短編
「オルカの行方について、何かご存知なのでは?」
セラフィーナの指摘に、アーデルハイトは思わず肩を震わせた。サッと顔を背ける。動揺を隠せなかったアーデルハイトに、冷めた視線を送る、インフェルノ。そして、彼は口火を切った。
「実は発見した」
3人の驚愕の声が重なる。思いがけず大きく響いた声は、パブの視線を集めてしまったほどだった。気まずい顔で、他の客に頭を下げ、彼らは話に戻る。
「ご無事なのですか?」
真っ先に出たセラフィーナの質問。囁き声だったが、緊迫した空気の中、重く落ちた。クロムウェルも真剣な眼差しで、ノーンも、食い入るようにインフェルノを見つめていた。
「うーん……一応手当はした、とだけ言っておこうかな」
歯切れの悪い回答に、何とも言えない空気が流れる。
「詳しい状況は?」
クロムウェルが短く聞く。
「僕も人伝に聞いただけだけど。魔王もどきの生贄の中にいたらしい」
「そんな……っ!それでは、もしや……」
弾ける様に漏れた、セラフィーナのかすれた叫び声。それには何も答えず、インフェルノは黙って懐を探ると、机の上に何かを置いた。それは、黒ずんだ腕輪だった。クロムウェルが息を飲む。
「それは?」
突然目の前に出されたそれに、ノーンは疑問を呈した。
「オルカが付けていた。こちらの手の者によると、これのおかげでオルカは命を取り留めたらしい」
ヒュッと息を飲むノーン。インフェルノはクロムウェルに視線を投げた。
「これ、何か分かっていそうだね、クロムウェル?」
クロムウェルは難しい顔をしていた。睨むように腕輪を見ている。
「……俺の作った魔道具、行方不明だったものだ」
ややあって、クロムウェルはインフェルノの問いに答えた。インフェルノは頷いて見せる。
「なるほど。回復の魔道具ということか」
それに対し、クロムウェルは静かに首を振った。
「それの本来の役割は記録だ。回復はセラフィーナが付与した効果だろう」
インフェルノは首を傾げた。セラフィーナも訝しむような顔をし、腕輪に手を伸ばす。右から左から、手に取った腕輪をくるくると回して観察する。
「……確かに私の力が込められていたようです。しかし、一体何故……?」
セラフィーナは腕輪を机上に戻しながら、不思議そうな様子を隠さない。クロムウェルは眉間の皺を揉みながら、答えた。
「魔王討伐の旅で、路銀を稼ぐために魔道具を売ったことを覚えていないか。俺の作る魔道具に、君の回復魔法を付与する。ノーンの提案だった」
突然、名前を呼ばれてビクリと反応してしまうノーン。少し思い返して、
「そういえば、そんなこともやったね」
とノーンは同意した。そして、ノーンは動きを止め、難しい顔をする。
「魔道具としての機能は何です?」
アーデルハイトが問いかけると、クロムウェルは荷物に手を伸ばした。そして、机の上に置かれていた腕輪の隣にコトリと置く。それは、インフェルノが出したものと瓜二つの腕輪だった。
「オルカが持っていたという腕輪の機能は記録。それを再生するのがこちらの腕輪だ」
インフェルノの目がギラリと光る。ちなみに透過効果付きだ、とクロムウェルはオルカが持っていた方を手に、実演して見せた。
「やっぱり……!」
突然、ノーンが大きな声を出した。なんだなんだと他の面々の視線がノーンに集まる。
「それ、オルカに試しに付けてもらって、見えなくなっちゃったやつだ……!」
後でクロムウェルに相談するって言っておいて、すっかり忘れていた……と呟くノーンに、クロムウェルは脱力した。
「……行方不明の理由は分かった。声が出ないからオルカも説明できず、そのまま、と……」
クロムウェルはため息を吐く。
「ねぇそれ、今、再生できる?」
そわそわとインフェルノが問うた。クロムウェルは黙ったまま、再生の方の腕輪に手を伸ばした。
「先日の魔王復活は失敗だったな。かなりの労力を要したというのに」
突然聞こえてきた、不穏な言葉。インフェルノの顔が驚愕に変わった。
「これは……!!って、ちょっとストップ!こんなところで再生していい内容じゃないから!!」
クロムウェルは一瞬目を丸くしたが、すぐに納得し、再生を止めた。ノーンは、聞こえてきた内容に皆目見当がつかず、首を傾げた。
「えっと……今のは?」
「グリーンオーロ国王の声です」
アーデルハイトは忌々し気に言い捨てた。そして、そのまま説明役を買って出る。
「魔王復活はグリーンオーロ王国の仕業でした。これは、その証拠となった会話の語り出しですね。クロムウェルがどこからともなく持ってきた証拠でしたが……」
どういうことです、と言いながら、アーデルハイトはクロムウェルを見やった。
「ある日突然、再生の腕輪がこの会話を流し始めた。出所不明ではあったが、声や内容から十分証拠になり得ると判断し、提供した」
言いながら、クロムウェルはオルカがしていたという腕輪を撫でる。
「つまり……オルカが協力してくれたということですか?」
セラフィーナの質問に、クロムウェルは苦い顔をした。
「……正直それは、オルカに聞かなければなんとも……」
すると突然、ニィと笑うインフェルノ。クロムウェルは背筋に嫌なものが這ったような悪寒を感じた。
「実は、クロムウェルとセラフィーナに頼みがあってね」
嫌な予感に武者震いするクロムウェル、そしてセラフィーナ。ノーンも不穏な空気に身を強張らせていた。それを気にすることもなく、インフェルノは続けた。
「オルカの件、こちらで対処する権利をもぎ取ってある。だから、今、オルカは僕の手の中だ。そして、ここに連れて来ている」
ニコリ、やはり人好きのする顔で、インフェルノはクロムウェルを見た。クロムウェルは嫌そうな顔でインフェルノを見つめ返した。
「グリーンオーロからこちらに来る際、一人多い気はしていた……」
クロムウェルはため息を吐いた。実は、要人4人、現在もグリーンオーロ王国の共同統治に駆り出されている。その関係で、最近はグリーンオーロ城に仲良く缶詰であった。したがって、ミディアムへは一緒に、クロムウェルの転移魔法を用いてやってきていたのだ。ただでさえ力を使う転移に、無断で1人分多く苦労をかけたインフェルノであったが、彼は更に意地の悪い顔になって、
「過去の確認をお願いしたい」
と、平然と言うのだった。
「軽く言ってくれる……」
クロムウェルはため息を吐いた。そして、あれは負担が大きいのだが、とこぼしたが、インフェルノはそれを無視し、セラフィーナに視線を向けた。
「そしてセラフィーナには、治療を」
「そういうことは早く言ってください。グリーンオーロ城でも対応できましたのに」
セラフィーナはピシャッと非難を返す。インフェルノは肩をすくめた。
「それは諸事情でできなかったんだ」
自分がオルカと対面するだけでも大変だったのだから、とインフェルノは苦い顔で続け、ノーンの鉄拳はその後ね、と閉めるのだった。
オルカは2階の客室に寝かせてあるということで、移動した面々。部屋の扉を開けて、奥、窓際に置かれたベッドに、彼は横たえられていた。無造作に伸ばされた銀髪は傷んでいて、顔には、かつてはなかった大きな傷が。全体的にやせ細り、露出している首元や手首回りだけでも、生々しい傷が大量に見える。息も浅く、苦しそうな様子だ。
オルカを目にして、動きを止めてしまっていたノーン、クロムウェル、セラフィーナ。ハッとした顔でセラフィーナがオルカに駆け寄ろうとしたが、インフェルノが横に腕を伸ばしてセラフィーナを止めた。
「インフェルノ!」
セラフィーナは抗議したが、インフェルノの意思は揺らがなかった。
「下手に治療して抵抗されたら敵わない。過去の確認が先だ」
厳しい口調で言い捨てると、インフェルノはクロムウェルに視線を向ける。すると、苦い表情で、しかし心得たようにクロムウェルはオルカに近づいた。おもむろに持っていた杖を、オルカの額辺りにかざす。杖の先端から、ほんわりと、しかし、禍々しい色の光が発せられた。
「っ!これは……」
突然、クロムウェルは声を上げる。それと同時にクロムウェルが発していた光が消えた。クロムウェルの目は、動揺で揺れていた。インフェルノが表情を変えないまま、
「説明を」
と短く要求した。それでクロムウェルは、チラと後方に立つ他の面々を見る。説明しようと口を開きかけるが、しかし、すぐに閉じられた。しばし逡巡していたが、
「いや。この方が早いだろう」
と残りの面々の方に向き直った。そして、杖を横に大きく振る。
「情報共有」
クロムウェルの魔力が、ノーン、セラフィーナ、インフェルノ、アーデルハイトを包み込んだ。
気が付くと、ノーンは馬車を走らせていた。ノーンに馬車を走らせる技術はない。どうなっているのかと首を傾げようとして、思うように体が動かないことに気付いた。
「久々のグリーンオーロ王国だね!」
後ろから聞こえた明るい声。それは、自分――ノーン――の声だった。周りは森。馬車を走らせている状況。そして、先程のセリフ。ノーンには覚えがあった。アーデルハイトと分かれた直後だ。どうやら自分は、オルカの視点であの時の世界を見ているらしい。ノーンの声が聞こえて、しかし、ノーンに視線が向くことはなく、オルカは手綱を持ったまま、横に大きく身を乗り出して後方を確認した。何もない道が後ろに消えていく。それを認識したと思えば、突然、オルカは馬車を止めた。
「どうしたの!?」
後ろから自分の驚く声が聞こえて、そうだった、と思う。アーデルハイト達と分かれてすぐ、オルカは馬車を止めた。そして………。オルカは自分の覚えているとおりに動く。御者席から飛び降りると、ノーンの方に向かう。そして、ノーンの脇にある剣やら荷物やらに手を伸ばし、外へ放り投げた。
「オルカ!?何を」
当然抗議するノーン。だが、オルカはノーンの腕までも掴んだ。自分はこの時、こんな顔をしていたんだな。ノーンは苦々しい気持ちで驚愕を示す自分の顔を見ていた。だが、それが確認できたのも一瞬で、オルカはノーンをも外へ引っ張り出し、突き飛ばした。
「痛っ!!」
自分が呻いている間にも、オルカは動いていた。御者席に飛び乗って鞭を手にし、馬を引っ叩く。こんなに素早い動きでオルカは馬車を発進させていたのかと、ノーンは舌を巻いた。
「え、ちょっと、オルカ!?」
自分の戸惑う声が遠ざかっていく。すると、体がぐっと唇を噛み締めたのが分かった。だが、オルカはそのまま馬車を走らせて、国境へ進む。通行許可証が光り、馬車は難なく国境を越えた。
場面が飛ぶ。グリーンオーロ王国入りを果たしたオルカは、王都の近くまでやってきていた。王都まで行くと思いきや、オルカは、王都の一つ手前の街で馬車を止める。街に入ったと思えば、オルカはすいすいと裏路地に入り込み、最後には隠された通路に足を踏み入れていた。
「ふん、帰ってきたか」
オルカを迎えたのは、偉そうな声だった。フードを被る人が複数いるのは見えたが、突然、体を後ろから押し倒され、声の主まで確認できなかった。地面に押さえつけられたことにノーンは驚いたが、体は抵抗しなかった。不安で押しつぶされそうになりながら、ノーンは続きを待つ。
「勇者はどうした」
先程の偉そうな声が、自分の行方を問うた。オルカは何も言わない。
「答えよ!!」
髪を掴まれて顔を上げさせられた。そこで、偉そうな声の主を知る。グリーンオーロ国王、その人だった。ノーンが驚いている間、体はパクパクと口を動かした。喉は話すときの動きをしているのに、口から出てくるのは空気のみ。……やっぱり声、出なかったんだな、とノーンは泣きたい気分になる。
「あぁ、そういえば声を奪ってあったな」
ノーンは冷えたものを食らった気持ちになった。声を、奪ってあった……?すると、グリーンオーロ国王は、ぞんざいな手振りでフードを被った内の1人に指示を出す。そいつから強い光が発せられ、オルカに向けられた。この光は……クロムウェルが放つものに似ている……?もしかして、魔法!?
「して、勇者は?」
ノーンが考えている間にも場面は続いていく。そろそろ掴まれている髪が痛い。オルカはゆっくりと口を開いた。
「死にました」
えぇー!?とノーンは驚愕。僕の死亡説、出所はオルカだったの!?一方、目の前でグリーンオーロ国王がハッと鼻で笑った。
「手間が省けたか。あの顔は気に入っていたのだがな」
ノーンの脳内に疑問符が溢れた。だが、全く意味が分からず、思考停止状態となる。ノーンの思考が止まっても、場面は続く。グリーンオーロ国王は、改めてオルカを一瞥して、首を傾げた。
「伝説の剣は?」
「勇者と共に」
突然、体が重力に従って床に落ちた。全身が痛い。その上、ずっと引っ張られていた頭がじんじんと痛んでいた。
「何故持ち帰らなかった」
グリーンオーロ国王の怒りの声が響いてきた。
「その命は受けていません」
オルカが言い切った途端、横から強い痛みが襲った。立て続けに、大きな痛みが繰り返し襲ってくる。オルカは一切動かなかったらしく、全く身をかばえないのが余計に辛い。痛みの合間に、嫌な会話が聞こえてくる。
「魔導士、それは強制できなかったのか」
「恐れながら。既にこれには魔王討伐と帰還、2つも強制魔法をかけています。それ以上は難しいかと」
大きな舌打ちが辺りに響いた。そして、コンコンと何かを床に打ち付ける音がして、痛みの刺激が来なくなった。じわじわとした痛みが体中にあった。だが、オルカの体は、じっと動きを止めていた。
「魔王討伐に同行しただけはある。痛みを耐える術を身に着けたか」
気に入らんな、と続けて呟く国王の声。
「でも、お兄ちゃんひどーい!もしかして、あの勇者を身代わりにした?」
やはりオルカは動かない。すると鈍い痛みが再度、肩を襲った。それでようやく理解した。さっきは何度も蹴りを入れられていたのだ、と。
「これこれ。これを兄などと呼ぶでない。ただの奴隷だ、身の程をわきまえさせろ」
「ふふっ、そーだった!でも、よく無事だったねー?道、何回も間違えていたみたいなのに」
僅かだが、顔が、上がった。ようやく、先程から酷い言葉を投げかけてくる存在を目にすることができた。豪華なドレスを身に纏い、綺麗に整えられた銀髪を靡かせた、美少女。だが、ノーンの記憶に該当する人は存在しなかった。
「天啓の声がさ、そっちじゃありません、気を付けて!なーんて、何回も!仲間に怒られたんじゃない?」
オルカの口元が動く。ギュッと、唇を噛み締めた。両手も強く握られている。どうやら爪が食い込むほど強く握られていたようで、そちらからも痛みを感じた。
「きゃっ!睨んでる!こっわーい!!」
ふざけた叫びの後、後ろから頭を強く床に押さえつけられた。オルカはやはり何の対処もしないので、ダイレクトに痛みが体を襲う。
「ふん、自我まで芽生えたか。しつけ直してやらんとならんな」
オルカの視線は床に向けられたまま動かない。それどころか、身動きすら取らないので、周りの様子が分からなかった。いや、身動きを取らないというよりは。身体を強張らせていて、動きそうになるのを堪えている、そんな様子に感じられた。
「調教を。まだ使用予定がある。殺さん程度にな」
2人分の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「パパー、この後の予定は?」
「天啓を受けた巫女であるお前の帰還パーティだ。討伐成功の褒美も与えねばな」
「ふふっ、やった!」
「しかし、勇者も準備していたというのに、どうしたものか……」
だんだんと聞こえなくなっていくふざけた会話を他所に、体に伸ばされた魔の手。オルカは、息を浅くしながらも、一切抵抗しようとしなかった。
気付けば、ノーンは床に膝をついていた。身体が震えて嗚咽が漏れる。顔に手をやれば、頬が濡れていた。顔を正面に向ける。苦い顔でこちらを見据えるクロムウェルの奥で、オルカはぐったりとしていた。
「今のは……」
セラフィーナのかすれた声。クロムウェルは目を伏せた。
「オルカの記憶だ。アーデルハイトと別れた後、そして、グリーンオーロ国王と対面した時の2場面を、そのまま共有した」
全員が全員、苦々しい顔をしていた。とりわけ強い嫌悪を表情に出していたのは、アーデルハイトだ。
「オルカに魔法を使った魔導士、祝賀パーティにいたグリーンオーロ王国の使者だと思うのですが。クロムウェル、何か知りませんか」
クロムウェルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……ブルーレイア王国の問題児。禁忌魔法に手を出したと言われていたが、行方をくらませていた」
祝賀パーティでは気付かなかった、と悔やむクロムウェル。ドン、突然、アーデルハイトは床を殴りつけた。
「グリーンオーロ王国にもオルカにも違和感はあったというのに……!あの時、みすみす帰さなければ……!」
アーデルハイトは歯を食いしばり、気を鎮めている。ノーンはとうとう泣きじゃくり始めた。セラフィーナも、床にうずくまり、身体を震わせていた。彼らが感情を持て余している間、冷静に、事実を掴もうと頭を回転させる男が1人。
「オルカはグリーンオーロ国王の私生児で、だけど奴隷扱いされていて。魔王討伐は強制魔法により身代わりにされての参加。もともと天啓を受けていたのは、グリーンオーロ王国の姫君……。ちょっとクロムウェル、情報量が多すぎるんだけど」
ぶつぶつと情報を整理していたインフェルノだったが、クロムウェルにイライラと言葉を投げる。まさに八つ当たりである。
「これでも省略した」
クロムウェルは、インフェルノの理不尽には追及せず、淡々と返した。
「だろうね、正直あの続きは見たくない」
インフェルノは大きく首を振る。
「それから」
クロムウェルが口を開くが、
「ま、待って!ごめん、全然理解できない。途中から、訳が分からなくて、何も考えられなくて……!!」
と、ノーンが叫んだ。ひとしきり泣いて落ち着いたのか、ノーンの顔は悲惨なことになっていたが、目に光が戻ってきている。隠すな、教えろ。覚悟を持った目を、ノーンはしていた。それを見て、インフェルノは慎重に、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「そうだね……………。君が、理解しておくべきことは。どうやらノーンは、オルカに助けられたってことかな。オルカが君を連れて国境越えしていたら、君は殺される予定だったみたいだからね」
「やっぱり……やっぱり、そういうこと、だよね!?オルカは……、オルカは、僕を守ろうとしてくれていた、嫌っていたわけじゃない、そう思っていいんだよね!!」
セラフィーナはノーンに近づいて、抱きしめた。
「えぇ、ノーン。オルカは、裏切ってなど、いなかったのです……!」
ノーンは、再度、泣き崩れた。インフェルノはノーンから苦い顔を背けた。
「クロムウェル、続報は後で聞こう。まずは……セラフィーナ、治療を頼めるかい?」
ノーンを慰めていたセラフィーナだったが、やはり泣きそうな顔で何度も頷くと、今度こそオルカに駆け寄り、癒し始めた。しかし、すぐ、
「傷が……深いです。数も多い」
そう、セラフィーナは呟き、とうとう涙をこぼした。
「一度で回復させるには、オルカの負担が大きすぎます。しばらく私は、オルカの側につきましょう」
異論は認めません、力強い目でセラフィーナは言い放った。それについて、誰も異議を唱えなかった。
「とはいえ、オルカをグリーンオーロ王国に置いておくのは都合が悪くてね。ノーン、君さえよければ、オルカを匿ってくれないか」
「みんながそれでいいのなら。僕は、オルカと一緒にいたい」
その後、ミディアムに居を構えていたノーンの家に、オルカを移動させた。クロムウェルが転移ポータルなるものをノーンの家に作成し、他の面々も楽に行き来ができるようにする。宣言どおり、セラフィーナはオルカの治癒のため、ノーンの家に残った。他の3人は、後は任せろと怖い顔で、グリーンオーロ王国に戻っていった。その目は仄暗い何かを孕んでいた気がするが、ノーンは見なかったことにした。
それから何日も経ったある日。今日も今日とて、ノーンはオルカの看病をしていた。オルカは目を覚まさない。身体はもう治っている。治療を終えたセラフィーナは、他の3人に助力すると言って、グリーンオーロ王国に戻っていた。後は精神的な問題だろう、と言い残して。
だから、ノーンは毎日、オルカに話しかけた。
魔王討伐を命じられた時から一緒にいてくれたオルカ。どんなに自分が不甲斐なくても、真摯に向き合ってくれたオルカ。そこにどんな陰謀が隠されていたとしても、ノーンにとって大事なのは、オルカがノーンを見捨てないでいてくれた、その1点だけだった。両親をなくしたばかりで、育ちの村に居場所もなくなり、孤独だったノーンは嬉しかったのだ。
「オルカ。僕にとって君は師匠であり、道標であり、兄のような存在だった。オルカと一緒にいたいと、思ったんだ」
ノーンは優しい手つきでオルカの髪を撫でる。
「馬車から降ろされて、悲しかった。見捨てられたと思った。……でも、僕を助けるためだったんだよね」
そこでノーンはグッと歯を食いしばる。目元が嫌に熱かった。
「僕は、オルカが大事だよ。オルカはどうだったかな。」
言いながら、ベッドの側に置いてあった椅子に座り込んだ。そして、オルカの手を握り、うなだれる。
「もう一度、起きているオルカに会いたい。……会いたいんだ」
オルカに顔を戻したノーンは、泣きそうな顔をほころばせた。
.
セラフィーナの指摘に、アーデルハイトは思わず肩を震わせた。サッと顔を背ける。動揺を隠せなかったアーデルハイトに、冷めた視線を送る、インフェルノ。そして、彼は口火を切った。
「実は発見した」
3人の驚愕の声が重なる。思いがけず大きく響いた声は、パブの視線を集めてしまったほどだった。気まずい顔で、他の客に頭を下げ、彼らは話に戻る。
「ご無事なのですか?」
真っ先に出たセラフィーナの質問。囁き声だったが、緊迫した空気の中、重く落ちた。クロムウェルも真剣な眼差しで、ノーンも、食い入るようにインフェルノを見つめていた。
「うーん……一応手当はした、とだけ言っておこうかな」
歯切れの悪い回答に、何とも言えない空気が流れる。
「詳しい状況は?」
クロムウェルが短く聞く。
「僕も人伝に聞いただけだけど。魔王もどきの生贄の中にいたらしい」
「そんな……っ!それでは、もしや……」
弾ける様に漏れた、セラフィーナのかすれた叫び声。それには何も答えず、インフェルノは黙って懐を探ると、机の上に何かを置いた。それは、黒ずんだ腕輪だった。クロムウェルが息を飲む。
「それは?」
突然目の前に出されたそれに、ノーンは疑問を呈した。
「オルカが付けていた。こちらの手の者によると、これのおかげでオルカは命を取り留めたらしい」
ヒュッと息を飲むノーン。インフェルノはクロムウェルに視線を投げた。
「これ、何か分かっていそうだね、クロムウェル?」
クロムウェルは難しい顔をしていた。睨むように腕輪を見ている。
「……俺の作った魔道具、行方不明だったものだ」
ややあって、クロムウェルはインフェルノの問いに答えた。インフェルノは頷いて見せる。
「なるほど。回復の魔道具ということか」
それに対し、クロムウェルは静かに首を振った。
「それの本来の役割は記録だ。回復はセラフィーナが付与した効果だろう」
インフェルノは首を傾げた。セラフィーナも訝しむような顔をし、腕輪に手を伸ばす。右から左から、手に取った腕輪をくるくると回して観察する。
「……確かに私の力が込められていたようです。しかし、一体何故……?」
セラフィーナは腕輪を机上に戻しながら、不思議そうな様子を隠さない。クロムウェルは眉間の皺を揉みながら、答えた。
「魔王討伐の旅で、路銀を稼ぐために魔道具を売ったことを覚えていないか。俺の作る魔道具に、君の回復魔法を付与する。ノーンの提案だった」
突然、名前を呼ばれてビクリと反応してしまうノーン。少し思い返して、
「そういえば、そんなこともやったね」
とノーンは同意した。そして、ノーンは動きを止め、難しい顔をする。
「魔道具としての機能は何です?」
アーデルハイトが問いかけると、クロムウェルは荷物に手を伸ばした。そして、机の上に置かれていた腕輪の隣にコトリと置く。それは、インフェルノが出したものと瓜二つの腕輪だった。
「オルカが持っていたという腕輪の機能は記録。それを再生するのがこちらの腕輪だ」
インフェルノの目がギラリと光る。ちなみに透過効果付きだ、とクロムウェルはオルカが持っていた方を手に、実演して見せた。
「やっぱり……!」
突然、ノーンが大きな声を出した。なんだなんだと他の面々の視線がノーンに集まる。
「それ、オルカに試しに付けてもらって、見えなくなっちゃったやつだ……!」
後でクロムウェルに相談するって言っておいて、すっかり忘れていた……と呟くノーンに、クロムウェルは脱力した。
「……行方不明の理由は分かった。声が出ないからオルカも説明できず、そのまま、と……」
クロムウェルはため息を吐く。
「ねぇそれ、今、再生できる?」
そわそわとインフェルノが問うた。クロムウェルは黙ったまま、再生の方の腕輪に手を伸ばした。
「先日の魔王復活は失敗だったな。かなりの労力を要したというのに」
突然聞こえてきた、不穏な言葉。インフェルノの顔が驚愕に変わった。
「これは……!!って、ちょっとストップ!こんなところで再生していい内容じゃないから!!」
クロムウェルは一瞬目を丸くしたが、すぐに納得し、再生を止めた。ノーンは、聞こえてきた内容に皆目見当がつかず、首を傾げた。
「えっと……今のは?」
「グリーンオーロ国王の声です」
アーデルハイトは忌々し気に言い捨てた。そして、そのまま説明役を買って出る。
「魔王復活はグリーンオーロ王国の仕業でした。これは、その証拠となった会話の語り出しですね。クロムウェルがどこからともなく持ってきた証拠でしたが……」
どういうことです、と言いながら、アーデルハイトはクロムウェルを見やった。
「ある日突然、再生の腕輪がこの会話を流し始めた。出所不明ではあったが、声や内容から十分証拠になり得ると判断し、提供した」
言いながら、クロムウェルはオルカがしていたという腕輪を撫でる。
「つまり……オルカが協力してくれたということですか?」
セラフィーナの質問に、クロムウェルは苦い顔をした。
「……正直それは、オルカに聞かなければなんとも……」
すると突然、ニィと笑うインフェルノ。クロムウェルは背筋に嫌なものが這ったような悪寒を感じた。
「実は、クロムウェルとセラフィーナに頼みがあってね」
嫌な予感に武者震いするクロムウェル、そしてセラフィーナ。ノーンも不穏な空気に身を強張らせていた。それを気にすることもなく、インフェルノは続けた。
「オルカの件、こちらで対処する権利をもぎ取ってある。だから、今、オルカは僕の手の中だ。そして、ここに連れて来ている」
ニコリ、やはり人好きのする顔で、インフェルノはクロムウェルを見た。クロムウェルは嫌そうな顔でインフェルノを見つめ返した。
「グリーンオーロからこちらに来る際、一人多い気はしていた……」
クロムウェルはため息を吐いた。実は、要人4人、現在もグリーンオーロ王国の共同統治に駆り出されている。その関係で、最近はグリーンオーロ城に仲良く缶詰であった。したがって、ミディアムへは一緒に、クロムウェルの転移魔法を用いてやってきていたのだ。ただでさえ力を使う転移に、無断で1人分多く苦労をかけたインフェルノであったが、彼は更に意地の悪い顔になって、
「過去の確認をお願いしたい」
と、平然と言うのだった。
「軽く言ってくれる……」
クロムウェルはため息を吐いた。そして、あれは負担が大きいのだが、とこぼしたが、インフェルノはそれを無視し、セラフィーナに視線を向けた。
「そしてセラフィーナには、治療を」
「そういうことは早く言ってください。グリーンオーロ城でも対応できましたのに」
セラフィーナはピシャッと非難を返す。インフェルノは肩をすくめた。
「それは諸事情でできなかったんだ」
自分がオルカと対面するだけでも大変だったのだから、とインフェルノは苦い顔で続け、ノーンの鉄拳はその後ね、と閉めるのだった。
オルカは2階の客室に寝かせてあるということで、移動した面々。部屋の扉を開けて、奥、窓際に置かれたベッドに、彼は横たえられていた。無造作に伸ばされた銀髪は傷んでいて、顔には、かつてはなかった大きな傷が。全体的にやせ細り、露出している首元や手首回りだけでも、生々しい傷が大量に見える。息も浅く、苦しそうな様子だ。
オルカを目にして、動きを止めてしまっていたノーン、クロムウェル、セラフィーナ。ハッとした顔でセラフィーナがオルカに駆け寄ろうとしたが、インフェルノが横に腕を伸ばしてセラフィーナを止めた。
「インフェルノ!」
セラフィーナは抗議したが、インフェルノの意思は揺らがなかった。
「下手に治療して抵抗されたら敵わない。過去の確認が先だ」
厳しい口調で言い捨てると、インフェルノはクロムウェルに視線を向ける。すると、苦い表情で、しかし心得たようにクロムウェルはオルカに近づいた。おもむろに持っていた杖を、オルカの額辺りにかざす。杖の先端から、ほんわりと、しかし、禍々しい色の光が発せられた。
「っ!これは……」
突然、クロムウェルは声を上げる。それと同時にクロムウェルが発していた光が消えた。クロムウェルの目は、動揺で揺れていた。インフェルノが表情を変えないまま、
「説明を」
と短く要求した。それでクロムウェルは、チラと後方に立つ他の面々を見る。説明しようと口を開きかけるが、しかし、すぐに閉じられた。しばし逡巡していたが、
「いや。この方が早いだろう」
と残りの面々の方に向き直った。そして、杖を横に大きく振る。
「情報共有」
クロムウェルの魔力が、ノーン、セラフィーナ、インフェルノ、アーデルハイトを包み込んだ。
気が付くと、ノーンは馬車を走らせていた。ノーンに馬車を走らせる技術はない。どうなっているのかと首を傾げようとして、思うように体が動かないことに気付いた。
「久々のグリーンオーロ王国だね!」
後ろから聞こえた明るい声。それは、自分――ノーン――の声だった。周りは森。馬車を走らせている状況。そして、先程のセリフ。ノーンには覚えがあった。アーデルハイトと分かれた直後だ。どうやら自分は、オルカの視点であの時の世界を見ているらしい。ノーンの声が聞こえて、しかし、ノーンに視線が向くことはなく、オルカは手綱を持ったまま、横に大きく身を乗り出して後方を確認した。何もない道が後ろに消えていく。それを認識したと思えば、突然、オルカは馬車を止めた。
「どうしたの!?」
後ろから自分の驚く声が聞こえて、そうだった、と思う。アーデルハイト達と分かれてすぐ、オルカは馬車を止めた。そして………。オルカは自分の覚えているとおりに動く。御者席から飛び降りると、ノーンの方に向かう。そして、ノーンの脇にある剣やら荷物やらに手を伸ばし、外へ放り投げた。
「オルカ!?何を」
当然抗議するノーン。だが、オルカはノーンの腕までも掴んだ。自分はこの時、こんな顔をしていたんだな。ノーンは苦々しい気持ちで驚愕を示す自分の顔を見ていた。だが、それが確認できたのも一瞬で、オルカはノーンをも外へ引っ張り出し、突き飛ばした。
「痛っ!!」
自分が呻いている間にも、オルカは動いていた。御者席に飛び乗って鞭を手にし、馬を引っ叩く。こんなに素早い動きでオルカは馬車を発進させていたのかと、ノーンは舌を巻いた。
「え、ちょっと、オルカ!?」
自分の戸惑う声が遠ざかっていく。すると、体がぐっと唇を噛み締めたのが分かった。だが、オルカはそのまま馬車を走らせて、国境へ進む。通行許可証が光り、馬車は難なく国境を越えた。
場面が飛ぶ。グリーンオーロ王国入りを果たしたオルカは、王都の近くまでやってきていた。王都まで行くと思いきや、オルカは、王都の一つ手前の街で馬車を止める。街に入ったと思えば、オルカはすいすいと裏路地に入り込み、最後には隠された通路に足を踏み入れていた。
「ふん、帰ってきたか」
オルカを迎えたのは、偉そうな声だった。フードを被る人が複数いるのは見えたが、突然、体を後ろから押し倒され、声の主まで確認できなかった。地面に押さえつけられたことにノーンは驚いたが、体は抵抗しなかった。不安で押しつぶされそうになりながら、ノーンは続きを待つ。
「勇者はどうした」
先程の偉そうな声が、自分の行方を問うた。オルカは何も言わない。
「答えよ!!」
髪を掴まれて顔を上げさせられた。そこで、偉そうな声の主を知る。グリーンオーロ国王、その人だった。ノーンが驚いている間、体はパクパクと口を動かした。喉は話すときの動きをしているのに、口から出てくるのは空気のみ。……やっぱり声、出なかったんだな、とノーンは泣きたい気分になる。
「あぁ、そういえば声を奪ってあったな」
ノーンは冷えたものを食らった気持ちになった。声を、奪ってあった……?すると、グリーンオーロ国王は、ぞんざいな手振りでフードを被った内の1人に指示を出す。そいつから強い光が発せられ、オルカに向けられた。この光は……クロムウェルが放つものに似ている……?もしかして、魔法!?
「して、勇者は?」
ノーンが考えている間にも場面は続いていく。そろそろ掴まれている髪が痛い。オルカはゆっくりと口を開いた。
「死にました」
えぇー!?とノーンは驚愕。僕の死亡説、出所はオルカだったの!?一方、目の前でグリーンオーロ国王がハッと鼻で笑った。
「手間が省けたか。あの顔は気に入っていたのだがな」
ノーンの脳内に疑問符が溢れた。だが、全く意味が分からず、思考停止状態となる。ノーンの思考が止まっても、場面は続く。グリーンオーロ国王は、改めてオルカを一瞥して、首を傾げた。
「伝説の剣は?」
「勇者と共に」
突然、体が重力に従って床に落ちた。全身が痛い。その上、ずっと引っ張られていた頭がじんじんと痛んでいた。
「何故持ち帰らなかった」
グリーンオーロ国王の怒りの声が響いてきた。
「その命は受けていません」
オルカが言い切った途端、横から強い痛みが襲った。立て続けに、大きな痛みが繰り返し襲ってくる。オルカは一切動かなかったらしく、全く身をかばえないのが余計に辛い。痛みの合間に、嫌な会話が聞こえてくる。
「魔導士、それは強制できなかったのか」
「恐れながら。既にこれには魔王討伐と帰還、2つも強制魔法をかけています。それ以上は難しいかと」
大きな舌打ちが辺りに響いた。そして、コンコンと何かを床に打ち付ける音がして、痛みの刺激が来なくなった。じわじわとした痛みが体中にあった。だが、オルカの体は、じっと動きを止めていた。
「魔王討伐に同行しただけはある。痛みを耐える術を身に着けたか」
気に入らんな、と続けて呟く国王の声。
「でも、お兄ちゃんひどーい!もしかして、あの勇者を身代わりにした?」
やはりオルカは動かない。すると鈍い痛みが再度、肩を襲った。それでようやく理解した。さっきは何度も蹴りを入れられていたのだ、と。
「これこれ。これを兄などと呼ぶでない。ただの奴隷だ、身の程をわきまえさせろ」
「ふふっ、そーだった!でも、よく無事だったねー?道、何回も間違えていたみたいなのに」
僅かだが、顔が、上がった。ようやく、先程から酷い言葉を投げかけてくる存在を目にすることができた。豪華なドレスを身に纏い、綺麗に整えられた銀髪を靡かせた、美少女。だが、ノーンの記憶に該当する人は存在しなかった。
「天啓の声がさ、そっちじゃありません、気を付けて!なーんて、何回も!仲間に怒られたんじゃない?」
オルカの口元が動く。ギュッと、唇を噛み締めた。両手も強く握られている。どうやら爪が食い込むほど強く握られていたようで、そちらからも痛みを感じた。
「きゃっ!睨んでる!こっわーい!!」
ふざけた叫びの後、後ろから頭を強く床に押さえつけられた。オルカはやはり何の対処もしないので、ダイレクトに痛みが体を襲う。
「ふん、自我まで芽生えたか。しつけ直してやらんとならんな」
オルカの視線は床に向けられたまま動かない。それどころか、身動きすら取らないので、周りの様子が分からなかった。いや、身動きを取らないというよりは。身体を強張らせていて、動きそうになるのを堪えている、そんな様子に感じられた。
「調教を。まだ使用予定がある。殺さん程度にな」
2人分の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「パパー、この後の予定は?」
「天啓を受けた巫女であるお前の帰還パーティだ。討伐成功の褒美も与えねばな」
「ふふっ、やった!」
「しかし、勇者も準備していたというのに、どうしたものか……」
だんだんと聞こえなくなっていくふざけた会話を他所に、体に伸ばされた魔の手。オルカは、息を浅くしながらも、一切抵抗しようとしなかった。
気付けば、ノーンは床に膝をついていた。身体が震えて嗚咽が漏れる。顔に手をやれば、頬が濡れていた。顔を正面に向ける。苦い顔でこちらを見据えるクロムウェルの奥で、オルカはぐったりとしていた。
「今のは……」
セラフィーナのかすれた声。クロムウェルは目を伏せた。
「オルカの記憶だ。アーデルハイトと別れた後、そして、グリーンオーロ国王と対面した時の2場面を、そのまま共有した」
全員が全員、苦々しい顔をしていた。とりわけ強い嫌悪を表情に出していたのは、アーデルハイトだ。
「オルカに魔法を使った魔導士、祝賀パーティにいたグリーンオーロ王国の使者だと思うのですが。クロムウェル、何か知りませんか」
クロムウェルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……ブルーレイア王国の問題児。禁忌魔法に手を出したと言われていたが、行方をくらませていた」
祝賀パーティでは気付かなかった、と悔やむクロムウェル。ドン、突然、アーデルハイトは床を殴りつけた。
「グリーンオーロ王国にもオルカにも違和感はあったというのに……!あの時、みすみす帰さなければ……!」
アーデルハイトは歯を食いしばり、気を鎮めている。ノーンはとうとう泣きじゃくり始めた。セラフィーナも、床にうずくまり、身体を震わせていた。彼らが感情を持て余している間、冷静に、事実を掴もうと頭を回転させる男が1人。
「オルカはグリーンオーロ国王の私生児で、だけど奴隷扱いされていて。魔王討伐は強制魔法により身代わりにされての参加。もともと天啓を受けていたのは、グリーンオーロ王国の姫君……。ちょっとクロムウェル、情報量が多すぎるんだけど」
ぶつぶつと情報を整理していたインフェルノだったが、クロムウェルにイライラと言葉を投げる。まさに八つ当たりである。
「これでも省略した」
クロムウェルは、インフェルノの理不尽には追及せず、淡々と返した。
「だろうね、正直あの続きは見たくない」
インフェルノは大きく首を振る。
「それから」
クロムウェルが口を開くが、
「ま、待って!ごめん、全然理解できない。途中から、訳が分からなくて、何も考えられなくて……!!」
と、ノーンが叫んだ。ひとしきり泣いて落ち着いたのか、ノーンの顔は悲惨なことになっていたが、目に光が戻ってきている。隠すな、教えろ。覚悟を持った目を、ノーンはしていた。それを見て、インフェルノは慎重に、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「そうだね……………。君が、理解しておくべきことは。どうやらノーンは、オルカに助けられたってことかな。オルカが君を連れて国境越えしていたら、君は殺される予定だったみたいだからね」
「やっぱり……やっぱり、そういうこと、だよね!?オルカは……、オルカは、僕を守ろうとしてくれていた、嫌っていたわけじゃない、そう思っていいんだよね!!」
セラフィーナはノーンに近づいて、抱きしめた。
「えぇ、ノーン。オルカは、裏切ってなど、いなかったのです……!」
ノーンは、再度、泣き崩れた。インフェルノはノーンから苦い顔を背けた。
「クロムウェル、続報は後で聞こう。まずは……セラフィーナ、治療を頼めるかい?」
ノーンを慰めていたセラフィーナだったが、やはり泣きそうな顔で何度も頷くと、今度こそオルカに駆け寄り、癒し始めた。しかし、すぐ、
「傷が……深いです。数も多い」
そう、セラフィーナは呟き、とうとう涙をこぼした。
「一度で回復させるには、オルカの負担が大きすぎます。しばらく私は、オルカの側につきましょう」
異論は認めません、力強い目でセラフィーナは言い放った。それについて、誰も異議を唱えなかった。
「とはいえ、オルカをグリーンオーロ王国に置いておくのは都合が悪くてね。ノーン、君さえよければ、オルカを匿ってくれないか」
「みんながそれでいいのなら。僕は、オルカと一緒にいたい」
その後、ミディアムに居を構えていたノーンの家に、オルカを移動させた。クロムウェルが転移ポータルなるものをノーンの家に作成し、他の面々も楽に行き来ができるようにする。宣言どおり、セラフィーナはオルカの治癒のため、ノーンの家に残った。他の3人は、後は任せろと怖い顔で、グリーンオーロ王国に戻っていった。その目は仄暗い何かを孕んでいた気がするが、ノーンは見なかったことにした。
それから何日も経ったある日。今日も今日とて、ノーンはオルカの看病をしていた。オルカは目を覚まさない。身体はもう治っている。治療を終えたセラフィーナは、他の3人に助力すると言って、グリーンオーロ王国に戻っていた。後は精神的な問題だろう、と言い残して。
だから、ノーンは毎日、オルカに話しかけた。
魔王討伐を命じられた時から一緒にいてくれたオルカ。どんなに自分が不甲斐なくても、真摯に向き合ってくれたオルカ。そこにどんな陰謀が隠されていたとしても、ノーンにとって大事なのは、オルカがノーンを見捨てないでいてくれた、その1点だけだった。両親をなくしたばかりで、育ちの村に居場所もなくなり、孤独だったノーンは嬉しかったのだ。
「オルカ。僕にとって君は師匠であり、道標であり、兄のような存在だった。オルカと一緒にいたいと、思ったんだ」
ノーンは優しい手つきでオルカの髪を撫でる。
「馬車から降ろされて、悲しかった。見捨てられたと思った。……でも、僕を助けるためだったんだよね」
そこでノーンはグッと歯を食いしばる。目元が嫌に熱かった。
「僕は、オルカが大事だよ。オルカはどうだったかな。」
言いながら、ベッドの側に置いてあった椅子に座り込んだ。そして、オルカの手を握り、うなだれる。
「もう一度、起きているオルカに会いたい。……会いたいんだ」
オルカに顔を戻したノーンは、泣きそうな顔をほころばせた。
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