【36】満月の夜の来訪者


ぶどうジュースの最後のペットボトルが半分となった。


(飲み足りない…追加しようか)


ポテトチップスもほぼなくなった。

代わりのつまみを用意しようか…と思い、椅子から立ち上がろうとした。


「…ん?」


だが、ある気配を感知してやめた。

向かい側に設置されていた椅子に目を向けると…

先程まで無人だったのに…男性が腰を下ろしていた。


「よう、季節外れの月見とは気が早ぇなァ」

「こんばんは、鯉さんもこんな夜遅くに散歩かい?」


ハルは警戒する事無く微笑する。

やや癖のある流れるような長い黒髪。

縦縞模様の着流しを着こなし、悠々と笑う蠱惑的な風貌の男性。


彼…奴良 鯉伴とは長い付き合いである。

前触れもなくふらりと出現して、いつの間にかいる。

そんな彼の行動にすっかり慣れてしまっているので、ハルは普通に話しかける。



「ちょいと遊びに来たくなってな。

そしたら、月見中の現場に入っちまった」


「いいタイミングだね。

次のを持ってこようと思っていたんだ。どうする?」


「おぅ、ついでにいい酒も頼むぜ」



鯉伴は、ハルからの厚意に甘えて同席する事にした。

多少の時間をおいて、ハルは料理とビールの瓶を数本運んできた。

作った料理は…若鳥の唐揚げ、枝豆、出汁巻き卵、冷奴、豚の角煮など。

ビールも一階の冷蔵庫から取ってきたため、キンキンに冷えている。


「いいね、いいねぇ~、これぞ、夏の醍醐味だ」

「はい、ジョッキでどうぞ」

「いただきます」


ハルからジョッキを手渡されると、鯉伴は注がれたビールを飲んでいく。


「はぁ~…たまんねえなァ」


一気に飲み干すや、鯉伴は気持ちよさそうな顔でそう言った。

それから、料理を一口ずつ…ビールと共に味わっていく。


「相変わらず、ハルの作る料理はうめえな」

「そう言って頂けて光栄だね」


冷奴を箸で適度な大きさに切り分けながら、ハルは聞いた。


「鯉さん、最近はどこら辺に行った?」

「西の方だ。五~七の世界を回ったな」


鯉伴は人間と妖怪との間に生まれた混血種であり、三桁単位の年数を生きてきた。

だが、ある事件でオーブとなってしまった。

オーブとなって以降、紆余曲折を経て…

鯉伴は異世界を渡り歩く旅人となった。



「西の端の世界では、スライムが頭になって町を作ってたぞ」

「へぇ~…」


自分の好きな時に、興味を抱いた場所へ赴き、そして生活をして情報を得ていく。

ハルにとって、彼は太公望と同じく貴重な情報提供者であり…親しい協力者でもある。

西の方角にあるいくつかの世界の情勢を聞いていく内に、不穏な単語が浮上した。



「大体の世界は平穏だったが…

その内の二つは『例のやつ』が原因か、でかい事件が起きちまった。

西の端の世界では、黒い妖もどきが佃煮みてえにわんさか出没していた。

あと、三番目に行ったところは、その世界の住民には見えねえ怪しい輩が

やばい連中とつるんでいたな」


「【大変動】の影響か…厄介だな」




―――【大変動】


この世界の時間軸で一年前に起きた、星の大海にある多くの世界を震撼させた事件の総称である。


きっかけは、とある異世界で起きた男女間のトラブルが原因だ。

犯人である女性の怨霊が、特殊能力を用いた事が悲劇の始まりだった。

通常、行き来する事が不可能な平行世界を渡り歩くため、

犯人は変異した特殊能力を用いて次元を歪めてしまった。


その影響はすさまじく、世界を守っていた鍵穴が連鎖していく形で部分的にこじ開けられてしまった。

それにより、広範囲の世界でハートレスが大量に流れ込んだり、狭間の歪が現れて行方不明者が続出した。

さらに、闇の勢力が不法侵入したり、未知の能力が開花する者が出現するなど…

数多の世界を混乱の渦へ巻き込んでいった。


エクレシアをはじめ、その世界毎の関係者の働きにより、

現在は徐々に騒動は沈静化しているものの損害は計り知れない。

闇の回廊がスポット的に開かれてしまい、そこから異世界の住民が彷徨いこんだり、

魔物が侵入するなどの事件が今も尚発生している。


ちなみに、鯉伴の言う『黒い妖もどき』とは、【ハートレス】の事を指している。

住民ではない怪しい輩は、闇の勢力やアプリヘンデの事だと思われる。



「ま、俺の出る幕はあんまりなかったがな」



鯉伴はフッと一笑して肩を竦める。

鯉伴は少々手伝いはしたが、二つの世界で起きた事件に関しては

各世界の住民や関係者が対応して解決したようだ。

その事を聞いて、ハルもほっとした。



「この世界はどうだ?」


「一部の町では、魔法が関わる不思議な出来事があったり、

事件の発生件数が多かったりするけれど…

異世界絡みのものは起きていないよ」



貸本屋【双月文庫】があるこの世界は、少し光寄りの狭間の世界に位置している。

【大変動】の影響を受けなかったため、目立った異変は起きていない。

異世界の住民が時折、扉(ゲート)から出てくる事はあるが、

問題行動をしたり、犯罪を犯すような人物は迷い込んでいない。


そう……‟今のところ”は。




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