きめつ

俺は弱いんだからな!
お前、俺のこと守れよ!

確かに以前そう言った記憶はあるし、本心でもある。
だけど。

「善逸、その毒をくらった状態じゃ、お前は闘えない。ここにいて、呼吸で毒の進行を遅めるんだ。良いな?」

何もお前たちの命と引き換えにしてまで守ってほしくない!
俺を安心させる為にお前はふわりと笑って、他の隊士の亡骸の山が積まれている戦場に戻っていく。
待て、いくな……戻ってこい……

「炭治郎ぉ! 伊之助ぇ!」


――――――――――――――

「……っはあっ……は…」

今日も自分の叫び声で起きてしまった。
現在、朝日が昇ってすぐの時間。薄いカーテンから部屋に光が漏れてくる。
かすかな朝日を浴びながら善逸は深く息を吸い呼吸を整え、布団の中から出た。
毎日毎晩欠かさずに見る、自分の前世の記憶。忘れられない、決して忘れてはならない記憶。

己のせいで大切な友達が血の海に沈む記憶。
瞼を閉じると浮かぶ二人の傷ついた姿に、善逸の身体は恐怖で震えてしばらく動けなくなる。
もう二度と、二人には痛い思いや苦しい思いはしてほしくない。

大正のあの頃とは違い、現代のこの世界に鬼はいない。
だが、その分悪意のある人間がこの世には増えたと善逸は思う。物騒な世の中、そのような人間がいつ二人に牙を剥いて襲いかかるかもわからない。
その時純粋な二人は、きっと傷つけられてしまうだろう。幸いにも現世を生きている二人には前世の記憶は無いようだ。せっかく辛い記憶など無く幸せに暮らせているのに、再び二人が傷つけられて辛い思い出が作られるなど。それだけは決して許してはならない。

大切な二人に万一何か危険が迫っていても助けることが出来るように。鬼からではなく、人間の魔の手から守る為だけに自分は生きている。
「二人のことは、何があっても絶対俺が守る…」

習慣としている鍛練をするための竹刀を持つ手に力がこもり、ミシリと音が立った気がした。


――――――――――――――


「おはよう、善逸! 今日も精が出るな!」
「おはよう、炭治郎」
竹刀で鍛練をすることに加え、善逸には毎日習慣にしていることがある。
それが、親友の炭治郎や伊之助の住んでいる家の周辺のパトロールだ。ルートとしては、善逸の家から近い、伊之助の家へ行ってから炭治郎の家に行くことにしている。

学校のある平日ならば伊之助と共に迎えに来たといって炭治郎の家に来ても何もおかしくない。しかし、休日にまで家に来たらいくら親友といえども怪しまれるだろう。
そこで善逸は、怪しまれないようジャージを着てリュックを背負い、朝からジョギングをしていると言うことにしておいた。

ついでに竈門ベーカリーは朝のモーニングにイートインコーナーを小さいながらも設置しているので、そこで朝食としてパンを食べている。
この時間が本当に至福の時で、出来立てフワフワのパンとジュースを美味しいと言いながら頂いている。休日には毎回来ているから、予約席として自分の席を空けて取っておいてくれているのも、本当に感謝しかない。

「炭治郎、今日も美味しかったぜ。ごちそうさま」
「ありがとう、善逸! そう言ってもらえると嬉しいな!」
ニコニコと笑いながら机を片付けている炭治郎を見ながら、善逸は前世のように良い耳を澄ませて音を聴く。

―――うん、今日の音も変わりなし。

もしも炭治郎の家族や自分に何か変わった事があった場合、分かりやすい彼から鳴る音にはきっと大きな変化があるだろう。
それが変わらないのは、今日も平和な証。
その事に安心して眼を閉じ、大好きな優しい音を聴くことに集中した。そうしてそのまま、ゆったりした時間を過ごす。善逸はこの時間が大好きで、大切だ。

「善逸。今日もうちに寄ってくだろ?」
しばらくすると、炭治郎からの確認が来る。
「うん、お邪魔させてもらうよ。いつも悪いな」
「何も気にすることはないぞ!弟たちも皆、お前に遊んでもらえるのを楽しみにしてるからな!」
善逸は前世のような孤児ではないが、現世では親からの関心が全く無い、育児放棄されていると言っていいような状態だ。
そこで高校生になる時に、実家から出ていく代わりに最低高校三年間だけは過ごせる金額をもらって一人暮らしをすることにした。そして一人暮らしで家にいても淋しいとわざと炭治郎の近くで呟いて、休日は夕方まで竈門家にお邪魔させてもらっている。

本当は育児放棄をされて好都合と思っているのに「淋しい」などと言って竈門家の皆の良心を利用するのは大変心苦しい。だがこの一家に前世で起こった悲劇を思うと、極力近くにいたいと思うので、善逸は良心の呵責は無視することにしていた。

ちなみに、きちんと伊之助の方も気にしているが、現在の彼の父親はなかなか恰幅が良い。おそらく不審者も彼の父親に怯えて近寄らないだろうと思っている。それに、竈門家兄弟で散歩する時には必ず伊之助の家の付近を通り、伊之助たちの音もよく聴くようにしている。今のところ何も異変は無いので安心である。
そして夜に竈門家から退散した後に、また付近のパトロールをして家に帰る。これが善逸の休日の過ごし方だ。

――――――――――――――

例え天気が良かろうと悪かろうと、それこそ槍が降ってこようとも。善逸は朝のパトロールを欠かさないと決めている。
まあ槍が降るなどといった有り得ない事は起こるはずもなく、変わりのない日々だったのだが。

「おう、紋逸。どうした、休日なのにめちゃくちゃ早くからうろついてるじゃねーか」
今日は、今までパトロール中には遭遇する事がほぼ無かった伊之助と道端で会った。
今現在、上空は曇り空だから、雲の隙間から槍が降るのではないかと善逸は一瞬思ってしまい、チラリと空を見る。

「あ? 上に何かあんのか?」
「いや、何もないよ。何となく空を見ただけ。曇り空だなーって思って」
「あー、今日は雨降るぞ」
「勘か?」
「おう、勘」

伊之助は基本的に天気予報など見ない。それでも彼の言う通りの天気になるのだから、彼の勘は相変わらず優れている。
「じゃあ、少し早足で炭治郎の店に行こうか。俺はこれからパン買って、店の中で食べるんだ」
笑顔でそう告げると、伊之助も炭治郎の家のパンの美味しさを知っているからニカッと笑顔になり、早く行くぞ、と叫びながら急かしてきた。彼らの笑顔を見ていると善逸の心はほわほわする。

あぁ、こいつらと一緒にいられるだけで幸せだ。俺はこの笑顔を絶対護る。もしもこの笑顔を壊す奴が現れたら、その時は絶対に排除する。
善逸は彼らを見るたびに、そう誓い決意を新たにするのだ。

そうして歩くことおよそ10分。今日も竈門ベーカリーは繫盛していた。パンを買って帰る人、イートインコーナーで食べて帰る人。そんな客で溢れている。お客さんは老若男女問わずいるが、彼らは共通して皆笑顔だ。このパン屋が地域に愛されていることがよく分かる。
「よお。権八郎! パン食いに来たぜ!」
「あっ、伊之助! 来てくれたのか!」
「おう! 今日外で紋逸と会ってよ! そしたらパン食いに行くって言うじゃねぇか。俺も食いたいからな。来てやったぜ!」
「そうか! ありがとう! 今日のお勧めはクロワッサンだぞ! 自信作だ!」
炭治郎のお勧めなら間違いないだろうと思い、善逸はクロワッサンを選んだ。焼きたてだろうパンからとても良い香りがしていて食欲がそそられる。他にもいくつかのパンをトレーに乗せて会計に行き、伊之助と一緒にいつもの席に座った。

伊之助がいること以外はいつもと変わらない休日だったが、この日は少し違った。
竈門家のみんなと一緒にお昼ご飯を作って食べ、のんびりしつつ遊び、さあそろそろ早めの晩ご飯を、と思って作っているところに呼び鈴が鳴ったのだ。竈門ベーカリーは住居の隣に店を構えていることもあり、用事がある人間は店の方に直接来ることが多い。そのため、普段まだ店が営業しているこの時間に来客のベルが鳴ることはあまり無い。不思議に思いつつも炭治郎の母親が応対に行った。

彼女が玄関へ向かうその様子を見ながら、善逸はそっと玄関の方に耳を澄ませ、会話を聴く。どうやら男二人組が来て話をしているようだ。
「……ですから、この店はここから立ち退くつもりは……」
「……今ならお得に……」
「この場所には大切な思い出がありまして……」
「お金は払います……それに……」

竈門家の中は皆元気で騒がしいため、所々声が聞こえにくいが、恐らくこの土地を売ってくれという内容だと見当つけた。確かにこの場所は利便性も高く良い場所だ。この場所が欲しいという人間もきっと多いはずである。
だがしかし。
「何と言われても、私は頷くつもりはありません。お引き取り願えますか?」
葵枝はしつこい男たちにもキッパリと断っている。長年積み重なった思い出の多い家だからこそ、彼女にはそう簡単に手放そうとは思えないだろう。

自分の意志を貫き通して格好良いなぁ。凄いなぁ。
善逸がそう思って玄関の話を聴いていたら。

「……そうですか。分かりました。今日のところは帰ります」
男たちから聞こえる音が、どす黒くおぞましい物に変わるのが聞こえてきた。果たしてこれは、怒りか、憎しみか。どう例えるべきか分からない程の不快な音を奏で始めた。
「あ、でもすいません。帰る前にお手洗いだけお借りしても良いですか? 我慢出来そうになくて……」
表面上は申し訳なさそうな声で話しているが、男からは何かを企んでいるということが丸分かりな音がする。
何も疑いもせずにトイレの場所を案内して玄関に戻って来ている彼女に代わり、善逸は神経を極限まで研ぎ澄ませ、耳を澄ませた。そうしたら案の定、彼女が玄関に戻っていくのを男はトイレのドアの隙間から確認してからコッソリと出てくる。そのまま男が向かう先は、台所であった。
男が向かうのは足音の方角的に、ガスコンロ。その上に置いてある鍋の蓋を持ち上げて開ける音がする。そして、何かのボトルのキャップを開けて、鍋にトポリ、トポリと……。

竈門家の夕食に。何か不審なものが。確実に竈門家の人間を害するものが仕込まれた。

そう認識した瞬間。善逸は台所で男を上から抑えつけていた。
善逸の下で男が苦しそうな声を出しながら抵抗しているが、前世の記憶があり呼吸も使える人間には到底敵わない。無駄な抵抗をする男を温度の無い眼で上から下まで観察し、男の手の中の物を認めた時。
ボキリ。
善逸が抑えている男の腕から骨が折れる鈍い音が響いた。
突然訪れた激しい痛みに男が叫ぶが、善逸には関係ない。男の骨など今の善逸にとっては路上に捨てられているゴミ程の価値もないのだ。

「てめぇ……。よりによって……毒を仕込むのかよ……。また毒かよ……ふざけんな……」
ブツブツと。虚ろな眼をして呟きながら、またボキリ。今度は男の脚の骨を折る。
「食事に毒を仕込むとか、こんな非道な事が出来るなんて……。あぁ、そっか。こいつは鬼なんだ。鬼か。じゃあ頸を落とさなきゃ……」
「ぜ、善逸……?」
「ねぇ、お兄ちゃん。善逸君どうしたの? 何かいつもと違うよ?」
普段は明るく楽しく遊んで話してくれる善逸が、虚空を見つめて小声で一人何かを話している様は、炭治郎の弟妹達にも異常に見えたらしい。兄に善逸の様子について伺えど、正直兄にも彼の様子が急変した理由など分からない。
「善逸、どうしたんだ?」
「おい、紋逸?」
炭治郎と伊之助が近付いて話しかけても、今の彼の耳には届かない。変わらず小声で呟いている。
「日輪刀……どこいったんだろ……。無いや……。夜明けもまだまだだし。鬼の頸、斬れないや。もう一匹は逃げたしどうしよ…」

いつもの善逸ならば、絶対に前世に関わる言葉は口にすることは無い。だが、正気ではなくなり前世の記憶がごちゃ混ぜになっている今の状態では、己の決めた禁句ワードを口にしたことなど分からない。更に言うならば炭治郎と伊之助に今まで前世の記憶が無かったことも分からないし、今が何年の何時代かすらもわからなくなっている。

様子がおかしい善逸に近付いていて、「日輪刀。夜明け。鬼、頸」等といった言葉を聞いてしまった二人は、この言葉によって前世の記憶が雪崩の様に押し寄せてきた。前世の記憶が急に戻ってきたせいで激しい頭痛に襲われて、思わず頭を抱えてうずくまる。善逸は、そこでようやっと二人の存在を思い出した。

「あ、炭治郎と伊之助もいたのか。助かった。この鬼の頸、落としといて……。俺は逃げたもう一匹の鬼、捕まえてくるから……」
善逸は相も変わらず虚ろな眼でそう言うと、善逸の行動に恐怖を感じて逃げ出したもう一人の玄関にいた男を追うために家の外に出る。そして。
シィィィ、と呼吸の音がしたと思ったら善逸の姿はそこには無く。
それから十秒経つか経たないかという位で男の悲鳴が住宅街に響き渡った。


――――――――――――――


その後どうなったか。
一言で言うと、ご近所さんに通報された。
何も知らない人間が見れば善逸は、走っている男を後ろから追いかけて殴り飛ばし脚の骨を折ったただの犯罪者である。当然であろう。
駆けつけた警察に連行された頃には善逸の思考も多少スッキリしていたため、竈門家の食事に仕込まれた毒について伝えることが出来た。その後調べたら男たちの持っていた瓶の毒と、鍋の中から出てきた毒の成分が同じであったことから明確な殺意を持っていたと判断された。そのため男たちも病院の後は警察の事情聴取が行われることが決まったので結果オーライであるのかもしれない。これで目下の不安はひとまず取り除かれた。

ただし、まだ善逸個人の問題が残されている。
まず、警察に連行されてしまったからとはいえ、竈門家の皆を不安にさせたにも関わらず善逸はあの後彼らに何の説明もしていない。男たちの悪行と、自分の行いの理由について、きちんと話さなければならない。
また、炭治郎と伊之助に前世の記憶を思い出させてしまった。あの時自分のせいで二人が死んでしまったのだから、思い出した今、その事の謝罪をしに行かなければならない。善逸はきっと恨まれているであろう。
もしも二人から敵を見る目で見られたらきっと生きていく気力はなくなって、自ら命を絶つ。善逸にはその自信があった。正直自分が死ぬことには抵抗は無いのだが、今回のような人間がまた来ないとも限らないので死ぬことが出来ない。
果たして自分はどうするべきか。思考が堂々巡りしている。

どれも善逸の頭を酷く悩ませる。善逸自身も、悪意ある人間が彼らに対して牙を向けた時にまさかここまで取り乱すとは思っていなかった。悔やんでも悔やみきれない。だが、どれだけ悔いても時間を戻すことは不可能だ。
ひとまず謝罪をしに行かなければならないと考えながら釈放された警察署を出ると。
「善逸、お疲れ様」
「早く帰るぞ! どこだ、お前の家か? それとも権八郎の家に行くのか?」
炭治郎と伊之助がそこにいた。


――――――――――――――


前世うんぬんなどは、記憶の無い竈門家の皆に聞かれたらいけないということで。三人はスーパーで軽く摘まめる物を買って善逸の家に戻った。
「……」
「……」
小さめの卓袱台にお茶を入れたグラスを並べ、それぞれ座る。いざ話すとなると、どう切り出せば良いのか悩み、沈黙が続く。
グラスが汗をかき、その中の氷が少し溶けてカランと鳴る音がいつもより大きく部屋に響くように感じた。
「まずは善逸」
来た、と善逸は思う。さあ、何を言われるか。
前世で二人を見殺しにしたことを責められるのか、それとも現世で兄弟たちに恐い思いをさせたことを怒られるのか。ギュッと目をつむり手を膝の上で握りこむ。
「うちの家族を助けてくれて、ありがとう」
「……はあ?」
一体この長男は何を言っているのか。ありがとう?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう、炭治郎は苦笑する。
「警察の人が来て、色々説明してくれたんだ。お前が食事に毒を仕込まれたことに気付いてくれなければ、俺たちは死んでいた。感謝するのは当然だろう?」
「はあ……」
「良くやったな子分! 褒めてやってもいい!」

何故この二人の態度は変わらないのか、それが気になって善逸はマトモに反応が出来ない。それでも無理矢理動かした脳みそが、二人へ謝罪をしろと叫ぶ。
「二人に謝らせてほしいんだ……。本当にごめんなさい……」
震える小さな声で土下座しながら言えど、二人からは何も反応が返ってこない。恐る恐る顔を上げると、全く意味が分からないと顔に書いてあった。
「何で褒めてやるって言ってんのに謝るんだぁ?! 意味がわかんねぇ!」
「うちの家族も皆感謝してる。誰に何を謝ってるんだ?」
やめてくれ、感謝など言わないでくれ。
涙がボロボロ勝手に流れ出て止められない。それでも、話さなければならないという気持ちだけで、口を動かした。
「人の脚を折るなんて、見ていて不快なものを皆に見せてしまったことと……。前世のこと……」

前世のことと言ってもやはりピンと来ていない様子の彼らを見て、記憶が戻ったばかりだから、まだ完全に全てを思い出した訳では無いのだろうと見当をつける。そのためポツリポツリと、震える声でどもりながらも説明をすることにした。
とある任務で上弦に匹敵する程の強さの鬼に遭遇したこと。自分が毒をくらってしまい、戦えなくなってしまったこと。そのせいで戦力が減り、結果として二人とも死んでしまったこと。自分一人だけ安全な場所にいて生き延びてしまったこと。

土下座しながら話しているため二人の顔は見えないが、どちらからも何も反応が返ってこない。さっきも似た状態になったな、と思いながらゆっくりと顔を上げると、先程とは違い激しい怒りの形相をしていた。善逸はこれが当然の反応だろうと思っている。きっともう、彼らと笑い合える日は来ない。そう思いながら再び顔を伏せて二人の言葉を待った。

「善逸、お前は一体何を勘違いしてるんだ」
「弱味噌が! お前は間違ってんぞ!!」
何も間違ってなんかない。思わずそう反論しようとしたが。
「よく聞け、善逸! お前は記憶を途中までしか思い出していない!」
「善逸、てめぇの優れた耳の穴をかっぽじってよく聞けよ!」
炭治郎に両肩を掴んで震える声で必死に叫んで、伊之助が間違えずに名前を呼んでくれた。それだけで、反論しようと言う気が失せる。大人しくなった善逸の様子を確認した二人は、彼に戻っていない記憶の話を始めた。

「まず第一に、俺たちはあの時死んでない」
「へぁっ?!」
「確かにあん時ヤバかったがな! 朝日が出てきたから鬼は逃げ出したんだぜ!」
「重体ではあったから隠の人に急いで蝶屋敷に運んでもらって一命は取り留めたんだ」
ずっと疑っていなかった己の記憶が違うと言われた衝撃と、二人が死んでなかったという安堵感。同時に押し寄せてきて、善逸の頭はもうついていけていない。けれど、もしかしたら。
「台所で可笑しくなった俺に気を遣って、死んでないとか二人で口裏合わせているなんてことは……」
「俺は嘘がつけない!!」
「ですよね!」
一瞬でもそう思ったが、炭治郎の顔が普通の状態だから、本当に二人は死んでなかったのだろう。そう思った瞬間洪水のように涙が溢れてくる。
今流れる涙は、今まで流してきた懺悔の涙ではなく、喜びの涙だ。
良かったと、噎せながらも何度も繰り返し呟く彼を見て、炭治郎と伊之助は顔を合わせて微笑んだ。そうしてしばらくの間ずっと泣いて、落ち着いた頃。ふと思う。
「え、じゃあ俺途中までしか記憶取り戻してない……?」
「そうだな!」
「紋逸、無惨を倒したかとか覚えてねぇだろ!」
「倒した後の生活とかもな」

言われてみたら、善逸の記憶は血塗れの二人が倒れているところまでしか思い出せない。恐らく、その姿が衝撃的すぎてそれ以降の記憶を思い出すことを脳が拒否してしまったであろうことが原因と思われる。推測でしかないが、多分間違ってはいないだろう。
鬼舞辻無惨を倒した記憶が無いのに、何故鬼が現世にいないのかを考えれば、記憶の欠如にも気づいたのかもしれない。だがもう親友たちが記憶を取り戻したので、親友たちから話を聞きながらゆっくりと思い出していこうと思う。
「ありがとうなぁ、二人とも……」
涙まみれ鼻水まみれの顔であったか、それでも彼の顔は今まで生きてきた中で一番良い笑顔であった。


――――――――――――――

それから後日。善逸が炭治郎と伊之助を守ろうと必死に体を鍛えていた事を知った二人も鍛錬すると言い出したので、善逸は道場をやっている煉獄家を紹介した。歩いていて道端で偶然会った二人は竹刀を持っていたから、その鍛錬帰りと思われた。
「あ、善逸! ただいま!」
「おかえり、今日が道場初日だったろ? どうだった?」
「めちゃくちゃ感謝されたぞ!」
「何で?」
「何でも最近門下生が減っちまったらしいぜ!」
「それで槇寿郎さんが迷走して、『猪が足で踏んで出来た土』を売る仕事に転職しようかどうか迷っていたらしいんだ」
「軽トラを買う日も決めてて、家族がどう止めるか悩んでた所に俺たちが来たからな」
「俺たちは救世主だとさ!!」
「何やってんの、煉獄父!!」

お終い。
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