中にすぅーって入ってきて、目の前に話の主人公とかがいるみてぇだったべ!」
「音読をするのは久々だったが…これほど高評価をもらえるのは冥利に尽きるな」
謙信といつきの感想に、ハルは口元を緩める。
すると、いつきが部屋をぐるりと探るように視線を動かしていく。
「これだけいっぱいの本、読むのに苦労しそうだべ…」
「ここだけではなく、他の部屋にもまだまだたくさんありますよ」
「うわぁ…目が回りそうだぁ」
薬草を噛みしめたように苦い顔になるいつきに、謙信はクスクスと笑う。
「もっと時間があったらいいのに…」
が音ハル読してくれたおかげで、何冊かの御伽噺を知る事ができたし、楽しかった。
でも、帰る準備が整ったら二度とこの店に来る事はできないだろう。
「なら、別の日に来たらいい」
「えっ…?」
残念そうに呟くいつきに、ハルが意外な言葉を言った。
「いつきちゃんが時間がとれる時に、この店に通ったらいいんじゃないかな?」
「おら、もう一度この店に来れるの…?」
「証拠なら、目の前にいるでしょう」
半信半疑のいつきに、謙信が胸に手を当てながらその疑惑を晴らした。
そうだった…!
いつきはこれでもか、というくらい目を大きく見開いた。
「いつきちゃんはどうしたい?」
店主からの二度目の質問。
10代前半の子どもにとって、その誘いは夢の国への通行許可証を得るに等しい魅惑を放っていた。
「…おらは――――」
考え抜いた末、いつきは返答した。
その時の彼女の表情に…後悔の色は全く見当たらなかった。
【『ハレ』のイベントは少女と軍神を魅了する】
『ハルのにいちゃん、ありがとな!』
『恩にきりますべぇー!』
いつきと村人の吾作を故郷の村へ送り届けると、は自ハルらの店へ戻った。
帰宅直後に、ちょうど謙信が店から出てきた。
「おかえりで?」
「ええ、夕刻が近づいておりますゆえ」
暁色が広がる空を眺めながら、謙信は思った。
うつくしきつるぎも任務を終えて、帰還しているやもしれない。
…早く帰らなくては、麗しい彼女を悲しませてしまう。
「今日はいつも以上に充実した時間を過ごせました。ありがとうございます」
同じ世界に住む縁のある知人と再会でき、なおかつこの店に通う仲間が増えた事が嬉しかった。
『新しい』お客が増えた事で、ハルにとっても実りある一日だったはずだ。
そして、店長直々の音読を聞けるという珍しいイベントに関われて…
とても貴重な体験ができた事が謙信に不思議な満足感をもたらしていた。
「また、貴方の語りを聞きたいですね」
「お望みとあれば、いつでも」
戻ってきた色よい返事に、謙信は口端を微かにあげる。
「――――それは楽しみです」
今度訪れるのは三日後。
お言葉に甘えてリクエストさせてもらおう。
胸を膨らませ、謙信は門をくぐり、異空間の道の先にある城へ家路に着いた。
【つづく】
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