原作編
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電気を消した室内。蝋燭の灯りがかすかに揺れる。
カリカリと佐々木先輩が御札を引っ掻いて取ろうとしている。
佐々木先輩の手の平から少し余るくらいの大きさのそれは、びっしりと隙間なく、何重にも御札に包まれている。
「とれないわね~」
「わざわざ学校に忍び込んでやることか?」
「こういうのは雰囲気が大事ですよ、先輩」
「そうそう。何も起こらないなんて分かってるの。だからこそスリルのある演出、をっ」
かさついた音がし、ようやく端が剥がれる。
現れたそれは――
「うっわ」
「どうした!?」
ガタッと音を立てて佐々木先輩が手に持った物から距離を取る。
全体が赤黒く、未だ残る爪は黒く鋭い。顔のようなものが見え、切り取られたであろう箇所からは植物が生えてすらいる。禍々しい、はずのそれ。
「人間の…指……?」
「……ですね」
だが……不思議と嫌な感じはしない。
痣のある薬指が疼き、無意識にそこを擦る。
「本物……?」
佐々木先輩が小さく呟いた時、ふと上から気配がした。
ーー天井から目が覗く。
手が、体が、そこにあるはずのない暗い暗い穴から形も大きさも様々な異形のモノどもが這い出てくる。
「ひっ、」
天井を見上げる夢月の視線を追って、気付いた佐々木先輩の口から悲鳴になりきらないひきつった声が漏れた。井口先輩も、何がなんだか分からない顔で立ちすくむ。
人間は想像を遥かに越える事態が起きたとき、動けなくなるらしい。
私も……、私は――
「……!? 夢白!」
――佐々木先輩の手から封印の解けた指を引ったくっていた。
考えるまでもなく体が動く。引き戸を開ける。指を掲げて異形に向かって叫んだ。
痣が熱くなった気がした。
「 《こっちだよ!!》 」
異形達が夢月を、持っている指を見る。
呆然としている先輩達など目に入らないかのように、一直線に夢月の方に向かって来ようとしているのが分かった。
「夢白……!」
「《先輩達はここにいて!ここは安全だから!》」
叫んで次の瞬間、廊下を全速力で走り抜ける。
どこに行けばいいかも分からない。ひたすら異形から逃げる。
きっと、指を捨てればいいのだ。あの異形達はこの指を狙っている。手放せばわずかでも夢月から意識がそれるだろう。
でも、そうしたらきっと、もう会えなくなる。
――だれに?
『――右だ』
「!?」
頭の中に声が響いた。
驚きつつも、体が自然と声に従う。果たして、声の通り右から現れた異形を避けまた走る。
『下からだ。飛べ』
「っ」
下からぬっと現れたそれを走りながらジャンプで避ける。
一度だけ聞いた、しかし確かに聞き覚えのある、低く耳に心地好い声。
「っ すく、な……?」
『ヒヒッ……なんだ?』
対話出来るらしい。こちらの声が届いていることに驚く。
「なんで、」
『待て』
いつの間にか4階まで来ていた。
目の前に現れたのは一際大きな、どことなく蛙を連想するような異形。
道は二つ。引き返すか、他には異形の横に廊下が続いている。そちらは異形の来た道だ。
果たして通してくれるのか。
――否。異形が逃がしてくれる訳もなく、道を塞ぐようにこちらに手を伸ばしてきた。
『夢月、左手を出せ』
「え?」
『はよう』
言われるがままに左手を出す。
また痣が熱くなる。ぴりぴりと痛んで、少し痣が薄くなった。
異形がビクリと震え後退する。
痣は更に熱くなり――
その時、それはほぼ同時だったように思う。
聞こえた靴音に意識が散り、痣の痛みが霧散する。音の方を見れば見知らぬ黒髪の少年。いや、彼は確か運動場で。
それから。それから、ガラスの外、4階だというのになぜかそこにいる――
「悠仁!」
窓が蹴破られる。硬質な破壊音と注がれるガラスの雨。異形に一発入れてから、その反動を利用し夢月の所へ悠仁が降り立つ。
夢月を腕の中に引き寄せ、すり抜けるように異形が来た方の廊下へ移動する。
「夢月!大丈夫か!」
「……っだい、じょうぶ!」
蹴破られたガラス窓は主に異形に降り注ぎ、ガラス片での怪我もない。
夢月の返答を確認すると、悠仁はキッと異形を睨む。
「い いまぁ」
また異形が手を伸ばしてくる。
「なんじいぃ」
けれどその手は夢月達に届くことはなく、何をどうしたか分からないが、少年によって異形の半身が吹っ飛んで倒れる。
「なんで来たと言いたいところだが、良くやった」
「なんで偉そうなの」
知り合い…?
二人の間で交わされる会話。呪い、式神。
耳慣れない、小説の中でしか聞かないようなその単語。
耳慣れないはず、なのに。頭の中の霧がわずかに晴れていくよう。
「知ってた?人ってマジで死ぬんだよ」
「は?」
「だったらせめて自分が知ってる人くらいは正しく死んでほしいって思うんだ」
「……悠仁?」
夢月を抱く悠仁の腕の力がわずかに強くなる。
何かが滲むような声音に感じるものがあった。
頭に浮かんだのは入院していると聞いた悠仁の祖父のこと。
「……そうだ、アンタ……じゃなくて……」
「……? あ、夢白夢月です。助けてくれて、ありがとうございます。」
少年が夢月を見て何か言いたげにする。お礼を言ってないことに気付いて名乗り、頭を下げた。
悠仁の方にも顔を向ける。
「悠仁も、ありがとう。助かった」
「ん、どういたしまして。てか本当に何ともない?」
「なんともない。ピンピン、して……る」
「何、今の間」
「いや……ちょっと、大分、眠くて」
自覚した途端に瞼が重くなる。ふらりと頭が揺れ、立つ力が抜けそうになる。今にも倒れそうな夢月を悠仁が支えた。
「眠くなるって……この状況でか?」
「夢月の体質なんだよ。本人にもどうしようもねえの。夢月、俺おぶろうか?」
「う"……」
「待て、寝るな。夢白、部室に張ってあった結界はお前か?あと俺が来た時、何しようとしてた?」
矢継ぎ早の質問。眠気で頭が回らない。
「……結界……?」
何とか起きて答えを返そうと頭をふる。が、やはり意味が分からず首を傾げた。
「強力な結界だ。あの強度はそう簡単に出来るものじゃない。
あと、中の二人は無事だから安心しろ」
「……先輩達……そっか、良かった……」
「それで、俺が来た時だが」
「……」
少年が来た時。左手を異形――呪いに向けていたときだろうか。
ああ、そうだ、宿儺にもお礼を言わないと……
「なあ、とりあえずもういいだろ。
呪いは伏黒の式神が喰ってくれたんだろ? あとはその……呪物だっけ?それ回収すんじゃねえの」
「……ああ、そうだな。」
少年――伏黒の視線が移る。その先には、夢月がまだ握ったままの指がある。
「これが」
「ああ。 特級呪物"両面宿儺" その一部だ」
「…りょうめ? ……あ、すくな?」
「言っても分かんねえだろ。
それ、危ないから渡してくれるか」
特級呪物 "両面宿儺"
悠仁は漢字が分からないのかひらがな喋りになっている。が、彼もその名に聞き覚えがあるはずだ。
夢月にも……。夢月は、悠仁に何度か彼の話をしている。
「なあ、すくなって……夢月?」
――宿儺
ふと、遠く遠く、声がした。愛しい、可愛い、大切な……その感情を込めて呼ぶ女性の声。それは誰の声。
――可愛い坊や
重なったのは
「宿儺」
私の、声?
「……お前、」
――また空気が変わった。真上を見ると、巨大な手がこちらを掴もうとしていた。
式神と呼ばれていた犬達が、伏黒が動く。
「逃げろ」
悠仁と夢月を突き飛ばした伏黒はそのまま巨大な手と天井に呑まれる。
犬達は二人の前へ庇うように立った。
埃がおさまったとき、そこにいたのはまた呪いだった。伏黒を掴んだそれは、ほとんど廊下と変わらない程に大きい。
「鵺」
伏黒が掴まれながらも対抗しようとしたが、呪いは彼を夢月達の横に叩き付けることでそれを妨害し、同時に犬達がドロリと溶けはじめる。
そして呪いは、そのまま三人の方へ勢いをつけて向かってきた。
「――!」
三人共、声もなく壁ごと外に吹っ飛ばされる。
衝撃で夢月の手から力が抜ける。すり抜けかけた指を、悠仁が掴んで、彼はそのまま夢月を抱え込む。
また、衝撃。渡り廊下の上へと叩きつけられる。
「っ悠仁、ありがとう、怪我は」
「俺は大丈夫。夢月は」
「私、も、だいじょ ……っ」
また悠仁が庇ってくれたが、流石に叩き付けられた衝撃が強い。体に痛みが走り、思わず身を縮めた。
「……夢月はここにいろよ」
言うやいなや、悠仁は呪いに向かって走る。
二人の前に立ち、ふらつきながらも呪いに対峙する伏黒の横を走り抜け、上に飛び――落下の勢いを殺さずそのまま真上から殴り付けた。呪いがその力に負けて横に倒れる。
一方悠仁は殴った勢いを活かし伏黒と夢月の所に戻って来た。
「大丈夫か?」
「逃げろつったろ」
「言ってる場合か
今帰ったら夢見悪ぃだろ それにな」
悠仁が一度言葉を切る。
「こっちはこっちで 面倒くせえ呪いがかかってんだわ」
そうしてまた呪いに向かっていく。呪いの手をかわし、蹴りを入れる。
悠仁は強い。そのまま勝てるのではないかとさえ思いそうになる。
けど、それじゃだめだ。決定的に足りないと――知らないはずなのに知っている夢月が言う。
悠仁が殴られた。頭から血が流れる。
「ツッ」
「悠仁!」
ズザァとこちらに滑ってきた悠仁を抱き起こし、頭にせめてもとハンカチをあてがう。
「呪いは呪いでしか祓えない」
「はやく言ってくんない?」
伏黒はこのままだと全員死ぬ、呪力のないお前がいても意味がないと言う。
「呪力があれば、話は別だが」
そこで伏黒がちらっと夢月を見るが、生憎、夢月自身には結界や呪力に心当たりがない。
「なあなんで呪いはあの指狙ってんだ?」
「喰ってより強い呪力を得るためだ」
「なんだあるじゃん 全員助かる方法」
「あ?」
ゴソゴソ、ポケットを漁り、取り出した悠仁の手には――
「俺にジュリョクがあればいいんだろ」
あの指。
「なっ」
「悠仁待った!だめ!!」
「馬鹿!!やめろ!!」
指を持つ手を抑えようとふらつきながら動くが遅かった。
ゴクン。
喉を大きく動かし、悠仁は指を飲み込んでしまった。
指を持っていた手に力なく触れながら、呆然と悠仁を見る。
――ああ、悠仁が、消えてしまう
「《吐き出――》」
痣が熱を持つ。
吐き出して。言う前に、彼が片腕で夢月を抱き寄せた。
力が強い。普段から力強いけど、これは。
夢月の体に回した手と反対の手が瞬く間に変わっていくのを見た。
爪は染められ、鋭く尖り、手首に紋様が浮かぶ。変化はそれだけに留まらず、顔にも同じ紋様が刻まれる。
それがまるでスローモーションのように目に写った。
次に起こったことは一瞬だった。
叫びながら向かってくる呪いに対し、彼が無造作に手を振る。
それだけで呪いは半分消し飛び、もう二度と動くことはなかった。
「ケヒッ ヒヒッ」
その声と共に、目の下にぱっくりと、もう一対の目が現れる。血のような、四つの、赤。
彼は天を仰ぎ笑う。そこにあるのは明確な、溢れ出る歓喜。
「ああやはり!! 光は生で感じるに限るな!!」
興奮が抑えきれないというように、笑いながら爪の鋭い片手で服を裂いていく。悠仁のものだった筈の体には、今や全身に紋様が刻まれているようだ。
「……すく、な……?」
聞き覚えのある声、四つの赤。
けれども彼は夢月の夢の中だけの存在ではないのか。
小さく呟かれた夢月の声を拾った彼が赤をこちらに向ける。
「夢、じゃ、」
「ケヒッ いや、現実だな。驚いたか?」
ぐっと目を覗き込まれ、ついで懐かしむように目が細められた。
「――ああ、そうだ、その目だ」
頬を撫でられる。異形を消し飛ばした禍々しいその手は、しかし優しく――彼女が確かにそこにいることを確認するように夢月をなぞる。
「その月のない星夜の目……変わらず美しいな――夢月」
「……、」
どうして、そんな顔をするの
思わず手が宿儺の目元に伸びる。下の方の目に当たらないよう気をつけながら目元を拭った。そこは濡れているということはなかったが。
「……お前は、本当に変わらんな」
ふっと宿儺の表情が緩む。
何も言えずにいる夢月に、赤がより近づいてくる。
「再会の祝いだーーしっかり味わえよ、夢月」
宿儺が自身の唇を犬歯で噛み切る。滲む赤に目を奪われ――ついで、血の味と、熱を感じた。
その感覚でキスされていると気づく。
「ん、ぐっ!?」
思わず腕を突っ張って離れようとするが、宿儺は今だ夢月を抱きしめたままなうえ、頬を撫でていた手で後頭部を抑えられ身動きが取れない。
それどころか――熱い舌が無理矢理に唇を割り開き口内へと侵入する。逃げる舌が捕まえられ引き出され――鋭く痛みが走った。
「ん、ぅぐっ!?」
舌先を噛まれた。
それだけではなく、傷口から何かが夢月へと流れ込む。
流し込まれたそれが血管を巡るように彼女の中を駆け巡っていく。
彼の肩に置いた手に力が入り爪を立ててしまう。薬指の痣が熱くなる。そこを起点に、まるで全身が沸騰するようだった。
目を開けているのに、視界に写るものと違う景色が脳内をよぎる。ぐらぐらと頭を揺さぶられる。
目眩がする。頭が痛い、痛い痛い痛い、
ーーけれど、それだけではなく。
あれほどにのし掛かるようだった眠気が晴れていく。
――ああ、なんて、
手から力が抜けていく。流し込まれるものを血と一緒に大人しく飲み込んだ。
――すごく、美味しい
もっと、もっと欲しい。
頭痛など忘れて、熱に浮かされるように激しい欲求に支配されそうになる。
そこでずるりと舌が引き抜かれ、最後に唇を吸い上げられ解放される。血の混じった半透明の赤い唾液が互いを繋ぎ、離れるにあわせて切れた。
それをもったいないと思いながら見つめる。
ケヒケヒと、宿儺が嬉しそうに笑う。
「俺はそんなに旨かったか?喰い殺されるかと思ったぞ」
「……え、あ?」
長い長い夢から覚めたようだった。
意識が半分惚けたままでふわふわと浮かんでいる。
今、自分が何をしていたのか分からない。
自身の口の端に付いた血を宿儺が舌で舐めとる、それをぼんやりと眺めた。
「そう焦らずとも、後でたんと喰わせてやろうな」
宿儺が力が抜けて肩に添えているだけになった左手を取り薬指の痣を擦る。その痣は先ほどよりも明らかに濃くなっていた。そこにも口づけをひとつ落とされる。
「今はこれくらいで抑えておけ」
辛くなるのはお前だぞ。
その言葉が合図だと言うように……頭痛が戻ってきた。とてもじゃないが、立っていられない。
「…う"、」
荒く息が漏れる。膝が折れ、崩れ落ちそうになるところを、しかし宿儺は難なく支える。
「っは……ぁぐ、う」
「辛いか ……少し待て、じきに……あ?」
言葉が遮られた。それは彼自身の手によって。
突然自身の首を掴んだ彼は、しかしなぜか表情を険しくする。
「人の体で何してんだよ。……夢月にも何した。返せ。」
「オマエ、なんで動ける」
「? いや俺の体だし……あしゅら男爵みたいになってない?」
一つの口から二つの声がし、その度に表情も、切り替わるように変化する。
そうして目を見開くようにしたかと思うと――それまであった宿儺の気配が消えていった。
「っ夢月!だいじょ、」
「動くな」
宿儺の気配が完全に消え、慌てたように夢月を視界に写す。見上げたその様子に、紋様はまだ消えていないが、悠仁が戻ってきたと知る。
返事をしようと緩慢に口を開くも、その前に伏黒から鋭く静止がかかった。
彼はこちらに手を構えるようにしている。
険しい表情に、頬には汗が伝っていた。
「オマエはもう人間じゃない。夢白を放せ」
「は?」
「呪術規程に基づき、虎杖悠仁、オマエを――」
「"呪い"として祓う」