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走って走って…すぐに息が切れた。
これ以上は走れなくなったところで、路地の少し奥まった位置に積み上げられた木箱が目についた。その影にうずくまって身を隠す。
無我夢中で走ったせいで、ここがどこだか分からない。というより考えられなかった。たくさん人にぶつかった気がする。
走ったせいとはまた違う、身体の火照りが収まらない。むしろ強くなったようにさえ思う。
より小さくなろうと抱え込んだ腹と膝の間で、不卜廬で買ったばかりの抑制剤の袋がくしゃりと音を立てた。
そうだ、薬…
震える手で袋を開けて、抑制剤を取り出した。
水なんてないから無理矢理飲み下す。乾燥した喉に引っ掛かってむせた。
手で覆って、むせて咳き込む音を少しでも抑える。
「は…、はぁ…」
これでもう、大丈夫。
薬が効いてくれば、ヒートも治まって動けるようになるはずだ。
震える身体を抑え込むように肩に爪を立てた。
「お、いたいた」
影が差して、上から男の声がした。
急に降ってきた声にびくっと飛び上がる。木箱に当たって音がなった。
「ははっ…すげー驚いてる」
「さっきアンタとぶつかったんだけどさ…様子が変だったから心配でさー」
かけられる言葉に、しかし理解が追いつかず何も返せないでいると、男の手が夢月に伸びる。
「ね、顔見せてよ」
「!?」
前髪を除けられ、彼女の顔が男の目にさらされる。
「すごい美人だね!大当たりだ!」
異様に、はしゃぐように声をあげる男が何を言っているか分からない。くじで景品でも引き当てたかのような様子に、呼吸が浅く早くなる。
男の口角が歪に持ち上がった。
「ヒートが来るのは初めて?」
「…助けてあげようか」
そう言って、夢月の返事も聞かないうちに力いっぱい腕を掴んで、彼女を木箱の影から引きずり出す。
開いた袋が落ちて抑制剤が散らばる。
……違う
ぬるりとした体温。ゾワゾワと鳥肌が立つ。嫌だ、気持ち悪い。これじゃない。掴まれた箇所から良くないものが広がっていく。
「いやっ!!」
反射としか言いようがなかった。
男の手を振り払おうとし…掴んできた腕に爪を立てて引っ掻いていた。
「痛えっ…ッこの…Ωのくせに…!」
逆上した男が拳を振り上げてきた。身を庇うより前に目を閉じることもできずに硬直する。
だから、その瞬間はよく見えた。
突然夢月を中心として、金色の、紋様が回るように囲む壁が現れる。
それに男の拳が触れたかと思うと、金の火花が散ったようになり男が悲鳴をあげて弾き飛ばされる。
飛んで背中から落ちた男。その首すれすれに、どこからか飛んできた槍が突き立てられた。
革靴が地面を踏みしめる音がして、倒れている男の頭の方に少年が立つ。
少年の顔を見たらしい男が声にならない悲鳴を上げた。
「…………去れ」
怒りを殺して殺して、ようやく絞り出したような声。従わなければどうなるかは明白だった。
男が震えながらがむしゃらに起き上がり、足をもつれさせ転びながら去っていく。
逃げる男のことなぞどうでもいいように、一瞥をくれることすらせず、少年の瞳が夢月に向けられる。
……鮮やかな、石珀の瞳。
橋の上で見たものと同じ色。濃い茶色のまつげに縁取られた金色が切なげに細められる。
少年が一歩こちらに歩くと、突き立てられた槍と、夢月を囲っていた光の壁が淡く光るようにして消えた。
その光景と、彼の身なりの良さからα……それも、神の目の所有者だと気づく。
αの中でも、神の目を持つのは少数だ。
選ばれた生まれの中で、更に神から視線を向けられた者。
少年が夢月の目の前で片膝をつく。
「怪我はないか?」
問いかけに小さく首を縦に動かす。その間も、少年から目が離せない。
……また、息が上がりはじめた。身体の中心から手足の先まで、全身が熱をもつ。
抑制剤が、効いてない。
後ろへ下がろうとした。その動きを察知した少年が夢月に手を伸ばし……抵抗する間もなく、彼女は少年の腕の中にいた。
「!」
「すまない、怖がらせるつもりはないんだ…頼む、逃げないでくれ」
少年の体もひどく熱かった。
背中や腰に回された腕は力強く、少し痛いくらいだが、そうして抱きしめられていることに安堵を覚える自分がいた。
不快さは一切ない。むしろ触れられるだけで心地よさを覚える。
呼吸するたびに、少年本来の香りで肺が満たされていく。
「無事で良かった…」
本当に、心の底からほっとしたような声。
初対面のはずなのに、その声さえ心地良い。
「だ、れ」
静まらない荒い呼吸の合間、まず助けてもらったお礼を言わなければならないはずなのに、口から出たのは疑問だった。
「俺は、鍾離という。…君の、運命だ」
「、は、」
うんめい。運命。
……運命の、番?
「っ、や…!」
「? なんだ、どうした」
いきなり腕を突っ張ろうとして、わずかでも距離を取ろうとする夢月に困惑した様子を見せる少年。
「た、すけて…もらったのは、感謝してます!
でも私、番なんて、わからな…、っ、…ぁ」
拳1個分ほども距離を開けられず、それでも腕の中から抜けようともがく。
その彼女をあっさりと引き戻し、自身の体にぴったりと密着させる鍾離。とたんにまた近くなる香りに自然と力が抜けていく。
「…分からないか…?本当に?」
耳元で囁かれる。体が震えて、思わず目を閉じる。
「…っ…ふ、」
「俺の運命…ようやく見つけた、俺の唯一、」
囁く声をよくよくすり込むように、すり、と耳を擦られる。
はあ、と鍾離の余裕なさげな吐息が更に夢月を追い込む。
「君と番になりたい」
耳を擦っていた指が、顎の線を辿って顔を上へと上げさせる。
頬を撫でられ、恐る恐る目を開けた先には、意思の強そうな眉を下げた鍾離。石珀の瞳が必死に、訴えかけるように見つめてくる。
「俺と番になってくれ」
何か言おうと口を開くも、何も言葉にならない。
ただでさえ考えが追いついていないのに、鍾離の熱が、触れられている部分から感じる…触れられている、それだけなのに…心地良さが更に思考を乱していく。
……こわい、
今までにない感覚、こんなの知らない、すこしでいいから落ち着く時間がほしい、
「…は、なれ…て、」
待ってほしい、その一心で出た一言は、結果鍾離を拒むものになってしまった。
「……君は、知らないかもしれないが、俺達が感じているこの感覚は、他の相手では決して得られないものだ」
眉根を寄せた鍾離が夢月の頬に添えていた手で顔を固定し、少し語勢を強くして語りかけてくる。
「それに、ここで俺を拒絶して、この後どうするつもりだ。そんな状態で、襲ってくれと言っているようなものだぞ。さっきのような奴にまた会ったら抵抗できるのか?この辺りはαが多いのに」
「通常の発情期ならともかく、君の今のそれは運命に出会ったが故の反応だ。どうにか出来るのは俺だけだ」
「……心に決めた奴でもいるのか」
「俺を、運命を差し置いて、番になりたい相手が?そいつは君がこんな状態になっているのも知らないのに?」
切羽詰まったような言葉の数々に、しかしそれはほとんど夢月の頭には入ってこない。
……鍾離の瞳が、怒気を増していく。
「……駄目だ。他の奴になぞ、渡さない。」
「、ぁ」
顔を固定していた手が動き、首の後ろへと滑っていく。番になるときに噛まれるそこを撫でられて、ゾクゾクした感覚が背を駆け上がってくる。
自分から聞いたことのない声が出た。
「お前を噛むのは俺だ。……俺を、受け入れてくれ」
訳の分からないまま、近づいてくる鍾離をぼんやりと見つめる。吐いた呼気が互いに届く距離まで、彼の顔が近づいた。
「……鍾離くん?」