すだちの魔王城

「なあ、頼むよ! どうしても欲しいんだよ!」
すだち屋の開店時間よりほんの少し遅い時間。住居としている小さな小屋からのんびり歩いてきたアッシュが店の扉を開けようとドアノブに手を伸ばした時。店の中から客だろう者による大きな声が聞こえてきた。
「申し訳ないのですが、当店では取扱いはしてませんので……」
「取り寄せとか出来ないのか?!」
「うぅん、難しいですねぇ……」
一体何を欲しているのかは分からないが、必死な様子の客と心底困った様子のムラビトの声が、店の外にまで響いている。
この店に用意出来る物で、そんなに粘るほど欲しくなるような物があっただろうか。首を傾げながらもアッシュは扉を開き、「はよーっす」という緩い挨拶と共に店内へ入った。
「あ、おはようございます。アッシュさん」
挨拶と共にこちらを向いたムラビトの顔は眉が垂れ下がっており、いかにも困っていますという表情だ。そんな彼の前には、先程の声の主と思われる男が一人立っていて、男もムラビトとほぼ同時にアッシュの方へ顔を向けてきた。
「お客さん?」
「そうなんですけど……」
アッシュが男の方を見ながら確認する。それに対するムラビトの返事は歯切れが悪い。客ではあるのだが、迷惑客になりかけている困った相手ということだろう。
「あ。あんた! この店で働いてるそっくりさん芸人!」
さて、どうしたものかと考えていると、男がアッシュへ近づいてきた。いつまでも埒のあかない店長と話を続けるよりも、下っ端を説得して協力してもらおうという魂胆だろうか。例え相手の思惑に見当がついたとしても、従業員としては客への対応はきちんとしなければならない。
「そうっすよ」
「あんたからも店長さんを説得してくれよ! 客がこんなに欲しがってる物があるんだから、どうにか取り寄せとかさあ! 出来るでしょ?」
「今来たばっかりだから、詳しい話を俺知らないんすよ。お客さんは何がそんなに欲しいんすか」
唾が飛んでくる勢いで詰め寄られ、こいつは面倒くさい奴だと直感した。道具屋の裏事情故に扱えない物があるのは自分も最近まで知らなかったし、店員に詰め寄った経験もある。
だからこのように言ってくる相手を責める権利も己には無いが、ものには限度というものがあるのだ。男の欲しがっている物によっては、どのように相手を諦めさせられるかという方向に頭を回し始めているがそれも仕方ないだろう。態度の悪すぎる客が悪い。
「勇者公認店ならあるでしょ? 勇者様の髪の毛や血液。それを売ってくれって頼んでんだよ!」
あるわけないだろう。
思わずアッシュは、こいつは一体何を言っているんだという視線を客に向けてしまったがムラビトは無言を貫いた。彼も全くの同意見だからだろうか。
「……うちは道具屋なんで生モノの取扱いはしておりませんね」
「……公認店のくせに使えねぇなあ」
下っ端従業員も説得出来ないと分かった途端に態度が悪くなった客に、一瞬だけアッシュはピキリと血管が浮かんできてしまう。しかし顔には出さないようにして、ふうと小さく息を吐いてなんとか気持ちを落ち着けた。
「大体お客様は、なぜ勇者様の毛髪や血液をご所望なのですか……」
問いかけというよりは、ただ疑問が口からスルリと出てきただけの言い方だったが、そんなムラビトに客は顔を向けた。
「等身大の勇者様人形を作るんだよ。ほら、外側は作り物でもさ、本人の髪の毛や血を入れたら、それはもはや本人と言っても過言じゃないだろ。ファンなら本人に傍にいてほしいじゃん」
客は丁寧に説明してくれたが視線は「こいつ、そんなことも分からないのか」と物語っているし、聞かされた二人には理解が及ばない。男の言っている内容はどう考えても過言である。
二人の様子を見て話が通じないと思ったのか、男は店内に響きわたるほどのため息をわざとらしくつきながら、鋭い目つきでアッシュの方を見た。
「もうこの際偽物芸人でもいいよ。あんたの髪の毛くれよ。でもまあ、あんたは偽物なんだしタダでも良いだろ?」
男がそう言うや否や、ムラビトがカウンターからガタッと激しい勢いで出てきて男を押して店の外へ追いやっていく。
「駄目です! いい加減にしてくださいっ。お客様相手でもっ、うちの大切な従業員を侮辱するのは許せません! お客様っ、今すぐっお帰りをっ、願えますかっ!」
少し息を切らしながらも叫びながらグイグイ押されることに腹が立ったのか、男がムラビトの方へ振り返りながら拳を振り上げた。ムラビトの体が影になっていてアッシュは少し気付くのが遅れたが、それでも何とか間一髪。ムラビトが殴られないように二人の間に入りこんで腕を掴む。
ホッと息を吐きながら男の方をギロリと睨み付けると、相手もまるで親の仇を目の前にしているかのようにこちらを見ている。しかし分が悪いことはわかっているのか、舌打ちしながら掴まれた腕を思いきり振って、足を踏み鳴らしながら無言でそのまま店の外へ出ていった。
けたたましく鳴り響いたドアベルと共に男がいなくなり、店内は一気に静けさに包まれる。激しい疲労感からか、ムラビトはズルズルと床にしゃがみこんだ。
「……変な客だったな」
「……そうですね」
もう二度と来なければ良いな、と返事を返しながら、ふと。ここへ来るまでにすれちがった村の人とした話を思い出される。疲れきったムラビトに言うのは心苦しいが、一応大切な伝達事項だろうと考え心を鬼にすることにした。
「そういえば昨日の夜にごみ捨て場とか数ヶ所でごみ漁りが発生したらしいぞ」
「えええええ……。初耳なんですけどそれぇ……」
「今朝仕入れたばかりのほかほかのお話だからな」
店で薬を調合している身としては、材料の管理・取扱い方法から廃棄にあたるまで細心の注意を払わなくてはならない。ごみ漁り野郎に持っていかれて悪用されたら一大事である為、すだち屋としても早めに知っておくべき情報であることは間違いなかった。
「伝達ありがとうございます……」
「おう」
「しかし昨夜といい、今の人といい最近変な人が増えてるんですかねえ」
「平和がウリの村なのに止めてほしいよな」
「全くですよね」
小さく不安や不満を溢しながらも、ムラビトはカウンターに戻って腰掛ける。アッシュはお気に入りのホウキを取りに、店のバックヤードへ向かう。先程の騒ぎも一応は一段落したと思い込むことにして、二人は通常の営業に戻ることにした。


*****


変な客来店事件から数日。あれからあの男は店に訪れることなく、すだち屋は平和に包まれていた。開店して少しした時間にお客さんが来てくれて、閉店時間になったら店を片付ける。そしてマオとアッシュと魔物たちと晩ごはんを囲んで食べて、と本当に平和であった。
満腹になりお風呂も入ったアッシュは珍しく眠気が来たのか、椅子に座って船をこいでいる。ムラビトは肩に何かかけた方が良いか迷ったが、マオが触れずにそのままにしておくようオススメした。その助言は意識の無い状態で人に触れられたら反射で相手に殴り掛かってしまった自身の経験によるものからだ。しかしそこまでは丁寧に本人が教えてやらなかったので、理由が分からないムラビトは腑に落ちないという感じである。
眠ってから一応しばらく待ってみたが、アッシュが起きる気配がなさそうだったので声を掛けようとムラビトが近づいた時。唐突にアッシュが瞳を大きく開き、同時に自身の腕に回復魔法をかけた。
突然起きたアッシュに驚いたムラビトも、殴りかかられるかもしれないムラビトを庇おうとしたマオも、アッシュの行動の意味が理解できないでいる。
「えぇとアッシュさん、何故いきなり回復魔法を……?」
「え?」
疑問符の浮かんだ状態のムラビトに掛けられた質問の意図が分からないアッシュは、キョトンとした顔で魔法を使用し続ける。
「だって腕折れてるからなあ……」
「はい?」
「何を言っているんだ貴様」
二人の反応を見て、目線を下げて自身の腕を見て、ようやく魔法をかけていた手を外した。
「あー……、すまん。なんか寝ぼけてたみたいだわ」
頭をガシガシと掻いてから目蓋を手で軽くこすり、のんびりと立ち上がる。
「小屋に帰るわ。んじゃまた明日」
「おやすみなさい」
挨拶をしながらアッシュが玄関へ向かい二人の傍を通った時。マオはアッシュ本人の物とは違う魔力のようなものを感じた。だが本人が何も気にしていないし、一瞬だったので自分の気のせいかと、その時は深く考えないことにした。
しかし更に数日後。アッシュの小屋に住み着いているスライムにより、あの日から毎日起きる度にアッシュが自身に回復魔法をかけているという報告が行われた。
そこであの時感じた違和感を思い出したマオが改めてアッシュの纏う魔力を探ってみる。すると、僅かではあるがあの日よりも他者の魔力が強くなっているように感じた。
「という訳だ。誰か心当たりはあるか」
アッシュがすだち屋から帰った後。ムラビトとマオ、魔物たちによる会議が開催されたが、各々その手には好きな飲み物を握り、飲みたい時に飲むという気楽な感じでやっている。そんな雰囲気の中、マオによる第一報告が終了した。
「あの日にあったことですか……」
そこでムラビトは、自身が起床した時からの記憶を丁寧に遡って反芻する。
陳列品の確認をして、帳簿の用意をして、お金の確認をして……。
「あっ」
「何かあったか?」
何故忘れていたのか不思議な位、迷惑で不気味な男が開店とほぼ同時に来ていたではないか。というより、あの男以外に変わったことはここしばらく無かったはずである。そう思い、今この場で思い出せること全てをムラビトは説明した。
迷惑で気持ちの良くないお客様の話だと前置きしておいたが、話せば話すほどマオの顔色が悪くなっていく。
「気持ち悪いな……」
ムラビトが話し終わった時、男の行動が生理的に受け付けないのか、マオの顔には不愉快という感情がありありと浮かんでいた。魔物たちも後ろで引いている。
「だがまあ、どう考えてもそいつが原因だろう」
マオがカタンと椅子から立ち、棚から紙とペンを手に取りまた座った。
「そいつの特徴や人相書を思い出せるだけこれに書け」
マオの指示のもと、目や鼻の形、髪の色や体の大きさなど、覚えているものを順番に書いていく。そうして紙いっぱいに書かれた内容をマオや魔物たちがじっくりと目を通した。
「お前たち、覚えたな? お前たちは昼は駄目だから夜だ。夜、この男を探してこい」
できるな? と確認するマオの顔には魔物たちへの信頼が溢れている。マオの信頼へ応える為に魔物たちは声を張り上げた。
「マオさん、ありがとうございます」
「勘違いするな。こんな気持ち悪い奴が近くに潜んでいると思うと不愉快だからだ。決してアッシュの為じゃないからな」
そう言ってマオはプイとそっぽ向いたが声には棘がない。そんなマオにムラビトは笑いかけた。


*****


「貴様に干渉してきてるキモ男の住居を突き止めたから突撃するぞ」
アッシュが出勤したら、店の外にはムラビトとマオが待ち構えており開口一番そう言われた。
「ん? 何のことだよ?」
「アッシュさん、最近眠りから覚める度に回復魔法をかけているらしいじゃないですか」
「魔法が必要なレベルのダメージを負う夢でも見てるんだろう。一回二回ならともかく、それが毎回となると誰かが悪意を持って見させているとしか思えん」
「んあー、そうね……」
二人の確信を持った言い方に、誤魔化しは効かないことが分かった。確かに寝る度に夢の中でどこかを損傷し、起きた時に寝ぼけた頭で魔法をかけている。
夢の中の話であり実害は無いから黙っておいたし、まさかバレていたとは思ってもいなかった。
「今からその人の所へ行って止めてもらって、今日で悪夢とオサラバしましょう!」
「第一そんなキモ男が近所にいると思うと不愉快だしな。干渉の証拠を掴んでこの辺りから追い出すぞ」
言いながらキモ男の住居へ向けて足を踏み出す。魔物たちが見つけた住居へのルートは昨日のうちに確認しておいたからあとは向かうだけだ、と先々行く二人の後をアッシュものんびりと追いかけた。
最初は明るい道だったのに、途中から整備された街道から逸れて森の繁った場所になっていく。木が繁りすぎて太陽が上にあるはずなのに、どこか薄暗い気がしてくる。
「あ、あれですかね……」
魔物たちの情報通り歩いてきたその先には、テントがたてられていた。燃えた薪や紐を張って干した服などもあるから、ここで何日も過ごしているのだろう。
「住居……?」
「住居は伝達ミスだな」
「まあどっちでも良いけど」
三人で顔を見合わせながら話していると、テントの中から人が出てきた。髭も生えて髪もボサボサの、いかにも寝起きといった風である。
「あのっ!」
「あ? 誰……」
声を掛けられて振り返った男は、ムラビトを見て、その後ろにアッシュがいるのを見た。途端に大きくカッ! と目を見開いて口をパクパクさせる。
「毎晩何らかの儀式をしてアッシュに悪夢を見せているのは貴様だな?」
一歩踏み出したマオが疑問系をとってはいるが確信した言い方をする。しばらくうつむき無言を貫いていたが、三者から注がれる視線に耐えきれなくなったのか、男は顔を上げた。
「そっ、その男が悪いんだよ! 公認とか嘘ついて勝手に勇者様の真似してっ! 勇者様がお前なんかを認める訳ないだろ!」
侮辱だ! とわめき散らしながら続けて吐き出される言葉は聞くに耐えない言葉ばかり。そんな男にムラビトはムカムカとするが、アッシュは全く気にする素振りもない。
そんなアッシュの様子にカッとなったのか、男の声が更に大きくなる。
「というか! 何でお前平気なんだよ! 魔道具の説明書には『使用された相手は一週間程度で気が狂う』って書いてあったのに!」
「ほう、聞き捨てならんな」
ギロリと男を睨み、マオは鞄から小さなアイテムを取り出した。
「これが何か分かるか? 録音機能のあるアイテムだ」
「違法アイテムに手を出した自白は録音しました。どうか自首をしてくれませんか?」
ムラビトが優しく自首を促すが、マオが手の中のアイテムを見せびらかすように持っていることに意識が向いていて聞こえていない様子だ。
「ふざけんな……。ふざけんなよおお!」
叫びながら、男は近くに置いてあった人形を思いっきり踏み向けた。それと同時に、ムラビトとマオの横で何かが折れる音がする。
「?!」
「アッシュさん!」
音のした方を見ると、アッシュの腕が片方折れてブランと垂れ下がっていた。
「すげえ、マジもんだこれ! 死ねっ……」
男が足を上げて人形の頭を踏み潰そうとしたが、踏まれる前にアッシュとマオがほぼ同時に男を殴り飛ばす。
手加減をしているので男が飛んだのはせいぜい数メートルだが、それでも一般人では勝てないということが分かったのだろう。先程の威勢はどこへやら、男はガタガタと震えだした。
踏まれた人形とアッシュの折れた場所が一致するので、これも違法アイテムだろう。速やかに回収して鞄の中へと仕舞うことにする。
仕舞う前にもう一度見ると人形の髪の毛部分に本物の髪の毛が編み込まれていた。先程の流れから、編み込まれているのは十中八九アッシュの髪の毛で間違いない。気持ち悪さにゾッとする。
「言え。こいつの髪の毛なんてどこで手に入れたんだ?」
「んなもん、ゴミでも漁れば出てくる。髪の色珍しいし、すぐ分かる……」
「うわ、あれもお前かよ……」
アッシュは腕が折れたまま、ゲンナリと呟いた。彼の腕を見たムラビトが心配そうな声を出す。
「あの、回復しなくて良いんですか?」
「良いよ。アイテム悪用の証拠は一つでも多い方が良いだろ?」
思いっきり踏まれた人形の靴の跡。折れた腕。織り込まれた髪の毛。確かにこれも証拠になるだろう、しかし。
「でも痛くないんですか?!」
ムラビトが痛みを気遣って聞いてくれることにアッシュはニコリとする。
「俺ね、痛覚麻痺してんの。だからだいじょーぶ」
おあいにく様、と男に対して呟き、アッシュは警察へ連絡するため歩きだした。青い顔で絶望している男を縛り上げたマオはムラビトを見て、口を開きかけて閉じ、行くぞと声を掛けた。


*****


迷惑男を警察へ突き出した後。
「何故話してくれなかったんですか……?」
ムラビトからの質疑応答会が小屋にて開催された。ちなみに、マオはムラビトに頼み込まれて小屋から出ていっている。大切な話は、店長と従業員の一対一でやるものだ。
「いや、本当にただの夢と思っててさ、言う必要もないかと……」
「まあ、お話してくれなかったことは良くはないんですけど、この際いいです」
ムウッという顔をしながら、ムラビトは頬を掻きながら視線を逸らすアッシュを見つめた。
「痛覚麻痺って本当ですか……? だって前に薬草を持ってきてくださった時『熱い』と言ってたじゃないですか?」
「ああ。熱いのは多少は分かるんだけど、痛みはわかんねえんだよ」
よく分からないという顔をする彼の様子を見て、アッシュは小さく唸ったり、顎に手を当てて何かを考え始めた。少しして、店長、と声を掛ける。
「あんまり気分が良くない話なんだけど少し良いか」
呼び掛けられて顔を上げたら、そこにある、覚悟を決めた蒼い瞳と視線が合った。
「……はい、お願いします」
どんな話でもきちんと聞いて受け止める覚悟をムラビトは一瞬で決めた。その様子が分かったのか、アッシュは小さく笑って「昔の話なんだけど」と話し始めた。
曰く、悪い大人たちに囲まれていた昔。囮に使われて逃げられなかった時に店主たちに袋叩きにされ、酷い時は骨折もしていた。骨折まではしなくても何とかアジトに戻れば酒を飲んで酔った大人たちに大笑いされながら殴られたり。治す為に戦利品の中から少しポーションを使ってバレればその倍は殴られたり。
「こんなのを繰り返してたから、脳みその防衛反応とかか? 気付いたら痛いのは分からなくなってたな」
覚悟をしていても、やはり痛くて辛い話であるのでムラビトは段々と涙が出そうになってくる。しかしあさっての方を見ながら思い出すように話すアッシュは、そんな彼の様子に気付かなかった。
「そういや暖炉に残った冷えきった灰を頭からかけられたこともあったな。話してて思い出した」
俺の名前の由来、これだったかもとサラリと言いながらムラビトに顔を戻してようやっと、彼の瞳から零れ落ちる涙に気がついた。
「え、店長泣いて……。あ、俺の話の刺激が強すぎた?」
やっぱり店長に聞かせる話では無かったと焦っていると、彼の手が伸ばされてアッシュの服を軽く握った。
「まずは壮絶なお話をする相手に僕を選んでくれて、ありがとうございました」
その声は震えている。
「でも、いくら痛みを感じないと言っても、現在のアッシュさんが人に傷つけられることを気にしないことは納得できません……」
彼は過去に辛く痛い思いをたくさんしてきた。ならばせめて、休養中の今くらいは平和に、痛みとはかけ離れた生活を送ってほしい。自分を大切にしてほしい。
震える声で、涙を溢れさせながら懇願される。
ムラビトの口から紡がれる必死の言葉に、ふとポロリ、とアッシュの目からも涙が落ちる。拭いても溢れて止まらないその涙は、きっと過去の自分が流したくても流せなかったもの。
今日少しだけ過去の自分が救われた。そう思うのも良いだろう。

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