【34】イルカ先生、語り部に指名される
「いらっしゃいませ」
副店長のゲルダが微笑みを浮かべて、挨拶をしてくれた。
挨拶を返すと、イルカは周りをさっと見ていく。
一階は、客はそんなに訪れていないようだ。
見慣れた常連客が二名、その内の一人が…先日少しだけ仲良くなったツインテールの少女、ソフィであった。
「あっ、イルカ先生…こんにちは」
「こんにちは」
ゲルダに小説を返却すると、イルカはソフィに挨拶を返した。
「今日は、童話を読んでるんだね」
ソフィが手にしていた本の表紙が目に入る。
――――題名は『いばらの森の眠り姫』
イルカも読んだ事がある異国の童話だ。
「うん…前の読んじゃったから、新しいのを探してて見つけたの」
「なるほど、ソフィちゃんは読書家だな」
イルカがそう言うと、ソフィは「ううん、まだまだだよ」と返ってきた。
「私よりも、ずっと本を読んでるヒトいっぱいいるから。
イルカ先生もそうでしょう?」
「…うーん、俺は週に一回程度来れるかどうか分からないからな。
仕事もあるから、本を読める時間が限られているんだ」
「イルカ先生…大変なんだね」
「ああ、だから俺も読書家になれるように頑張ろうっていうのが今年の目標なんだ」
「そうなんだ…」
ソフィと多少の会話をした後、イルカは一階の本棚を散策する事にした。
(…おっ、この列、種類が変わってる)
一ヵ月前は『歴史』のジャンルが集まっていた棚が、今は【ファンタジー】関連の本が揃っている。
不定期にだが、ハルや他の従業員が新しい本の入荷や古くなった本の入れ替えなどを理由に配置を変える事がある。
今回もそういった理由で、ジャンルの配置替えをしたのかもしれない。
(このところ、歴史小説ばかり借りてたからな。
たまには、別のジャンルも読んでみるか…)
イルカはファンタジーの本が収まっている列を順々に見ていく。
すると、上から三番目の棚の左端の分厚い書籍が目に留まった。
「――――【夢幻物語】か」
タイトルだけは、何度か見かけた事がある物語だ。
イルカは、歴史物や他のジャンルを優先していたため、ファンタジー系の物は興味がなかった。
折角だから、この機会に読んでみようか…とイルカは第一巻を本棚から抜き取り、
近くの丸い木製の机の椅子に腰を下ろした。
本を読み始めてから二時間が経過した。
(えぇー…此処でそういう展開になるのか!)
異世界を舞台にした物語だが、次へ次へと読み進めていける程に夢中になっていた。
ハルの魔法でこちらの言語に翻訳されているとはいえ、元々著者の描き方が巧みなのだろう。
気付けば、起承転結の『転』の部分まできていた。
「今日はいつもよりお客様が少ないですね」
「うん、そうだね」
イルカが視線を本から外したのは、その会話が聴こえてきた時だった。
その方へ目を向けると、ソフィと…桃色のショートヘアーの女子、エステルの二人がいた。
…内容は些細な世間話のようだ。
「エステル…ユーリ、今日は来てないの?」
「はい。別の仕事が入りまして、代わりにフレンが同行してくれているんです」
エステルがそう言いながら、ちらりと斜め後ろをちらっと見る。
そこには、異国の騎士の姿をした金髪の青年が簡易椅子に座っており、
エステルの視線に対して小さく頷いた。
(へぇー…彼がいつもの人の代理なのか)
エステルは故郷では身分の高い令嬢らしく、店に訪れる際は護衛も同行している。
彼女とは挨拶ぐらいしかした事はないが、貴族特有の傲慢さはなく、
店の利用客とも親しくなっている礼儀正しい良識的な人だ。
「ハルさんって、いつから貸本屋を始めたのかな?」
話の最中、ソフィがふとした疑問を口にした。
「確か…このお店が始まったのは10年前みたいですよ。
その時からでしょうか?」
「いや、その前からじゃ」
二人が話している最中、間に入るように第三者が参加してきた。
それは…現在進行形で、大きく欠伸をしながら階段から降りてくる青年だ。
「太公望さん」
「ふぁー…ハルから聞いた話じゃ。
あやつは随分前から世界を転々しながら貸本屋を続けているようだぞ」
「そうなんだ…」
「それでは、此処に移転する前はどちらにいらっしゃったんでしょう?」
エステルがはてなと小首をかしげて質問すると、太公望はうーむ…と面倒くさそうに
人差し指で頬を掻く。
「生憎、儂はこの店が開店した時から通っておる身でな。
かつての店の事は知らん」
「そうですか…」
「むしろ、儂より古参の者に訊いてみてはどうだ?
そうじゃのぅ…」
太公望がふーむ…と顎に手を当てて、怠そうな目で周囲を見渡していく。
そして、視線が止まった先…人物に向けて言った。
「すまんが…解説役を引き受けてくれ。イルカ」
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