サイドストーリー
ミドナはリンクの牢の近くにいた。そわそわと落ち着きなくリンクの牢の方を伺っている。すると、本日何組目か分からない訪問者が牢から出てきた。魔王軍出身者は多少苛立つ程度だが、女神軍出身者は怒り狂っている。そのため、魔王軍出身者は女神軍側の者を宥めなければならなかった。どうやら、この組も例に漏れず、リンクから何も聞き出せなかったらしい。実は、ミドナは何度もこの周辺を徘徊していたのだが、出てきた人は誰一人としていい顔をしていなかった。
それでも、とミドナは思う。リンクが何を考えていたのか、知りたい。世界を壊したくなるほど苦しんでいたのに、支えてやることもできなかった。いや……自分はきっと、まだリンクを信じている。信じたいのだ。そのためには、リンクと直接会って話さなければならない。だが……その一歩がどうしても踏み出せない。正直ミドナは、自分にならばリンクも本音を話すと思っていた。もしリンクが嘘を言ったとしても、見抜ける自信があった。
しかし一方で……リンクを信じ切ることができないのも事実だった。もし、あれが本意だったらどうしよう。会うことが、怖い。
……いや、常であれば、リンクに突撃していた。出来た。腹を割って話すくらい、ミドナにとっては本来、苦労しないことなのだ。しかし、リンクを訪問するには、非常に厄介な決まりがある。リンクとの面会には、必ず女神軍と魔王軍の両陣営が同伴するという決まりだ。そうは言っても、女神陣営でさえ、ミドナには邪魔だった。ましてや魔王軍。自分のしたい話ができるとも思えない。そうすると、牢に忍び込まなければならないが……それは、ゼルダさえをも裏切る行為で。はっきり言って、ミドナは困っていた。
「そんなところで何をしているのかな?影の王女様?」
唐突に放たれた言葉。ミドナはビクリと身を震わせた。平静を装って声の方を見ると、あまり会いたくない人物が立っていた。
「……ギラヒムか。別に。ただ、歩いていただけさ。」
適当に御託を並べて誤魔化す。しかし、ギラヒムにそれで引き下がる気はないようだった。
「ふーん?じゃあ言わせてもらうけれど。キミ、一体何回ここを訪れたら気が済むんだい?」
ミドナは思わず舌打ちしそうになった。何故かギラヒムは、ミドナがこの周辺によく近づいていることを知っていたらしい。その理由など1つしかないのだが、何でもない風を装った。
「知らないな。通り道なんだ。いちいち数えちゃいないよ。」
「通り道?ここが?」
とうとうミドナは言葉を詰まらせた。苦しい言い訳であるのは自分でも痛いほど分かっていた。ふいとそっぽを向く。
「…………うるさいな。放っておいてくれ。」
投げやりにミドナは言った。じぃ、とギラヒムは暫くミドナを見つめてくる。そうかと思うと、やれやれと言わんばかりに首を振った。
「気になるのならば、さっさと行けばいいのに。お供しようか?影の王女様?」
いつもの仰々しい仕草でギラヒムは提案する。ミドナはため息を吐いた。確かにギラヒムが居れば中に入ることができる。しかし、それだけだ。こちらの望む会話はできないだろう。
「………いい。別に会いたいわけじゃない。」
暗い気持ちでミドナは歩き出した。ギラヒムは少し考える素振りを見せていたが、ミドナが大して進まないうちに、口を開いた。
「ねぇ、影の王女様?」
「……なんだよ。」
ギラヒムの呼びかけを無視するわけにはいかず、ミドナは仕方なく足を止めた。
「ワタシは彼に用がある。ついて来るよね?」
突拍子もないことをギラヒムが言い出した。
「はぁ?会いたいわけじゃないと言ったばかりだろう。」
イライラを隠さず、ミドナは拒否する。すると、ギラヒムは肩をすくめた。
「キミの都合なんて知らないよ。ワタシは彼のところに行きたい。ここには誰かしら女神陣営の者がいるだろうと踏んで来たら、君がいた。だから君は、ワタシについて来なければならない。そうだろう?」
ギラヒムは悠々と言ってのける。いっそ清々しいほどの傲慢さである。大体、ギラヒムの用事など、ろくなものではないはずだ。仮に本当にリンクが悪だったとしても、いたずらに傷付けられる様子は見たくない。
「……他を当たってくれ。」
踵を返したミドナだったが、その直後、腕を掴まれた。
「来るよね、影の王女様?」
ギラヒムはミドナの耳元に口を近づけた。そして、囁く。
「キミが一人でリンク君のところに行くつもりだって、魔王様に報告するよ?」
ミドナはギラヒムを振り切り、苛立ちを追いやるように首を振った。過剰反応と言えるだろう。すぐにそのことに気付き、視線を彷徨わせた。挙動不審だったかもしれない。
「……い、言えばいいだろう。そんなつもり、微塵もないからな!」
やっとの思いで虚勢を張ると、ギラヒムは意外そうな顔をした。
「そんなに動揺するんだ?まさか、本気でそのつもりがあるとは思わなかったよ。」
「ないと言っているだろう!」
即座にミドナは噛みつく。ギラヒムはニヤリと笑った。
「意地になっていては余計に怪しいね。仮にそうだとしても、キミはもっと上手く隠すと思っていた。」
不敵な笑みを浮かべ、ギラヒムはミドナを引っ張って歩き出した。
「まぁ、どちらにせよ、ワタシには付き合ってもらうよ。」
ミドナは初めこそ抵抗したが、純粋な力勝負となると及ばず、すぐに諦めて大人しく引っ張られていった。
「やぁリンク君。」
結局、ミドナはギラヒムと共にリンクの前に立っていた。リンクは牢の奥で膝を抱え、さらに、顔を膝に埋めていた。ギラヒムの声で顔を上げるが、その途端、かなり嫌そうな顔に変わる。
“……すごく疲弊しているな、リンクのやつ。”
その様子を見て湧き上がった感情は、怒りではなく心配だった。
「気分はどうだい?野望を撃ち砕かれ、何も出来ないように閉じ込められた気分は。」
リンクの様子に思うところはないらしい。隣に立つギラヒムは、いつもの調子でリンクを嘲笑っていた。
「………何の用。」
ギラヒムの問いには答えず、リンクは低い声で用件を問うた。いや、その様子は、問いかけるというより言い捨てていた。
「何の用、って。キミの惨めな姿を見に来たんだよ。他に理由が必要かい?」
相変わらずギラヒムはニヤニヤしている。やはりコレを見せられるのだな、とミドナは遠い目をした。リンクを確認すると、先程とは比べ物にならないほど嫌そうな顔をしていた。
「……うざい。さっさと出て行って。」
その言葉はため息を添えて。全く期待していないのが傍から分かる声だった。
「連れないねぇ。せっかく来てあげたのに。」
対してギラヒムは愉しそうに笑っている。
「……頼んでない。」
どこか諦めたようにリンクは呟いた。すると、ギラヒムは顔を牢に近づけた。
「あの時みたいにいたぶってあげられないのが残念だ。あの時は大人しくて可愛かったのにね?」
内緒話をするように、だが、はっきりと聞こえる声でギラヒムは囁いた。ミドナが怪訝な顔でギラヒムを見ると、ギラヒムは陶酔しきったような顔をしている。すると、リンクはハッと鼻で笑った。
「あれが引き金になったとは思わない?」
長い、長い沈黙が流れた。何のことか分からないミドナは、ギラヒムの様子をうかがうしかない。いつの間にかギラヒムは、いつにも増して不機嫌な顔をしていた。
「……へぇ?じゃあ、ワタシのせいだと?」
ようやくギラヒムから漏れた声はかなり低いものだった。からかうような口調ではあったが、不機嫌を隠していない。すると、リンクは肩をすくめた。
「別に。オレが失望したのは、君に対してだけじゃないし。」
そこでミドナは嫌な予感にぶち当たった。
「ちょ、ちょっと待て。ギラヒム、お前コイツに何かしたのか。」
ミドナの問いに対し、意外にもギラヒムは少し視線をそらした。
「………それは、」
「何かしていたら何なの?今更それが、何の役に立つって?」
少しバツの悪そうなギラヒムの言葉は、しかし、リンクの気怠そうな声に遮られた。
「………リンク?」
その様子にミドナは引っ掛かりを覚えた。思わずリンクの名を呼ぶ。だが、確かにリンク目線はこちらに向いたが、それは一瞬で、それ以上の反応を返してはくれなかった。
「その話を続けるか続けないかはどうでもいいけど。それ、他所でやってくれる?オレ、関係ないよね?」
相変わらず、全てを放り出したような態度だった。ミドナはその様子を見て困惑する。だが、何を言う前に、ギラヒムが強く鉄格子を攻撃した。気付かぬ程一瞬で出現させた剣を握る手は、固く握られている。どうも、彼の怒りに火が付いたらしい。
「リンク君、キミ、本当にムカつくね?またいたぶってあげるから、こっちにおいでよ?」
不機嫌を前面に押し出しつつ、憎々しげにリンクを威嚇するギラヒム。
「断る。」
対して、リンクは一刀両断していた。しばらくギラヒムは黙ってリンクを見つめていた。
「……フンッ、興覚めした。」
ギラヒムはパッと手を放して剣を消すと、苛立ったように荒くマントを翻した。そうかと思うと、くるりとミドナに向き直った。怪訝に思いながら眺めていると、ミドナに向かってうやうやしくお辞儀する。
「影の王女様、話したいことがあるのならばどうぞ?ワタシは出口付近にいるからね。」
尊大な口ぶりでそう言うと、ギラヒムは去っていった。ミドナは呆気にとられてギラヒムを見送る。しばらくミドナは呆然とギラヒムの去った後を見つめていたのだが、やがて悟った。
“……あいつ、まさか、このためにワタシをここへ連れて来たのか?なんだよ、ツンデレか。”
思わぬギラヒムの好意に顔が緩みそうになる。しかし、今は、と気を引き締めた。折角ギラヒムが作ってくれた機会だ。存分に利用させてもらおうじゃないか。改めてミドナはリンクを見据えた。リンクも怪訝に思ったのだろう。ギラヒムが去った方を眺めている。だが、ミドナの視線に気付いたらしい。やれやれといった風にリンクは首を振った。
「君もさっさと出て行けば?オレ、もう疲れたんだけど。」
リンクは手で出口の方を示しながらそう言った。相変わらずのリンクの態度に、一気に心が重くなる。だが、何故かリンクのことが儚く見える。先程のリンクの言に対し、ミドナは神妙に頷いて見せた。牢に来た当初から感じていたように、リンクが疲労困憊しているのは紛れもない事実だろう、とミドナは思う。
「そのようだな。お前、滅茶苦茶疲れた顔をしているぞ。」
「あぁ、そう。それで?」
ミドナの思いやりにもリンクはそっけない。だが、そのそっけなさが逆に心配になった。
「……オマエ、大丈夫なのか?すごく辛そうだ。」
思わず、ミドナはリンクを気遣うセリフを述べていた。それほど、今のリンクには生気がなかった。しかし、ミドナの言葉を聞いたリンクは、額に皺を寄せていた。
「はぁ?何、今更オレに同情するの?」
不良さながらの声音である。ミドナも、少しカチンときた。
「同情とは酷い言い草だな。心配してやってんのに。」
苛立ちを押さえながら、ミドナはリンクに言い放った。すると、リンクはハッと鼻で笑った。
「だから、そんなこと頼んでないし。大体、敵を心配するって、君、馬鹿だったの?」
「ば、馬鹿とはなんだ!?」
流石に馬鹿にされては冷静に対処できなかった。思わず怒鳴り返してしまう。
「オレが元気になったら君達困るんだろうに。……いや。」
少し考える素振りを見せた後、リンクは一呼吸ついた。一瞬違和感を覚えたが、リンクの顔がこちらに向いてそれどころではなくなった。先ほどまでの気怠そうな感じはどこにいったのやら、ゾッとするような嫌な笑みに心が冷える。リンクはニヤリと笑って口を開いた。
「オレが辛いって言ったら出してくれるの?」
「………っ!そ、それは……。」
ミドナはたじろぐ。思わず視線を彷徨わせた。
“それは……できない。そんな酷い裏切りはできない。”
ミドナは思う。だが、その一方で。
“……もし、もしも、だ。本当に、リンクが助けを求めてきたら。ワタシはその手を払い退けるのだろうか。”
それはそれで、かつての相棒を見捨てる行為である。そんな非情なことができるかと言われると……自信がなかった。
「……ふーん?迷うんだ?」
ミドナが言葉を返せないでいると、何を思ったか、リンクはゆっくりと立ち上がった。そして、こちらに向かって、のんびりと歩み寄ってくる。その様子が、なんだか恐ろしかった。ミドナはその場に硬直してしまう。そうこうする内に、リンクは鉄格子を挟んですぐそこまでやってきた。
「ミドナ。君、オレのために動いてくれる?やっぱり、全員いらないっていうより、誰かしら手下に置いておいた方が良かったみたいなんだよね。」
優しい顔……しかし、全く思いやりの籠らない顔で、リンクは囁いた。
「お、まえ……あれは、本気だった、のか………?」
ミドナは呆然としながら、なんとか言葉を紡ぐ。リンクはクスクスと笑い出した。
「まだオレのことを信じているとか言うの?ハハッ、あの時代のオレも、捨てたもんじゃないな。じゃあさ、ミドナ。オレをここから出してよ。それで、一緒に世界を壊そう?きっと楽しいよ?」
演技がかった仕草で話すリンクは、ミドナの知っている姿ではなかった。目の前が真っ暗になるような気持ちになる。
「は……、な、何を言って、」
「世界を壊した暁には、君を楽にしてあげる。」
ミドナがやっとの思いで口を開くも、リンクはそれを遮って、更に不穏なことを口走った。そうかと思うと、相変わらずクスクスと不気味に笑いながら、リンクはこちらに手を伸ばしてきた。呆然と動けずにいると、その手はどこか優しく、頬に触れた。
「大丈夫。最後は君も壊してあげるから。みんなと一緒だよ?」
「ふ、ふざけるなっ!」
ミドナはリンクの手を強く払い落とした。ギョッとした顔のまま、リンクに向き直る。
「だ、大体、お前はそんな奴じゃなかっただろう!!何故そんなことを言い出すんだっ!?」
ミドナの必死の主張に対し、リンクは大きくため息を吐いた。先程までの楽しそうな様子は鳴りを潜め、つまらなさそうな顔をしている。
「あーもう、またそれ?全く、オレを見誤ったのは君達なのに。」
大きなため息が更に追加される。腰に手を当てて、こちらを見たリンクは、なんとも大儀そうな顔をしていた。
「馬鹿な君達に分かるよう、何度でも言ってあげるけど。オレは、オレのやりたいように行動したんだ。言っておくけど、それに関しては今までと同じだよ?以前だって、破壊衝動に身を任せて魔物を倒していたんだから。今回は、その対象に女神軍も入れただけ。だってオレ、あの時完全なトライフォースを持っていたし。両軍倒せると思ったんだけどな。」
さも残念そうに肩をすくめるリンク。リンクの主張は報告にあったとおり。むしろ、全くぶれていない。だが、自分こそはリンクの本音を引き出す。ここからが正念場だ。ミドナはそっと深呼吸をした。
「……ワタシは、騙されないぞ。あの時と……ワタシと共に戦った時と、同じだと言うんだな?だが、あの時お前は、お前自身の為ではなく、ワタシや、姫さんや、その他ハイラルの人たちの為に、」
「暴れるための丁度いい大義名分だったからね。」
ミドナの必死の理論も、言葉の途中でリンクに遮られる。
「流石に、同族であるハイリア人や同盟を結んでいるゴロン族とかゾーラ族を襲うわけにはいかなかったし。」
今や不機嫌そうな顔でリンクは宣った。ギリリと歯を食いしばりながら、それでもとミドナは口を開いた。
「もともと、お前は、牧童で。村の子どもたちを助けるためにあの戦いに身を投じた。そして、ワタシの要求で、深みに嵌っていくことになった。」
リンクはハッと鼻で笑った。
「あぁ、そんな始まり方だっけ?」
そして、ミドナに顔を近づけてきた。
「そうすると、ミドナ。君には感謝しなきゃならないな。オレは、君のおかげで破壊活動を誰に咎められることなく出来たんだから。」
ミドナは目を見開いた。
「オマエ……!!」
だが、それ以上言葉を継ぐことができない。ハハハと大笑いしながら、リンクの顔が離れていく。そして、惚れ惚れしたような顔でリンクは言い放った。
「守護者達から逃げ惑う君たちを見ているのは楽しかったのになぁ。最後まで壊せなかったことが心残り。」
実に残念そうな顔になり、リンクはやれやれと首を振った。だが、それに構う余裕は、ミドナにはなくなっていた。先程までの心配はどこかへ吹き飛んでいった。今、ミドナの中に残っているのは、怒り。そして、失望。ミドナは、唸るようにリンクを睨みつける。
「……っ!!オマエ、そんな奴だったのか!!見損なった!!二度とその顔見たくないっ!!」
ミドナは足早に出口に向かった。すっかり忘れていたが、扉の前で、ギラヒムは待っていた。ミドナを認めると、ギラヒムは無言で扉を開けた。二人は地下牢を後にする。
地下牢を出たミドナとギラヒム。ミドナは抜け殻のように歩いていたが、何故かギラヒムはミドナについてきていた。
「影の王女様?」
肩を大きく震わせ、ミドナはギラヒムの方を見た。
「な、なんだよ。まだいたのか。」
「なんだか随分と覇気がないね?」
「覇気がない?ワタシが?」
虚勢を張るミドナ。ギラヒムは、肩をすくめると、ミドナを追い抜いて去っていった。だが、その追い抜きざまに、
「あんな奴、覚えているだけの価値もない。」
と呟いた。ミドナには、確かにその声が聞こえた。思わずミドナは足を止めた。ギラヒムは気にすることもなく行ってしまった。ミドナはしばらく呆然としていたが、やがて、
「そうだな。」
と呟いた。そして、自分が来た方―リンクの牢の方―を見やる。
「ワタシはもう、オマエを忘れるよ。……オマエのことで悩むのは、これっきりだ。じゃあな、リンク。」
ミドナは少しすっきりした顔で部屋に戻る道を歩き出した。
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それでも、とミドナは思う。リンクが何を考えていたのか、知りたい。世界を壊したくなるほど苦しんでいたのに、支えてやることもできなかった。いや……自分はきっと、まだリンクを信じている。信じたいのだ。そのためには、リンクと直接会って話さなければならない。だが……その一歩がどうしても踏み出せない。正直ミドナは、自分にならばリンクも本音を話すと思っていた。もしリンクが嘘を言ったとしても、見抜ける自信があった。
しかし一方で……リンクを信じ切ることができないのも事実だった。もし、あれが本意だったらどうしよう。会うことが、怖い。
……いや、常であれば、リンクに突撃していた。出来た。腹を割って話すくらい、ミドナにとっては本来、苦労しないことなのだ。しかし、リンクを訪問するには、非常に厄介な決まりがある。リンクとの面会には、必ず女神軍と魔王軍の両陣営が同伴するという決まりだ。そうは言っても、女神陣営でさえ、ミドナには邪魔だった。ましてや魔王軍。自分のしたい話ができるとも思えない。そうすると、牢に忍び込まなければならないが……それは、ゼルダさえをも裏切る行為で。はっきり言って、ミドナは困っていた。
「そんなところで何をしているのかな?影の王女様?」
唐突に放たれた言葉。ミドナはビクリと身を震わせた。平静を装って声の方を見ると、あまり会いたくない人物が立っていた。
「……ギラヒムか。別に。ただ、歩いていただけさ。」
適当に御託を並べて誤魔化す。しかし、ギラヒムにそれで引き下がる気はないようだった。
「ふーん?じゃあ言わせてもらうけれど。キミ、一体何回ここを訪れたら気が済むんだい?」
ミドナは思わず舌打ちしそうになった。何故かギラヒムは、ミドナがこの周辺によく近づいていることを知っていたらしい。その理由など1つしかないのだが、何でもない風を装った。
「知らないな。通り道なんだ。いちいち数えちゃいないよ。」
「通り道?ここが?」
とうとうミドナは言葉を詰まらせた。苦しい言い訳であるのは自分でも痛いほど分かっていた。ふいとそっぽを向く。
「…………うるさいな。放っておいてくれ。」
投げやりにミドナは言った。じぃ、とギラヒムは暫くミドナを見つめてくる。そうかと思うと、やれやれと言わんばかりに首を振った。
「気になるのならば、さっさと行けばいいのに。お供しようか?影の王女様?」
いつもの仰々しい仕草でギラヒムは提案する。ミドナはため息を吐いた。確かにギラヒムが居れば中に入ることができる。しかし、それだけだ。こちらの望む会話はできないだろう。
「………いい。別に会いたいわけじゃない。」
暗い気持ちでミドナは歩き出した。ギラヒムは少し考える素振りを見せていたが、ミドナが大して進まないうちに、口を開いた。
「ねぇ、影の王女様?」
「……なんだよ。」
ギラヒムの呼びかけを無視するわけにはいかず、ミドナは仕方なく足を止めた。
「ワタシは彼に用がある。ついて来るよね?」
突拍子もないことをギラヒムが言い出した。
「はぁ?会いたいわけじゃないと言ったばかりだろう。」
イライラを隠さず、ミドナは拒否する。すると、ギラヒムは肩をすくめた。
「キミの都合なんて知らないよ。ワタシは彼のところに行きたい。ここには誰かしら女神陣営の者がいるだろうと踏んで来たら、君がいた。だから君は、ワタシについて来なければならない。そうだろう?」
ギラヒムは悠々と言ってのける。いっそ清々しいほどの傲慢さである。大体、ギラヒムの用事など、ろくなものではないはずだ。仮に本当にリンクが悪だったとしても、いたずらに傷付けられる様子は見たくない。
「……他を当たってくれ。」
踵を返したミドナだったが、その直後、腕を掴まれた。
「来るよね、影の王女様?」
ギラヒムはミドナの耳元に口を近づけた。そして、囁く。
「キミが一人でリンク君のところに行くつもりだって、魔王様に報告するよ?」
ミドナはギラヒムを振り切り、苛立ちを追いやるように首を振った。過剰反応と言えるだろう。すぐにそのことに気付き、視線を彷徨わせた。挙動不審だったかもしれない。
「……い、言えばいいだろう。そんなつもり、微塵もないからな!」
やっとの思いで虚勢を張ると、ギラヒムは意外そうな顔をした。
「そんなに動揺するんだ?まさか、本気でそのつもりがあるとは思わなかったよ。」
「ないと言っているだろう!」
即座にミドナは噛みつく。ギラヒムはニヤリと笑った。
「意地になっていては余計に怪しいね。仮にそうだとしても、キミはもっと上手く隠すと思っていた。」
不敵な笑みを浮かべ、ギラヒムはミドナを引っ張って歩き出した。
「まぁ、どちらにせよ、ワタシには付き合ってもらうよ。」
ミドナは初めこそ抵抗したが、純粋な力勝負となると及ばず、すぐに諦めて大人しく引っ張られていった。
「やぁリンク君。」
結局、ミドナはギラヒムと共にリンクの前に立っていた。リンクは牢の奥で膝を抱え、さらに、顔を膝に埋めていた。ギラヒムの声で顔を上げるが、その途端、かなり嫌そうな顔に変わる。
“……すごく疲弊しているな、リンクのやつ。”
その様子を見て湧き上がった感情は、怒りではなく心配だった。
「気分はどうだい?野望を撃ち砕かれ、何も出来ないように閉じ込められた気分は。」
リンクの様子に思うところはないらしい。隣に立つギラヒムは、いつもの調子でリンクを嘲笑っていた。
「………何の用。」
ギラヒムの問いには答えず、リンクは低い声で用件を問うた。いや、その様子は、問いかけるというより言い捨てていた。
「何の用、って。キミの惨めな姿を見に来たんだよ。他に理由が必要かい?」
相変わらずギラヒムはニヤニヤしている。やはりコレを見せられるのだな、とミドナは遠い目をした。リンクを確認すると、先程とは比べ物にならないほど嫌そうな顔をしていた。
「……うざい。さっさと出て行って。」
その言葉はため息を添えて。全く期待していないのが傍から分かる声だった。
「連れないねぇ。せっかく来てあげたのに。」
対してギラヒムは愉しそうに笑っている。
「……頼んでない。」
どこか諦めたようにリンクは呟いた。すると、ギラヒムは顔を牢に近づけた。
「あの時みたいにいたぶってあげられないのが残念だ。あの時は大人しくて可愛かったのにね?」
内緒話をするように、だが、はっきりと聞こえる声でギラヒムは囁いた。ミドナが怪訝な顔でギラヒムを見ると、ギラヒムは陶酔しきったような顔をしている。すると、リンクはハッと鼻で笑った。
「あれが引き金になったとは思わない?」
長い、長い沈黙が流れた。何のことか分からないミドナは、ギラヒムの様子をうかがうしかない。いつの間にかギラヒムは、いつにも増して不機嫌な顔をしていた。
「……へぇ?じゃあ、ワタシのせいだと?」
ようやくギラヒムから漏れた声はかなり低いものだった。からかうような口調ではあったが、不機嫌を隠していない。すると、リンクは肩をすくめた。
「別に。オレが失望したのは、君に対してだけじゃないし。」
そこでミドナは嫌な予感にぶち当たった。
「ちょ、ちょっと待て。ギラヒム、お前コイツに何かしたのか。」
ミドナの問いに対し、意外にもギラヒムは少し視線をそらした。
「………それは、」
「何かしていたら何なの?今更それが、何の役に立つって?」
少しバツの悪そうなギラヒムの言葉は、しかし、リンクの気怠そうな声に遮られた。
「………リンク?」
その様子にミドナは引っ掛かりを覚えた。思わずリンクの名を呼ぶ。だが、確かにリンク目線はこちらに向いたが、それは一瞬で、それ以上の反応を返してはくれなかった。
「その話を続けるか続けないかはどうでもいいけど。それ、他所でやってくれる?オレ、関係ないよね?」
相変わらず、全てを放り出したような態度だった。ミドナはその様子を見て困惑する。だが、何を言う前に、ギラヒムが強く鉄格子を攻撃した。気付かぬ程一瞬で出現させた剣を握る手は、固く握られている。どうも、彼の怒りに火が付いたらしい。
「リンク君、キミ、本当にムカつくね?またいたぶってあげるから、こっちにおいでよ?」
不機嫌を前面に押し出しつつ、憎々しげにリンクを威嚇するギラヒム。
「断る。」
対して、リンクは一刀両断していた。しばらくギラヒムは黙ってリンクを見つめていた。
「……フンッ、興覚めした。」
ギラヒムはパッと手を放して剣を消すと、苛立ったように荒くマントを翻した。そうかと思うと、くるりとミドナに向き直った。怪訝に思いながら眺めていると、ミドナに向かってうやうやしくお辞儀する。
「影の王女様、話したいことがあるのならばどうぞ?ワタシは出口付近にいるからね。」
尊大な口ぶりでそう言うと、ギラヒムは去っていった。ミドナは呆気にとられてギラヒムを見送る。しばらくミドナは呆然とギラヒムの去った後を見つめていたのだが、やがて悟った。
“……あいつ、まさか、このためにワタシをここへ連れて来たのか?なんだよ、ツンデレか。”
思わぬギラヒムの好意に顔が緩みそうになる。しかし、今は、と気を引き締めた。折角ギラヒムが作ってくれた機会だ。存分に利用させてもらおうじゃないか。改めてミドナはリンクを見据えた。リンクも怪訝に思ったのだろう。ギラヒムが去った方を眺めている。だが、ミドナの視線に気付いたらしい。やれやれといった風にリンクは首を振った。
「君もさっさと出て行けば?オレ、もう疲れたんだけど。」
リンクは手で出口の方を示しながらそう言った。相変わらずのリンクの態度に、一気に心が重くなる。だが、何故かリンクのことが儚く見える。先程のリンクの言に対し、ミドナは神妙に頷いて見せた。牢に来た当初から感じていたように、リンクが疲労困憊しているのは紛れもない事実だろう、とミドナは思う。
「そのようだな。お前、滅茶苦茶疲れた顔をしているぞ。」
「あぁ、そう。それで?」
ミドナの思いやりにもリンクはそっけない。だが、そのそっけなさが逆に心配になった。
「……オマエ、大丈夫なのか?すごく辛そうだ。」
思わず、ミドナはリンクを気遣うセリフを述べていた。それほど、今のリンクには生気がなかった。しかし、ミドナの言葉を聞いたリンクは、額に皺を寄せていた。
「はぁ?何、今更オレに同情するの?」
不良さながらの声音である。ミドナも、少しカチンときた。
「同情とは酷い言い草だな。心配してやってんのに。」
苛立ちを押さえながら、ミドナはリンクに言い放った。すると、リンクはハッと鼻で笑った。
「だから、そんなこと頼んでないし。大体、敵を心配するって、君、馬鹿だったの?」
「ば、馬鹿とはなんだ!?」
流石に馬鹿にされては冷静に対処できなかった。思わず怒鳴り返してしまう。
「オレが元気になったら君達困るんだろうに。……いや。」
少し考える素振りを見せた後、リンクは一呼吸ついた。一瞬違和感を覚えたが、リンクの顔がこちらに向いてそれどころではなくなった。先ほどまでの気怠そうな感じはどこにいったのやら、ゾッとするような嫌な笑みに心が冷える。リンクはニヤリと笑って口を開いた。
「オレが辛いって言ったら出してくれるの?」
「………っ!そ、それは……。」
ミドナはたじろぐ。思わず視線を彷徨わせた。
“それは……できない。そんな酷い裏切りはできない。”
ミドナは思う。だが、その一方で。
“……もし、もしも、だ。本当に、リンクが助けを求めてきたら。ワタシはその手を払い退けるのだろうか。”
それはそれで、かつての相棒を見捨てる行為である。そんな非情なことができるかと言われると……自信がなかった。
「……ふーん?迷うんだ?」
ミドナが言葉を返せないでいると、何を思ったか、リンクはゆっくりと立ち上がった。そして、こちらに向かって、のんびりと歩み寄ってくる。その様子が、なんだか恐ろしかった。ミドナはその場に硬直してしまう。そうこうする内に、リンクは鉄格子を挟んですぐそこまでやってきた。
「ミドナ。君、オレのために動いてくれる?やっぱり、全員いらないっていうより、誰かしら手下に置いておいた方が良かったみたいなんだよね。」
優しい顔……しかし、全く思いやりの籠らない顔で、リンクは囁いた。
「お、まえ……あれは、本気だった、のか………?」
ミドナは呆然としながら、なんとか言葉を紡ぐ。リンクはクスクスと笑い出した。
「まだオレのことを信じているとか言うの?ハハッ、あの時代のオレも、捨てたもんじゃないな。じゃあさ、ミドナ。オレをここから出してよ。それで、一緒に世界を壊そう?きっと楽しいよ?」
演技がかった仕草で話すリンクは、ミドナの知っている姿ではなかった。目の前が真っ暗になるような気持ちになる。
「は……、な、何を言って、」
「世界を壊した暁には、君を楽にしてあげる。」
ミドナがやっとの思いで口を開くも、リンクはそれを遮って、更に不穏なことを口走った。そうかと思うと、相変わらずクスクスと不気味に笑いながら、リンクはこちらに手を伸ばしてきた。呆然と動けずにいると、その手はどこか優しく、頬に触れた。
「大丈夫。最後は君も壊してあげるから。みんなと一緒だよ?」
「ふ、ふざけるなっ!」
ミドナはリンクの手を強く払い落とした。ギョッとした顔のまま、リンクに向き直る。
「だ、大体、お前はそんな奴じゃなかっただろう!!何故そんなことを言い出すんだっ!?」
ミドナの必死の主張に対し、リンクは大きくため息を吐いた。先程までの楽しそうな様子は鳴りを潜め、つまらなさそうな顔をしている。
「あーもう、またそれ?全く、オレを見誤ったのは君達なのに。」
大きなため息が更に追加される。腰に手を当てて、こちらを見たリンクは、なんとも大儀そうな顔をしていた。
「馬鹿な君達に分かるよう、何度でも言ってあげるけど。オレは、オレのやりたいように行動したんだ。言っておくけど、それに関しては今までと同じだよ?以前だって、破壊衝動に身を任せて魔物を倒していたんだから。今回は、その対象に女神軍も入れただけ。だってオレ、あの時完全なトライフォースを持っていたし。両軍倒せると思ったんだけどな。」
さも残念そうに肩をすくめるリンク。リンクの主張は報告にあったとおり。むしろ、全くぶれていない。だが、自分こそはリンクの本音を引き出す。ここからが正念場だ。ミドナはそっと深呼吸をした。
「……ワタシは、騙されないぞ。あの時と……ワタシと共に戦った時と、同じだと言うんだな?だが、あの時お前は、お前自身の為ではなく、ワタシや、姫さんや、その他ハイラルの人たちの為に、」
「暴れるための丁度いい大義名分だったからね。」
ミドナの必死の理論も、言葉の途中でリンクに遮られる。
「流石に、同族であるハイリア人や同盟を結んでいるゴロン族とかゾーラ族を襲うわけにはいかなかったし。」
今や不機嫌そうな顔でリンクは宣った。ギリリと歯を食いしばりながら、それでもとミドナは口を開いた。
「もともと、お前は、牧童で。村の子どもたちを助けるためにあの戦いに身を投じた。そして、ワタシの要求で、深みに嵌っていくことになった。」
リンクはハッと鼻で笑った。
「あぁ、そんな始まり方だっけ?」
そして、ミドナに顔を近づけてきた。
「そうすると、ミドナ。君には感謝しなきゃならないな。オレは、君のおかげで破壊活動を誰に咎められることなく出来たんだから。」
ミドナは目を見開いた。
「オマエ……!!」
だが、それ以上言葉を継ぐことができない。ハハハと大笑いしながら、リンクの顔が離れていく。そして、惚れ惚れしたような顔でリンクは言い放った。
「守護者達から逃げ惑う君たちを見ているのは楽しかったのになぁ。最後まで壊せなかったことが心残り。」
実に残念そうな顔になり、リンクはやれやれと首を振った。だが、それに構う余裕は、ミドナにはなくなっていた。先程までの心配はどこかへ吹き飛んでいった。今、ミドナの中に残っているのは、怒り。そして、失望。ミドナは、唸るようにリンクを睨みつける。
「……っ!!オマエ、そんな奴だったのか!!見損なった!!二度とその顔見たくないっ!!」
ミドナは足早に出口に向かった。すっかり忘れていたが、扉の前で、ギラヒムは待っていた。ミドナを認めると、ギラヒムは無言で扉を開けた。二人は地下牢を後にする。
地下牢を出たミドナとギラヒム。ミドナは抜け殻のように歩いていたが、何故かギラヒムはミドナについてきていた。
「影の王女様?」
肩を大きく震わせ、ミドナはギラヒムの方を見た。
「な、なんだよ。まだいたのか。」
「なんだか随分と覇気がないね?」
「覇気がない?ワタシが?」
虚勢を張るミドナ。ギラヒムは、肩をすくめると、ミドナを追い抜いて去っていった。だが、その追い抜きざまに、
「あんな奴、覚えているだけの価値もない。」
と呟いた。ミドナには、確かにその声が聞こえた。思わずミドナは足を止めた。ギラヒムは気にすることもなく行ってしまった。ミドナはしばらく呆然としていたが、やがて、
「そうだな。」
と呟いた。そして、自分が来た方―リンクの牢の方―を見やる。
「ワタシはもう、オマエを忘れるよ。……オマエのことで悩むのは、これっきりだ。じゃあな、リンク。」
ミドナは少しすっきりした顔で部屋に戻る道を歩き出した。
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